その五 半月の光は帰還を乞うた
自分が落日の夜のマヤリスになった悪夢を見て、ベッドで眠っていたアキュティシマ=クァカスは跳び起きた。
時刻は深夜。夜空に在る半分の
アキュティシマとマヤリスは、夕焼けの中で知り合い兼監視役の四人に質問を受けた後、軽く食事を摂ってシャワーを浴び、早めに寝たのだった。
「…………」
アキュティシマの額には脂汗が浮かび、目尻からは涙が流れ、心臓は早鐘を打ち、肩で息をしていた。
「今のは……」
息を整えながら、何を見ていたのか整理しようとして、ふと、窓の方を見た。
そこには、悪夢の中で自分自身だった少女────マヤリスが、月光を浴びて、窓の外を見ながら佇んでいた。
「……マヤちゃん、起きてたの?」
「姫姉様……」
アキュティシマが話しかけると、マヤリスはそっと振り返った。
「具合、悪そうですよ? 大丈夫ですか?」
「……うん……そう、ね……」
アキュティシマは少し考えてから、
「さっきまで、夢を見ていたの。王国が消えたあの夜、マヤちゃんが
出来る限り言葉を選んで言った。
「具合悪そうに見えたのなら、心配かけてごめんなさい。でも、大丈夫よ」
アキュティシマはそう言って、胸を張って両手を腰に当てて見せた。
マヤリスは一瞬だけ目を伏せ、
「姫姉様」
「どうしたの?」
「帰りましょう、わたし達の国に」
アキュティシマの瞳を真っ直ぐに見つめて、確かな口調で言った。
「ノビリス様が言っていたんです。先に避難した姫姉様に合流しなさいって。後の事は姫姉様に聞きなさいって」
「え……」
アキュティシマは思わず声を洩らした。先程まで見ていた悪夢でも、同じようなやり取りがあったからだ。
「姫姉様、昔、とても古い本を読み聞かせてくれた事がありましたよね? その中に書いてあったじゃないですか、『最小でも一族の者が二人いれば、そのエネルギーを利用して、限定的に時間を逆行させる事が出来る』、って」
「もしかしてですけど……姫様、ノビリス様にそういう事を頼まれたんじゃないですか?」
「────それは、」
アキュティシマは、あの日自分に起きた事を思い起こした。
忘れるはずがない、あの時言われた事は────。
アキュティシマが質問に答えようとするよりも先に、マヤリスが口を開いた。
「わたしも、さっきまで夢を見ていたんです。姫姉様になって、あのバケモノと戦う夢。当たり前に身体の芯から信じられないくらい力が溢れて来るのに、全然攻撃が効かなくて……勝てなくて……逃げろって言われたんです。ノビリス様に」
「…………」
「その時ノビリス様、『今逃げ延びるという事は、種族の未来に繋がる事なのです』って仰っていたんです。だから、もしかして、って」
アキュティシマは目を見開いた。
テンパスフュジット王国が惑星からその形を消したあの日、ノビリスに全く同じ事を言われたからだった。
「……うん。確かに頼まれたよ。ノビリス爺に」
アキュティシマはゆっくりと頷いた。
マヤリスは驚いた様子で息を呑んだ。何度か呼吸をして、
「そう……だったんですね」
マヤリスは振り向くと、窓の向こうに輝く
「これは今さっき思った、根拠のない事なんですけど……、わたし達、お互いのあの日を夢に見たんじゃないんでしょうか?」
「……かも、しれないね」
アキュティシマは衣擦れの音を立てないように細心の注意を払いながら、両腕で自分を強く抱き締めた。
「……だったら、戻りましょう」
マヤリスはそう言いながら振り向いた。
アキュティシマは、マヤリスに見られる前に自分の両腕を
「百年経っちゃいましたけど、きっとまだ間に合うはずです! わたし達で、皆を助けに行きましょう!」
マヤリスはベッドに座るアキュティシマに歩み寄ると、跪き、その両手を取って懇願した。
アキュティシマは、すぐに答える事が出来なかった。しかし、マヤリスの銀色の瞳から目を逸らす事だけはしなかった。
そうして一分以上黙った末に、
「……ごめん、マヤリス。それは、今すぐには出来ない」
アキュティシマは、ゆっくりと首を横に振った。
「な……」
マヤリスは絶句した。信じられないものを見たかのような表情になって、
「何故ですか⁉ やらない理由も、出来ない理由もないはずです! どうして……⁉」
「まだ、ヤツが生きているんだ……」
「ヤツ……?」
「私達の国を襲った、あの怪獣だよ」
「え……?」
「恐らくはノビリス爺がやったんだと思うんだけど……私が国の外まで避難した後、誰かが自爆魔法を使って、あの怪獣を倒そうとしたんだ」
アキュティシマは、あの夜見た、王国と森を包み込む眩い光と衝撃波を。
「でも、倒しきれなかった。……理由は判らないけれど」
そして、その中心で肉体を焼かれ尚健在だった、黒緑色の異形の巨躯を、脳裏に浮かべた。
「ヤツの痕跡は、百年間旅をする中で、時々確認出来たんだ。振動波とか、熱線の残滓とか。実際に目撃したけど、戦う前に逃げられてしまった事もあったよ」
アキュティシマは、マヤリスの両手で包まれる中で、拳を固く握り締めた。
「もし、今のまま時間を逆流させて、王国を元に戻したとしても……ヤツがもう一度襲撃して来るかもしれない。だからせめて、あの怪物を倒すまで、待ってもらう事は出来ないかな?」
「え、でも……」
「大丈夫。次は絶対に負けない」
「でも、姫姉様……ボロボロじゃないですか……!」
マヤリスに言われて、アキュティシマは僅かに表情を強張らせた。
「…………そう?」
マヤリスは力強く頷いて、
「そう見えます。何だか元気に見えないっていうか……ぼやけてて、消えて無くなっちゃいそうっていうか……。
そう言われて、アキュティシマは自分の手に視線を落として、
「そう、か……判っちゃうか」
溜め息を吐くかのように、力なく零した。
アキュティシマは、申し訳なさそうに視線をマヤリスの顔に戻して、
「……正直に言うとね、確かに百年前と比べたら、戦いに使えるエネルギーの上限は減ってしまったと思う。私が使えた魔法の中で一番エネルギー消費が大きいのが、四次元規模で身を守る事が出来る光装甲魔法だったんだけど……」
アキュティシマはそこで発言を区切って、マヤリスの両手の内側から、自分の左手を出して、手の甲を見せた。
直後、何の前触れもなく青白い光の手甲が形成されかけて、完成される事なく、光の粒子になって弱弱しく霧散してしまった。
「……この通り、使えなくなっちゃったんだよ。たぶん、あの時、ボッコボコにされちゃったのが、原因なんだと思う」
アキュティシマは、左手を左腿に力なく置いた。
「だから、それなしでも怪獣と戦えるぐらい強くならなくちゃって、無茶な戦いばっかりしてたんだ。それこそ冒険者やるって決めた当初は、私はもう死ぬまで独りなんだって思って、捨て鉢な戦い方してた時もあったし」
「そんな……」
マヤリスは、愕然とした表情になり、無力感に苛まれた様子で俯いた。
「……あっ、マヤちゃん? 自分のせいでなんて思わないでよ? それは違うから。そんな事全然思ってないから。それだけはどうか、取り違えないでっていうか……」
アキュティシマは少しだけ慌てた様子で補足した。
「今は、マヤちゃんがいて、未来を取り戻せるんだって分かったから。無謀な戦い方はもうやってないし、これからもしないから……うわ駄目だ、どんどん言い訳みたいになってく……」
マヤリスは、左手で後頭部を掻くアキュティシマを見て、何とも言えない笑顔を見せて、
「約束、ですよ?」
そう言って、右手で拳を作って小さく突き出した。
「……! うん、約束」
それを見たアキュティシマは微かに笑い、右手で作った拳を軽くぶつけた。
二人は同時に拳を
「ふふ……」
マヤリスはアキュティシマの顔を見て、静かに笑った。
「うん?」
「姫姉様のその癖、昔のままですね」
「癖?」
「何かと戦う時とか、大事な事を決める時とか。姫姉様、どんなに大変そうな時でも、ちょっと笑うんですよ?」
「ああ、これね。昔、城でこっそり読んだ、一番古い本に書いてあったんだ。『本当に強いヒトは、戦う時に微かに笑うと思うんだ』って。そうありたいって思ったから、その日から意識してやってたら、自然と出るようになったんだよ」
「じゃあ、今の約束も戦いなんですね」
「うん。
「────、分かりました。あの怪獣を倒すまで、わたし待ちます。……負けないでくださいね?」
「うん。それも、約束だ」
アキュティシマは月光が差し込む窓を見遣り、その向こうにある半月の位置を確認して、
「……うん、とりあえず今は寝よう。まだまだ夜明けは遠いから」
「そうですね。変な時間に起きちゃってたんですよね、わたし達。……姫姉様」
「なあに?」
「昔、一緒にお昼寝した時みたいに、その……抱きついて寝ても、良いですか?」
「いいよ。おいで……」
「……やっぱり。姫姉様の
「……そっか」
「でも、昔と変わらず、暖かいです……」
「そっか……」
「…………」
「もう、寝ちゃったか。相変わらず、寝るの早いなあ……」
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