その八 いのちは夜空の下に立つ

 怪獣という名の緊張感に包まれたまま、夜の帳が下り、真夜中へ至ったラディアヴェーション鉱山。

その斜面に築かれた鉱山都市カラットに住まうヒトの内、眠る者の比率が増えていく中、突如、鉱山の稜線から、弾けるような音と共に赤い光が放たれた。

 その光の奥から、全身を蛋白石オパールのように輝かせる五十メートル程の骨格の怪獣──ほうしょくきょうこつりゅうデイノオパルスが姿を現した。

 その足元には、デイノオパルスと共に山稜に出た、ツルバミ、モクレン、クリス、スミラの四人の姿が。


「出れたーっ! 凄い凄い! あはははっ!」


 クリスは嬉しそうに駆け出して、五歩目で止まってくるりと回った。


「ちょ、危ないって⁉」


 モクレンは慌ててクリスを止めようと声をかけた。


「っと、そうね。浮かれ過ぎた」


 クリスは回るのを止めると、足元を確認して小さく肩を竦めた。

 スミラは肩の力を抜いて、それと同時に足元より下に灯りが見える事に気付いて、


「ん……ここ、鉱山の上か⁉ 本当どうなってやがる……」

「さっき説明した通りですよ、としか」


 ツルバミはそう言いながら、後方の地面に展開された、デイノオパルスも通れる巨大な赤い光の長方形を閉じながら言った。


「いや、説明は聞いたけどよ……」




§




「何も壊さずに、皆で外に出る方法です」


ツルバミは微かに笑って見せ、右手を自らの前方に翳した。

 すると、その手が向く先の空間が破れるように拡がり、赤い光が零れる長方形の孔が出現した。


「え、何それ……」

「クリスさん?」


 モクレンはクリスを見ながら声をかけた。

 クリスの表情と声からは、困惑しか見受けられなかった。


「分からない……。その、光の……孔? なんなんですか?」

「これは、六次元を経由して人造膜宇宙に繋がる窓です。私達、光波結晶フォトニウム耳尖人エルフの、私から数えて八世代前の御先祖様が創りました。ここを通って、洞窟の外まで行きます」

「ええ……?」


 クリスはツルバミの説明を聞いたが、殆ど理解出来ない様子だった。


「…………」


 モクレンはツルバミの説明で混乱し、ふらつく身体をどうにか自力で支え、惑星エーテラースの意思に与えられた『洽覧こうらん深識しんしき:地球』を参照し、


「……理論物理学の話、なのか……?」


 よく分からないなりに、そう推測した。


「……よく分からんが、具体的にはどうやって使ってるんだ?」


 スミラは首を捻ったまま、ツルバミに質問した。


「今は、物を沢山収納したり、物凄く遠くまで移動するために利用してますね」

「物凄く、遠く……?」


 それを聞いたモクレンは僅かに眉を寄せ、


「もしかして、この間のエクルオス湖ワームホール事件の時、いつの間にかオレの隣にいたのって、まさかその窓を通って帰ってきたんですか?」

「ええ、その通りです」

「成程……湖から禁足地までは八千キロはある、超音速で飛んで帰るにしても、早すぎると思ったんだ……」

「やろうと思えば別の膜宇宙や、全くの平行宇宙にも行けますよ」

「何でもアリか……」


 ツルバミは、呆然とするモクレンに優しく笑いかけ、


「先程も言いましたが、この能力は、いつか当たり前の技術になります。必要なのは、関連する概念を理解し、必要量のエネルギーを用意する事ですから」

「ほんとかなあ……」

「どうか信じてくださいな」

「ああ、話の腰を折るようで悪いんだが、いいか?」


 スミラはそう言いながらそっと右手を挙げた。

 ツルバミはモクレンをちらりと見てから、


「何でしょう?」

「その人造膜宇宙とやらは、俺達が生身で通っても大丈夫なのか?」

「いいえ、重力操作と呼吸をしなくて済む魔法が必要ですね。私が責任をもって皆様にかけますので、ご心配なく」

「分かった。かけ過ぎるなよ?」

「気を付けますね」


 ツルバミは仲間達に微笑みかけ、それから、地底湖へ顔を向ける。


「では、あの子を起こして、皆で脱出しましょうか」




§




「『何度も聞くより一回見る方が理解出来る』みたいな言葉をどっかで聞いたけどよ、俺には理解出来なんだ……」

「そうでしたか……」


 ツルバミはスミラの微妙そうな表情を見て、少し寂しそうに言った。


「あれが本当に人類普遍の技術になるのか? 俺には信じられんよ」

「だとしても、信じてくださいとしか言えません。私も、あなた達を信じます」

「そうか……。努力するよ」

「ありがとうございます」


 会話をする人類を傍目に、デイノオパルスはその骨格をわなわなと震わせながら、何歩か前に進んだ。

 黄金色の普段よりも大きな満月と、満天の星空に照らされて、蛋白石オパールの骨を煌めかせる。

 それはまるで、零れ落ちる涙のようで。


『嗚呼……外だ、明るく暗い空だ! やっと出られた……!』


 ツルバミが持つ人工録画水晶式複合観測装置から、デイノオパルスの思念ことばが聞こえてきた。震えていた。

 デイノオパルスは感極まり、ありったけの力を込めて天へ向けて咆哮した。




§




「うるさいねえ! もう夜中だよお⁉」


 鉱石採掘組合ギルド組合ギルド長室で冒険者達の帰りを待っていたカルサイトは、突如どこかから聞こえてきた世界を震わせるかのような轟音に負けない声量で怒鳴り返しながら、部屋のドアを叩き割るように開けた。


「あ、カルサイトさん!」


 部屋の外にはツルバミ達を案内した人間の青年が一人でいた。


「って、アンタまだ残ってたのかい? 帰りなってあれ程」

「それどころじゃないんですよ! 外に来てください!」


 青年が轟音に負けない声量を出して言った。それは、彼が普段見せない焦り切った様子を伴っていた。


「何だいそんなに慌てて」

「いいから早く!」

「あ、ああ……」


 カルサイトは青年の気迫に押され、その背を追いかけて外に出た。

 組合ギルドの外には、今さっきベッドから這い出てきたであろう、寝間着姿のままの鉱山都市の住民達、そして行商人のサムの姿があり、皆一様に、ラディアヴェーション鉱山の方へ顔を向け、空を見上げていた。


「あれです!」


 青年が指差したのも、ラディアヴェーション鉱山の方角で、


「な、何だい、あれは⁉」


 カルサイトは、鉱山の稜線に突然現れた、きらきらと光を反射する巨大な何かを見て仰天した。




§




「あーあーあー、皆起きてきちゃってるよ」


 自身に望遠魔法をかけたクリスが、麓の鉱山都市を見下ろしながら言った。言葉とは裏腹に、声色はどこか楽しそうだった。

 既に全員に聴覚機能を調整する魔法をかけ終え、地面に座ったツルバミは、ゆっくりと座って星空を見上げた。


「いいんじゃない? 夜明けまでに撃ち合いにならなければ」


 その口調は、いつの間にか、くだけたそれに戻っていた。

 モクレンはそんなツルバミに不安そうな表情を向け、


「睡眠妨害だと思うんですけど……」

「それは後で謝るとして、だ」


 ツルバミはデイノオパルスを見上げて、


「どう、デイノオパルス? 外に出た気分は」


 いつしか咆哮を止めていたデイノオパルスは、青紫色の瞳石でツルバミを捉え、


『……ありがとう、小さく、強く暖かな光のヒトよ。嬉しいよ。それ以外の言葉で言い表せない程に』

「そっか……良かった」

『夜明けまでは、あとどれ程かかるだろうか?』

「えっと……」


 ツルバミは右手の掌を上に向けた。そこに浮かび上がった現在時刻を見て、


「後二時間半くらいか……。そんなにかからないよ」

『そうか。ならば、ここで待とう。下にいる者どもはこちらを見はすれど、向かっては来ぬようだから』

「あ、見えるんだ。確かにそうみたいだけど」


 ツルバミはデイノオパルスと同じように山の麓を見下ろし、


「ふうむ、しかし二時間半か……」


 ゆっくりと顔を上げて、星空に向けて呟いた。

 気温は昼間からぐんと下がっていて、言葉と共に零れた息は、白くなって昇って行った。

 ツルバミはそれを見て、何か思いついたような表情になり、


「食事したい人!」

「はい!」


 猛烈な速度で挙手し、真っ先に提案に乗ったのは、モクレンだった。

 あまりの速度に、クリスは目が点になった。


「はっや⁉」

「凄い、今の、私の抜き撃ちよりも速いぞ」

「えぇ……?」


 ツルバミが舌を巻いたのを見て、更にクリスは困惑した。

 モクレンは二人の反応を見て、頬を赤らめた。


「めっちゃお腹減ってるんです……」

「確かに、坑道入ってから何にも食べてなかったわね……。ああ、自覚したら何かお腹減って来たわ。あたしも!」


 そう言って、クリスは照れ隠し気味に手を挙げた。

 三人がスミラの方を見る。

 視線を浴びせられたスミラは、神妙な面持ちでゆっくりと手を挙げ、


「……ぷふっ、はははは。俺もだ」


 思わずといった様子で吹きだすように笑った。

 ツルバミは何度か小さく頷き、


「ヒトは皆、お腹が空いたと。デイノオパルス、あなたは?」

『この姿でお前達と同じように物を食えるとは思えぬ。それに、施しは受けぬよ』


 デイノオパルスは、穏やかな口調で断った。


「まあそう言わずに……ん、そもそも飢えるの?」

『困った事にそうなのだ。目を覚ましてからは、空洞の石を食らい、取り込んで凌いでいた。この力は、そうしている内にいつしか持っていたものだ』


 デイノオパルスの足元から薄桃色の結晶が生え、粉雪のように散った。


「そうだったんだ……」

『それに、この姿で食らえるものを、美味いと思った事はない』

「そうか……気に障ったのなら、ごめんなさい」

『我の事は気にするな。お前達はお前達で、糧を得るが良い』

「……うん、そうするよ」


 ツルバミはそう言って右手を翳し、人造膜宇宙の窓を開き、左手を突っ込むと、必要な道具を引っ張り出し始めた。

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