その七 空行く者は風花の中に

 突如上空三十キロメートルから飛来した、白き翼──飛翔大怪鳥イーグレートが、湖底怪魚竜スパインフォーに襲い掛かった。

 イーグレートはスパインフォーにのしかかると、湖底怪魚竜をぐしゃぐしゃに踏みしだきながら、その毒々しい黄色のくちばしで顔面を貫こうとした。

 スパインフォーは身体を液体に変化させて攻撃を回避した。液体のまま波が引くようにイーグレートの下から移動し、距離を取ってから身体を固体に戻り、威嚇の咆哮を浴びせた。

 イーグレートもそれに応えるように叫び、翼を何度も羽ばたかせた。


「…………」


 完全に蚊帳の外にされたツルバミは、怪獣達が互いに命を賭けた戦いを始めようとしているのを見ながら、一キロメートル程距離を取って着陸した。


「飛翔大怪鳥イーグレート……? 禁足地を作る前からこの辺りにいたなんて情報はなかったし、渡りの時期だとしても経路からは遠い……ここに来た理由は何だ……?」


 ツルバミは疑問を口にしたが、当の大怪鳥に答える様子はなかった。


「一応、防火の魔法もかけておくか……」


 ツルバミは呟き、『ケートゥス』の撃鉄を上げたまま、二大怪獣の決戦を見つめる。


 先に仕掛けたのはイーグレートだった。羽ばたき一つで宙に浮くと、滑空しながら両足でスパインフォーの胸部を蹴り込もうとした。

 怪鳥の両足の鉤爪の先端が接触する瞬間、スパインフォーがそのかたちを保ったまま液体に変化させた。

 イーグレートはスパインフォーの身体がある場所をしてしまい、ステップを踏むようにして着地の勢いを殺そうとした。

 スパインフォーは振り向いて走り出し、イーグレートが背後を見た瞬間に体当たりを見舞った。怯んだ瞬間に更に両腕で右、左、右の順番に殴りつけ、体勢を崩したところで回し蹴りのような動きで尻尾をしたたかに打ち付けて吹き飛ばした。

 イーグレートが地面に叩き付けられ、地面が大きく揺れる。巻き上げられた土煙の奥で、飛翔大怪鳥が身体を起こす。

 スパインフォーはトドメを刺すために、上体を反らし、口から圧力を高めた自身の一部である液体を吐こうとして、


 次の瞬間、突如、土煙の向こう側から強烈な蒼白い閃光と熱波が放たれた。


「う⁉」


 ツルバミが怪光に思わず左腕で両目を庇う。

 熱波で土煙が吹き飛ばされ、その源が顕わになる。光熱源は、イーグレートの白い羽毛だ。


解光かいこうサーマルプルメイジか!」


 左腕を下げながら、ツルバミが言った。


 飛翔大怪鳥イーグレートやその仲間の怪獣は、『解光かいこうサーマルプルメイジ』と呼称される、光や熱を蓄える機能を持つ柔軟かつ強固な羽毛に身を包んでいる。

 これによってイーグレート達は極限環境下においても体温を一定に保つ事が出来るのだが、彼等にとって、この羽毛にはもう一つの使い道がある。

 それが、スパインフォーへ不意討ちで仕掛けた『蓄えた光熱を周囲へ解き放つ』機能である。


 解光かいこうサーマルプルメイジの光熱を近距離で浴び、スパインフォーの前面から煙が上がった。眼球にも損傷があったらしく、両の瞼を閉じている。


 イーグレートは獲物が隙を見せるや否や、地を踏み締めて跳躍した。一気に距離を詰め、その毒々しい黄色のくちばしをスパインフォーの喉元に突き刺し、体重を乗せて押し倒した。

 ほぼ根本まで突き刺さったくちばしが僅かに開かれ、その隙間から炎が漏れ出る。

 スパインフォーは苦悶に染め上げられた声を上げ、痙攣けいれんする両腕を必死に上げようとして、糸が切れるようにそれらを下ろし、そのままこと切れた。


「決まったか……」


 その光景を見て、ツルバミが呟いた。


 イーグレートはくちばしをイーグレートから引き抜くと、ゆっくりとツルバミの方へ顔を向けた。


「……やっぱり、見逃してはくれないよね」


 ツルバミは口元だけで微笑わらい、『ケートゥス』のグリップを握り直した。

 イーグレートは甲高い雄叫びを上げると、ツルバミへ飛び掛かった。


「ふうぅ……!」


 ツルバミは呼吸に合わせて全身に力を込めた。左手の、中指と薬指と小指で楽器の弦を弾くようにてのひらの太い手相のうち、指に一番近いものを撫で、拳を握った。

 それと連動して、空間に降り注ぐ陽光が収束し、拳を握った巨大な左腕を形成した。

 ツルバミの両手に仕込まれた魔法の一つ、『トゥイルブイグアルム』だ。


「────ぅおりゃあぁぁあああ‼」


 ツルバミは気合いを込め、左拳で目の前の空間を殴り飛ばした。

 輝く巨腕がその挙動と連動し、ツルバミの眼前まで迫っていたイーグレートを殴り飛ばした。


「はっ!」


 ツルバミは『ケートゥス』の撃鉄を親指で抑え、トリガーを引いてゆっくりと下げると、ホルスターに納めた。跳躍するようにその場から飛び立つと、瞬時に音の壁を突破した。目指すは惑星を照らす陽の光。


「お前の羽毛は光と熱を取り込む。堅くて柔らで、弾丸も魔法も通りにくい。だから──!」


 ツルバミは倒し方を決め、地上を見た。ポンチョの内側で赤い光の四角を生み出し、中から銀色の金属で出来た小瓶を取り出す。


「この地に一時ひとときの氷河を」


 ツルバミは祈るように唱え、右手でコルク栓を引き抜き、小瓶を持った左手を振り抜いて中身をばら蒔いた。

 澄んだ高い音を立てて広がったのは、極北大陸の最深部に住まう古代氷期巨獣リューバに分けてもらった、『冷結れいけつグレイシャルリキッド』。

 常にマイナス二百十五ケルビンを保つこの液体を大気中に散布すると、一帯に強烈な寒波が形成される。

 その効果は、ツルバミの掌に収まる程度の大きさの瓶に容れられる量だけでも、


「降ってきた……!」


 ツルバミが言い終わる前に、急激に気温が下がり、雲一つない蒼空に猛烈な吹雪が舞い踊る。

 イーグレートは突然の気候の変化に、周囲を見渡しながら驚愕の声を上げた。


「『トゥイルヴラァデ』」


 ツルバミは手刀の形に揃えた右手を地上のイーグレートに向けると、言葉に白い吐息を纏わせて詠唱した。

 右手から青白い光のやじりが放たれ、イーグレートの足元を撃ち抜いた。


「どうした、こっちだ!」


 ツルバミはイーグレートを挑発すると、円を描き、高度を上げながら移動を開始した。

 自分より遥かに小さなモノの挑発が聞こえたのか、イーグレートが両翼を大きく羽ばたかせると、一気に加速してツルバミの後ろに追い付いた。それと同時に、口から火球を連続で発射した。高速で射出されるその様は、もはや火炎放射のようだった。


「っと!」


 ツルバミは一発目の火球を盾にするようにして宙返りを行い、同時に急減速してイーグレートの上方へ移動した。

 ツルバミが小さく呼吸する。両手が目一杯広げられ、それぞれの中心に青白い光点が生まれた。それらは文字通り光の速度で円を描き始めた。


「『トゥイルシルクラル』──!」


 遅れて唱えられた技の内、左手をイーグレートの左翼を狙って投擲した。残る右手の方を保持したまま大怪鳥の真下に潜り込み──、


「おおおおおおおおおっ!」


 瞬時に音の壁を越え、イーグレートに『トゥイルシルクラル』を直接叩き込み、右脚の付け根から右肩にかけて、羽毛を切り裂いた。

 ツルバミがイーグレートの右肩から前方に飛び出すと同時に、吹雪を翔ける一条の輝きが左翼の中心に命中。羽毛を抉り、肉を僅かに焼いた。

 イーグレートは突然身体に走った痛みに混乱し、バランスを崩して墜落した。


「今だ! 『氷雪グァシアルケイゲのようにリィケ掴めセイゼ』!」


 ツルバミが魔法を詠唱し、荒野の舞う吹雪を氷の枝のように練り上げ、起き上がったばかりのイーグレートの両翼と両腕を堅く抑え込み、地面に縫い付けた。


「『氷雪グァシアルトゥイル集めるクォルクトイーウェ作れケラゥト』!」


 続けて、ツルバミは詠唱しながら、両腕を肩幅よりも広げ空へ伸ばした。吹雪が凝縮し、その頭上、両手の先で巨大な氷の凸レンズを形成した。それは丁度、イーグレートとソルという名の恒星の間に置かれていた。

 そして、トドメの一撃を詠唱する。


「『日光ソルトゥイルイーウェ注げプオゥル瞬くツインクルェイングス焼き尽くせブルンアール』!」


 天に座し地を照らすソルから氷の凸レンズへまばゆい金色の光が降り注ぎ、一つに集束され、氷の戒めを砕いたばかりのイーグレートに降り注いだ。

 初め、イーグレートは持ち前の『解光かいこうサーマルプルメイジ』で光波熱線を吸収無効化していた。

 しかし、直前にツルバミが斬り開いた胴体と左翼の傷から体内に光波熱線の侵入を許し、火球を生成する内臓である『炎結えんけつトリッドファーネイス』が熱暴走を起こし、全身が連続で爆発を起こし、木端微塵に吹き飛んだ。


「ふー……」


 ツルバミは緊張を解くように深く息を吐き、両腕を下ろした。ソルの光を受け限界を迎えた氷の凸レンズが、砕け散るように大気へ溶け込んでいった。


「…………」


 ツルバミは、地面に倒れ伏すスパインフォーを見て、その側に降り立った。


「あなたは一体何者だったの?」


 ツルバミは穏やかな口調で問い掛け、怪獣のむくろに右手で触れ、そっと目を閉じた。

 あらゆる物質がそれぞれに持っている振動数を利用した、記憶を読み取る能力を使う。


 ────遠い昔、まだこの辺りに水や緑があった頃。

 己よりも遥かに小さな存在が、遥かに強大な力を以てこちらを殺しにやってきた。

 こちらもヒトを食ったのだ、やり返しに来たのだろう。奴らはそういう生き物だ。

 敵の大いなるいかづちの力を利用し、数を増やして押し潰そうとした。

 しかし、それでも我々は、世界諸共消し飛ばされた。このわれだけは、消される寸前で生き延びたが……。

 冬の如く輝くヒトめ、いつか、必ず……。


 そこまで読み取って、ツルバミは目を開けた。


「そうか……あの時、生き残りがいたのか……だから、私がここに出るなり襲ってきたのか」


 ツルバミは僅かに眉を下げ、空いている左手もむくろに触れ、


「どうか安らかに、星の営みへおきなさい」


 慈愛を以て言祝ぐように、或いは、眠る幼子を起こさないように、静かに告げ、頭を下げた。

 スパインフォーの死骸がゆっくりと液体──水に変わっていき、それらは全て、渇いた大地へと染み込んでいった。

 塗れた地面が元に戻るのを見届けてから、ツルバミは空を見た。


「でも、あれは一体何だったんだろう」


 その視線の先には、ほんの少し前までワームホールが在った場所が。

 ツルバミは考えたが、思い当たる節はなく。


「……考える材料はなし、か。……帰るか」


 ツルバミは歩き出すと、自分が通れる大きさの赤い四角を生み出し、その中に入っていった。

 四角は小さく折り畳まれるように閉じられ、荒野には何も残らなかった。




§




 貿易都市の中心部付近、冒険者組合ギルドクロウディウム支所。

 スパインフォーが突然出現した原因を探るための調査、その二日目が行われようとしていたのだが、


「クリス、いたか?」

「駄目、全然足取りが掴めない。スミラの方はどう?」

「こっちも手掛かりなしだ。これだけ探してもいないって事は、やっぱ町の外か?」

「でも、門番の方々かたがたも誰も彼女を見かけてないのでしょう?」

「空を飛んで壁を越えるにしても見逃すはずないだろうし」

「でもそれくらいしか考えらんないしなあ……」

「じゃあ、人攫いとかに連れていかれた?」

「アレがかあ?」

「もっとありえないわよ」

「ないない」


 組合ギルドの建物内は、怪獣調査とは別の話題で持ちきりになっていた。

 モクレンは椅子に座り、それを遠巻きに見ながら、


「ツルバミさん、何で……?」

「何か、皆慌ててるね。何かあったの?」


 険しい表情のモクレンの右側から、誰かが話しかけてきた。


「ああ、今朝からツルバミさんの姿が見えないんだ」

「あー、それで、どうして騒いでるの?」

「調査隊の集合時刻になっても来なくて、宿屋に起こしに行ったら『ちょっと出かけて来る』って行って出て行った後で」

「へえ、それで?」

「それで町中探して見たけど、町中には今日見たって人はいなくて、町の外に出た形跡もないし」

「成程」

「こういう時に怠けるような事はしないヒトだから、何か事件に巻き込まれたんじゃって」

「そっかあ。ところで、モクレンくん?」

「はい?」

「かなり余裕なさそうだけど、話し相手の顔ぐらいは、最初に見た方がいいぞ?」

「え?」


 そこでモクレンはようやく声がする方向を見て、話し相手の姿を見て、


「うわああああああああああああああああっ⁉」


 心底驚いて悲鳴を上げながら椅子から転げ落ちた。

 悲鳴と大きな物音が響き、屋内にいた全員がその方を見る。


「何だよ、一昨日射出した時みたいな声出して」


 モクレンの隣にのは、騒ぎの渦中にいる、銀髪銀瞳が煌めく、銃使いの耳尖人エルフ


「ツルバミさん⁉」

「ただいま」

「い、いつからそこに⁉」

「ついさっきから」

「音も気配もなかったんですけど……」

「たまたまじゃない?」

「そうかなあ……って、違うそうじゃない! 今まで一体どこ行ってたの⁉」

「ちょっと事件の解決にね。湖の中に凄いのがあってさ。ほらこれ」


 ツルバミはそう言って懐を探るような仕草をして、モクレンに一枚の写真を見せた。

 写真に収められた光景を一目見て、モクレンの顔から血の気が引き、表情を引き攣らせてツルバミを見る。


「え、これ、ブラックホール……?」

「そっくりだけど、ワームホールの方ね。ブラックホールにならないように閉じたから、大変な事は起きないと思うよ」

「えぇ……?」

「んじゃ、色々と説明しに行くから。またねー」


 ツルバミはそう言うと、組合ギルド長の執務室の方へ軽やかな足取りで歩いて行くのだった。

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