その六 彼方の荒野は懐かしむ

 蒼空を歪ませ、光の円盤を纏う黒いあな──ワームホールが発生した。

ワームホールを通り抜け、ツルバミが湖の水面から向こう側へ飛び出した。


「────ぷあっ!」


 その瞬間、ツルバミは反射的に大きく息を吸っていた。

 初めにツルバミの視界に飛び込んできたのは、主に空を飛んでいる時に見る景色だった。視界の上側には蒼空が広がり、視界の下側には小さな積雲が点々と浮かび、それよりも下に地上──地平線まで続く草木一つない荒野が見える。足の下に何かある感覚はなかった。

 つまり現在ツルバミがいるのは中空であり、その身体は地上へ落下し始めていた。

 ツルバミは焦らずに姿勢制御を行い、落下がぴたりと止まった。


「ここは……」


 ツルバミが掌を上に向けると、無数の光点で構成されたもやのような球体が出現した。球体の中心部が拡大され、一つの球体が映し出され、赤い点が生まれる。

 赤い点がツルバミの現在位置であり、球体は、この宇宙そら揺蕩たゆたう、みどりを擁して煌めく蒼玉。


「惑星エーテラース……良かった、別の星に飛ばされるとかじゃなくて。クロウディウムからはかなり離れているけど」


 ツルバミは安心した様子で言い、背後へ視線を向けてワームホールを探したが、影も形もなかった。


「うん、ちゃんと塞がった。ブラックホールにもなってない」


 ツルバミはもう一度安心した様子で言い、そこそこの速度で地面へ降下しつつ、改めて周囲を見渡し、


「にしてもこの経緯度に景色、見覚えが、いやよく覚えている……」


§


 今から七十年前、惑星歴二百四十七年の冷夏のある日。

 当時、彼女の一族の時間感覚ではまだまだ駆け出しの冒険者だったツルバミは、ある依頼を受けた。

 その内容は、『川の中流付近にある三日月湖に、湖底怪魚竜スパインフォーが出現した。人的被害が発生しているので討伐して欲しい』というものだった。

 現在の自分の攻撃性能でも単独撃破は可能だという確信の元、ツルバミは真っ先に件の川へ出撃。釣り人のふりなどをした後、スパインフォーと遭遇した。

 当時、スパインフォー攻略方法は、『液体時に炎等で蒸発させて倒す』だったのだが、ツルバミはこう考えていた。


「蒸発で倒せるのならば、要は気化させつつ絶命せしめれば良いのでしょう? 確認されていないだけで、電気分解でも行けるのでは?」


 自分の考えの正誤を確かめる丁度いい機会だと頭の片隅で考えはしたが、慢心は一切していなかった。

 なかったのだが、〝それ〟は起こってしまった。

 戦闘の最中さなか、スパインフォーが液体に変わり三日月湖に潜った瞬間、ツルバミは電気魔法を駆使し、三十秒かけて雷三十発分のエネルギーを浴びせた。

 液体スパインフォーは三日月湖の水諸共蒸発し、ツルバミは見事単独での怪獣討伐を達成した────はずだった。

 その一時間後、三日月湖から東に二十キロメートルの地点に突然スパインフォーが出現したという報告が飛び込んできたのだ。

 ツルバミが慌てて現場に飛ぶと、雨が寄り集まりスパインフォーが次々に増えていく凄まじい光景が目に飛び込んできた。


 これは後に判明した事なのだが、

 ・スパインフォーは周囲の環境に危機を感じると気体に変わり雲と同化し、仮死状態になって風に乗って移動する事がある。

・スパインフォーは雨雲を主とした空気中の水分を利用し単為生殖で個体数を殖やす。

・ツルバミを見るや否や全てのスパインフォーが一斉に襲い掛かってきた。

 以上の三点から、ツルバミが三日月湖で討伐したはずだった個体が増殖したものだったと推測されている。


 当然ツルバミは応戦したのだが、いくら倒しても増殖を繰り返し、あっという間にツルバミの撃破速度ペースを越えてしまった。

 周辺から他の冒険者が来るまでどれくらいの時間が必要なのか、それまで持ち堪えられるだろうか、そもそも味方が何十人増えてもこの状況を打開出来そうにない。

 焦燥感ばかりが募り、物量に押し潰されそうになり、ツルバミは一か八かの賭けに出た。

 自身を循環する『光』を解き放ち、それを触媒に肉体と空間とを同期し、エネルギーを励起。

半径十五キロに及ぶ天を貫く光熱の柱を生み出し、増え続けるスパインフォーを雨雲母体ごと素粒子まで分解したのだった。

 スパインフォーは全滅したが、エネルギーを消耗しすぎたツルバミはその場で機能を停止。光柱の発生圏内は環境が激変し、生物の生存が一日たりとも不可能な環境に成り果ててしまった。


 これが、後にツルバミが物質三態固定薬を開発する切欠となる、『スパインフォ―大増殖及び禁足地〝育まずの荒野〟創生事件』の顛末である。

 そしてその事件が発生した場所は、まさに今、ツルバミがいる場所だった。


§


「あの時は大変だったなあ……。次に起きたら周りは死の荒野で、しかも七日も経ってて、帰ったら皆から滅茶苦茶心配されて怒られて……ふふ、懐かし……」


 ツルバミが昨日の出来事のように懐かしんでいると、突然世界が少しだけ暗くなった。


「ん」


 見上げると、先程まではなかったどんよりとした雨雲が、地上に蓋をしていた。

 ツルバミの鼻根に水滴が降り、何も濡らさずに落ちて行った。それを皮切りに、雨が降り出した。


「そうそう、こんな感じで──あれ?」


 ツルバミは空気の匂いを嗅ぎ、眉根をひそめた。

 それと同時に、距離方位仰角同時測定魔法三次元レーダーが警告を発した。場所はツルバミの真上。

 その時だった。

 空を覆う雨雲が凝縮しながら地上に降り、大気中の水分を集結させ、湖底怪魚竜スパインフォーに変貌した。

 その大きさは、ツルバミの目測で、約五十メートル。


「でか⁉」


 ツルバミはその巨体に驚愕した。

 『禁足地〝育まずの荒野〟』では、惑星歴三百十七年現在でも、スパインフォーが十メートルまで成長するのはおろか、未だに生物が長時間滞在する事も困難な環境だ。


「どうして……⁉」


 スパインフォーが顔の鰓蓋にある棘を伸ばし、両腕脚の鰭を刃のように鋭く整えた。

 攻撃の意思表示だ。


「っ!」


 ツルバミは右手をその輪郭がぶれる程の速度で右腿の『ケートゥス』へ伸ばし、撃鉄を上げてホルスターから抜いて銃口を向け、


「──え⁉」


 トリガーを引こうとした瞬間、距離方位仰角同時測定魔法三次元レーダーが眼前の怪獣とは別の反応を捉え、脅威警告を発した。

 上空三十キロメートル、ツルバミとスパインフォーのいる位置の真上。対気速度時速約七千三百キロメートルで降下している。


「ここに来る⁉」


 ツルバミが弾かれるように見上げると同時に、スパインフォーが咆哮した。


「あっ!」


 ツルバミが慌てて視線を戻すと、スパインフォーは既に攻撃を始めていた。右腕を振り下ろし、ツルバミを叩き落とそうとしている。

 ツルバミは瞬間的に音速まで加速、スパインフォーの右腕の内側から顔の右脇を通り抜ける事で攻撃を回避した。

 一秒でおよそ三百四十メートルを翔け抜け、ツルバミが振り向く。

 スパインフォーが怒りの咆哮こえを上げながらツルバミを追って走り出していた。

 ツルバミが迎撃するために物質三態固定薬を取り出そうとしたその時、遥か高空より降下していた何者かが、スパインフォー目掛けて降着した。


「く⁉」


 ツルバミは何者かの降着時に発生した爆風や衝撃波を無効化し、巻き上げられた岩石や土を回避しながら、新手の正体を確認するべく目を凝らした。


 それは、全身の殆どが白い羽毛に覆われていた。顔には毒々しいまでに黄色く長いくちばしがあり、その付け根にはぎょろりとした一対二個の眼球が付いていて、それらはスパインフォーに向けられている。背中には、鳥のそれを彷彿とさせる、身の丈以上の巨大な翼が生えている。両腕と脚は黒く、焼け焦げた大木のようだった。


 乱入してきたのは新たな怪獣──飛翔大怪鳥イーグレートだった。

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