その五 窓には穴が開いていた

 翌朝。

 魚の串焼きを買った店で教えてもらった深い青の屋根の宿屋に宿を取ったツルバミは、夜明けの少し前に目覚めた。軽く身体を伸ばしてから、『ケートゥス』の抜き撃ちの練習をした。

 次に机に布を広げ、その上に、マイナスドライバーやクリーニングロッドといった工具類や、液体装薬の入った薬瓶、鉛の弾丸が入った袋をずらりと広げた。


「あ、そうだ……」


 ツルバミが何かを思い出したように呟き、右手を前方にかざした。

 すると、右手の手前にある空間が破れるように拡がり、赤い光が零れる長方形の孔を形作った。

 ツルバミは何の躊躇ためらいもなくその孔に手を入れると、何かを探るように動かし、昨日のスパインフォーとの戦いで撃ち尽くしたままにしていたシリンダーを取り出した。


「忘れるところだった」


 ツルバミはどこか申し訳なさそうに言うと、空のシリンダーを机に置いた。それと同時に、空間に開いた孔が元通りに閉じられた。

 ツルバミは机に備え付けられた椅子に座り、『ケートゥス』を部品単位で分解し、昨日の戦闘で付着した汚れを丁寧に落とした。それから潤滑油を引き直し、分解と逆の手順で組み立て直した。そうしてから、正しく動作するか確認をした。


「よし……」


 ツルバミは呟きながら、次の作業を始めた。

 撃鉄を半分まで上げ、シリンダーを動かして穴の位置を調整し、注射器のような道具で液体装薬を注入し、黄色いフェルト布のパッチを填め、バレル下部のローディングロッドで押し込んだ。これを六回繰り返してから、鉛の弾丸を穴に填め、ローディングロッドで押し込む事を更に六回。最後に、暴発防止のためにグリスで穴を塞ぎ、シリンダー後部の六つの凹凸に雷管を填め、装弾を完了した。空のシリンダーも、同様にして装弾した。


「でーきたっと!」


 ツルバミは嬉しそうに呟くと、右腿のホルスターに『ケートゥス』を納め、空のシリンダーを赤い長方形の孔に収納した。それから、代えの肌着と下着を片手に、意気揚々とシャワー室に消えていった。




§




 それから時間は経ち、間もなく日の入りの時刻。

 ツルバミは、冒険者組合ギルドクロウディウム支所が選出した冒険者と町の警官隊で組織された調査隊の一員として、一日かけて周辺の調査を行い、組合ギルドの建物に戻ってきた。


「ただいま戻りましたー……」

「あ、ツルバミさん。おかえりなさい」


 建物に入って最初に声をかけてきたのは、モクレンだった。


「さん付けはしなくていいって。ただいま」


 ツルバミはそう言って、適当に空いているテーブル席に座り、モクレンを見ながら、手で反対側の席を指した。


「あ、どうも……」


 モクレンは言いながらツルバミが指した席に座り、単刀直入に切り出す。


「で、どうでした?」

「なーんにも出てこなかったよ」


 退屈にも聞こえるような、即答だった。

 ツルバミは少し考える様子を見せ、今日一日の成果を語る。


「私の担当区域含めて、どこの河川からも侵入した痕跡は出てこなかったらしいよ。スパインフォーは肉食、正確には肉食寄りの雑食の怪獣だから、たとえずっと液体のまま湖まで移動してきたとしても、魚の数が減ったとか、水草が根こそぎ無くなったとか、川の底の地形が変わったとか、ほんの少しでも出てこないのはおかしいんだよ」

「あれだけの巨体ですもんね……でも、場合によってはもっと大きくなるんですよね?」


 モクレンのテーブルに置かれた手の下には、児童向けの水棲怪獣図鑑があった。


「諸々の条件が整えば、ね。この辺りの環境だと、たぶんあれがほぼ最大だよ」


 二人が会話していると、先程まで勘定台カウンターの内側で仕事をしていたはずのリカーが、椅子を抱えて歩いてきた。


わたくしも、お話に参加してよろしいでしょうか?」

「構わないけど、リカーちゃん仕事大丈夫?」


 心配そうに聞くツルバミに、


「ご心配なく。キリのいい所まで仕上げましたので。状況が急変しない限り、私一人が少しの間抜けても大丈夫ですよ」


 リカーは口角を上げて見せ、椅子を床に置き、流れるような所作で座った。


「調査結果の補足ですが、近隣の町や村からも、目撃情報は出ていません。エクルオス湖から海に繋がる河川もあるので、沿岸部の方にも情報を求めたのですが、空振りに終わりました」

「……情報来るの、早いですね」

「流石、早馬を使った情報共有と迅速な対応で知られる冒険者組合ギルドだね」


 それを聞いて、モクレンは驚き、ツルバミは口笛を吹いた。


「ええ、まあ。ちなみに、海の方にはタカを飛ばしました。普段なら、もう目撃情報が集まり始める頃なのですが……」

「そうなっていない、と」


 『何もない』という情報の源の一つであるツルバミの言葉に、リカーは頷いた。


「じゃあ、あの怪獣は一体?」

「……分かりません」


 モクレンの疑問に、リカーは首を横に振った。


「スパインフォーに余剰次元を移動する能力はないはずだし、仮にそれが答えだとして私が感知出来ないなんて……」


 ツルバミが考えを纏めようとぼそぼそと言葉を紡ぎ、


「……ん?」


 ふと顔を上げると、二人がキョトンとした顔を向けていた。

 ツルバミはそれを見て、口元だけで引き攣った笑顔を作り、ゆっくりと目を見開いて、


「あ、いやその……ごめん独り言何でもない……お願い忘れて」


 早口言葉のような勢いで捲し立てた。


「そ、それはさておきさ、こう、頑張って探し物して、手がかり一つすらないっていうのは、やっぱり堪えるなあって……」


 ツルバミは、先程までとは打って変わって、やるせなさそうに言った。


「手探りって、楽しい時もありますけどね」


 モクレンは困っているようにも見える笑顔になって言ったのだが、


「……手探り……?」


 その言葉を受けたツルバミは、何かに気付いたような、真剣そのものの表情に変わっていた。


「もしかして……。リカーちゃん? 聞きたい事が出来たんだけど」

「何でしょうか?」

「調査隊の中に、水中で長時間泳げるヒトはいた?」

「確認してきますね」


 リカーはそう言うと席を立ち、勘定台カウンターの奥へと消えていった。

 数分後、戻ってきたリカーは、今日一日で得られた情報を纏めた書類を束にした物を抱えていた。

 書類を見せながら、リカーが質問に答える。


「結論から言いますと、そのような能力を持つ方はいませんでした。ですが、湖や河川に潜っての調査は行われています。ただ……」


 リカーはそこで区切り、書類を一気に捲った。そうしてから、いくつかの証言を指でなぞりながら、


「湖に潜った方の内、何名かが、『水面に浮上する瞬間に妙な違和感があった』と報告しています。『まるで引っ張られるか、もしくは押し返されるような感覚があった』とも」

「成程…………よし」


 ツルバミは少し考えてから、何かを理解したような表情で立ち上がった。


「ちょっと準備する事が出来たから、今日はこの辺で失礼するね」

「お食事はよろしいのですか?」


 リカーがツルバミを呼び止めた。

 冒険者組合ギルドの建物の隣にはそれと同規模の食堂があり、両者は通路で繋がっている。一仕事終えた冒険者はよくこの食堂を利用するのだが、


「帰ってきた時に軽く食べてきたから大丈夫。じゃあ、またね!」


 ツルバミはそう言うと、優雅な所作でモクレンとリカーに手を振り、立ち去ろうとしてすぐに振り返り、


「クリスとスミラが来たらよろしくって言っといてー!」


 そう言って、今度こそ宿屋へ帰って行った。





§




 翌朝。

 調査隊よりほんの少しだけ早く行動を開始したツルバミは、エクルオス湖の海岸、モクレンと出会った場所にいた。


「『アテーミラアリ触れるべからずノゥトトウチ』、『アテー飛ぶスクィ』、『ミラリフェ生きながらケエプング完結せよシルクレ』」


 ツルバミは、水に濡れない魔法、水中を大気中と同じように飛行出来る魔法、呼吸をしなくても生命活動に支障をきたさない魔法を自分にかけてから、ふわりと宙に浮かんだ。それから湖の中心まで一気に飛ぶと、勢いそのままに飛び込んだ。

 三メートル程潜航してから、振り返って水面を凝視して、


「……見えた!」


 ツルバミが右手を水面へ伸ばした。

 すると、湖流が完全に止まり、水面の揺らめきが納まった。水面におおよそ九十七度に開かれた円錐形に収まるように青空が映る。

 次の瞬間、円錐形の青空が拡がるように歪み、漆黒の円が生まれた。周囲の水や光が渦を巻き、黒い孔へ飲み込まれ始める。

 ツルバミは慌てずに右手の指を目一杯広げた。それと同時に、黒い孔へ落ち込んでいく水の流れが治まった。

 そうしてから、ツルバミは目を見開き、黒い孔を囲む光の円盤を見て、確信を以て頷く。


「やっぱりブラックホールじゃない、ワームホールだ。何で湖の中こんなところに……!」


 ツルバミは疑問を口にしたが、答えが返ってくる事はなかった。それを考える事は中断し、ポンチョの下で赤い長方形の孔を作り、写真結晶を取り出した。ワームホールに写真結晶を向け、手早くかつ正確に撮影する。


「報告してから調査したかったけど、戻る時間はないな……行くぞぉっ!」


 ツルバミは一気に加速すると、躊躇う事なくワームホールへ飛び込んだ。

 それと同時にワームホールは一瞬で縮小され、跡形もなく消えた。

 後には、朝方の静かな湖畔だけが残された。

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