その二 鍛冶師モクレンは怪獣を見た

 貿易都市クロウディウムの壁の外、北東の方角にある、多種多様な生物を擁する豊かな森林。それに囲まれ、エクルオス湖は穏やかに水を湛えていた。

 湖の砂浜に座って、ヒトが一人、釣りをしていた。

 外見は十代後半の少年。闇夜のような短めの黒い髪で、瞳の色は蒼。耳は楕円形で、人間と呼ばれる、あらゆる人類種の中間に位置する者のそれだった。

上は白いシャツの上からフード付きのモスグリーン色の外套、下は茶色のズボンに黒い靴という装い。両手で保持している釣り竿は、竹竿にリールを取り付けた物だった。


「釣れないな……」


 少年が退屈そうにぼやいた。最初はそれなりに魚がかかっていたというのに、少し時間が経つ頃には餌を食う気配が全くなくなってしまった。


じゃないからいいけど……」


 少年の側には太い枝が深々と突き刺さっていた。地上に出ている部分の中程には縄が結ばれていて、湖岸の少しずつ深くなっていく場所へと伸びている。その先には麦藁で編まれた魚籠びくがあり、中には少年が釣った銀色の鱗のマスが六匹容れられていた。


「まあ、遊漁券分は釣ったし……そろそろ切り上げ時かな」


 少年はそう言って釣り糸を巻き上げると、魚籠の回収をしようと立ち上がった。


「おい少年!」


 その時、少年の背後からヒトの声が聞こえた。

 少年が振り向くと、そこには銀色の髪と瞳の尖耳人エルフの女性が立っていた。


「……オレ、ですよね?」

「そう、君の事。この辺りは危険だから、早く町まで逃げて」

「え、でも、この辺りってヒトを積極的に襲うような生き物はいないですよ? 野盗が出たとか、そういう情報もないですし」

「今さっき危険になったんだ。この湖に何かいる……いや、『出た』が正しいかもしれない」

「はあ……?」


 少年が首を傾げていると、女性が弾かれたように湖へ目を向けた。


「どうしたんですか?」

「……来る」


 女性がそう言った瞬間、地響きが起き、湖の中央が不規則に波立ち始めた。

 少年は困惑し、女性は身構えた。

 波が爆発するように水柱へと変わり、奇怪な咆哮を上げながらそれは現れた。

 十メートルほどの、魚のような怪獣だった。近付く物全てを飲み込むような口を持つ巨大な顔。両腕と両脚、そして背中から尾にかけて竹縞のような模様が入った鰭がある。全身の輪郭は頭部から尾にかけて細くなっていて、体色は水中に沈む石のようで、鰭のような物が三つ付いている腹部だけは白かった。


「なっ、怪獣⁉」

「湖底怪魚竜スパインフォーか!」


 湖底怪魚竜スパインフォーと呼ばれた怪獣が、湖岸にいる人類種を目に入れ、進撃を始めた。


「こっち来てる⁉」

「────、」


 女性が右腿のホルスターの銃に手を掛けようとして、ちらりと少年を見る。


「少年、ちょっといいか」

「はい⁉」


 少年が返事するのとほぼ同時に、女性がその左肩に右手を置いた。


「へ?」

「私が時間を稼ぐから、『怪獣スパインフォーと遭遇、ガンファイターエルフが応戦中』と伝えてくれ」

「いや射出って」

「あまり喋ると舌噛むよ。座標セット。魔法起動、参、弐、」

「ちょっと心の準備が」「壱──今!」


 女性は言い切ると同時に少年をその肩に乗せた右手で軽く押した。


「うあああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああっ────⁉」


 たったそれだけで、少年は上空及び町の方角へ猛烈な速度で吹き飛んで行った。

 女性──ツルバミは、少年の姿が見えなくなるまでそれを見届け、スパインフォーに向き直った。




§




「────あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉」


 湖から森、森から草原、草原からクロウディウムと悲鳴を轟かせ、少年は都市中央付近にある冒険者組合ギルドクロウディウム支所の両開き扉に突っ込んだ。


「がっぶ⁉」


 少年は突き破るように扉を開け、強かに全身を打った。その際、顔面から落ちたのだが、


「う……あれ? 痛くない……?」


 少年が自分の身体を見ると、かなりの速度で激突したにも関わらず、全くの無傷だった。


「ちょっと! 扉はもうちょっと静かに──え?」


 勘定台カウンターから身を乗り出して受付の少女が注意しようとして、少年を見て固まり、


「すみませんリカーさん、それどころじゃ……何です?」

「いやだって、」


 少年にリカーと呼ばれた受付の女性が答えに窮した様子でいると、


「なあに? 面白い事でも──きゅっ……」


 たまたま出入り口の扉の近くにいた全身紺色で固め円錐の周に広いツバが付いた所謂魔女の帽子を被った小柄な少女が、少年を見るなり小動物のような高い声を出して卒倒した。


「え⁉」

「うお危ねぇ⁉ ん? ……は?」


 胸部と右腕に金属の鎧を装備した三十代の男は、紺色の少女が頭を打つ寸前に抱き留めた。そして、少年を見て絶句した。


「……えっと、皆して、何なんですか?」


 流石に自分に何か起きている事を察した少年は、近寄ってきた三人に、恐る恐る尋ねた。


「いやだってモクレンお前……てかクリス、大丈夫かよ」

「う、兵器……じゃなくて、平気よ、スミラ」


 クリスと呼ばれた紺色の少女は自力でふらふらと立ち上がると、改めて少年を見て、顔を引き攣らせた。


「あの、モクレン? それ……」

「どれ?」

「その大量のトンデモ性能防御魔法、何?」

「…………。はい?」


 モクレンと呼ばれた少年は、何を言っているのか分からないという表情でクリスを見る。


「落ち着いて聞いてね? 私が立ち眩みした理由。アナタに、大量の、どうかしている堅さの、防御魔法が、かかっている。そこまでいくと、最早もはや防御ではなく、攻撃よ」


 クリスは、努めて冷静に、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「……えっと、具体的には、どのくらい?」

「今日一日、絶対に、勢いが乗るような動きを、しないで。走ったりとか、絶対に駄目。下手に人を小突くだけでも危ない、相手の命が」

「そんな、危険物みたいな」

危険物そのとおりよ」

「えぇ……?」


 モクレンが困惑する。

 リカーが何とも言えない表情になって言う。


「モクレンさん、今までそんな力隠して……ないですよね」

「そっち方面は全然……」

「お前釣りに行ってただけなんだよな? 何がどうしてそんな状態コトに?」

「心当たりとかある?」

「って言われても……あ」


 モクレンは今日一日の記憶を思い出そうとして、すぐに思い当たる節がある事に気付いた。銀髪銀瞳ぎんぱつぎんどうの見かけない尖耳人に吹き飛ばされる寸前のやり取りだ。


「あの時か……!」


 モクレンが慎重に、右手で左肩に触れる。


「あるの?」

「エクルオス湖からこっちまで吹っ飛ばされて、たぶんその時……ってそうだ、伝言!」

「伝言?」

「こんな事してる場合じゃないんだ! 怪獣! 湖にスパインフォーが出たんです!」

「え⁉ そんな情報入って──」


 リカーが困惑し、クリスとスミラが一瞬で表情を引き締めたのをよそに、モクレンが畳みかける。


「それで、『ガンファイターエルフが戦ってる』って言えって、銀髪のエルフさんに言われたんですけど……」

「何⁉ アイツが⁉」

「嘘⁉ ガンファイターエルフが来てるの⁉」

「成程、噂に聞く彼女……ならば納得出来ます」


 今度はスミラとクリスが驚愕し、リカーが言葉通りの表情で頷いた。

 話し声が奥まで響いていたのか、室内が一気にざわつきはじめた。驚きや


「え、三人とも……てか皆知ってる感じですか⁉」


 三人は顔を見合せ、


「知ってるも何も……!」

「破壊と混沌が振り撒かれる時、そこにはヤツの姿がある。随分前に一度見た」

「百年間旅を続けながら、陰日向かげひなたなく戦っている、怪獣退治の専門家! ヒト呼んで──」


 リカー、スミラ、クリスの順に答え、最後は三人が同時にその名を唱える。


『ガンファイターエルフ』

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