第一章 水の中に在ったもの
その一 風来坊はツルバミと名乗った
草原の真っ只中に敷かれた石畳の街道を、一台の
空は透き通るような蒼。転々と浮き流れていく雲と、円を描いて飛ぶ小型の猛禽類をよそに、
荷車に座り馬の手綱を握る御者兼商人の男が欠伸を噛み殺し、呆れと諦めの混じったような表情を背後へ向ける。
積み荷と一緒になって、ヒトが一人、寝転がっていた。
ヒトは前開き形式の服の上に青みがかった濃灰色のポンチョを羽織り、黒いズボンと足首までの長さのブーツを履いている。腰には黒革のベルトが巻かれ、右腿の位置には茶色い革製の銃のホルスターがあり、そこには大口径の拳銃が納められていた。
つばが広く顎紐付きのソフト帽が顔に被せられていて、容貌は窺えない。しかしその下からは、規則的な呼吸音が漏れている。
荷車の車輪が小石を蹴飛ばし、少し揺れた。
揺れと同時にヒトの呼吸が止まり、緩慢な動きで上体を起こした。それに連動して帽子がずり落ち、容貌が顕になる。
僅かに幼さが残る精悍な顔立ちの女性だった。落ち着いた輝きを放つ銀色の髪は、肩より少し下までの長さ。耳は細長く、後頭部へ向かって伸びていた。数秒かけてどうにかしっかりと開かれた大きな両目には、銀色の瞳が収まっている。
「あ、おはようございます」
女性は自分を見ている男と目が合い、会釈しながら挨拶をした。
「おはよう、フクロウさん」
「ふふ、ありが……いや褒めてませんね? それと、私はツルバミです」
「そうだよ
「成程。……あ」
ツルバミと名乗ったエルフの女性が、何か思い出したような表情になった。
「どしたよ?」
「あ、いえなんでも……そんなことより、さ。着いたの?」
「もうすぐだ」
「ああ、じゃあもう少し……」
「いやアンタ用心棒の仕事を受けてるんだから、せめて寝るのは止めてくれって。これ何回目だよ……」
二度寝しようとするのを咎められたツルバミは、少しムッとした様子で右手を僅かに動かした。
すると、ツルバミを覆うように、三角形で構成されたドーム状の青紫色の光が発生した。
「
「……アンタ、たまに変な事言うよな? 魔法だってのは分かるんだけども」
「そういう生物だからね、私は。寝てるけど、見張りの仕事はちゃんとしてるって事で……」
「それも何度か聞いたけどな……ってもう寝てるのかよ⁉」
男が引き留める間もなく、横になったツルバミは寝息を立て始めていた。
§
ツルバミと男を乗せた幌馬車は、目的地である貿易都市クロウディウムの城門の前に辿り着いた。
「凄いな、まるで国だ」
目の前に
「な、凄いだろ?」
「ああ、国の中に国があるみたいだ。成り立つものなのですね……」
「中に入ったら、もっと驚くだろうな」
「へえ、どんな感じ?」
「見てからのお楽しみだ」
「成程。じゃあ楽しみにしておくよ。……さて」
ツルバミはそこで言葉を区切り、男に向き直った。幌馬車のような車両を持つ者と本来徒歩で移動している者では国や都市に入る際の手続きが変わる上、ツルバミと男の間で交わされた仕事の契約はクロウディウムに着くまでが期限だったので、別れを切り出したのだ。
「改めて。ここまで乗せて頂き、ありがとうございました」
「こちらこそ。守ってくれてありがとう、だ。……ったく、門の前まで気持ちよさそうに寝やがってまあ……」
「あははは」
「ただ……道中何事もなかったのは、アンタのおかげだろう。ありがとよ、ガンファイターエルフ」
男にそう言われてツルバミはほんの少し目を見開き、照れくさそうに笑う。
「それ、面と向かって言われると何か小っ恥ずかしいな……」
「嫌か?」
「全っ然。気に入っていますので!」
「なんじゃそりゃ」
男が思わず笑ったのにつられて、ツルバミも朗らかに笑う。
少しの間そうして、
「っとと、守衛さん待ってるみたいだから、この辺で。それじゃ!」
「おう、それじゃあな」
ツルバミは優雅な所作で男に手を振ると、守衛小屋へ向かって駆け出した。
遠ざかっていくツルバミの背中を見つめて、男は呟く。
「……なんというか、不思議な奴だったな……」
そうしてから、男も都市に入る手続きに向かった。
§
「おお……」
ツルバミがヒト用の通用口をくぐると、そこは市場だった。
ここに来るまで乗せてもらった幌馬車が横並びで十台は通れそうな大通りが真っ直ぐに伸びている。その左右両端、そして中央を貫くように、様々な露店が並んでいる。見た目通り繁盛しているようで、人通りは多く、商い口があちこちから飛び交っている。歩き方を間違えると人混みに流されてしまいそうだった。
「これは、見た目より広そうだな……」
ツルバミは手続きの際にもらった地図をポンチョの裏側から取り出し、器用に右手だけで広げた。縮尺が書いていない地図には都市外部の情報も載っていたが、正確かどうかは定かではなかった。
「……何にしても、宿の情報からだな」
ツルバミは行動方針を適当に固めて、目の前に広がる市場に繰り出した。
人混みに流されないように気を付けながら、所狭しと並んだ露店を見ていく。時々冷やかしたり、商い口を受け流したりしながら、やがて一つの店──串焼きを売っている店の前で足を止めた。
「マスの串焼き……」
ツルバミが商品名を声に出して読む。明らかに買うかどうか迷っている様子だった。
「ん、お客さんかい?」
そうしていると、店番の女性がツルバミに声をかけた。
「あー……」
店番の女性と目が合ったツルバミは少し考え、ポンチョの下でお腹に左手を当て、
「じゃあ」
そう言って、一歩前に踏み出した。
「そうこなくっちゃ! で、
「この、マスの串焼きを一本ください」
「はいよ、五百イェノムね」
「はい」
ツルバミが差し出された手に五百イェノム硬貨を置いた瞬間、
「むっ」
ツルバミのお腹が空腹を訴えた。クロウディウムの門に到着する少し前に食事休憩を取っていたのだが、足りていなかったらしい。
「お腹減ってるみたいね?」
「……聞こえてました?」
「そりゃもうハッキリと」
「あはは、すみません」
「謝るこたぁないさ。他にもどれか買ってくかい?」
「いえ……まだ荷物も降ろせていないですし、今日のところは止めておきます」
「何だ、まだ宿を決めてなかったの。それなら、ここから南に行った所にある深い青色をした屋根の宿屋がオススメだよ」
「ありがとうございます、検討してみますね。これ、情報代です」
「あらどうも。じゃあはい、串焼きね。熱いから気を付けてね」
店番の女性は追加で五百イェノムを受け取り、見繕ったマスの串焼きを入れた細い紙袋をツルバミに差し出した。
ツルバミがそれを受け取ろうとした、その時だった。
「────!」
ツルバミがクロウディウムに入ってからも起動したままだった距離方位仰角同時測定魔法が、何らかの脅威が出現した事を報せた。出現まで反応はおろか予兆すらなかった事も。
「お客さん?」
「えっ! あ、はい?」
ツルバミが驚いた様子で返事をする。前方を見ると、店番の女性が怪訝そうな表情で、不安げに話しかけてきた。
「どうしたの? 急に固まって」
「あー……いえ、何でもないです。ありがとうございます」
ツルバミはそう言って串焼きの入った紙袋を受け取り、軽く会釈をして足早に店を後にした。
適当な路地に入り、魔法の報せの内容を確認する。反応が出現したのは、現在地点から北東七千二百メートル。仰角はゼロ度。
「位置的には壁の外にあるらしい湖の辺りか……。嫌な予感がする」
ツルバミは呟きながら、紙袋からマスの串焼きを取り出して、背ビレの少し前の部分を一口食べた。絶妙な塩加減、身の柔らかい食感、川魚の風味、そして熱がツルバミの口の中に広がった。
「……観光地値段なだけはある。おいしい」
ツルバミはそう評すると、名残惜しそうに、急ぎ気味でマスの串焼きを食べ始めた。
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