第5話 第一王子は初恋の人に「おめでとう」と言えなかった

 第一王子であるフェルディナン・バダンテールは今、街の公爵邸で行われている結婚式の様子を遠くから見つめていた。

 届けられた招待状に書かれてる名前は、親友と、元婚約者。アベル・カルリエとカロリーナ・ベランジェのものである。

 どちらもフェルディナンにとっては大切な人物であった。

 

「カロリーナ様ぁあ、とても綺麗ですぅうう!」

「コレット、お化粧が崩れてしまうよ」


 カロリーナたちの両親よりも号泣してしまっているのは、コレット・アルノーとドニ・クレージュ。カロリーナが一番親しくしている友人と、その婚約者だ。

 

「アベル、顔が強張ってますよ」

「あら、結婚式は緊張するものですわ、ルーカス。あなただってあのとき……」


 アベルの兄、ルーカス・カルリエとその妻、オリヴィア。フェルディナンにとってもよく見知った顔ぶれが、二人を祝福していた。

 ウェディングドレスを身にまとい、アベルに寄り添って歩くカロリーナはとても幸せそうだった。フラワーガールが散りばめたいくつもの花びらの中を歩く姿は息を呑むほど美しく、フェルディナンの胸は大きく痛んだ。

 本当は、自分の隣を歩くはずだった花嫁。国母となるはずだったカロリーナ。

 それが今、親友の隣を歩いている。

 恨むことも妬むことも許されない。全ては、自業自得なのだから。


『フェル様、フェル様。わたしきっと、立派な王妃様になります』


 柔らかな笑顔で、そう告げてきた幼いカロリーナが脳裏に浮かぶ。心から自分を慕って、自分の隣に立つべく努力を重ねてくれていた少女。王妃教育がどれほど過酷なものか、理解しているつもりだった。王子教育だって尋常ではない厳しさで、何度も何度もそのプレッシャーに負けそうになって……一度は、逃げ出してしまったほどだ。カロリーナは逃げなかったのに、自分はずっと逃げ続けて、避け続けて。努力を重ねるカロリーナに劣等感を抱いた結果、彼女の心を深く傷つけてしまった。

 ただ傷つけただけではなく、彼女の心は酷く病んだ。「カロリーナ・ベランジェ」という存在を忘れ、ただの「公爵令嬢」として振る舞っていた。

 あのときの自分の言動を、フェルディナンは一生後悔することとなる。

 カロリーナを傷つけて尚、未来の自分の隣には彼女がいるものだと思っていた。フェル様、と穏やかな声で呼んで、微笑みかけてくれるのだと。

 心を病んでしまった時点でそんな現実はあり得ないというのに。彼女が国母として自分の隣に立つことは、一つの可能性もなくなってしまったというのに。

 何もかもが中途半端だった。彼女の伴侶としても、この国を背負って立つ男としても。何一つ信念を持っていなかった。

 同じように彼女を想っていた親友は、自分よりずっと強い信念を持っていた。それにも関わらず、フェルディナンとカロリーナが婚約をしている間は一度として、その本当の想いを口にすることはなかった。彼女の幸せを願って。彼女と自分の幸せだけを、思って。

 その想いすらフェルディナンは、裏切った。カロリーナの好意に胡座をかいて、それが当たり前だと思い込んで。親友が必死に彼女の心を救ってくれと言う中フェルディナンは、また逃げた。遅れていた王子教育へ時間を費やし、彼女のために時間を割くことはなかった。

――それが、彼女のためだと思って。彼女が頑張っていただけ、自分も頑張らなければならないと思って。心を壊したカロリーナと向き合う勇気がなくて、現実を突きつけられることが怖くて。フェルディナンは最後までずっと、逃げ続けていた。

 もっと早く、逃げることをやめていれば。もっと早く自分の過ちに気づいていたら。

 今祝福されていたのは、カロリーナの隣で笑っていたのは、自分であっただろうか。

「王子。もうそろそろ……」

「わかっている」

 護衛の一人に声をかけられる。学園を卒業し、いよいよ皇太子としての業務に追われるようになってきた。自由時間はほとんどなく、以前までのようにカロリーナやアベルたちと楽しく言葉を交わすことはもう出来ないだろう。

 学園で過ごす中、それを大切にしなければならなかった。大切なひとたちと、大切な時間を過ごすべきだった。

「……僕は随分、無駄な時間を過ごしてしまったんだな……」

 幸せで堪らないという様子の二人を見つめて、ぽつりと呟く。今さら何を言ってもどうにもならない。後悔したところで時間が戻るわけでもない。

 だけれど、それでも。

 あの美しい花嫁が、今も変わらず愛しいひとが、自分の隣に居てくれたら。

『フェル様』

 優しい柔らかな声で名を呼んで、微笑んでくれたら。

 

 カロリーナ。キャロル。僕のただひとりの。

 

「……帰ろう。僕にはまだ、二人を祝福する余裕がないみたいだ」

 護衛に声をかけ、公爵邸に背を向ける。

 いつか笑顔で、彼らに告げることが出来るのだろうか。結婚おめでとう。とてもお似合いだよ、と。

 少なくとも今のフェルディナンに、その未来は見えなかった。



◇◇◇



「やっぱり来なかったな、フェルのやつ」

 結婚式も無事終わって、ベランジェ公爵邸では参列者に食事が振る舞われている。

 コレットら親しいひとたちや普段あまり会わない親戚、両親兄弟の仕事仲間など、今日は本当にたくさんのひとたちが二人を祝福に来てくれた。けれどそこに、親友――カロリーナにとっては元婚約者である――のフェルディナンの姿はなく。わかっていた結果であったが、アベルは少し残念そうであった。

「殿下も今は暇ではないんですよ。あなたもわかってて招待状を出したんでしょう」

 穏やかに笑いながら、兄ルーカスが言う。髪色以外は全く正反対の雰囲気を持った兄はカルリエ侯爵家の跡取りであり、今現在は妻であるオリヴィアと共に両親の仕事のサポートをしていた。

「そうだけどよ……」

「まぁ僕なら、元婚約者からの結婚式の招待状とか、どんな嫌がらせかと思いますけど」

「おい、俺はそんなつもりは」

「わかってますよ。殿下だって、お前があてつけのような真似をするはずないとわかっているでしょう」

 ふふ、と笑う兄に、アベルは小さく舌打ちする。この腹の底の読めない兄のことはあまり得意ではない。別に嫌いだというわけではないが、どうしたって敵わないため出来るなら関わりたくないというのが本音だ。もっとも実の兄弟であるため、そうもいかないのであるが。

「殿下がカロリーナ嬢を想っていれば想っているだけ、この結婚式に姿を見せることはなかったと思いますよ。婚約関係の期間はもちろん、過去の二人は心から惹かれ合っていたんですから。想い人が別の人、さらには親友に嫁ぐなんて、どうやって考えたところでショックでしょう」

 それはアベルが一番わかっている。想い合う二人の姿を見ていた。心の奥に本音を秘めたまま、二人が幸せであるならいいと思っていた。

 それが、今。

 カロリーナの夫となったのは、自分だった。

 フェルディナンの行動が許せなかったのが一番の理由だが、カロリーナへの想いを留めておくことが出来なかったのも事実だ。墓まで持っていくつもりだった、打ち明けるつもりのなかった感情。こうすることが正しかったのか、アベルは未だに迷うことがあった。

 カロリーナは想いを受け入れてくれた。弱みにつけ込むような真似をした自分に笑みを浮かべ、手を取ってくれた。

 だけれど、それで良かったのか。それが正しかったのか。カロリーナの中にはまだ、フェルディナンのへの想いが残っているのではないか。

 どれだけ時間が経っても、その考えを消し去ることが出来なかった。

 だから、せめて。せめて今日この日に、フェルディナンが祝福してくれたのなら。

 お似合いだと笑ってくれたのなら、もしかしたら。――そんな想いが、今のアベルにはあって。ハレの日であるというのに、新郎らしくない表情を浮かべていた。

「……全く、お前は。どうしてそんなに卑屈なのか」

 深くため息をついたルーカスが、ウェイターからぶどう酒を受け取る。グラスのひとつをアベルに渡して、不意に浮かべていた笑顔を消した。

「僕はね、アベル。幼い頃から、お前のことをしっかり見てきたつもりだ。お前が彼女に叶わない想いを寄せていたことも知っている。それを隠し通そうとしていたのも、友人二人を心から祝福する気でいたことも、全部知っている。でもね、わかっていますか? お前は、選んだんです。彼女の手を取ることを、親友の想い人を奪うことを、選んだ」

 びく、と、アベルの肩が震えた。

 奪った。確かに、そうだ。心の弱った彼女に想いを告げて――親友の、大切な人を……。

「まさかそれを後悔しているわけじゃないでしょう。彼女の幸せを想い、彼女を幸せにすると誓い、彼女に気持ちを告げた。そうではないのですか」

「それは、……」

「殿下に祝福されなければ幸せになれない、などと考えているのなら、結婚などするべきではなかった。大人しく騎士のままでいるべきだった。――でしょう?」

 どくどくと、鼓動が強く鳴っている。

 告げなければ良かったのか。黙ったまま、彼女が他の人と新しい縁を結ぶのを見守るべきだったのか。そうすれば自分は彼女を祝福出来たから。

(本当に?)

 本当にそうなのか。

 答えは否だ。

 彼女の両親が彼女の縁談の話をしているとき、どうしようもない焦燥感に見舞われた。奪われたくないと強く思った。この愛しい存在を、誰にも――フェルディナンにすらも、渡したくはないと。

 アベルはぐっと唇を噛み締め、それからぶどう酒のグラスを一気に煽った。テーブルの上にだんっ、とグラスを置いて、どこかへ向かって歩き出した。

「ルーカス」

 入れ違いにルーカスの隣にやってきたのは、彼の妻であるオリヴィアだ。

「どうしましたの? アベル、怖い顔をしていてよ」

「いやぁ。僕の弟が余りに腑抜けなもので、ちょっとお説教を」

「まぁ! ハレの日なのだから、少しは大目に見てやってくださいまし。それにしても素敵な結婚式でしたわね、本当に。カロリーナさんの美しさったら……あれは幸せなひとだけが見せるお顔でしたわ」

 うっとりと語るオリヴィアに穏やかな笑みを浮かべて、もう一杯ぶどう酒を注文する。今度のグラスは妻へと渡し、チン、と小さな音を立てて乾杯をした。

「ならもう一度挙げましょうか、結婚式。僕と、オリヴィアの」

「あら、それは駄目ですわ! 結婚式というものは人生で一度きりだから意味があるのです!」

「うーん。もう一度あなたの幸せいっぱいの顔が見たいんだけどな」

「ま、まぁあ!」

 ルーカスとオリヴィアの二人は、結婚して三年が経つ。三年経つが、今もこのようなバカップル……もとい、仲の良さであった。

 オリヴィアはそっとルーカスに寄り添い、ぶどう酒を揺らしながら言う。

「わたくしの幸せは毎日更新されておりますのよ。だから毎日わたくしのお顔を見ていればいいのですわ」

「――なるほど! さすが、僕のオリヴィアだ」

 そんなオリヴィアにも過去、想う相手がいた。元婚約者で、それこそカロリーナとフェルディナンくらいには、長い婚約関係であったと聞く。ルーカスはその男から、オリヴィアを奪った。まぁ相手側に、相当の問題があったのだが。

 そのことを一切後悔はしていない。オリヴィアに手を伸ばしたこと、その手を取ってくれたこと――後悔するはずが、なかった。

(彼女を幸せにするのは、僕だから)

 どんな理由があっても、その手を取ったのだから。

(迷うな、アベル。彼女の幸せは、お前と共にあるんだ)

 アベルが選んだのと同じように、カロリーナもまた、アベルの手を取る道を選んだのだ。


◇◇◇


「コレット嬢!」

 アベルが向かった先は、コレット・アルノーの元であった。コレットはドニと共に、普段は食べられないようなご馳走に舌鼓を打っているところであった。

「アベル様! やっぱりカロリーナ様のところのご飯はサイコーに美味しいですね~! これから毎日これが食べられるなんて……なんて羨ま憎らしい!」

「こ、こら、コレット。アベル様になんてこと」

「いや、気にしなくていい。それよりもコレット嬢、頼みがある」

「んん? 何でしょう? このパンプキンパイならあっちにありましたよ」

「そうじゃない。……俺を一発、殴ってほしい」

 アベルの発言に、ドニはぎょっとした表情を浮かべた。コレットはと言えばきょとんとした表情を浮かべて、それからごくん、と食べていたものを飲み込んだ。そしてぐっと拳を握り込み、腕をぶんぶんと振る。

「構いませんよ! お安い御用です!」

「え、え、え、ちょちょ、ちょっと、」

「あぁ、来い!」

 おろおろするドニをよそに、コレットは腰を落とし腹に力を込め、その拳をめいっぱいにアベルの頬へ打ち込んだ。その音に他の参列客、ルーカスやオリヴィア、カロリーナも視線を向けて。何が起こったかわからず、しん……とした沈黙が公爵邸に流れた。

 頬を赤く腫らしたアベルは顔を上げ、よし、と呟く。コレットは「お役に立てましたか?」と笑顔だ。

「こここここコレット!! き、きみは! きみはベランジェ次期公爵になんてことを!!」

 ドニが大慌てでコレットの手をぎゅうと握る。

「アベル、コレット!」

 慌てた様子でカロリーナも駆けつけ、おろおろと二人の顔を交互に見やった。

「ど、どうしたの二人とも、何があったの? お料理ならまだたくさんあるわ、仲良く分け合って……」

「キャロル」

 カロリーナの手を取り、アベルは彼女の目をじっと見つめた。

 いつか、親友のことしか見ていなかったこの瞳が。今は自分の姿を移し、熱を宿している。

 幸せになってほしい。幸せにしたい。自分の手で、自分の力で、彼女を。

「すまない、キャロル。コレット嬢には喝を入れてもらった。……俺は今までずっと……結婚までしたってのに、心のどこかでフェルのことが引っかかってた」

 カロリーナの瞳が揺れる。唇が、微かに震えた。

「本当にこれで良かったのか、フェルの方が良かったんじゃないのかとか、くだらないことをずっとずっと、馬鹿みてぇに考えてた。お前が選んでくれたのに、……俺が選んだのに、まるで後悔してるような、そんなふうに思っちまってた」

 手を握る力を込めて、アベルは告げる。

「だけどもう、今日までにする。後悔も後ろめたさも、これっきりだ。フェルに認められなくたって、祝福されなくたって……俺はお前と幸せになると誓う」

 だからお前も、と続けようとしたアベルの言葉は、カロリーナの人差し指によって止められた。

「親友に祝福されないのは寂しいことだわ。でもね、アベル。私はもうずっと、幸せよ。あなたが私を選んでくれたときからずっと、幸せなの」

 フェルディナンがどうでもよくなったわけではなく。彼とはもう、道を違えたから。

「だからあなたが、殿下に祝福されることを望むのなら、一緒に待つわ。あなたが幸せを感じられるようになるまで、いつまでも待つわ。待っている時間でさえ、私には幸せなのだもの」

 あなたが、いるだけで。

 アベルは胸が詰まるのを感じた。彼女はもう前を向いている。傷ついて、心を壊してしまった可愛そうな令嬢ではない。自分の幸せを見つけて、歩き出しているのだ。

(そうだ、俺は……そんな彼女と共に歩きたいと思ったんだ)

 彼女と結婚出来たことを、都合の良い夢か幻だと思っていたのかもしれない。それは余りにも、幸せな現実であったから。

(でもこの幸せは……今のこの想いは、間違いなく)

 夢でも幻でもない。触れた手のぬくもりは、彼女の瞳の熱は、現実だ。

 アベルは眉を下げ情けなく笑うと、もう一度カロリーナの両手を握り直して額をこつりとぶつけて言った。

「これじゃあ、どっちが守られてるんだかわからないな」

「ふふ。私の騎士様は昔から、とても優しいの。もっと欲張っても良いくらいなのに」

 親友の存在を消すことは、この先もないだろう。彼の想う相手を奪ってしまったという想いは、恐らく消えることはない。

 それでも、生まれる幸せに、与えられる幸福に抗うことはしない。彼女と共にあって幸せだと感じた想いを、なくしたりはしない。

「愛してる、キャロル。俺の幸せは、お前と共に」

「えぇ、アベル。私の、旦那様」

 このやりとりは、公爵邸の大広間――たくさんの参列者がいる場所で行われているのであるが。

 新婚だから仕方がないか……と、空気の読める大人たちはニコニコと笑って、見ないふりをした。

「カロリーナ様が幸せならいいけどぉ、いいけどぉ~!」

「コレット、やけ食いは良くないって」

 もちろん、一部のひとたちを除いて、である。

 

 アベル・カルリエ――今は、アベル・ベランジェ。次期公爵。

 親友のフェルディナンとはあれからもう、ずっと会っていない。

 彼は今どうしているのか。……幸せで、いるのか。気にしてしまうのはどうしたって、幼い頃からの親友、であるから。

 道を違えた親友がこの先、どういう人生を辿るのか想像もつかないが。

 

 ただ彼らの住む国は長い間、平和を保ち続けたのだった。 

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フェルディナン・バダンテールは壊れた彼女の心を取り戻せるか @arikawa_ysm

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