第59話 お手をとってもよろしいですか?
「春鈴ちゃん、お願い」
「きゅーん」
子ぎつね春鈴ちゃんが目を閉じて目の前の扉に向かって念じると、重苦しかった周りの空気が徐々に軽くなっていく。
「こ、こんなに簡単に」
宗観という人が驚いたのも無理はないと思う。
近づくのさえ
「きゅーん……」
「ご苦労様」
腕の中で、はぁはぁと肩で息をしている春鈴ちゃんを
あとは私に任せて。
荀廉さんが扉をあけ、宗観という人を連れた祥さん、春鈴ちゃんを抱えた私のあとを延くんが続いて部屋の中に入る。荀廉さんには、念のために扉のところで待ってもらうことにした。万一のことがあっては大変だから。
「うーん、これは……」
部屋の中心にある祭壇の周りがむごい。特に、あれは……髪飾りかな。そこからどす黒い気が渦巻いていて嫌な感じだ。でも……
「どうだ、さすがのお前たちもこれには歯が立たないだろう」
宗観という人が何か言っているけど、朱雀廟で見た荀彩さんのお父さんの蛇の方が余程怖かったよ。
「そんなに? 疲れている所悪いけど、春鈴ちゃんお願い」
祥さんの後ろに回り、春鈴ちゃんの足を乗せる。
「ありがとう……あら、思ったよりも大したことないわね」
やっぱり、祥さんもそう感じるんだ。
うわ、延くん、あくびしちゃって……
「きゅーん!!」
お、延くんがビシッと……春鈴ちゃんが注意したのかな。
さてと……
「行ってくる」
これを祓うときっと信も目覚めるはず。
私は春鈴ちゃんを抱えたまま、ゆっくりと祭壇に向かって歩く。
「お、お前死ぬ気か!」
宗観という人は騒がしいな……
確かに、祭壇に近づくにつれて邪気がぐわっとこっちに来ているけど、私のところまで届く前に消えてるみたいだし、春鈴ちゃんの様子も変わりない。私の力が効いているんだ。
よし。
祭壇の上に載っているキレイな髪飾りに手を伸ばす。たぶんこれが荀彩さんが言っていた
あ、髪が何本か巻き付けてある。お妃さまのかな。
宗観という人は、呪詛を使ってお妃さまを亡き者にするつもりだって言っていたけど、もしかして呪詛がうまくいっていたらお妃さまは死んでいたのかな。その責任を荀彩さんに被せて……
それを私が返したことで中途半端な状態になって、信と同じように眠った状態になっているのかも。
この呪詛が元凶だから、これを祓ったらすべてが終わるはずだ。
うまくいってよね……
髪飾りに手を伸ばす。
うっ、抵抗が……
でも、何とかなりそう。よし、掴めた。
もしかして、これって国宝級のものじゃないのかな。遼夏の王宮で王妃様が見せてくれたものよりも細工が細かいよ。荀彩さんはこれをもとにして呪詛をかけたって言っていたっけ。祓ったらどうなるんだっけ……考えるのは止めよう。
胸元の春鈴ちゃんと共に髪飾りに手をあて、祈る。
少しずつ少しずつ恨みを癒していく……
どれくらいたった? でも確実に手の中の髪飾りから呪詛は消えていってる。
うん、いい感じ……
「くそ! このままでは! こんな小娘に!」
後ろが騒がしいけど、気にしない。祥さんと延くんがいるんだから……
私と春鈴ちゃんは引き続き恨みを癒していく。
もう少しだ……
そして、手の中の髪飾りは砂となって手から零れ落ちていった。
たぶんこれで呪詛が晴れたはずだ。
春鈴ちゃんと一緒に振り向くと、祥さんと延くんがこちらを見ていた。
「終わったの?」
「はい、たぶん……あっ」
宗観という人は祥さんの足元で泡を吹いて転んでいる。
「うるさいから黙らせちゃったわ。早速こいつを連れて西新の王宮に向かいましょう」
「どうでしたか?」
王宮の中から戻ってきた荀廉さんに尋ねる。
「混乱しているようです。何とか取り次いでもらえるといいのですが……お、あの人なら」
荀廉さんは、立派な冠を被っている人のところに走っていった。
中に入れてくれないかな。お妃さまがどうなっているか気になるし、それに宗観という人の悪だくみを伝えたいんだけど……
そのために荀廉さんの家に寄らずに直接ここまで来たんだよね。でも、王宮全体が騒がしくて追い返されそうなのだ。
「玲玲ちゃん、呪詛は消えたと言ってたわよね」
馬車の中で祥さんが尋ねてくる。
「はい、春鈴ちゃんはそう言ってました。ね?」
ひざの上の春鈴ちゃんはこくんと頷いた。
「お妃さま。まだ目覚めていないのかしら?」
わからない。
呪詛返しの影響で眠りについたのなら、元々の呪詛が消えたらいいような気がするんだけど……
「お待たせしました。太師さまが取り次いで下さるそうです」
しばらくして役人に呼ばれた私たちは、王宮の謁見の間に通された。
そこには両脇に兵士が並んでいて、なかなか物々しい雰囲気だ。
「間もなくお妃さまがお越しになる。そのまま待つように」
お付きの人の声がかかる。
やっぱり目覚めていたんだ。
すぐに後ろの扉が開き、車が付いた椅子に乗せられたお妃さまがお見えになったので、私たちは礼をして声がかかるのを待つ。
「頭を上げよ。して、何の用じゃ」
「ご
「荀彩と言えば術士じゃったの……確かに我は先ほどまで長い間、寝ていたようだ。そちは、
「はい。ここにいる術士様がお妃さまにかかっていた呪詛を祓いましたので、そのご報告に参上した次第です」
「ほぉー、呪詛じゃと。侍女によると突然崩れ落ちるように眠り、つい先ほどまでそのままだったらしい。なるほど、呪詛が原因なら医者が匙を投げるのも仕方がないの。それで、誰が我に呪詛をかけたのかわかるか?」
「はい、それはお妃さま、あなたです。あなたがかけた呪詛を返され、永い眠りにつくことになったのです」
「我じゃと? いったい誰に……そういえば、このところ我が我でない感じがしておった。それに今もまだ、頭に
お妃さまは呪詛のことを覚えてないんだ。それに靄がかかっているって……宗観という人が何かやっていたのかも。と言うことは、お妃さまも被害者なんだ。
私は荀廉さんの腕を引っ張る。
「こちらの術士がお妃さまを治せると申しております」
「なに? このモヤモヤが晴れるのであれば……よし、ここに来てやってみよ」
「お、お待ちください! お妃さま、得体の知れない者をお傍にお呼びになってはなりませぬ」
侍女がお妃さまを止めている。まあ、そうだよね。
「この者たちは呪詛を祓ったと言っておった。そして、そこで伸びている宗観をわざわざ連れてきている。この意味が分かるか?」
「そ、それは……」
「ん? そういえばおぬしはこやつの姪じゃったの」
侍女の人は黙って俯いてしまった。
「それでは術士とやら頼む」
私は春鈴ちゃんを抱きかかえたまま、お妃さまの元へと向かう。
「術士とやら、名前を聞いてもよいか?」
「はい、私は梅玲玲。この子は黄春鈴と申します」
「梅玲玲、梅玲玲どこかで……おー、あの生意気な小せがれの元に嫁ぐという。報告書で見たぞ。……そうか、巫女であったな」
知られてたんだ。でも、
「お妃さまは信のことをご存じなのですか?」
お妃さまは早くに西新の国に移り住んでいたはず。信のことは名前くらいしか知らないと思っていたんだけど。
「ああ、一度だけ姉から手紙が届いたことがあるのだ。そこには信を引き取って我が子として育てることができる喜びと、あまりに聞き分けの無さに閉口している様が書いてあったわ。姉はそれまで子育てをしたことが無かったからの。ふふ、不仲である私に手紙を寄越すとは余程嬉しかったのだろう」
初めての子育て?
「信にはお兄さんが?」
「確かに姉には実の子供がおるが、姑から取り上げられたと聞いておる。あの店ではそれがしきたりのようだな」
そうだったんだ。
「玲玲よ。信はわがままに育って大変だと思うが、よろしく頼む」
やっぱり、お妃さまは望んで信を亡き者にしようとしたわけじゃないんだ。よかった。
「はい……それではお妃さま、お手をとってもよろしいですか?」
うむと頷いたお妃さまの手を握って目をつぶる。
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