第12話 玲玲が欲しいならあげるよ

「それじゃ、出発するよ」


 星さんは馬に鞭を入れ、荷馬車を南の村に向けて走らせた。

 この町唯一の宿屋があんなことになったので、日が暮れてしまわないうちに隣村まで行く必要があるのだ。


「ねえ星さん、さっきの鳥を渡してよかったんですか?」


 鳥を仕留めた時に夕食にするって言っていたけど、他にあてがあるのかな?

 というのも、隣村の宿屋は食事を提供しないということだったので、祥さんたちとここに来るときに素通りしてきたんだよね。


「まあ、あれだけ教えてもらったんだから、手ぶらってわけにはいかないでしょう。それにこれをもらえたんだからいいじゃない」


 星さんはさっきおじさんからもらった果物を食べる? と言って、私に一つ手渡してきた。


「今年は天気もいいし、雨も少ないからきっと甘いはずだよ」


 南へと向かう荷馬車の荷台の上で黄色く色づいた果実の皮をむく。すぐに少し酸味が効いた匂いが鼻まで届き、それだけで口の中に唾液が広がってくる。

 そのままかぶりつきたい衝動に駆られながらも、白い薄皮のついた果肉を二房だけ千切り、口に放り込む。


「あまーい」


「ね、そうでしょう。俺、今、手が離せないんだよね。玲玲、食べさせてくれないかな」


 星さんはこちらに振り向き、口を大きく開けた。

 まっすぐな道なんだから、手を離せないわけないよね……どうしようかと思ったけど、どうも、食べさせてもらうまで動く気配がないので、仕方なく残った果肉を三房分千切り、星さんの口の中に入れた。


「う、うん、ちょっと大きかったけど、玲玲が食べさせてくれたからかな、とても美味しいよ」


「あはは……どういたしまして」


「日が沈む前には何とか着くと思うけど、もう少しかかるからゆっくりしてて」


 これまでの騒ぎが嘘のように、荷馬車の周りには静かな時間が広がる。

 祥さんと信のことが心配だけど、今は朱雀廟を目指して進むしかないよね……ん?


「星さんあれ?」


 街道沿いの畑で、作業している人が倒れたように見えたのだ。


「おっと、これはいけない」


 星さんは荷馬車を横道へと向けた。






「大丈夫ですか?」


 畑の隅では一人の男性を介抱している女性がいた。


「あ、あー、よかった。この人が急にぐったりして……どうしたらいいのか、私わからなくて……」


「ちょっと失礼……ん、体温が高いかな。水は飲んでたの?」


 星さんは男性の額に手をあて、そのまま胸に耳をあてている。男性の顔は青白く、私の目にもあまりいい状態で無いのは分かる。


 女性は星さんの問いに慌てながら答える。


「い、いえ、雨が降らないので、できるだけ畑の方に撒こうと思って……」


「そう、わかった。玲玲、水筒を持ってきて、それにさっき食べた果物とそれと器もお願い」


 私は慌てて荷馬車に戻り、星さんに言われた通り竹で出来た水筒と果物を手に取り、荷台の上に置いてあった星さんの荷物の中から器を取り出して持っていった。


「ありがとう。俺がこの人に水を飲ませるから、玲玲はこの果物を絞って器に入れてて」


 星さんは私から水筒を受け取り、横になっている男性を少し起こす。


「水、飲める? うん、少しずつでいいからゆっくりと……そうそう」


 私は果物の皮をむき、器に果汁を手で絞り出していく。


「玲玲、準備できた。お、結構あったね。ありがとう」


 残っていた果物を全部絞ったのだ。たぶんそうした方がいいと思って。


「これも飲んでみよう。無理せず、ゆっくりとでいいからね……」


 男性はゆっくりと果汁を飲み干していく。


「よし、あとは日陰で休ませて……ってこの辺りにはないね。それじゃ、俺の荷馬車に乗せるから手伝って」


 男性を荷馬車に乗せた後、星さんは木の棒を荷台に取り付け、そこに布をかけて影を作り出した。


「もう今日は休ませた方がいいから、このまま家まで送ってあげるよ。どっちの方角?」


「あ、はい――」


 二人は夫婦で、私たちが向かっている村に住んでいるらしい。






「だいぶん顔色がよくなりましたね」


 村が近くなった頃、荷馬車に寝かせられた男性の顔にようやく赤みが差してきた。


「本当にありがとうございます。お二人は私たちの命の恩人です。よろしければ、この後私たちの家に寄ってくださいませんか?」


「え、でも、まだご主人も眠っているのに……」


「いえ、もう大丈夫です。ありがとうございました。是非寄ってください」


 目の前で寝ていた男性が起き上がってきた。もう、顔色もよさそうだ。


「玲玲、せっかくだからお邪魔しようか」


 星さんの一言でお二人の家に向かうことになった。








「ふぅー、ごはん美味しかったね」


 ご夫婦の家で出された料理は王宮のように贅沢な食材は無かったけど、限りある貯えの中からできる限りのもてなしをしてくれたみたい。


「確かに美味しかったですが……どうして同じ部屋に」


「仕方がないじゃない。俺たちは夫婦で旅行中ってことになっているんだから」


 食事のあと宿屋に向かおうとすると、せっかくなら泊まっていってくれということで夜もご厄介になることになったんだけど、あてがわれた部屋は二人一緒だったのだ。


「わかっていると思いますが、私は、み、巫女なので手を出してはダメですよ」


「わかってる、わかってるって、手なんて出さないよ。巫女様である玲玲が朱雀廟でどうなるのか楽しみだよね」


 星さんはそう言って私の隣の寝台に座ってにこやかに笑っている。

 えーと、一応安心なのか……な?


「そ、それで、今日はどうしてここのご主人を助けることができたんですか?」


 あの時の星さんは、旦那さんの様子を見て何が必要なのか判断していた。

 間違っていたら助かってなかったかもしれないんだよね。もしかして、そういうお仕事をしているのかな……


「んー、前に住んでた村でそういうことがあって、それと同じ症状だったんだ」


「それじゃ、お医者様とか薬師さんとかいうわけじゃないんですか?」


「違う違う。お医者とかならこんな感じでふらふらと旅行できないよ」


 私が住んでいた村にはいなかったけど、お医者様や薬師さんはどこの村や町でも引っ張りだこで、なかなか留守にすることができないって聞いたことがある。


 でも的確に指示してくれたよね。あの、果物を飲ませたのにも意味があったみたいで、ご主人さんの具合もすぐによくなっていってたもん。


「まあ、大事に至らなくてよかったよ。さあ、今日はもう寝よう。明日は早めに出発して、この村に猫が集まっている場所があるか調べないといけないからね」


 そうだった、今は一刻も早く信と祥さんと合流しないといけないんだ。






 翌朝、体調がかなりよくなったご主人は私たちに改めてお礼を言ってくれた。


「本当にありがとうございました。お二人のおかげでもう大丈夫です」


「水が大切なのはわかりますが、飲むことをおざなりにしないでくださいね。それで命を失っては元も子もありませんよ」


「はい、肝に銘じます。それでお礼と言っては何ですが、どうかこれを……」


 ご主人がそういうと奥さんは綺麗な反物たんもの(着物の材料)を持って来た。


「これは美しい! どうしたのですか?」


「私がほんの手慰てなぐさみで編んだものです。旅のお邪魔になるかもしれませんが、お持ちいただけませんか?」


「わかりました。せっかくのご厚意、感謝いたします」


 そういうと、星さんは両手で丁寧に受け取っていた。








「ほら、星さん見てください。この反物すごくきれいですよ!」


 私は荷台の上で奥さんから頂いた生地を広げてみた。染めてある糸を編み込んでいるようで、なかなか色鮮やかなのだ。それにこれだけの量があったらいい服ができるんじゃないかな。


「そうだね。玲玲が欲しいならあげるよ」


 御者台に座った星さんはなんだか素っ気ない。


「え、いや、私は……」


 きれいなんだけど、こんなに派手なのはちょっと私に似合いそうにないんだよね。


「星さん、どうして喜んでもらっていたんですか?」


 あの時は本当に嬉しそうにしていた。だから、この反物が気に入ったとばかり思っていたんだけど……


「俺はいらないけど、どこかでこれを必要とする人がいるかもしれないからね。さあ、この村には猫が集まっているところはなかった。次の村に行くよ!」


 星さんは荷馬車の進路を南へと向けた。

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