第59話 慈悲心鳥の犯行
# 慈悲心鳥の犯行
本当に慈悲心鳥が犯行に関わっていたと仮定して、どのようにすれば桐山を事故に見せかけて殺害することが出来ただろうか。
若い女性バイカーは雑誌記者の隣の席に移動して、すっかり事件の話に夢中になっていた。
「まずは飲み会についてです。
これは毎月の恒例行事でしたよね?
だとすれば、桐山さんの習慣を知っていれば、彼が月末の飲み会に毎回参加していたことも、その後酩酊状態で車を運転することも分かったはずです」
仮定を述べると雑誌記者は「その通りだ」と頷いた。
「でもどうやって桐山さんの習慣を調べるのでしょう。
近しい人に聞くとか、商社に潜入するとか?」
「どちらにしても難易度は高くないだろうな。
僕も今朝商社の人間と連絡を取って、桐山の習慣については把握出来た。
慈悲心鳥ともなれば、商社への潜入も造作もないだろう。
オープンな会社だし、出入り業者も多数いるだろうから」
ふむふむと、若い女性は納得したようで話を先へと進める。
「では問題は新道の通行止めですね。
雨で倒木が起こって通行止めに。
当たり前ですけど、プロの殺し屋でも天気は変えられません。
天気予報では夕方雨が降るかもと言っていましたけど100%ではないですし、雨が降ったからといって必ず倒木が起こるわけでもないです」
雑誌記者はコーヒーをかき混ぜるマドラーを振って、女性の意見に対して所見を述べる。
「これについてなんだが、雨が降る降らないはどっちでも良かったんじゃないか?
先日の台風の影響で、地盤が緩んでいるだろうというのは周知の事実だった。
雨が降らなくても、倒木が起こっておかしくない状況だ。
そこに運良く雨が降っただけ。
どちらにしろ、倒木を起こせただろう」
「起こせたって言いますけど、どうやったのでしょう」
「分からないが、新道を通行止めにするほどの倒木だ。
現場を調べれば、人為的に起こした痕跡が見つかるかも――」
「あれ、でも昨日の深夜には復旧しましたよね?
現場の保存とかされているのでしょうか?」
そういえばどうだろうと、雑誌記者は電話をかけた。
コール中、女性が「誰に電話ですか?」と尋ねると、記者は応える。
「助手――というか後輩だ。
フリーのライターなんだが、良いネタがないらしくて暇してたから新道の調査を頼んだ」
相手が電話に出たらしく、記者はいくつか言葉を交わした。
電話を切った後、彼は述べる。
「綺麗に直されていて、倒木現場では二次災害を防ぐために補修をしているらしい。
残念ながら、人為的な倒木だったのかどうか、知る術はもうない。
ただ少なくとも、工事関係者にとっては自然な倒木に見えた。
事件性がないと判断したから、綺麗に補修しているわけだからな」
「夕方の新道の交通量は分かります?
何か細工したとしたら、その作業を見ている人がいるかも」
雑誌記者はかぶりを振る。
「新道とは言え、山奥に通じる道だから交通量はそこまで多くない。
後輩にも可能なら目撃者捜しもやってくれと頼んであるが、今のところ不審人物の目撃証言はない」
「相当手際よくやったのでしょうか」
「相手はプロだからな」
雑誌記者の言葉に若い女性は引っかかり、首をかしげて尋ねた。
「殺しのプロであって、木を倒すプロではないですよね?」
「殺すために必要なことなら、あらゆることに精通していると考えていい。
この間は標高2700メートルの山中で写真家を殺して見せた。
その前は、ある研究企業――隠す必要もないな。CILという化学材料系の民間企業で、社長を殺している。
それもその社長の服用薬との併用反応を利用して、大勢に薬を飲ませながらもピンポイントで社長だけ殺した。
木を倒す方法だって、何かしら知見があったか調べただろう。
そういう相手だ」
「だとすると、倒木は慈悲心鳥の仕業と考えて良いかもしれませんね」
女性はすんなりと雑誌記者の意見を受け入れて述べた。
「だってもし倒木がなかったら、新道は通行止めにならなかった。
桐山は酩酊していたから新道でも事故を起こした可能性はあるけど、確実にやるなら、やっぱり旧道の方が都合が良いと思う。
交通量は新道よりも更に少ないし、道幅も狭いし、起伏も多くて急カーブもたくさん。
その上ガードレールは老朽化して、街灯もほとんどない。
相当慣れていても事故を起こすかも」
旧道を散々けなされたからか、店主の老婆がよく聞こえるように咳払いをした。
若い女性は「旧道を悪く言うつもりはないです。景色は良いし」と取り繕った。
「僕も倒木については慈悲心鳥の仕業だろうと見当をつけてる。
だが問題は旧道だ。
桐山は酔っていたが、果たしてそれだけで都合良く事故を起こすだろうか?」
「どっちでも良かった可能性はないですか?」
「それは――どういうことだ?」
ぴんと来ない雑誌記者が尋ねると、女性は人差し指を立てて自慢げに応える。
「事故を起こしたらラッキー。
起こさなくても別荘で殺す、みたいなことです」
「別荘で殺したら事故死扱いにならなくないか?」
「あ、そっか。いえ、待って下さい。
事故死させる必要ってありますか?
殺すのが目的ですよね?」
「それは、そうだ」
雑誌記者は一旦言葉を句切り思案に暮れた。
考えをまとめるように、口に出して問題を整理する。
「写真家の時は事故を装った。
だがCILの事件では毒殺だった。
慈悲心鳥にとって、事故として扱われるか事件として扱われるかはどちらでもいいのかも」
「でも事件で良いなら、車に細工した方が確実ではないですか?
爆弾とか」
若い女性は口にしてから「流石にそれはないか」と笑う。
されど雑誌記者は彼女の意見を否定しなかった。
「いや、爆弾すらあり得る。
と言うのも慈悲心鳥に殺しを依頼している〈翼の守〉という組織は、以前対抗組織の幹部を狙った爆弾事件を起こしたことがある」
「うっわ、本当に過激な組織なんですね。
――でも今回は使わなかった。
わざわざ新道を通行止めにして、桐山を事故に見せかけて殺した。
何か意味があるのか、それとも気分なのか……」
「それは分からない。もしかしたら殺害方法の指示があったのかも知れないが」
「うーん。
リスト以外は何も証拠がないですよね?」
「残念ながら」
そこで一度議論は行き詰まるが、若い女性は考えをまとめるように状況を口に出していく。
「慈悲心鳥が存在したとする。
倒木を起こして、桐山さんを旧道に誘導した。
その後。
一体どうすれば事故が起こるでしょうか。
事故現場は下り坂の急カーブですよね」
「そうだ」
若い女性はそこで1つの可能性に気がついた。
「そもそも桐山さんが運転していたのですか?
例えば薬で眠らせたとか。
桐山さんは衝突のショックで目を覚まして、慌ててブレーキを踏んだ。みたいな」
「桐山からはアルコールが検出されたが、睡眠薬の成分は検出されていない。
それにスマートウォッチをしていたと言っただろう?
あれで桐山のバイタルは記録されていた。
彼のバイタルは至って普通の酔っ払いのものだった。
確実に彼は起きていて、自分でハンドルを握って、自分でガードレールへ突っ込んだ」
「なるほど。
となると、やっぱり事故を起こすように仕向けられたわけですね」
「その方法が分からないのが問題だ」
雑誌記者はお手上げといった風で、両手を頭の後ろで組んで身体を伸ばした。
若い女性は事故発生時の状況を頭の中で描く。
下り坂の急カーブ。
警告看板に、路面にも警告表示。目の前には反射板の貼られたガードレール。
「桐山さんはあらゆる警告を無視して、一切減速しなかった。
と、言うことはですよ? 警告がなかったのではないですか?」
「なかった?
いや、言ったとおり、標識も警告表示もあった。
ガードレールにだって、くすんではいたが反射板は存在した」
「だからそれを、隠しちゃったんですよ。
桐山さんに事故を起こして欲しい場所で」
「隠した……?」
「そうです。
例えば、標識に袋をかぶせたとか、路面やガードレールをシートで覆ったとか。
後から簡単に回収できるようなもので、あらゆる警告を隠したんです。
そしたら桐山さんは、急カーブなんてないと思って、車を走らせませんか?」
「確かに、その手があった」
雑誌記者は手を叩いて喜ぶ。
しかし頭の冷静な部分で、本当にそうだろうかと考える。
「――でもそんな仕掛け、もし他の誰かが通ったらそいつも事故を起こさないか?」
「そう言われると……。
ではこういうのはどうですか?
注意深く見れば分かるように。慣れた人なら気がつくように、中途半端に隠したんです。
酔っ払った人だけ事故を起こす程度に」
「その程度は、感覚的なものすぎてあてにならない。
もしかしたら桐山もすり抜けてしまうかも知れないだろう」
「そこはこう……。殺し屋の特殊な才能で、どのくらい隠したら事故を起こすのか予想した、とか」
「ないとは言い切れない。
CILの事件では被害者の致死量を上回る毒薬を盛ったらしいし。
だが問題はまだある。
例えば標識や路面なら、桐山が事故を起こした後に隠蔽に使った道具を回収できる。
だがガードレールは無理だ。
桐山と一緒に谷底に落ちてるからな。
現場から、反射板を隠すような道具は何1つ見つかっていない」
それを聞いて、若い女性はため息交じりに肩を落とした。
「良い案だと思ったんですけど。
あ、そうだ。ドライブレコーダーがあったんですよね?
それに何か映っていませんでしたか?」
「残念ながら。
衝撃を検知して記録をするタイプのカメラらしく、衝突前後の僅かな時間しか録画されていない。
それに3世代ほど前の車で、当時のドライブレコーダーは夜間撮影能力が低かった。
映像も恐らく不鮮明だろう」
「それでも、車のライトの反射とかは見られるかも知れませんよ。
もしガードレールの反射が映っていなかったら――」
「何か細工がされていたと考えても良いかもしれないな」
「それを確かめに行きましょう!
まだ警察が捜査中ですよね!」
「そうだな。
すんなり教えてくれれば良いが」
「と言うわけです!
現場へ行きましょう!」
若い女性は意気揚々と立ち上がり、ツーリング仲間へと声をかけた。
話の内容を聞いていたグループのリーダー格である壮年の男は、薄らと笑みを浮かべて応える。
「構わないよ。通り道だし。
しかし、木を倒して、標識を隠す殺し屋が本当に居るだろうか。
なあ春日井さん。どう思います?」
壮年の男は、グループに居るもう1人の女性へと問いかけた。
彼が振り返った先で、春日井はアルバイトの大学生から、昔ながらの生クリームとチェリーの載ったプリンアラモードを受け取っていた。
「何の話ですか?」
彼女の意識はすっかりプリンアラモードに向いていたようで、きょとんとして問い返した。
それを見て壮年の男は肩をすくめて、若い女性へと告げる
「春日井は興味ないってさ」
「もう先輩ったら」
そんなやりとりを聞いて、雑誌記者は奥の席に座る、春日井という女性を見た。
ぱっとしたところのない、目立たない顔立ち。
バイクスーツをよく着こなしているが、顔の印象は全くと言って良いほど頭に入ってこなかった。
それでもどこかその顔に引っかかるものがある。
「春日井さん? 何処かであったことありません?」
雑誌記者が声をかけると、春日井はじとっとした目で彼を睨む。
「グループで来ている相手にそんな古典的な。
声をかけるなら私より若くて綺麗な子が隣に座っていますよ」
「いやナンパしているつもりはないよ。
気のせいだったようだ」
雑誌記者はたじろいで、春日井から視線を外した。
隣では若い女性が「私もプリン」と注文を出している。
直ぐに出発とはいかなそうだ。
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