第55話 犯人の行方

# 犯人の行方


 マスターは低く、されど聞き取りやすいはっきりとした声で、理路整然と川村知佳の犯行を否定する要素を述べていく。


「第一に、被害者である道明寺氏の死因は頭部外傷でした。

 凶器は現場に落ちていた直径20センチ程の石。これが後頭部に当たって命を落とした。

 それ以外の外傷もありましたが、それらは全て死後。夕方からの荒天によって、斜面を転がった際についたとのことでした」


「彼の話ではそのように伺っています」


 事実確認をすると、マスターは疑問点を投げかける。


「だとすると、仕掛けによって落石を起こした可能性は極めて低いでしょう。

 彼が死亡時に受けた損傷はたった1つの落石のみ。

 人為的に落石を発生させたとして、それがたった1つのみという可能性は極めて低いでしょう。


 落石発生時、川村氏は山小屋にいました。

 彼女が本当に殺意を持って落石を起こしたのだとしたら、落石は複数あったはずです。

 何故ならば実際に落石がどのように転がるかは状況によって変化しますし、道明寺氏の立ち位置も必ずしも期待していた場所とは限らないからです。

 大量の落石を起こして、多少の誤差をものともせずに巻き込む方法でしか、確実にことを為せないでしょう。


 そうあれば致命傷となった後頭部の他にも外傷がなければ不自然です。

 被害者の外傷から推察すれば、犯人は現場にいて、直接石で後頭部を強打したと考えるのが妥当でしょう」


「なるほど。

 一理ありますね。

 他にも理由がおありのようなので一度全部聞きましょう」


 1つ1つ場当たり的に返していては埒があかないので、一度彼の意見を全て聞くことにした。

 マスターは「そうさせて頂きます」と第2の理由を切り出した。


「第2に、当日16:00頃、落石警報はありませんでした。

 ナンバー9が触れなかっただけかと思い調べたのですがね、警報については登山センターのホームページで公式に発表がされています。

 確かに当日10:06には警報がありました。されど16:00付近では警報は出ていません。

 もし10:06に試験した仕掛けと同じものを用いて16:00に落石を起こしたのだとしたら、落石警報が出ていないというのはおかしな点です」


「落石警報ですか。

 考えもしませんでした。他にもありますか?」


 そんなのセンサーの誤差でしょうと言いたい気持ちもあったが、とりあえず次を聞くことにする。


「第3に通信問題です。

 『松の木陰荘』では通常の通信回線は存在せず、山岳無線によって他の山小屋と登山センターとやりとりしていました。

 落石を遠隔で発生させるのにも、道明寺氏の注意をスピーカーで逸らすのにも、何らかの手段で通信する必要があった。

 つまり『松の木陰荘』に居た川村氏には、犯行は行えなかったということです」


 スターリンクを持ち込んだのだと主張するのは容易いが、それをマスターが「なるほどその手があったか」と飲み込んでくれるとは考え堅い。

 まだありますか? と問うと、マスターは以上ですと発言を終える。


 彼の理屈は正しい。

 仕掛けによって起こした落石がたった1つという可能性は低い。

 と言うより、殺害が目的であれば、確実に殺せるだけの落石を引き起こすだろう。

 

 道明寺の位置が分かっていたとしても、落石が転がるコースが毎回同じとは限らない。

 それなりの規模の落石を起こす必要があり、そうなれば被害者には複数の外傷があるのが必然だ。


 落石警報についても、言いたいことは理解できる。

 ただセンサーによる自動監視の落石警報は、十分な精度ではない。

 小規模な落石だったら反応しないこともある。

 これについては何度か実験して試したので間違いない。


 しかし10時にテストしたのと同じ仕掛けを使ったのだとしたら、16時にも警報が出ていなければおかしいという話はなるほどその通りだ。


 最後に、通信問題について。

 仕掛けを遠隔で作動させるにも、道明寺が登山道からやってくるのを監視し、スピーカーを作動させて気を引くにも、何らかの情報伝達手段が必要だ。

 スターリンクを山小屋と落石発生地点と道明寺殺害予定地点に置くという、半ば強引な解決方法を採れなくもないが、これは流石にバカげた話しすぎる。

 通信が繋がらないはずの山小屋で、川村が通信機器を触っていたら、ずっと山小屋に居た高原婦人は不審に思ったことだろう。


 ただそれでも川村には不審な点があると、私はマスターに問いかける。


「彼女が浪人生で有りながら、11月に山小屋で働いていた件はどのようにお考えですか?」


 問うと、マスターは苦笑した。


「このように言うと良くないのかも知れませんが。

 こういうお店ですから、現役の受験生は訪れません。

 しかし2浪3浪とした浪人生が来店することはあります。


 浪人生全てが、とは言いません。しかし一部の浪人生には、常識では考えられない行動をとる者も居ます。

 生活費を稼がなければならないと日中仕事しているのは分かります。

 しかし仕事を終えた後、勉強するのではなくバーに来て泥酔するのはいかがなものでしょうか。


 勉強はどうしてるのかと問いかけてもまだ時間があるから大丈夫と答えます。

 それが4月5月の話なら、これから頑張れば良いのだろうと言う気持ちにもなります。


 しかし11月、12月になっても、そのような生活を続ける浪人生を幾人も見てきました。

 受験の結果がどうであったのか説明するまでもないでしょう。


 そう言った、やるべきことが分かっているにもかかわらず、おかしな行動をする人間、と言うのは一定数居るようです。

 川村氏がそういう人間だと信じたくはありませんが、そうだとしてもおかしくはないと考えます」


「なるほど。

 実体験を元にされると説得力がありますね」


 殺人という犯罪を犯しておきながら、逃亡するわけでもなく近所のバーで反省会している殺し屋もいることだし、川村が浪人生という立場でありながら山小屋でバイトしていたとしても、それだけを持って彼女が怪しいとは言い切れないだろう。


「としますと、先ほどのナンバー11の説は破綻しているのではありませんか?」


「そうでしょうね。

 私はあの人に合わせて適当に話をしていただけですから」


 マスターは「酷いことをしますね」と苦笑して、それから真っ直ぐこちらを見据えた。


「ですが本当は何が起こったか、分かっているのでしょう?」


「私を買いかぶりすぎですよ」


「果たしてそうでしょうか?

 自分には川村氏が犯人ではないと分かっても、誰がどのように道明寺氏を殺害したのかは見当もつきません。

 ですがあなたはそうではないでしょう」


「本当に分かりませんか?」


 簡単な話でしょう? と問うように声を投げると、マスターは薄らと笑って「分かりません」と応えた。

 それならばと、私はマスターの理屈を全て説明可能な形で犯行について解説することにした。


「川村知佳の犯行ではないとしましょう。

 そして山小屋を経営する高原夫妻の犯行でもない。

 更に言えば、山小屋に宿泊していた大学生5人のいずれかの犯行でもない。

 となれば残る可能性は、それ以外の人物の犯行です。

 その存在を示す証拠を、ナンバー9は持っていました。

 慈悲心鳥という殺し屋が、写真家道明寺を殺すかも知れない。その可能性を示すリストです」


「疑問点はありますが、まずは話を聞きましょう」


 マスターはこちらのやり方に合わせてくれるようで、発言をこちらに任せた。

 お言葉に甘えて、そのまま先を話していく。


「となれば話は簡単です。

 殺し屋は『松の木陰荘』へと続く登山道の途中で身を隠します。

 16:00頃、道明寺が通りかかると、スピーカーを作動させて彼の注意を逸らしました。

 現場にいたとなれば通信問題は解決します。

 Bluetoothでも10メートル以上の通信が可能。無線LANならそれ以上。音声の再生指示を出すだけですから通信情報量も多くありません。


 道明寺がカメラを構えれば後は簡単。

 その辺にあった石――もしくは実際に落石で転がった石を使ったかも知れません。当日10時に落石があったので、その現場から拾ってくることも可能でしょう。


 それで後頭部をゴチン。

 直接殴ったかも知れませんし、投石したのかも知れません。簡単な投石器でもそれなりの距離をそれなりの精度で飛ばせます。

 私も小学生の頃、スリングを使ってゴミ捨て場のカラスを撃退していました。少し練習すれば相手が飛んでいようが当てられるようになります。

 止まった人間の後頭部くらいなら造作もありません。


 後はスピーカーを回収して、一晩身を隠し、翌日天候が回復次第下山した。

 これならば、外傷が後頭部の1つだけだったのも、落石警報が出なかったのも、通信環境がなかったことにも説明がつきます」


 話を終えると、マスターは唖然として声も出ない様子だった。

 「何か質問はありますか?」と声をかけると、彼は苦笑いして首を横に振りながら告げた。


「その説明は確かに先ほどの矛盾点を解決しますが、大切な問題を見落としていますよ」


「さて、どの問題でしょう」


 問いかけると、決まっているだろうと毅然とした態度で彼は応える。


「宿泊場所です。

 当日は夕方から荒天で、16時から下山することは出来なかった。

 されど近くの山小屋は『松の木陰荘』のみで、それ以外の山小屋へ向かうには時間がかかった。

 野宿は不可能。洞穴などもなかった。もちろん打ち捨てられた山小屋なども。

 それは先ほどあなたが質問して、ナンバー9が回答した。

 そうでしょう?」


 なるほど。確かに言うとおりだとわざとらしく頷いて見せる。


 当日は天気が荒れた。

 16:30には大学生が山小屋に戻ってきたとのことなので、その前には雨が降り始めていただろう。

 17:00以降は更に荒れ、山小屋周辺は雷雲に包まれた。

 

 下山は不可能。

 テント泊などもっての外。

 そして『松の木陰荘』では侵入者が居ないか、高原主人が念入りに確認している。


「安全に宿泊できる場所が近くにあったのでしょう」


 事もなげに返すと、マスターは困惑してなにやら思案している様子で、されどその結果はあまり芳しいものではなかったようだ。


「もし近くに宿泊可能な場所があったとして、ナンバー9がそれを見落としたとは考えがたいです」


「そうですか?

 あの人なら簡単に見落としそうですし、実際に見落としています」


 私の言葉にマスターは息を呑んだ。


「と言いますと、宿泊場所に心当たりがあるのですか?」


「もちろんです。

 あなたも気づいているでしょう?」


 マスターはかぶりを振り、それから考え込む仕草を見せたがやはりかぶりを振った。


「分かりません。自分にはさっぱりです」


「本当に?

 ナンバー9が説明していましたよ」


「彼が?

 まさか。山小屋以外の宿泊場所については、近くにはなかったと説明していたはずです」


「本当に分かりませんか?」


 マスターの顔を下から覗き込むようにして見つめたが、彼は本当に分かっていない様子だった。

 気がついているものだとばかり思っていた。

 

「10時に何が起きたかお忘れですか?」


 ヒントを出すと、彼は首をかしげながら返す。


「10時ですか?

 落石警報があり、高原婦人が近くの山に連絡した。

 ――しかし近くの山小屋と言っても、16時から荒天までに移動可能な場所にはなかったはずです」


「そっちではありませんよ」


 彼の思考の先に答えはないと告げたが、それでもまだピンと来ていない様子だった。

 止むなく、私は道明寺を殺害した殺し屋の宿泊方法について説明する。


「落石警報があったのですよね?

 警報は近くの気象観測所から出された。

 そして当日、観測所は無人だった。

 ――更に言うのであれば、普通、山岳部の気象観測所は職員が宿泊可能な設備を備えています」


「ああ!! その手があったか!」


 マスターは説明されるまで本当に気がついていなかったようで、驚愕し、いつもの落ち着いた彼らしくもない大きな声を上げて指を鳴らした。


 近くの気象観測所から落石警報が出された。

 当日気象観測所は無人だった。

 どちらもナンバー9が説明した内容だ。


「鍵くらいはかかっていたでしょうけどね。

 解除するのはそれほど難しくないでしょう」


「だろうとも。

 それに気象観測所ならば、雷雲に包まれたとしても持ちこたえられる」


「その雷雲を観測するための施設ですから造作もないでしょう」


 全ての要素が線で繋がり、マスターは大きく頷いて見せた。

 しかし何かが引っかかると、怪訝な顔をこちらに向ける。


「それが分かっていたのでしたら、どうしてナンバー9に教えて差し上げなかったのですか?」


 私は小さく笑った。


「先ほど言ったとおりです。

 私は話を適当に合わせていただけで、真実を明らかにしてやろうという気持ちは微塵もありませんでした。


 あの人は、私が話した川村知佳犯人説に納得して店を出て行った。

 しかしマスターは納得しなかったので、殺し屋が気象観測所に宿泊したという話をして、あなたはそれで納得しました。


 ――ですが残念ながら、その2つとも真実とは異なります」


 マスターは息を呑む。

 先ほどまで殺し屋が気象観測所に宿泊したという説で完全に納得していたのに、表情に出ていた高揚感は消えてなくなり、きょとんとした顔でこちらを見つめる。


「まさか、まだ見落としている点があると?」


「そういうわけではありません。

 真実はずっと以前から公開されていました」


 そんなまさか、とマスターは顔色を変えた。


「……それは、どんな真実ですか?」


 問いかけに応えるように、私はスマートフォンの画面を見せる。

 そこにはニュース記事が表示され、警察が発表した内容が記載されていた。


「写真家の道明寺竜之介は、登山中、落石事故で亡くなった。

 落石を発生させた浪人生も、正体不明の殺し屋も存在しません。

 

 写真家が雷鳥を撮影しようとしていたところ、たった1つの落石が、運悪く彼の後頭部に直撃した。

 これが真実です」


 スマホを引っ込めると、マスターは落胆した様子で肩を落とす。


「この結末はロマンがないなあ」


「人の生き死ににロマンを求めるなんて不謹慎ですよ」


「それは間違いない。

 しかし、いくつになってもロマンは追い求めたいものだろう?」


「こんなお店をやっているあなたはそうでしょうね。

 ですけど残念ながら、日本の警察は殺人事件を落石事故と誤認するほど無能ではありませんよ」


「それを言われてしまうと、返す言葉もない。

 ――気象観測所を調べたとして何か出てこないだろうか?」


 マスターはまだ殺し屋の存在を信じているようだ。

 されど、殺し屋が居たとしてももう全て遅いのだと諭すように伝える。


「事件当日は雷が横走りになるほどの荒天でした。

 となれば翌日には気象観測所に職員が入ったでしょう。

 観測所が雷雲に持ちこたえられたとしてもセンサーやその他機材に影響があったかも知れませんから。


 たまにしか訪れない観測所のようですから、きっと掃除もしたでしょうね。

 その熱心度合いは分かりかねますけど、恐らく――」


「殺し屋が宿泊していたとしても、その痕跡は消えていると」


「私はそう考えますね」


 最早この事件において我々素人が為す術は何もないとマスターはすっかり理解してくれたようで、肩を落として手元のグラスを拭き始めた。


「私は良い暇つぶしになりました。

 流石に長居しすぎましたね。

 チェックをお願いします。ポールジローの料金も私につけてください」


「2重取りになってしまいますよ」


 マスターがやんわりと微笑みながら伝票を切り始めたので、厳しい口調で言いつける。


「私は人に奢られるのが嫌いです。

 どうぞあなたがナンバー9に奢られて下さい」


 言い出したら聞かないのを分かってか、マスターは磨いたばかりのグラスにポールジローを注ぎ、こちらに傾けて見せた。


「ではありがたく頂きます」


「そうして下さい」


 会計を済ませて、私は『ナンバーズ』を後にする。

 すっかり長居して夜も更けている。

 流石に11月の夜は肌寒い。上着の前をしっかりとしめて、雑踏の中を歩く。


 さて、次は誰を殺すことになるだろうか?

 ――その前に、リストの再流出について、あの間の抜けた次長と話をつけておこうか。

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