第51話 ナンバーズ


◆ ナンバーズ


 飲み終わった耐熱グラスを置く。

 グラスからは珈琲の残り香。寒かったのでホットカクテルを頼んでみたが、なかなか悪くなかった。


「ナンバー11。まだ何か飲まれますか?」


 これ見よがしにグラスを置いたのを見て、マスターが声をかける。

 そうだとも。

 反省会は終わったが、もう1杯――いや、2杯くらいのんびり飲みたい気分だった。

 来店も早かったし他の客もいない。

 ちびちび飲んで時間を潰しても文句は言われないだろう。


 既に1杯目で身体は温まっていた。

 2杯目は常温で。ウイスキーか、たまにはブランデーでも。


 奥の棚に並ぶ酒瓶を眺めていたところ、カランカランと音がして、新たな客がやってきた。

 ナンバーズに来客とは珍しい。

 しかもこの静かな環境に似つかわしくない、騒がしい男だった。


「どうも、久しぶり。

 あー、まず死にかけの男にソーダ割りのスコッチをくれ」


 丸眼鏡に無精ヒゲ、ボサボサ髪の、見るからに胡散臭い30代後半か40代くらいの男だった。

 服装は上下共に登山装備。分厚いフリースを着込んでいるようで暑苦しそうだ。更にダウンを腕にかけている。

 足下も登山靴で、歩く度にチャリチャリと音がした。

 彼は担いでいた登山リュックとストックを荷物置き場に降ろし、ダウンをかけるとこちらへ視線を向ける。


 話しかけてくれるなと、そっぽを向いて完全会話拒否の意思を示す。

 ナンバーズのルールは、客同士で必要以上の詮索をしないこと。だからこそ客には番号が振り分けられ、名前ではなく番号で呼ばれる。

 いくら胡散臭いその男でも、店のルールと私の意志を汲んでくれたようで、私から2つ離れた椅子を引いて腰掛けた。


 それでいい。

 私は平穏を望んでここに来たのだ。こんな見るからに騒がしそうな男はご遠慮願いたい。


 だがあろうことか彼は、私の目の前におかれた『No.11』と記載されたコースターを見つけると、目の色を変えて飛びついてきた。


「ナンバー11じゃないか!

 いやあ、ずっと欠番だった11が埋まったってきいてずっと会いたいと思ってたんだよ。

 ぼかあナンバー9。どうぞよろしく。

 新しいナンバーズ誕生の折には1杯奢るのが僕のルールでね。どうだい、奢られてくれるかい?」


 私は心底嫌そうな表情を彼へと向けた。

 ――という表現は正しくない。

 嫌そう、ではない。正確を期するならば心底嫌だったのだ。

 こういう男と話すのも嫌だし、こういう男と話すのが平気な人間だと思われるのも嫌だ。


「もちろん無理強いはしないさ。

 なーに、1人で飲むのは慣れてる。特にこの店じゃあね。

 でも同じ店に足繁く通ってマスターに認められた同士、交友とまではいかずとも、少しばかり言葉を交わすのも悪くないだろう。

 どうだい?」


 男は私に回答を求めた。

 断ってしまえばそれきりだ。

 客同士の望まぬ詮索は店のルールで禁止されている。

 この男も常連の数字が振り分けられている以上、店のルールには従うはずだ。

 私が拒絶を示せば速やかに、彼は距離を取るだろう。


 私は指折り数えて率直に意見を述べる。


「1つ。私は奢られるのが好きじゃない。

 1つ。私は騒がしいのが嫌い。

 1つ。私は自分がこの店の常連だとは思っていない」


 男はすんとして、私の拒絶を受け入れたのか元の席へと引っ込もうとした。

 そんな彼へ、更に言葉を投げた。


「ですけど今日は退屈していたので、あまり騒ぎ立てないのでしたら、奢られてあげても構いませんよ」


 この胡散臭い男を、私の穏やかな楽園に引き入れたのはただの気まぐれだ。

 理由を無理矢理こじつけるのならば、常に他人の干渉を拒否する習慣を否定したかった、と言ったところだろうか。


「そうこなくっちゃ。

 隣良いかい?」


 質問する前に彼は私の隣に腰掛けていたが、問われた者の責務として「どうぞお構いなく」と肯定を返した。

 彼の『No.9』と記されたコースターには、出来たばかりのハイボールが提供される。

 香りからしてスペイサイドのウイスキーのようだ。


「奢って頂けるそうなので、ポールジローを。

 構いませんよね?」


「ああ、もちろんだとも」


 私がブランデーの瓶を示すと彼は一瞬顔色を悪くしたが、それでも奢ると言い切った手前か頷いた。

 そんな高い物でもない。1杯4,5千円くらいで済むだろう。

 もっと高いウイスキーを指定しなかっただけ感謝して頂きたい。


「それで、どうしてこの偏屈なマスターに認められたんだい?」


 彼の問いかけに、ため息交じりに返す。


「さあ。

 さっきも言ったとおり、私は常連のつもりはないです。

 ただ仕事の振り返りをするのにゆっくり出来る場所として使っていたら、いつの間にか常連扱いされただけです」


「なるほどね。

 ってことは、今日も仕事の反省会?」


「そうなりますね。もう終わりましたけど」


「ところで何の仕事だい?」


 あまりに質問が重ねられたので、私はマスターから受け取ったグラスの足を指で弾いて応える。


「この店はプライベートな質問禁止のはずでは?」


「そうだった、いやあ申し訳ないね」


 本当に悪いと思っているのか分からない態度で彼は謝った。

 マスターも「悪い奴ではないんだが、口が軽くてね」と彼を表した。


「別に仕事くらいなら構いませんけどね。

 食品メーカーで働いています。

 渉外系の業務で出張が多く、その振り返りをするためにこの店に来ます。

 ――これで良いですか?」


「いや悪いね。

 ところで質問を重ねる上に話が変わって悪いんだけどさ、ナンバ-11はミステリーとか好きかい?」


 突拍子もない質問に、正直に回答した。


「そういった本はあまり読みません」


「そう? 洞察力がありそうに見えたんだけど」


「あなたがそんな格好をしているのに、登山家でも登山用品関連の仕事をしているわけでもないことなら分かりますよ」


 きっぱり断言するとナンバー9は驚いた顔をして、それから興味深そうに私を見て言った。


「どうして分かったのか教えて貰ってもいいだろうか」


「荷物置き場に置いたストック、夏用です。

 登山リュックは低山登山用の小容量パック。

 それなのに11月にしては分厚い防寒着、登山靴も雪山用です。恐らく2000メートル以上まで登ったのでしょう。

 だとしたら装備がちぐはぐです。

 しかもどれも新しい。

 急遽山に登る必要が出て、慌てて道具を集めて強行した。そんな風にしか見えません」


 あってるでしょ、と確認を取るように首をかしげると、彼は子供みたいに目をキラキラとさせた。


「ああ! 君みたいな人と話したかったんだよ!

 仕事で行き詰まってて、マスターに話してみようと思ったんだけどさ、あの人ってあれじゃあないか? 意外と肝心な部分で役に立たないというか――」


 マスターが咳払いするとナンバー9は「いやこっちの話だから気にしないでくれ給え」と無茶苦茶言って、話を続行した。


「実はぼかぁ雑誌記者でね。

 ある事件の調査のため、止むなく山に登ってきたわけさ。

 登山なんて学生時代以来だけど、体力作りはしてたからなんとか登って下って来れたよ。

 北アルプスなんだけどさ、天気が良ければ綺麗な風景が拝めたそうなんだが、生憎昨日今日と曇り空で――」


「話したいことがあるのでしたら、本題に入って頂けます?」


 前置きが延々と続きそうだったので拒絶を示すと、彼は「おっしゃるとおりだとも」とバカみたいに笑って、胸ポケットから手帳を取り出して挟まれていた写真を示した。


「野鳥写真家の道明寺どうみょうじ竜之介りゅうのすけ

 この人のことは知ってるかい?」


 ああ、知っているとも。

 写真の男は、私のよく知る人物だった。


 雑誌記者の男。

 こいつは一体、何処まで知った上で私に話しかけて来たのだろうか。


「知ってますよ。

 ニュースで見ました。落石か何かで亡くなったとか」


 当たり障りなく、そう答えるのが当然のように嘘をつく。

 彼は私の嘘に対して微塵も気がついた様子はなく、にやりと笑って告げた。


「それが僕の独自の情報源によると違うんだよねえ。

 写真家の道明寺は、殺し屋によって殺害されたのさ」


 何を言っているんだ? とバカを見る目を向けた。

 しかし内心、この男が無能を装って私に近づいて来た可能性を探る。


 暇つぶしに適当に話に付き合ってあげるつもりだったが、雲行きが怪しくなってきた。

 ポールジローに口をつける。

 久々のブランデーだというのに味も香りも頭に入ってこない。

 口の中にアルコールが広がる。いざという時のためにアルコールの摂取を控えておきたいのだが、ここで飲まないのは不自然極まりない。


「一応、根拠を伺ってもいいですか?」


 向こうから話すように促すと、彼は意気揚々と喋り始めた。




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