野鳥写真家殺人事件

第50話 新しい仕事


◆ 新しい仕事


 月曜日だというのに出勤する人々のなんと真面目なことか。

 私の本職には休みという概念はないのだが、一応建前上は会社員をしているので、“出張中”以外には勤務ルーチンが存在する。

 いわゆる週5日勤務2日休日の繰り返しで、この生活を送る人々はなんとも素晴らしい意志力を持っていらっしゃると感動すら覚える。


 1週間のうち2日限りの休日。

 それが終わった翌日に朝早くから働くだなんて、並の人間には不可能だ。


 私にそんな強い意志があるわけでもなく、月曜というのは憂鬱でしかなかった。

 かといって、毎週月曜日は休む――当然表向きは在宅勤務だ――という生活を続けるのは好ましくない。


 習慣化は悪だ。

 習慣は人を殺す。

 他人の習慣につけ込んで数多くの人間を殺してきた私は、それを確信している。


 だから「あいつは毎週月曜日は在宅勤務だな」なんて思われてはいけない。

 どんなに辛くとも、出勤しなければいけない月曜日が存在するのだ。


 そんなこんなで、11月上旬。週の初めの月曜日に、私はそれなりにやる気に溢れる会社員を装って、〈翼の守〉が隠れ蓑にしている大手食品メーカーのオフィスへと出勤した。


 出勤の壁さえ乗り越えてしまえば、後は適当に仕事をするだけだ。

 私の元には特に急ぎでない事務仕事が振り分けられている。

 暇つぶしがてらそれらを片付けていく。


 ようやく仕事の方が波に乗ってきたところで、PC画面にぴこんとポップアップが現れて、社内メッセージの受信を告げた。


 差出人は次長。内容は「急ぎの仕事があるから事務室へ」。


 折角仕事をやる気になってきたと言うのに、水を差された。

 だけれど私にとって会社員はあくまで隠れ蓑。

 本業はこっちの方だ。


 他の事務員に「次長に呼ばれたので行ってきます。多分出張です」と告げて、渉外部特務課の事務室へと向かう。


「失礼します」


 返答も待たずに扉を開け、後ろ手に閉める。

 渉外部特務課の事務室は、一応事務室の体面を取り繕っているものの、相変わらず出勤しているのは最奥の席に座る初老の男だけだった。


「今日はちゃんと出勤情報を調べたよ」


 彼――次長は、歳不相応に陽気な調子で言ってのけた。

 その態度にため息つきつつ、次長の近くの席から椅子を拝借して腰掛けると問う。


「それより裏切り者は見つかったんですか?」


「いやまだだ。

 だが仕掛けは施した。直ぐに分かるさ」


「まさかとは思いますけど、裏切り者が見つけられていない状況で、次の仕事を頼むつもりではないでしょうね?」


 次長はバカみたいに笑う。


「あっはっは。

 そのまさかだよ。

 なあに。流失した依頼リストは破棄してる。問題は無いよ」


 本気で言っているのか?

 目を細め、睨み付けてみたが、次長は頭の悪そうな笑みを崩さない。

 拳銃でも突きつけたら話は変わるかとバカな考えが頭をよぎったが、思いとどまった。

 撃ち殺す覚悟がないのに銃口を向けたって何の意味も無い。


「分かりました。

 契約ですから、受けましょう」


「君ならそう言ってくれると信じてたよ。

 この写真家なんだがね。可能なら今週中に仕事を終えて欲しい」


 次長はノートパソコンの画面をこちらに示した。

 写真家の個人ブログのようで、彼の顔写真と個人情報がいくつか記載されている。


「写真家とは珍しいですね。

 山の写真家ですか?」


 ブログのバナーは雪化粧した山の尾根だった。

 問うと次長はかぶりを振る。


「山も関係あるが、野鳥だよ。

 丁度今、山の方に撮影旅行中のようだね」


 次長がブログのリンクを飛ぶと、昨日更新されたばかりの記事が表示される。

 『換羽期の雷鳥を求めて北アルプスへ』とのタイトルだった。


「北アルプスって、標高2500から3000メートルくらいあるのご存知ですか?」


「あ、もしかして難しい?」


 次長はこれまで微塵も考えて居なかったかのようにとぼけて見せる。

 今度こそ銃を抜こうかと本気で検討したが、いくらこの部屋の防音がしっかりしているとは言え銃声は響きやすい。

 それに銃殺すれば私が殺したと直ぐにバレる。

 こいつを殺す手段はいくらでもあるのだから、今ここで銃殺する理由は無いと自分に言い聞かせて堪えた。


「別に。

 登山装備はありますが、冬山対応のために準備金をいつもの3割増しで用意してください」


「分かった。

 君に頼んでおけば全て上手くいくからね」


 次長はPCを操作して、直ぐに準備金の振り込み準備を進めたようだ。

 11月の高山。あまり気は進まないがこれも仕事だ。

 頭の隅で計画を立て始めていると、次長が相も変わらず朗らかに声をかけてくる。


「いやはや君には安心して仕事を任せられるよ。

前回も組対の捜査にあいながら仕事をこなしてくれたし」


 そのふざけた発言については流石に反論する。


「殺すだけなら簡単です。

 問題は殺した後ですよ。

 前回については捕まってもおかしくなかった」


「でも捕まらなかっただろう?」


「運が良かっただけです。

 運に助けられているようならこの仕事は長くないですよ」


「そのようだね。

 いやね。君以外の殺し屋を雇ってみたんだが、どれもこれも上手くいかなくて。

 殺しのコツとかあれば是非ご教授願いたいものだね」


 何を言ってるんだこいつはと、呆れながらも律儀に返してやる。


「コツなんてありません。

 さっき言ったとおり、人を殺すなんて簡単なことです。

 あなただって今朝、電車を待っている間に特急が通過したでしょう? その時に前に並んで待っていた女子大生の背中を押してあげれば殺せましたよ」


「でもそれじゃあ直ぐ捕まるだろ?

 ――なんで電車を待っている間に特急が通過したって知っているんだ?」


 後半の質問は無視して、前半についてだけ回答する。


「でも殺せるでしょ。

 殺すのは簡単だって話をしただけです」


 次長は後半の回答を得られなかった件について全く気にとめる様子もなく、背もたれに身体を預け腕を組んでいった。


「やっぱり問題は殺した後ってことだよなあ。

 警察の捜査を振り切ってくれないと、こちらとしても困るし。

 実はその辺り上手く出来る人も何組か居たんだけどさ、何件か仕事をこなすうちに駄目になるんだよ。

 殺した相手が夢に出てくるとか、後ろからついてくるとか。それで駄目になって、結局つまらないミスをしたり、自ら命を絶ったり。

 君はそういう経験はないのかい?」


 全くもって下らない質問だ。

 相手にしたくもないが、答えてやる。


「バカな話ですよ。

 死人が人を殺すようになったら私は廃業です」


「君はそうだろうね。だからこそ信頼できる」


「他になければ仕事にかかりますよ」


 立ち上がり、退室する素振りを見せたら声がかかった。


「あー、もう1つだけ」


 立ち止まり「どうぞ」と促すように振り返る。


「いやね。うちの組織の熱心な構成員で、組織の教えが絶対的正義だと信じて疑わない人間が居たんだ。

 それこそ世界の均衡を保つためならば人殺しすら正しい行為だと割り切れる人物でね。

 だけど彼に仕事を任せたところ、2件目であっさり捕まってね。

 捜査に対して自供せず留置場で自害してくれたから良かったものの、どうしてあんなに熱心な人間がつまらないミスで捕まってしまったのか不思議なんだ。

 殺し屋の先輩として、君から何か意見はないだろうか?」


 そんなことか。

 その“熱心な構成員”とやらが仕事を失敗した理由は明白だった。


「捕まって当たり前ですよ」


「それはどうしてそう思う?」


 次長が珍しく真面目に問いかけてきたので、私としても誠心誠意回答してあげた。


「人を殺すのは悪いことです。

 そんな当たり前のことが分からない、正義だの正しい行為だのとのたまう人間が、ミスしないわけがありません」


 回答に次長は満足したようでいつものように陽気に笑う。


「あっはっは。

 なるほど、なるほど。

 これは貴重な意見だ。感謝するよ」


「どういたしまして。では私はこれで」


 ドアノブに手をかけたところで、再度声を投げられる。


「もう1つ良いだろうか?」


「さっき1つだけと聞いた気がしますが、まあ聞きますよ」


 面倒くさそうに振り返ると次長が問う。


「君は人殺しが悪いことだと分かった上で、どうして今の仕事をしているんだい?」


 彼は問いかけを楽しむように、意地の悪い笑みを浮かべていた。

 全くバカバカしい。

 こんな当たり前の質問をされるとは思いもしなかった。


 私は次長を冷たく見据えると、はっきりした口調で伝えた。


「そんなの単純でしょう。

 悪いことはお金になるんです。違いますか?」


 自分たちが一体どれだけの金額を私に支払っているのか、知らないはずはないだろう。

 回答に、やはり次長はバカみたいに陽気に笑った。


「あっはっは。間違いないね。

 それじゃあ“悪いこと”をよろしく頼むよ。

 内部の調査は進めておくから」


 会話は終わった。

 特に返答もせず渉外部特務課の事務室を出て自席に戻り、PCを落として荷物を持つと、「やっぱり出張のようです」と周りの事務員に伝えて退社した。


 仕事を受けた以上は完璧にこなす。

 ――それにしても、山か。

 しかも標高3000メートル近く。

 もう11月だ。防寒着を用意しないと。



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