第47話 内定式の行動④
◆ 内定式の行動④
天野の体調不良を切っ掛けに数人が低血圧症の症状を訴えた。
彼女たちの共通点は一升瓶ビールを飲んだこと。
そして倒れた標的も一升瓶ビールを飲んでいた。
警察に連絡が行くのは必然だっただろう。
ここまでは想定内。
現場保存のため社員達は食堂から追い出される。
しかし内定者は残ることになった。
事件発生時その多くが標的の近くに居たから、という理由のようだ。
実際に標的が倒れたのは豊福と天野と話している最中だったし。
地元警察は秘書の平佐から証言を聞き、鑑識が一升瓶ビールや紙コップを調べ始めた。
直ぐに一升瓶ビールから薬品が検出される。
アリスキレンフマル酸塩。
ラジレスに含まれる降圧剤の主成分だ。
そこに気がついてくれれば、犯人は標的の健康状態と処方薬について知っている人物に絞り込まれる。
つまりこの時点で、内定者は容疑者のリストから自動的に外れる――はずだった。
容疑者の候補としては、営業部長の幹。
彼は不幸なことにラジレスを処方されていた。
そして技術部長の米山。彼は一升瓶ビールを標的に注いだ。
一升瓶の栓を開けた海老塚もしばらくは容疑者の1人になるだろう。
ともかく、犯行が計画的なものであるのは明白だ。
面接以来、4ヶ月から半年程度ぶりにCIL新社屋にやって来た、社内事情をほとんど知らない内定者が殺害計画を練りに練っているなど、誰に予想が出来るだろうか。
所轄刑事の小林は、当然内定者を疑ったりしなかった。
ついに彼は、学生については帰らせてしまっていいと判断する。
外に出てしまえばこちらのもの。
明日には岩垣ゆづきは北海道だ。
しかしそんな食堂に、物々しい雰囲気の警察官がやってくる。
地元の警察ではない。
警視庁の人間だ。
先頭に立っていた、とても警察には見えない暴力団顔の大柄な男が、小林相手に警察手帳を示して告げた。
「警視庁、組織犯罪対策部の大森だ。
CIL社長山辺舜介殺害事件の捜査はこちらで引き継ぐ」
――組織犯罪対策部。
通称『組対』。
文字通り組織犯罪――暴力団絡みの事件を担当する。
その担当範囲には、〈翼の守〉のような宗教的犯罪集団も含まれる。
大森と名乗った組対の刑事は、小林に説明する。
慈悲心鳥という殺し屋。
その殺し屋に依頼する候補者リストが流出した。
リストには山辺舜介の名前。
迂闊だった。
〈翼の守〉がとんでもなく阿呆である可能性を全くもって考慮していなかった。
よりにもよってあの組織は、私に依頼する人間についてわざわざ候補者をリストアップしていて、そのリストを流出させてしまったのだ。
いくら何でもそんなに間の抜けた組織があるだろうか?
今回の殺害計画は、その大前提として第3者である殺し屋の犯行が一切疑われる余地がないという条件の元に構築されている。
その大前提が崩れた今、私まで捜査の手が及ぶ可能性はある。
頭の中で状況を整理する。
制服は返却済み。
ラジレスの痕跡が残った調味料入れは洗浄されている。
防塵マスクとビニール手袋は?
ゴミ箱には入れられているだろうが、廃棄業者による回収は明日のはずだ。
だがその気になれば、警察は社内に残っているクリーニング済みの社服やゴミをしらみつぶしに調べるかも知れない。
そこから内定者の痕跡が発見されれば、追求を逃れられない。
それだけではない。
先週まで在籍していた内川綾乃へと捜査の目が向いて、なおかつ内定者に対して詳しい取り調べが実施されたら、私が内川と同一人物であるとバレてしまいかねない。
所轄はどう動く?
組対の捜査は今日中に何処まで進められる?
何通りかのパターンを頭の中で思い浮かべる。
ゴミ箱をひっくり返しての捜査は、行われたとしても今日中に実施できるのは食堂と4階のゴミ箱を合わせた分くらい。
防塵マスクは一度サポートを経由しているので1階のゴミ箱に捨てられる。
調べられるとしても明日以降。
上手くいけば廃棄業者に回収されているかも。
上手くいかなかったとしても、明朝一番には野外のゴミ集積所に集められる。
そこで他のゴミとひとまとめにされてしまえば、細かい痕跡など調べられまい。
クリーニング済みの社服をわざわざ調べるだろうか?
殺し屋の犯行を疑うならば調べるかも知れない。
社服は既に女子更衣室に戻されているが、調べようと思えば調べられる。
それでも新社屋女子更衣室だけでも100着近くある社服を全て調べるのは時間を要するだろう。
後は小田原の社員証。
今も私の財布にKitakaに偽造した状態で存在している。
社員証の使用履歴は確認出来るはず。
不自然な時刻に小田原が正面玄関から中央廊下へ移動しているのがバレたら、内定者のスマホとICカードを総ざらいされるかも知れない。
小田原の存在自体も厄介だ。
彼女が、内川に対して内定者や内定式の情報を渡していたと証言してしまえば、内定者がその情報を知り得たとなり、内定者に対する追求はより厳しくなるだろう。
何より最大の問題は、岩垣ゆづきだ。
彼女は死んだわけではない。ただ空港が使えなかったから北海道に残っただけだ。
彼女の存在が明るみに出た瞬間、ではこの場にいる岩垣ゆづきは一体何者なのかという大問題に波及する。
何らかの行動を起こすべきか?
一瞬浮かんだ考えを即座に否定する。
この状況で行動を起こせば疑いの目を向けられるだけだ。
こうなってしまった以上、たまたま事件に巻き込まれた学生を装い続けるしかない。
組対の刑事と所轄の刑事は、小田原や人事部長を引き連れて搬入時の状況を確認しに行った。
その間、内定者や食堂関係者、宴会業者などは手荷物検査を受ける。
私は宮本と共に荷物検査を受けた。
スマホに財布。筆記用具。
財布の中身も確認されたが、Kitakaの電子情報までは調べられなかった。
身分証の確認もパス。苫小牧高専まで出向いて学生証の情報を調べた甲斐があった。
筆記用具についてはざっと見ただけで細かい検査はされない。
社服にタグをつけたホチキスについても特に注意を引かなかった。
航空券とホテルの宿泊情報は確認される。
この点は問題ない。
宿泊情報と帰りの航空チケットは、小田原の発注情報を元に作成している。
岩垣ゆづきの行動と全て一致しているため不審な点は無い。
指紋を取られたのが気がかりだが、内川の指紋はもう残っていない。
仕事熱心な食堂職員として、自身の残した痕跡は綺麗さっぱり消してきた。
指紋だけで私と内川が関連付けられることはない。
問題はDNAだ。
もしかしたら内川綾乃の髪の毛1本くらい、何処かに残っているかも知れない。
しかしDNAの採取は行われなかった。
同意書が必要だし、専門の鑑識も居る。今回は居合わせなかったのだろう。
荷物検査と指紋採取を終え、内定者は食堂の隅に集められる。
4階だが、いざとなれば窓から脱出出来る。
近くの小学校駐車場にバイクも用意してあるが、最後の手段は可能な限り執りたくない。
捜査の方は現場確認を一通り終えたようで、これから事情聴取を行うとの報告がされた。
内定者のほとんどは帰されたが、事件発生時に標的の最も近くに居た豊福は残される。
なんとか聴取のリストに載るのは避けられた。
私はほっと胸をなで下ろし帰ろうとしたのだが、宮本と共にバスが来る時刻まで正面玄関の椅子に腰掛けて待っていたところ、警察がやって来て声をかけられた。
「豊福さんと一緒に、一番最初にCILに来た宮本さんと岩垣さんですか?
念のためお話を伺いたいので、聴取にご協力ください」
どうにも、面倒なことになったようだ。
ここで断れば疑ってくださいと言っているようなものだ。
私は宮本と顔を見合わせ、それから警察に対して頷いて見せた。
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