第42話 反省会⑤
◆ 反省会⑤
遅番の勤務日のことだった。
昼前に出勤して、業者玄関入ったところで窓口に居た小田原と目が合った。
「おはようございます」
「内川さんおはようございます。
可愛いブラウスですね」
小田原は私が身につけていたおろしたてのリボンブラウスに気がついてくれた。
はにかんで応える。
「はい。来月からの通勤用に買ったんですけど、早く着たくておろしちゃいました。
でもこれ1着しかないんですよね。
10月になる前に買い足さないと。
小田原さんは、通勤の服どうしてます?」
「会社入るときに買って、ずっとそればかりです。
お金も貯まったしそろそろ買いに行きたいって考えたところなんですよ」
これ幸いと畳みかける。
「そうなんですか? でしたら今週末アウトレットに行きますけど、一緒にどうですか?」
「是非行きたいです!」
小田原はなに1つ疑うことなく、目を輝かせて言った。
「ありがとうございます。私、1人で買い物に行くの不安だったんですよ。
ちなみに今日って何時までお仕事ですか?」
「食堂の夕食営業が終わるまで待っていますよ。
やることは増やそうと思えばいくらでも増やせますから」
「なんかすいません。
では、夕食後に計画を立てましょう」
「お気になさらず。
のんびりお待ちしてますから」
小田原と約束は取り付けた。
後は上手いこと彼女から情報と、可能なら社員証を引き出すだけだ。
私は4階厨房に向かい、ひとまず食堂業務に注力した。
◇ ◇ ◇
夕食営業を終え、食堂の後片付けまで済ませると、倉庫で着替えて業者用玄関へと降りていった。
いつもは閉まっているサポートの窓口が開いていて明かりもついていた。
窓口の向こうで待っていた小田原は私に気がつくと事務室を出て、業者用玄関と中央廊下の間を塞ぐ管理ゲートを開けた。
「どうぞこちらへ」
言われるがまま廊下へ。更に小田原はサポートの事務室の管理ゲートを開けて手招きする。
「ここって私が入って良い場所でしょうか?」
「駄目なので、人が来たら机の下に隠れて下さい」
「分かりました」
小田原が笑ってそう言うので、私も笑顔で返しておく。
小田原の席は奥側なので、机の下に隠れてしまえば事務室の外からは見つからないだろう。
小田原は自分の席に座り、私に隣の椅子を勧める。
「今週末、天気は良さそうです。土曜と日曜、どちらにします?」
小田原は机の上にあった端末に社員証を置いてPCのロックを解除した。
それからPC画面に表示された天気予報を見せて問う。
正直どちらでも良いが、日曜の方が込みそうだ。
「土曜日の朝から行こうと思います。
休憩時間に叔母さんに電話したところ、土曜日なら車を借りていっても良いって言うので」
「内川さん、車の運転できるのですか?」
「一応、免許は持っています。
あまり慣れてはいませんけど、大丈夫ですよ。カーナビもありますし道にも迷いません」
「車があるなら安心ですね。
私も土曜日の方が都合が良いです」
「では土曜日で。
小田原さんはどちらにお住まいですか? 迎えに行きますよ」
「自宅近くは入り組んでいるので、近くの文化センター前まで来て頂ければ。
ここなら――」
小田原がPCを操作して地図を出そうとしたところ、階段から人が降りてくる音が聞こえた。
小田原が咄嗟に合図を出すので、私は机の下に隠れる。
その間、彼女は窓口へ向かう。
窓口の元に現れたのは若い男性社員だった。
「ちょっといい? 掃除用具借りたいんだけど。
バケツと、雑巾があればいいかな。誰かが廊下でお茶をこぼしたみたいで」
酷い話もあったものだ。こぼしたのが私だとしても。
ともかく絶好の機会なので机の上から小田原の社員証を拝借する。
それをカバンの中に突っ込む。
既にカバンではIDカードに対応した送受信端末が準備されていて、小田原の社員証へと電波を送信。
立ち上がった社員証内蔵のICを起動させ、社員証のアンテナから発信される信号を読み取った。
データ解析完了。小田原の社員証に保存されている固有IDが判明した。
社員証は素早く机の端末上に戻す。
「同じ場所に返してくれたら、報告はいらないです」
「ありがとう。
じゃあ借りてくよ」
小田原の方も自分の仕事をやり遂げたようだ。台車置き場の向かいにあった倉庫から掃除用具を男性社員へと手渡す。
掃除用具を借り受けた男性社員は礼を言って、2階への階段を昇っていった。
小田原が戻ってくると、机の下から這い出す。
「大丈夫でした?」
「大丈夫ですよ。
見つかったとしてもあの人は同期で優しい人なので問題ないです」
「それなら良かったです。
ええと――」
「文化センターの場所ですね。
大きな通り沿いなので迷わないと思います」
地図上で小田原は場所を示す。
確かに大通りから入って直ぐの場所で、建物自体も大きく目立ちそうだ。
車も入りやすい。
「ここなら車でも安心ですね。
インターも近いし。
でも帰りはどうします? 荷物、多くなったら大変ですよ」
「量を見て、考えましょう。
あまり多かったら家の前までお願いします。その時は道案内するので」
「分かりました。ではその辺りは臨機応変に。
では土曜日の、8:30でも良いですか?」
「はい。それでお願いします」
小田原は付箋を取り出すと土曜日朝8:30、文化センター前とメモ書きした。
スマホは使わないのかと思ったが、ここは研究所でデータの扱いに厳しいのを思い出した。多分、スマホはロッカーに預けてあるのだろう。
「食堂のお仕事はどうですか?
小田原がメモ書きするのを見ていたら、幸いなことに彼女から声をかけてくれた。
「食堂で働くのは初めてですけど、皆さん教えるのが上手で直ぐに慣れました。
良い職場ですよ」
「食堂の方、楽しく仕事していますよね」
「本当に。
そういえば、皆さん10月の懇親会に向けて張り切ってましたよ。
サラダバーのラインナップ決めで私も意見を求められました。
沢水さんの代わりに若い子の意見が欲しいとかで」
「それは楽しそう――あ、もしかして内川さんに希望を言ったら伝えてくれます?
是非、フルーツをもっと充実させて欲しいです」
小田原が冗談めいて言うので、私も微笑んで返す。
「分かりました。栗原さんに伝えておきます」
小田原が「お願いしますね」と返す。それから一呼吸置いて問いかけた。
「サポートは懇親会に関わらないのですか?」
「宴会業者さんの対応とかはする予定です。
後食堂の配置換えの手伝いとか。
でもどちらかというと内定式――でもないかな。内定者さん関連のお仕事が多いです」
「内定者さんですか。確かに、懇親会も内定者さんのためのものですよね。
そういえば一緒に張ったポスター、結構社員さんも気にしているみたいで、皆さん立ち止まって見ていますよ」
「それは嬉しいです。
内定者さんのこと、社員の皆さんにも知ってもらいたいですから」
「ちなみにどんなお仕事ですか?」
肝心な問いかけに対しても、小田原は何ら警戒することなくすんなりと応えてくれた。
「内定者さんに出欠確認をとって、それから交通手段と宿泊場所を確保して、チケットとかホテルの予約表を送ったりしました」
「それは大変そうですね。
21人って結構な数ですよね。
そういえば、北海道の人とかは前日から泊まりですか?」
「いいえ、学校もありますし当日でも間に合うからと連絡があって。
ちょっと待って下さい」
小田原はPCを操作する。
社内の発注管理アプリを立ち上げ、自分の発注一覧を呼び出す。
小田原の発注した一覧が表示されると更にソートをかけて、内定式関連の経費精算のみを表示させた。
「これですね。新千歳空港発、羽田着」
航空券の情報が表示された。
9:00発10:30着。
確か新千歳羽田間の始発便は7:30発だったはず。
「結構朝はゆっくりなんですね」
「苫小牧の駅まで向かうバスの始発が遅くて」
「ああ、バスの都合なんですね」
となれば、バスを使わずに苫小牧駅の始発にさえ乗れるなら、もっと早い時間の飛行機にも乗れそうだ。
後で調べることにしよう。
「帰りは1泊するのでゆっくり出来そうですね」
「ええ。隣の駅のホテルをとってあります」
1泊して翌日の便で返る。
小田原は丁寧に、ホテルの情報も、帰りの便の情報も見せてくれた。
「いろんな人が来るんですね。
南は、これは熊本ですか?
皆さんの住んでる場所を調べてチケットとるのは大変ではなかったですか?」
「いろんな希望があって、全部対応するのは確かに大変でした。
でも折角来て頂くので、皆さん希望通りになるのが一番ですから」
全く仕事熱心で結構なことだ。
全員の到着時刻を見るに、14:00位を目標に最寄り駅に到着するよう設定されているようだ。
「皆さん何時頃こちらにつくのですか?」
「14:30集合予定だったかな? 私は1時過ぎには最寄り駅で待つ予定です。
ええと、確か内定式のしおりが……」
小田原は内定式関連と書かれたファイルボックスから、ホチキスで綴じられた紙束を取り出した。
表紙には『CIL内定式のしおり』と記載されている。
小田原はページをめくり、当日のスケジュールを開いた状態でこちらに手渡した。
「14:30から社長講話なので、その5分前集合予定みたいです」
「へえ。しおりも作り込みが凄いですね。
本当に内定者を大切にしている会社なんですね」
胸元のボールペン型カメラで当日のスケジュールを撮影しておく。
14:25集合としても、多少早く来る内定者は少なからずいるだろう。
食堂の営業形態から、13:20から14:00の間は掃除のため倉庫との人の行き来が少ないし、社員も4階からほとんど居なくなる。
懇親会で標的が必ず飲むという一升瓶ビールが、食堂倉庫の冷蔵庫で保管されることも確認済みだ。
そして食堂の納入は毎日10時前後。10:30以降であれば食堂倉庫に確実に保管されている。
「山辺社長が新人大好きなんですよ。
若い人を育てるのが好きみたいで」
「そうなんですね。
ですが社員さんがたまに社長さんに対して愚痴を言うのをききますよ」
小田原は苦笑する。
「何年かして中堅社員になると結果を求められるみたいです。
それも山辺社長の独特のセンスというか、着目点が変わっているらしくて、変な方針の結果を求められて、困ってしまうことがあるそうで……。
同期の人も愚痴を言っていました。
でもそれを含めて楽しいみたいですよ」
社員は愚痴を言うものの、小田原の言葉通りなら殺意までは抱いてなさそう。
小田原は続ける。
「それに部長さん達が叱責を全て受け止めてくれているみたいです。
部長さん達も皆さん社員思いだそうですよ」
「でもそれだと部長さんは辛そうですね」
「そうですよね。
でも部長にまでなるような人たちなので、それくらい我慢できてしまうのかも。
たまに人事部長さんと話しますけど、仕事を楽しんでるって感じで、嫌な感じは全く見せないです」
「サポートの部長さん? みたいな人はどうですか?」
「サポートは一応別会社なので、サポートの社長がいるんです。
でもその人は叱責されませんね。
山辺社長より年上の女性で、CILが出来たときからの社員らしくて、社長も頭が上がらないそうです」
「それは、凄い方ですね」
「ええ本当に」
小田原は笑う。
小田原自身、サポートの社長には信頼を置いているようだ。
彼女の言葉から、部長クラスであれば社長に対する殺意を持っている可能性もありそう。
実際に持っていなかったとしても、持っているのではないかという疑惑さえあれば構わない。
全員の動機を調べるには1日2日かかるだろう。
犯行から1日経った頃には、私は既に消え去った後。何ら問題は無いだろう。
内定式のしおりをぱらぱらとめくっていくと、ページの最後に『CIL新社屋案内図』が記載されていた。
縮尺が適当ではあるが、社内の見取り図だ。
社長事務室は3階。秘書室もその近く。
研修室から食堂倉庫までの間に管理ゲートが1つ。
詳細は後で見ることにして、ボールペン型カメラで情報を記録しておく。
私はしおりを閉じると、丁寧に小田原へと返した。
「長々とお邪魔してしまいましたね」
「いえお気遣いなく。
それに土曜日、運転よろしくお願いしますね」
「頑張ります。
ではまた明日」
「はい明日」
サポート事務室を後にして、業者用玄関から外に出る。
小田原は窓口のところで手を振って見送ってくれていた。
ともかく彼女のおかげで最低限の準備は整った。
後は、標的周りの調査を進めておこう。
部長や秘書といった周囲の人間についてもなるべく知っておきたい。
人が死ぬからには、死ぬに値する理由が必要だ。
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