第41話 反省会④

◆ 反省会④


 準備は同時並行で進めていた。


 標的の病歴や処方薬についてだが、食堂の献立をどのように決めているのか栗原に尋ねたところ、本社の栄養士が案を送ってくれて、それを食堂側で確認して問題なければ承認しているようだ。


 アレルギーとかの対応はどうしますか? と尋ねると、栗原は社員のアレルギー一覧表を持ち出して、食べられないメニューだけにならないようにしていると告げた。


 一覧表に目を走らせ――る必要もなく、一番上が標的だった。

 『グレープフルーツ×』との記載がある。

 ある種の血圧の薬はグレープフルーツとの併用がまずかったはずだ。


 脳卒中の病歴があるというから血圧を下げる薬だろう。

 念のため薬品名も確認出来ると良い。


 食堂には産業医の笠島が来ていた。

 今日は彼女の出勤日だ。彼女なら、標的の処方薬について把握しているだろう。


 笠島が食事を終えてからしばらく経った、食堂営業の終盤。

 味噌汁をかき混ぜていたが、後ろを食堂職員の海老塚が通ったタイミングで鍋の縁に人差し指を触れさせた。


「熱っ――」


「あ、ごめん。大丈夫?」


「いえ、私の不注意で。気にしないで下さい」


 私と海老塚のやりとりを聞いていた栗原が飛んでくる。


「直ぐに冷やした方が良い。

 海老塚、救急箱から火傷の薬を」


 海老塚は指示を受けると厨房据え置きの救急箱を引っ張り出した。

 私は味噌汁の係をツルさんに変わってもらい、流しで火傷した指を冷やす。


「火傷の薬が見つからない」


「入ってたはずだぞ。確認したのはかなり前だが」


 栗原も救急箱を確認したが、火傷の薬は見つからなかったようだ。

 事前に抜いていたのだから当たり前なのだけど。


「大丈夫ですよ」


「そういうわけにはいかない。

 産業医室に薬があったはずだ。海老塚――」


 栗原が海老塚に行かせようとしたので、すかさず口を挟んだ。


「私が行きます。

 火傷したのは私なので」


「分かった。

 廊下をまっすぐ行って、十字路を右側。で、一番奥だ」


「はい。なんとなく分かります」


 厨房を出て、言われた通りに進む。

 十字路があってそこを右へ。トイレや倉庫があり、一番奥には論文保管庫。反対側が産業医室だった。


「すいません、火傷してしまって。

 食堂職員なんですけど、大丈夫ですか?」


「もちろん構いませんよ。

 しっかり冷やしました?」


「はい。ただ厨房の薬が切れてて」


 産業医の笠島は私をベッドに座らせて、指の様子を確認すると薬棚から塗り薬を取り出した。


「どうぞこちらを使って。

 薬の使用はご自分でお願いしますね。

 産業医は医療行為は出来ませんのよ。

 と言いましても、大した火傷ではなさそうですね」


「ええ。でも栗原さんが心配してくれて。

 薬、ありがとうございます」


 薬をほんの少しだけ火傷した箇所に塗った。

 大した怪我じゃないのは自分がよく分かってる。

 薬の蓋を閉めていると、笠島が問いかけた。


「最近来た人ですか?」


「はい。内川と言います。9月だけの短期間で入りました」


「そういえば沢水さんが不在でしたね。

 食堂の仕事はどうですか?」


「問題なくやっています。

 いい人ばかりですし、お仕事も楽しいです」


「それなら良かった。

 9月だけとなると、10月からは別の食堂かしら?」


「いいえ。10月から病院の受付で働くことになってまして、引っ越しもあるのでその資金稼ぎのために短期間だけ働くことにしたんです」


「まあ、病院の受付ね。

 新しい職場も楽しい場所だと良いわね」


「ええ、そう願ってます。

 ――そうだ、食堂の献立を決めるのに気になったことがあって。アレルギーの方とか居ますよね?」


「アレルギーの一覧は食堂でも管理しているはずでしたけれど」


 笠島が首をかしげるので頷いて見せる。


「そうなんですけど、アレルギーの人はエビアレルギーとか、牛乳アレルギーとか書かれていますよね。

 でも社長さんだけ『グレープフルーツ×』って書かれていて、どういう理由なのか気になったんです。

 もしかして社長さんはグレープフルーツ嫌いなのかなって」


「そういうことでしたの。

 それは処方薬の関係で食べられない食品ですのよ」


「そういう薬があるんですね。

 一応、病院の受付で働く予定なので薬についてもいろいろと知っておきたいです。

 どんな薬がグレープフルーツと相性が悪いんですか?」


「アイミクスという血圧を下げる薬がグレープフルーツの成分と反応して血圧を極端に下げてしまうことがありますのよ」


「あいみくす、ですか。聞いたことの無い薬です」


「わたくしから聞いたことは秘密にして下さいね。

 服用薬については個人情報ですから」


「はい、秘密にします。

 ありがとうございました、笠島先生」


「お気になさらず。

 怪我や病気以外でも、職場環境や人間関係で何かあれば、気にせずいつでも相談に来て下さいね。

 食堂職員の相談に乗ったら駄目なんて決まりはありませんから」


「ありがとうございます。

 何かあったら相談させて貰います。では失礼します」


 産業医室を後にして厨房へと戻る。


 ――アイミクスか。

 名前は聞いたことがある。

 グレープフルーツと反応して降圧効果を高める。

 それだけで死に至るだろうか?


 標的は一押しで死にそうな状態に見えた。

 されど、流石に降圧効果を高めた程度では堪えそうだ。

 より強力な一撃が欲しい。

 それこそ再度脳卒中を引き起こすような。


 アイミクスについて詳しく調べてみよう。

 何のことはない。薬の効能や併用禁忌薬品については、製薬メーカーが全て公開している。


    ◇    ◇    ◇


 金曜日。

 早番だったため、夕食の準備を手伝って夕方には仕事を上がった。

 いつも通り4階からエレベーターで1階まで降りると、業者玄関のところにプラダン(プラスチック段ボール)が積んであった。


 中身は――社服だ。

 クリーニングに出すのだろう。それぞれにタグがつけてあって、社員名とクリーニングの通し番号だろうか、数字とアルファベットの組み合わせが記されている。


 ちょうど業者のトラックが表のスロープの元にやって来た。

 対応のため、小田原がサポートの事務室から出てくる。


「運びます? もう帰るだけなので、手伝いますよ」


「大丈夫ですよ。――でも折角なので手伝って貰おうかな」


 小田原は微笑む。

 これまでの期間で、十分に小田原からの信頼を得られていた。


 台車に乗ったプラダンを外に運び、小田原がクリーニング業者が差し出した書類にサイン。

 それから業者と一緒にプラダンをトラックに積み込む。

 3人での作業はあっという間に終わり、業者が小田原の差し出した書類にサインをすると「では水曜日のいつもの時間に」と言い残して出て行った。


「社服の洗濯も会社でまとめてやってくれるんですね」


「ええ。社服は社内セキュリティの1つなので、会社から持ち出されないようにという理由みたいです」


「流石は研究所です。

 毎週金曜に出して水曜日に戻ってくる感じですか? 対応は両方小田原さんが?」


「そうなんですよ。

 ただ金曜日は別の場所を回ってから来るみたいで、夕方の何時って決まってないんですよ。

 なので15時くらいには玄関に並べて待ってます。

 後は出すだけなので、私が居なくても誰かが対応してくれます。

 水曜日は15時には絶対に到着してますね」


「運び出しなら業者さんに手伝って貰えますけど、運び入れるのは1人だと大変ではないですか?」


「いえ、2人でやるんですよ。

 社服は新社屋の全社員分あるので、男性社員が居ないと、男子更衣室の分を運べませんから」


「なるほど。

 サポートの人でも男子更衣室には入れないんですね。

 でも男性社員さんと2人なら……大丈夫ですか? 結構女性社員さん居ますよね?」


 小田原ははにかんで答える。


「ちょっと大変ですけど、なんとかなってますよ。

 毎週16:30から分別を始めて、17時には終わってます」


「へえ。

 あれ? 15時には届くんですよね?」


「ですけど、資材調達部の男性社員さんがその時間忙しいらしくて、いつも16:30に台車前に集まることにしてるんですよ」


「そういうことですか。

 あ、台車。何処に片付けますか?」


 台車は2台あって、小田原1人では2往復することになってしまう。

 問いかけると、小田原は頷いて台車を1台押して業者玄関を示した。


「片付けまでありがとうございます。

 ついてきて下さい」


「お気になさらず。

 通りかかったついでですから」


 台車を押して業者玄関を通過。

 そこから中央廊下へと通じる管理ゲートへと小田原が社員証をかざした。


「こっちです」


「ええと、私はこのゲートくぐっても大丈夫ですか?」


「はい。私が一緒なら問題ありませんよ。

 それに直ぐそこですから」


 小田原の言うとおり台車置き場は廊下に出て右手直ぐで、床に粘着テープで台車置き場の区画が示されていた。


「ここですね。

 じゃあ水曜日に社服を受け取ったら、しばらくここに置いておくんですね」


「そうなります」


 周りを見渡す。

 台車置き場の向かいには倉庫らしき部屋。鍵はかかってなさそう。大して重要な物がしまわれているわけではなさそうだ。

 台車置き場の直ぐ向こうには大きな扉があった。

 金属製の管理ゲートのようだ。壁に解錠するスイッチがある。

 位置的に、正面玄関と繋がっているのだろう。


「では私は失礼します。

 お仕事、頑張って下さい」


「はい。手伝ってくれてありがとうございました。

 また月曜日に」


 小田原に別れを告げて、管理ゲートを通って外に出る。


 社服の管理方法については分かった。


 来週の金曜日。

 夕方近くになれば業者玄関にクリーニングへと出す社服が準備される。


 そして水曜日には返ってくる。

 それも15時に受け取って16:30から分別を始めるまでの間、人の通りの少ない1階中央廊下片隅の台車置き場に放置される。


 社服を拝借することは出来そうだ。

 でも社服だけあっても社内を歩き回れない。

 どうしても社員証が必要だ。

 その辺りも小田原に手を貸して貰うことにしよう。

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