第40話 反省会③
◆ 反省会③
私は食堂で働きながら、社内での人の動きを観察していた。
と言っても、食堂職員の出入り出来る場所は限られる。
そんな中でも分かったことは、標的には秘書がいて、彼女は大抵標的と共に行動していると言うこと。
ただ常にという訳でもない。初めて標的を見たときも、一緒に居たのは役員――後で知ったが人事部長の松ヶ崎というらしい――だけだった。
しかし彼女が標的について詳しいのは間違いない。
事務所の場所は3階らしいが、立ち入る手段は今のところない。
そして標的は少なからず社員の恨みを買っている。
食堂では(もちろん標的自身が食堂にいないとき限定だが)、社員は標的についての愚痴をよく口にしていた。
曰く、気分で研究方針を決めていて現場を知らないだとか、役に立たなさそうなアイデア特許ばかり書かされているだとか。
役員については、口にこそしないが標的について思うところはありそうだった。
ある日、技術部長の米山が新規事業や電子開発のリーダー陣と共に、午前中の会議で標的から叱責を受けた件について対応案を話し合っていた。
その話し合いは昼食営業時間を越えてなお行われるほどだった。
これは良くあることなのかと食堂最年長のツルさんに問いかけたら、以前からあることのようだった。
他にも、人事部長が無茶な人事異動案を出されてばかりで困っているとか、営業部長は社長宅の家電のセットアップまでやらされているとかの話を聞いた。
標的は食堂職員や下っ端の社員に対しては穏健でありながら、役職者に対しては厳しいようだ。
もう1つ。CILサポートについて。
CILサポートはCILの子会社だ。しかし清掃員や保育園の職員以外は、CILの正社員が出向という形をとっている。
そしてCILサポートは福利厚生や、社内事務を請け負っている。
食堂職員の窓口をやっているのもCILサポートだし、社内便の配達などもやっているらしい。
つまり、CILサポートの社員は社内便を届けるために、事務室に出入り可能な社員証を持っている。
初日に出会った小田原の社員証を入手できれば、社内のほとんどの管理ゲートを通ることが出来るだろう。
と言うわけで、私は小田原と仲良くなることにした。
出勤時に顔を合わせれば挨拶し、昼食時に食堂で会えば声をかける。帰宅時も、彼女に余裕がありそうなら窓口でちょっと話をする。
それくらいで良い。
特別なことをする必要はない。
少しの関係でも積み重ねることが大切だ。
小田原の情報についてはこちらからは尋ねない。
向こうから話すのを待つ。
幸い、内川綾乃は22歳という設定だ。20歳の小田原からしてみれば年齢が近く話しやすい。
若手である彼女は自分よりCIL歴が短い私に対して、積極的にいろいろと話してくれた。
潜入して1週間程度経った頃、私が着替えを終えて食堂倉庫を出ると、小田原ともう1人――人事部の佐藤と言うらしい――が廊下に掲示物を張っていた。
私の始業時刻まではまだ余裕があったので、2人に声をかける。
「なにを張っているんですか?」
「内定者さんの自己紹介ですよ。
佐藤さん。こちら最近食堂に入ったばかりの内川さんです」
「初めまして。人事部の佐藤です」
小田原に紹介して貰ったので、佐藤に対して自己紹介を返す。
佐藤も若手社員らしい。佐藤が首から提げた社員証を読み取ると、彼女の方が小田原より社員番号が若い。勤務歴は佐藤の方が1年か2年上だろう。
「10月1日に内定式があるんですよ。
それで内定者さんが来て懇親会を開くので、それまでに少しでも社員さんに内定者さんたちの顔と名前を覚えて欲しくて」
「なるほど。
懇親会があるんですね」
「結構豪華ですよ。
マグロを1匹買い付けて、目の前で捌いてくれたり」
「それは凄いですね。
見られないのが残念です」
小田原が佐藤へと、「内川さんは9月いっぱいの契約です」と耳打ちした。
佐藤は知らなかったと謝る。
お気になさらずと返して、掲示の手伝いを申し出た。
「結構数が多いですね。お手伝いしますよ」
「いやあ悪いよ」
「今日は11時からの勤務なので、まだ余裕があります。
是非手伝わせて下さい」
そう言うと佐藤は「じゃあ頼もうかな」と微笑んだ。
小田原も「お願いします」と手にしていたプリントを半分こちらに手渡す。
3人でそれを壁に貼っていく。
プリントは社員番号順に並べられる。
社員番号は学歴と五十音順だ。
博士が一番上で、修士、学士と続き、そこからは高専卒、高卒となる。
化学系の会社であり、更に特許業務を中心とする部署もあるため、女性社員が多い。
21人中半分ほどが女性だった。
その中で1人、気になった人物がいる。
自分と同じような顔の形。変装すれば誤魔化せそうだ。
出身地も都合が良い。
となると、当日の詳細なスケジュールが欲しい。
佐藤も小田原もその辺りの情報は持っているだろう。
ただ食堂にわざわざスケジュールを持ち込んではくれない。
人事部の事務室は既存社屋。
となれば狙うのは小田原だ。既に信頼関係を築いている。
「内定者さんのために懇親会を開くなんて、素敵な会社ですね」
「社長が新人大好きだからね。
私も、新しい人が入ってくれると嬉しい」
佐藤が笑って答えた。
掲示が終わると2人からお礼を言われて私は厨房に入った。
時刻は丁度11時。栗原に野菜を切るのを手伝うようにと依頼されて、既に作業しているツルさんの隣へと野菜の箱を持って行った。
作業の手を進めながらツルさんへと問いかける。
「小田原さんと佐藤さんから聞いたんですけど、10月に懇親会があるみたいですね。
凄い豪華だとか」
「そうそう。4月と10月にね、毎年やるんですよ」
「食堂はこの人数で対応出来ますか?」
「宴会専門の業者さんがいらしますから大丈夫ですよ。
既存社屋の食堂からも人が来ますし」
「そうなんですね。
忙しくないなら、ちょっと参加してみたかった気もします」
「内川さんは9月いっぱいの契約でしたね」
「ええ、見られないのが残念です。
何でもマグロが1匹買い付けられるとか。
他にも珍しい料理とか飲み物とかあったりしますか?」
「珍しいというと、毎回地元の酒造さんから、一升瓶のビールを買ってきていますね。
社長さんのお気に入りらしくて」
「へえ。
――社長が飲むのですか?
結構お歳いっているし、身体も悪そうですけど」
「そうそう。脳卒中で何年か前に手術しているんですけどね、半年に1杯だけって決まりを作って飲んでるらしいですよ」
「そこまでされたら周りの人は止めづらそうですね」
思いもよらぬ情報が得られた。
標的は脳卒中の病歴。そして半年に1度だけビールを飲む。
ビールに神経毒を仕込めば、標的の命を奪うのは難しくない。
標的の役員に対する態度は大きい。
となれば最初にビールを口にするのは標的で間違いない。
標的が倒れてしまえば、残りの人物はビールを口にしないだろう。
しかし、一升瓶ビールがどの程度の人間に振る舞われるかが気になる。
容量にして1.8リットル。結構な量だ。社長や役員だけで飲むわけではないだろう。
標的が乾杯の時に飲むとすれば、同じくして何人かに振る舞われるはずだ。
その時、懇親会の主役たる内定者にも振る舞われるかも知れない。
彼らは標的に対して気を使って、彼がビールを飲むのを確認してから自分も口をつけるような面倒な配慮をしてくれるだろうか?
――望み薄だ。
標的と長く過ごした役員達ならともかく、内定者達はまだ学生だ。
標的の性格を把握していないし、社会人経験もない。乾杯と同時にビールに口をつける可能性はある。
内定者が死んでも目的が達成できるのなら構わないと割り切ることも出来る。
しかし無差別殺人となれば大事件だ。
警察組織による大々的な捜査は避けたいところでもある。
とすると方法は?
1つぱっと浮かんだ。
ツルさんの言葉では、標的は脳卒中の病歴がある。
手術したとなれば大事だ。
私が標的に感じた、死にそうという印象も少なからずこれに起因するだろう。
まずは裏取り。それから、標的に処方されている薬について調べよう。
社内で標的の病歴や処方薬について詳しいのは産業医か、秘書。
しかし両者ともに接点がない。
投薬の瞬間を捉えられれば良いが、標的が食堂で食事した際は服用していなかった。
というより、食事制限はないのだろうか?
あるとすればそこから処方薬を絞り込める。
そしてその情報は、食堂運営者側にも知らされているはずだ。
方針は見えてきた。
① 標的の病歴、処方薬の調査
② 内定式当日のスケジュール確認
③ 内定者の移動手段、宿泊場所の確認
忙しくなりそうだが、これをやり遂げられるからこその高収入だ。
1つ1つこなしていこう。
まずは食堂内での聞き込みをしながら、CILサポートの小田原と接触して内定式と内定者に関する情報の入手。
そして可能ならば正社員の社員証と社服を手に入れたい。
どちらも、小田原が鍵になりそうだ。
彼女には役に立って貰うことにしよう。
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