第39話 反省会②
◆ 反省会②
翌日、専門学生の内川綾乃として関東フードサービスの派遣職員募集の面接を受けた。
案内されるが、先日名簿入手のために潜入しているので内部構造は把握していた。
知らない振りして会議室前まで案内に従う。
今日面接を受けるのは私1人。開始時刻は13:30。
昼勤務開始の沢水が規定通り体温検査して、異常に気がつき診察を受けていたとしたら、丁度結果の出る頃合いだ。
面接の準備が出来たらしく声がかかる。
挨拶して入室。
面接官は2名。片方は社長だ。もう1人は人事部の人間だろう。
現場職員はいないようだ。派遣社員の面接なんてそんなものだろう。
自己紹介を済ませ志望動機を聞かれる。
適当に動機を話した後、付け加えた。
「10月から病院で働くことが決まっていまして、それまでの間働きたいと考えています」
「募集は長期じゃなかったか?」
驚いた様子の社長が人事部に確認した。
人事部は頷いて、今回の募集要項の記された紙を社長に示した。
「悪いけどね。今回求めてるのは長期間働ける人だから――」
その時、人事部の胸ポケットからスマホの着信を告げる振動音が響いた。
彼は「失礼」と小さく口にして素早く画面を確認する。
直ぐにスマホを戻そうとしたのだが、内容に驚いたのか2度見して、その画面を社長へと見せた。
彼らは「申し訳ないけど少しそのまま待ってて」と言うと、小声で話し始める。
聞かれていないつもりなのだろうが、会話内容ははっきりと伝わっていた。
「派遣職員がカンピロバクターです」
「うちの食品か?」
「いえ、外食だそうです。ただ勤務地がCILです。
上客です。直ぐに代替要員を出しませんと」
「カンピロだと離職期間は?」
「治療に1週間か2週間。
社内規約で医師の診断書が出てから1週間は自宅謹慎です」
「3週間だな」
社長は人事部の話に頷くと、会議室の壁に掛けられていたカレンダーを確認する。
3週間。ちょうど9月はあと3週間残っていた。
社長は人事部との話を打ち切ると、こちらへと妙に熱の籠もった目を向けた。
「いや失礼。
ええと、短期希望とのことだが、9月いっぱいまでは働けると考えていいだろうね」
「引っ越しの準備もありますので、9月26日の金曜日まででしたら問題ありません」
「9月26日。明日からちょうど3週間だね。
ちょっと急だが、明日から働けるかね。
研修は現地で行うから仕事内容については心配いらない」
「問題なく明日から就労可能です。
勤務地はどちらでしょうか?」
「神奈川中部だが――」
社長の言葉に人事部が続ける。
「内川さんでしたら問題なく通勤可能な距離です。
無論、交通費は全額支給いたします」
「でしたらなにも問題ありません」
「では急ですが契約書を作成させて下さい。
身分証と印鑑と、銀行口座の情報はありますか」
「揃っています」
「では別室で。
こちらにお願いします」
後のことは人事部社員と2人で進められた。
労働契約を交わし、そのまま健康診断を受け問題ないことが確認されると、内川綾乃は明日より3週間。CIL新社屋の食堂で勤務する運びとなった。
しかしどうにも、新しい職場というのはいつだって憂鬱だ。
◇ ◇ ◇
翌日、研修のため早番のシフトより1時間早くCILへと出勤した。
指示されていたとおりCILの業者玄関へと向かうと、食堂リーダーの栗原と、CILの事務員らしき若い女性が出迎えた。
「短期契約の内川です。3週間ですが、よろしくお願いします」
挨拶すると、2人もそれぞれ返した。
「新社屋食堂のリーダーをしている栗原だ。どうぞよろしく。
緊張しなくても大丈夫。欠員は出たけど人員は足りているから、研修しながらでも問題なく仕事出来ますよ」
「CILサポートの小田原です。
CILについて分からないことがあれば私に聞いて下さい」
そのまま業者玄関を通されて、サポートの窓口で契約書類を作成する。
これはCILサポートとの契約書だ。
業務上立ち入る必要のない場所には近づかないこと。業務上知り得た情報を一切漏らさないこと。そして貸与される社員証については扱いに細心の注意を払うことなど。
契約書にサインして身分証を提示。
手続きが終わると小田原から外部業者用の社員証を受け取る。
「食堂業務に必要な場所は通れるようになっています。
何か問題ありましたら私まで連絡下さい」
小田原に礼を言って、栗原に案内されて4階へ。
エレベーターを降りると、食堂側へ抜けるためには管理ゲートを通る必要があった。
「ここで社員証をかざしたら鍵が開くから」
「通る場合は絶対にかざす必要がありますか?」
「いや。何人かで通るなら1人通せば問題ないよ。
本当は全員かざして欲しいみたいだけどね」
社内に入ってしまえばセキュリティはそこまで厳しくなさそうだ。
しかしCILの社服がない限り社内を自由に歩くのは難しいだろう。
それに貸与された社員証で通過可能な管理ゲートは限られている。
ともあれまずは社屋内の見取り図が欲しい。
建築会社から間取り図は入手したのだが、CILが独自に間取りを変更しているようで、現在の社内がどのような構造になっているのか。どの部屋がどんな用途で使用されているのか情報がなかった。
持っているのは人事部か、CILサポート。
小田原という女性は人が良さそうで利用価値がありそうだ。仲良くしておこう。
私は栗原に案内されて、業務準備のため食堂倉庫に入った。
冷蔵庫――業務用にしては小さいもの――や、事務用のPC。休憩スペース。そして奥には間仕切りされた着替え用の場所がある。
倉庫として使用されている区画には、調味料や缶詰、調理器具など。常温で保存可能な物を置いておく倉庫のようだ。
恐らく大型の冷蔵庫は厨房の方にあるのだろう。
「これが制服。厨房に入るときはエプロンつけて。
髪は1つにまとめて、この帽子被ってね」
栗原に渡された制服一式を持って奥の着替えスペースへ。
「ああそうだ。
着替え中は倉庫の内鍵かけて良いよ。
一応5分以内ってルールだけど、焦らなくて構わない」
「分かりました」
栗原が退室する。
内鍵は――かけなくて良いだろう。
さっと着替えて、倉庫内を物色。
献立表に、発注一覧。PCは発注管理に使用しているようだ。
卓上カレンダーは9月と10月の2つが置かれている。
そして10月1日には赤い丸印がされて、『懇親会』と記載があった。
置かれていた献立表をめくって3週間後を確認する。
10月1日の夕食は懇親会とだけ記載されていて、メニューが書かれていない。
10月1日の懇親会。
企業で10月1日といえば、内定式だ。
内定者懇親会。となれば、来年入社予定の学生がCILにやってくることになる。
内定式には当然、社長も参加するだろう。
発注一覧も確認。
10月1日の分は通常日よりも発注品目が多い。
胸元に挿したボールペンに仕込んだカメラで、発注品目を撮影しておく。
倉庫の調べは済んだ。
外へ出て、廊下の向かい。開きっぱなしの扉を通って厨房へと入る。
それから栗原に衛生関連のレクチャーを受け、まずは昼食準備の手伝いから業務に入った。
業務をしながら、やってきた職員達に挨拶する。
職場での人間関係は良好にしておかなければ。
でも新しい職場に対する不安は杞憂だったようで、職員達は誰も人当たりが良く、優しかった。
でもその気持ちも分かる気がする。
CIL食堂勤務時の契約では、未経験に対しては十分すぎる位の給与提示がなされていた。
それに加えて労働時間も短く、内容も激務とは程遠い。
人員は十分で、それぞれが余裕を持って働ける環境がある。
金銭的にも体力的にも余裕がある人間は、その余裕が性格にも波及する。
ギスギスした職場には金銭・体力・精神のどれか、もしくは複数の余裕が欠落している場合が多い。
ことにCIL新社屋食堂については、3要素全てに余裕がある。
栗原は大柄で体育系気質のある見た目をしていたが、実際の彼は職員達に親身に寄り添い、明確な指示を出し、業務を円滑に進める優秀な管理職であった。
余裕に満ちあふれた職場。
なんと素晴らしいことだろうか。
昼食営業になると社員がどっと押し寄せて忙しくなったが、なんとも心地よい疲労感だった。
職員同士の関係が良好であるからか、多忙が嫌にならない。
それどころか、誰も彼も――年配の女性陣も若手の男性社員も――新人を気遣い、率先して手を貸してくれるし、アドバイスをくれる。
私もこれ幸いとあまり完璧に仕事をこなさず、多少のミスを犯しては”可愛げのある新人”として振る舞った。
誰かに頼りにされたいというのは、人間の持つ根源的な欲求だ。
彼らの欲求を適度に満たしてあげることで、昼食営業が始まって30分ほどで私はすっかり“食堂の一員”になっていた。
お盆いっぱいに並べた皿におかずを並べて、その盆をカウンターまで運ぶ。
カウンターの向こうに、良く知った顔があった。
今回の標的。山辺舜介だ。
役員らしき社員と共に食事している。
私はツルさんと呼ばれている年配の女性職員に問いかけた。
「あの人、1人だけ社服着ていないですね。
お客様でしょうか?」
ツルさんは味噌汁をよそい終わると答える。
「いえいえ。あの人はCILの社長さんですよ」
「あ、社長さんなんですね。
社長さんも食堂で食事するんですね」
「ええ、よくいらっしゃいますよ。
隣の喫茶室とか、既存社屋の食堂とかも使うみたいですけれど、1週間に3日くらいはこちらで食べていきますよ」
「そうなんですか。
――怖い人ですか?」
「社員さんはいろいろ言ってますけど、わたしたちみたいな食堂の人間に対しては優しい人ですよ」
食堂職員と社長の間にトラブルはなし。
食事に毒を盛るのも難しくない。
しかし食事が原因となれば、食堂職員は間違いなく捜査の対象になる。
その中に短期契約の新人が紛れていたら、最重要容疑者として取り調べを受けるのは目に見えていた。
毒殺する場合は、食堂職員が疑われない状況を作らなければならない。
喫茶室か、既存社屋の食堂は使えないだろうか?
既存社屋への立ち入りは難しいかも知れない。
2つある食堂はそれぞれが完全に独立して運営されている。
人員の融通なども行っていないようだ。
それに新社屋食堂の勤務者が既存社屋にいれば直ぐに気づかれるだろう。
喫茶室への潜入は難しくはない。
食堂厨房と同じで、喫茶室の厨房へは何の制限もなく立ち入れる。
それに喫茶室の発注管理もまとめて行われているようだった。
だからこそ毒は盛りづらい。
喫茶室の食事が原因で死者が出たとなれば、結局疑われるのは喫茶室と食堂の人間だ。
捜査の手から逃れられない。
考えごとをしながら洗い物をしていると、標的が役員と共に食器を下げに来た。
私は洗い場で食器を受け取る。と同時に、正面から標的の様子を観察した。
76歳にしては鋭い目つき。
髪は白くなっていたが十分残っていて、縁の太いメガネをかけている。体型はふっくらとしているが、歩きはしっかりとしていた。
自分で食器を下げに来るあたり、社長という立場にふんぞり返っているタイプの人間ではなさそうだ。
――というより。
間近で標的の顔を見て、気がついた。
この人、持病がある。
それも命に関わるような重大なものだ。
歳も歳だから仕方がない。だがこれを利用しない手はない。
本人も気がついているだろう。とすれば間違いなく、何らかの薬を処方されている。
薬の服用忘れ。過剰投与。処方ミス。併用禁忌薬品の服用。
死に抗うための薬を処方されてさえいるのなら、殺す方法は直ぐに見つかるだろう。
――急いで手を下す必要もなさそう。
死にかけの人間を殺すのに、焦る必要はない。
まずは食堂付近で人脈を作りつつ、標的について更に詳しい情報を集めることにした。
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