第37話 ナンバーズ
◆ ナンバーズ
私は『小野寺花菜』の格好で夜の街を歩いた。
喧噪から僅かに離れた路地裏にひっそりと佇むバー『ナンバーズ』。カウンター6席のみのこぢんまりとした店で、扉を開けると他に客はいなかった。
「いらっしゃい。ナンバー11」
この店の客は数字で呼ばれる。
これは店の決まりで、客にはそれぞれ数字が割り振られる。
しかしどうにも11という数字は都合が悪い。ただでさえ習慣化は嫌いだ。それがよりにもよって11だなんて。
「数字、変えて貰えませんか?
毎回変えてくれて構いません。常連のつもりはないですよ」
「残念ながら、こういう決まりでね。
ナンバー11が常連で居てくれる限りは、その数字はあなたの物だ」
中年の、紺色のベストを着たマスターは上機嫌に微笑む。
彼は私が危惧していることなど知るよしもないのだろう。しかしそれを説明するわけにも行かない。
一番奥の席に着いてため息交じりに「一桁の人が誰か死んだら繰り上げられます?」なんて聞いたが、マスターは「そういうシステムじゃないから、11は11のままだ」と笑った。
「にしても久しぶりだ。1月ぶりくらいだろうか」
「ちょっと仕事で忙しかったので。
珍しく根を詰めて取り組んで、大変でした」
「今日はその反省会と言うことですか」
「そういうことです。長丁場になりそうなのでロングカクテルが良いかな」
視線を巡らせて奥に並ぶ酒瓶を眺める。
さっぱりした飲み口のお酒が飲みたい。ジンよりはウォッカの気分だ。
「モスコミュールお願いします。
ジンジャービアではなく甘口のジンジャーエールで」
「畏まりました」
マスターがカクテルを作り始める。
その間も、今回の仕事内容について振り返る。
CIL社長、山辺舜介。
彼を殺すだけなら簡単な話だった。
周りを巻き込まないように配慮を重ねた私の良心に感謝して欲しいくらいだ。
その気になれば、彼が通勤で使っているレクサスに爆弾を仕掛けることだって出来た。
レクサスは出勤後、CIL新社屋の駐車スペースに置かれる。
もちろんそこは門を越えた先。門は社員証がなければ開けられないし、何より監視カメラが設置されている。
でも逆に言えばその程度のセキュリティしかない。
敷地周囲に張り巡らされた金網は下に僅かな隙間があったし、侵入を防ぐための生け垣も十分とは言えなかった。
ラジコンを用意してしまえば、金網と生け垣の下をくぐって、レクサスの車体下まで爆弾を届けることは可能だったのだ。
でもそれをやると結構な事件だ。
社員が社長に恨みを持って毒を盛ったとしても、全国ニュースにはなるだろうが大騒ぎにはならない。2週間もすれば忘れられるような事件だ。
これが爆殺事件となるとそうはいかない。社長だけでなく運転手も巻き込むことになるし、場合によっては他にも巻き添えを食う人間が出るかも知れない。
警察も事件解決に躍起になるだろう。それは私の望むところではない。
まあ爆殺が半分冗談だったとしても、もっとスマートな方法は間違いなくあった。
ラジレスなんてまどろっこしいことせず、素直に致死毒をビールに混ぜたら良かったのだ。
社長が一番にビールを口にして、それを確認してから役員達がビールを飲むことなど容易に予想できた。
CILはそういう会社だ。
でも万が一はある。
役員達はしきたりに従ったとしても、内定者まで従うとは限らない。
巻き添えによる死者がでる可能性は十分あり得た。
それを仕方ない犠牲だと割り切ることも出来たが、無用に死者を増やさない方が良いのは間違いない。
変なこだわりのせいでいらない苦労を増やしたのは事実だ。
アイミクスとラジレスの組み合わせでは死に至らない可能性もあった訳だし。
ただ、今回についてはまず上手くいくだろうという確信があった。
殺し屋なんて名前だけ聞いたら派手そうだが、実際は地味な仕事だ。
念入りに対象を調査して、目的を達成する手段を計画し、実行する。それだけだ。
自分は特にこの仕事をする上での秀でた能力があるとは思っていない。
ただ唯一、他の人にない技能があるとすれば、死の量が分かることだろう。
どのくらいの衝撃で、あるいは薬物で、もしくは出血量で。
対象がどのラインを越えたら死に至るのか、おおよそ見極めることが出来た。
言ってしまえば勘なのだが、これまでこの勘を外したことはない。
その点、山辺社長が後一押しで死に至る脳卒中を発症するであろうことは見て取れた。
アイミクスとラジレスは、その最後の一押しを手伝っただけに過ぎない。
ここまでは殺害方法についての反省。
しかし本当に振り返りが必要なのは、警察が慈悲心鳥の情報を掴んでいたことだ。
そもそもラジレスを使っての殺害は、警察の捜査が自分にまで及ばないという前提があったからだ。
そしてその前提は、社員の怨恨により山辺社長が殺害されたという前提にのみ成り立つ。
その前提が破られた以上、自分に捜査の手が迫り、逮捕される可能性は十分にあった。
証拠もたくさん残してきてしまった。
落とし物として回収されただろうマスクはきちんと廃棄されただろうか。
社服だって、ただ普通に置いて返しただけだ。警察がその気になって調べたら、私の使った社服が見つかってしまうかも知れない。
何より、あの子が余計なことを言ってしまえば情報が漏れてしまう。
20代、女性。この程度の情報だけでも今後の活動に支障が出てしまう。
今のところ警察は情報を掴んでなさそうだが、捜査が進めばいずれ辿り着くだろう。
警視庁組織犯罪対策部の連中も気がかりだ。
彼らは殺害依頼のリストを手にしていた。それに慈悲心鳥と言う名を知っていた。
私を雇っている組織。
『翼の守』では、鳥の名前をコードネームとしている。
私は本来フリーなのだけど、毎回雇い主を変えるのが面倒で『翼の守』と長期契約を結んだ。その結果与えられたコードネームが慈悲心鳥だ。
この情報を知っている人間は限られるはず。
組織内部に、私の情報を売った不届き者が居る。
そればかりかそいつは、私も知らなかった殺害依頼者のリストを持っていた。
ほとぼりが冷めた頃に次長へと報告しておかないと。
――もちろん。次長が情報を売っていないという裏がとれてからだけど。
考えを巡らせていると、目の前から爽やかなライムの香りがした。
視線を落とすと、カウンターに銅製のカップが置かれていた。
炭酸が弾け、コップの縁に飾られたライムの香りが広がる。
「本当に、長丁場のようですね」
マスターが目の前で微笑み、レーズンバターの載った皿をカウンターに置いた。
「言ってくれたら良かったのに」
「真剣な様子でしたので。
どうぞ、長居して構いませんよ。今日はナンバー11の貸し切りですから」
「今日も、ね」
私の返した言葉にマスターは声を出して笑った。
「いつもはもう少し居るのですけどね。
ともかくごゆっくり。反省会の邪魔にならないよう奥に居ますから、用があれば声をかけて下さい」
「ありがとう。そうさせて貰います」
早速モスコミュールに口をつける。
ジンジャーエールのほんのりとした甘み。それにライムの爽やかな酸味と風味、口当たりの良いウォッカが組み合わさって、爽快感のある味わいだった。
見ていなかったが、ライムはジュースではなく果肉を搾ったようだ。
結局、こういう仕事をされてしまうから、私は習慣化したくないとか変な番号をつけられたとか文句を言いつつも、この店に何度も足を運んでしまうのかも知れない。
さて。
そんなことはさておき、今回の仕事はどうだっただろうか。
依頼を受けたあの日から遡って考えてみよう。
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