第32話 事情聴取:人事部長 松ヶ崎 陽一


◆ 事情聴取:人事部長 松ヶ崎まつがさき 陽一よういち 59歳 男性


 人事部長の松ヶ崎は会議室に入ると座っていた面々に対して一礼した。

 彼は清潔感があり服装も髪型もピシッとしているので見た目では年齢を感じさせなかった。

 動きも無駄がなく洗練されていて、椅子に腰を下ろすと小林の求めに応じて自己紹介を始めた。


「CIL人事部長を任されております、松ヶ崎陽一です。

 以前は大手化学メーカーに居ましたが、山辺さんに引き抜かれてこちらに来ました。

 もう25年ほど前になるでしょうか。

 当初は知財業務を担当していましたが、次第に人事を任されるようになりました。

 人事部長に就任してから15年ほどでしょうか」


「知財からどうして人事に異動となったのでしょうか?」小林が問う。


「25年前はまだCILは小さな会社で、人事部という部門がそもそも必要ないくらいでした。

 それが自分の入社した頃から会社が大きくなって人事部が必要となったのです。

 その時人事部の立ち上げに抜擢されました。

 大手での経験を買われたのだと思いますが、自分でも驚くことにこれがどうにも楽しい仕事でした。


 山辺さんからも信頼されているのだと感じました。

 CILは中途採用をほとんどとりません。

 新卒採用とその教育に会社の経営がかかっています。

 ですから新人をとても大切にします。その分プレッシャーもありますし、山辺さんからの要求も厳しい物があります。

 ですが意義のある仕事ですよ。

 今でも楽しんで取り組ませて頂いています」


 松ヶ崎は揚々と答えた。

 彼は心の底から人事部長という立場を楽しんでいる様子だった。


 小林は松ヶ崎へと今日の行動について尋ねる。


「では午前中、10時頃からどこで何をしていたのか教えて頂けますか」


「畏まりました。

 8時に既存社屋に出社しまして、しばらくはあちらで仕事をしていました。

 新社屋には11:00の定期便に乗って来ました」


「こちらに来るときは1人でしたか?」


「いえ、保守部門のリーダーと、サポートの社員と一緒でした。

 彼らと共に講堂に入って、内定式の準備をしました。

 プロジェクターや音響設備のセッティングは保守部門の方に任せて、自分は椅子を並べるのを手伝いました。

 ああ、こちらのサポートの社員も一緒でしたね」


「ちょっと待って下さい。

 人事部長が椅子を並べたのですか?」


 証言内容があまりに信じられなかったので小林は尋ねる。

 松ヶ崎は笑顔を見せた。


「自分も転職してきたばかりの頃は驚きました。

 CILは山辺さんのワンマン企業といって良いと思います。

 だからこそ、縦割りではない自由な組織運営が働いています。


 各社員の裁量も大きいです。それぞれがその時々で必要な仕事をします。

 手が必要ならば部長でも椅子を並べますし、研究成果が出せるのであれば入社1年目でも国際学会で発表出来ます。

 それがCILの強みです。


 大手メーカーに勤め続けていたら理解できなかったですよ。公務員の皆さんにはもっと理解が難しいと思います。

 ですがこういう会社だからこそ、自由闊達に研究を行い、自社で量産設備を持たずして、知的財産のみで黒字経営を続けられるのです。


 役職などと言う下らないものに縛られて、仕事の範囲を狭めるなんてバカげてますよ」


 彼の言葉通り、警察組織の人間である小林や大森にとってCILの自由さは理解が難しかった。

 部長という役員クラスまで出世しておいて、講堂の椅子並べという仕事に喜んで手を貸すなんて考えられないことだ。

 だがそれを松ヶ崎は普通のことだと振る舞う。

 実際、CILはその自由さと、山辺社長という得意な才能を持つ人間が組み合わさったことで、化学・医薬品の材料開発において重要な特許を取得し利益を生み出し続けてきた。


 小林はCILについての話はそこで終わりにして、松ヶ崎の行動についての確認を進める。


「椅子を並べた後はどちらに?」


「昼までは講堂に居ました。

 12時に食堂へ。山辺さんと昼食を一緒にとる予定でした。内定式の準備について気になっていたようです。あの人は新入社員が大好きですから。

 鈴木さんと、営業部の幹さんも一緒でした。もちろん平佐さんも」


「食事の後はどうしました?」


「サポートの社長と健康診断について打ち合わせを。

 13時過ぎくらいまで1階で話して、それから産業医室へ向かいました」


 小林は社内の見取り図を確認した。

 産業医室は4階。内定者が使ったトイレなどがある区画の奥にあった。


 そこで大森が質問を投げる。


「産業医室へ行った正確な時刻は分かるか?」


「13:20くらいだったと記憶しています。正確と保証は出来かねますが」


「その時産業医室近くで誰かと出会わなかったか?」


「柳沢さんと会いました。会ったと言うより見かけた程度ですが。

 化学合成班の女性社員です。入社4年目なのでCILでは中堅となります。

 リチウムイオン電池の正極材料合成で、突出はしませんが面白い成果を出しているようです。リン酸鉄関係の特許を多く出していますね。新人教育に熱心で、頼りになる存在ですよ」


 松ヶ崎は社員1人1人について詳細を把握している様子だった。

 大森は問いを重ねる。


「その柳沢という社員はどこに向かっていただろうか」


「論文保管庫に入っていきましたね」


「彼女の見た目の特徴は?」


「つり目気味で、髪は長くありませんが後ろで1つ結んでいました。合成室に入るのに帽子を被らないといけませんから」


「マスクはつけていたか?」


「つけていました。

 化学合成室で使用する防塵マスクです」


「彼女が論文保管庫から出るところを見たか?」


「見ていません。

 自分も直ぐに産業医室に入りましたから」


 大森は「そうか」と頷いて質問を打ち切る。

 小林は聴取の進行を引き継いで先へ進める。


「いつ頃まで産業医室に居ましたか?」


「14:30より前です。

 14:30から研修室で内定者向けの社長講話がありました。

 なのでサポートの社長と一緒に研修室へ行きました。


 そこで佐藤さんから内定者が無事に全員集まったと報告を受けています。

 それから講話を聞きました。

 講話の内容は事前に平佐さんがチェックしていますが、念のため役員の誰かが聞いておかないと、変なことを言っている可能性がありますからね。

 講話が終わって内定者が社内見学に向かった後は、講堂で内定式の準備を進めました」


「内定式にはそのまま参加したということで間違いありませんか」


「ええ。

 内定式では司会を任されていました。

 その後の社長談話にも参加しました。一応人事部長として、内定者がどう言った興味を持っているのか知っておきたかったので。

 その後の既存社員との談話には参加していません。

 ああいった場は、役員など居ない方が自由に発言出来るでしょうから」


「その間はなにを?」


「特に急ぎの仕事もないので、食堂で懇親会の準備を手伝っていました。

 司会を任されていましてね。つまり懇親会の開催に責任があったのです。

 と言いましてもプレゼンをするわけでもないですから、ステージの配置とマイクの確認をした程度で、後は続々とやってくる社員達へ、食堂の後ろのほうに固まらず前の方へと来るよう訴えていました。

 言えば聞いてくれますよ。別にステージ近くに来たところで、取って食われるわけではないですから」


「社員はいつ頃から集まっていましたか?」


「自分が食堂に入った頃には十数名くらいは来ていましたし、16:45を越えた辺りからはそれはもう続々と。

 既存社屋の社員は早めに来る傾向がありますね。

 逆に新社屋の社員はギリギリに集まる人が多いです」


「では懇親会について教えて下さい」


「山辺さんと平佐さんがやって来たのが17時過ぎでした。

 社外役員の方も集まっていたので、懇親会の開始を告げました。

 それから乾杯の挨拶を幹さんに頼みました」


「以前は乾杯の挨拶もしていたそうですね。

 どうして営業部長へとその役目を譲ったのですか?」


「自分が挨拶するとどうにも堅苦しくなってしまいますから。

 それに幹さんは声がよく通りますし、お酒好きで乾杯の挨拶にはぴったりだと思いまして。

 彼が営業部長になったとき、これからは乾杯の挨拶をしてくれと頼みました」


「それは山辺社長とも相談して決めました?」


「ええ。食事の席で軽く触れた程度ですが。

 山辺さんもそれが良いと賛同してくれました。

 2年程前です。その時から既に幹さんは山辺さんに気にいられていました。

 彼は元々社内設備の保守点検をしていましたが、それが転じて山辺さんの自宅の庭や、社員寮のリフォームなどもやるようになりまして、それですっかり気にいられたようです」


「そう言った人が営業部長となるのに抵抗はありませんでしたか?」


 小林が問うと、松ヶ崎は明確にかぶりを振った。


「ありません。

 確かに彼は研究職ではありませんでしたが、営業部には技術や知財部門出身の人間も居ます。

 必ずしも部長が技術に詳しい必要はありません。むしろ難しい技術を素人にもわかりやすく説明するのだから、当人が素人の立場の方が、どのように説明したら技術を伝えられるのかがよく分かると思いませんか?


 それにあの人は、山辺さんからの不明瞭な要求を、社員が実行可能な状態まで落とし込み調整する能力がありました。

 技術に疎い点は否めませんが、CILで部長を任せるのに彼以上の適任は居ないでしょう。

 実際彼は立ち上げられたばかりの営業部を率いて、CILでは未開であった分野で奮闘しています」


「ですが結果は出ていないようですね」


「2,3年でそれを判断するのは早計でしょう。

 事実現在の営業部は目に見える収益という形では結果を出していません。

 ですがCILの知名度を上げ、CILの持つ特許群について周知してきた彼の仕事は、10年後20年後、CILがより大きな組織になる時に必ず役立つでしょう」


 松ヶ崎は現時点では全く利益を出していない幹に対してもかなり好意的な評価をしているようだった。

 小林は更に問う。


「任命はあなたが行いましたか?」


「いいえ。役員クラスについては山辺さんが決めていました。

 ワンマン企業ですからね。

 それに山辺さんは人を見る目があると思います。役員クラスの采配について、現状特段間違いはありません。組織は上手く動いています」


 回答を受けて、小林は「話が逸れましたね」と謝って、懇親会についての話題に戻す。


「懇親会ではどちらに居ましたか?」


「幹さんに挨拶を引き継いだ後は役員の列に居ました」


「一升瓶ビールについてはご存知でしたか?」


「毎回買うので知っていました。

 自分も普段はお酒を飲まないのですが、半年に1度だけ飲ませて頂いています」


「ということは今年も飲みましたか?」


「はい。飲みました。

 薬が盛られていたようですが、今のところ体調に変化はありません」


 松ヶ崎は年齢の割に健康体のようで、薬品の投与を受けても平気な様子だった。


「山辺社長が倒れたときも役員席に居ましたか?」


「はい。その時は鈴木さんと顧問の先生と話していました。

 社長がゆっくり座り込むのを見ましたが、平佐さんと佐藤さんが上手く対応してくれていました。

 自分は社員達に落ち着くよう呼びかけました。

 山辺さんが搬送された後は、近くに居た人を除いては退出するように指示しました。

 それから、内定者の天野さんが体調を崩し、連鎖するように何人かが体調不良を訴え始めたのを覚えています。

 彼らがステージ近くに居た――一升瓶ビールを飲んだ人物だと気がつきまして、警察への連絡を決めました。

 実際に電話したのは平佐さんです」


 松ヶ崎の証言が終わる。

 彼には10時から15時までのアリバイがあり、食堂倉庫に侵入したとは考えがたかった。

 小林は念のため動機についての確認を行う。


「山辺社長に対して恨むようなことはありましたか?」


「ありませんね。

 ワンマンで自分勝手な指示もありますが、大手メーカーのダメな役員に比べたらずっと良心的です」


「社長が亡くなった場合、次の社長はあなたになる可能性があるそうですが」


「誰がそのような話を?

 残念ながら自分には研究開発の方針決定が出来ません。それはCILを率いるのに絶対に必要な能力です。

 次期社長は米山さんが相応しいでしょう。もちろん、経営や人事面ではサポートを惜しみません」


「米山さんが社長でCILはやっていけますか?」


「まだなんとも言えません。

 山辺さんと言う原動力があったおかげでCILが研究開発のみでやってこられたのは紛れもない事実です。

 それがなくなったのですから、技術提携先を見つけて委託開発するなど方針転換も必要でしょう。

 会社の構造も作り直さないといけません。

 強力なカリスマを失った以上、役員がそれぞれの担当範囲について強い権限を持つ、普通の会社にしていく他ないでしょう。

 それはCILの強みを削るでしょうが、生き残るために必要なことです」


 松ヶ崎は山辺社長を失いCILの今後について考えているようだが、それはまだ明確な方針が固まったわけでなく、突然の出来事に対してなんとか打開策を模索している最中と言った様子だった。


「では山辺社長に対して強い恨みを持つ社員は居ましたか?」


「心当たりはありません。

 役員に対しては厳しい言葉を使いますが、社員に対してそのようなことをしない人でした。

 役員は役員同士結束していました。我々の中で山辺さんを殺そうなどと考える人間は居なかったはずです。

 社長対その他社員という構図は、役員以下社員全員を結束させ、CILが成果を出す大きな原動力となっていました。

 それは山辺さん自身も理解されていたと感じます。あの人は意図して悪役を買って出ていたのです。――これは自分の勝手な想像ですが。

 ともかく、このような状況で山辺さんを排除する理由はありません」


 松ヶ崎はそう断言した。

 それから彼は続ける。


「もしそちらの方がおっしゃる殺し屋説が事実でしたら、特許係争中の大学関係が最も怪しいです。

 医薬品の合成プロセス特許でして、医薬品そのものではなく合成手法の中間パラメーターを抑えているので非常に強力です。

 量産メーカーへと技術供与して成果を上げたい大学としては目の上のたんこぶでしょう。

 こちらの無効審判が控えていますが、大方CILの権利が認められるだろうとの見通しです。

 山辺さんが居なくなったところで判決に影響はないでしょうが、だからこそ彼らが恨みを抱えていたとも考えられます」


 大森は話しかけられると頷き、問いを返す。


「医薬品ではなく食品事業ではどうだろうか」


 松ヶ崎は首をかしげる。


「食品事業?

 そちらではありえないです。量産の目処も未だに立っていない、ようやく実験室レベルの結果が出た程度の事業です。

 特許も出してはいますが、アイデア特許やかさ増しばかりで価値は低いです。

 食品事業の特許はまだ戦える状況ではありません。

 それを理由に殺されるはずはないでしょう」


 大森は納得しないが理解はしたという風で、顔をしかめて頷くと別の質問を切り出す。


「内定者の面接には同席しただろうか」


「無論です。自分が直接面接官を担当しました。

 全員と顔を合わせています。

 特に修士や博士とは長く時間をとりました。

 ――別人が紛れ込む可能性を考えているようですが、紛れていても気がつくと思います」


「では高卒や高専卒についてはどうだろうか」


 松ヶ崎は小さく頷く。


「確かに、そちらは修士ほど時間をかけていません。

 ただ全員と1度は直接面接しています。

 全く知らない人物が紛れていたのなら気がつくでしょう」


 松ヶ崎が答えると、大森は「結構」と質問を打ち切った。

 それから小林が何か伝えておきたいことがないか確認し、特になかったので事情聴取は終了した。


 小林から松ヶ崎へと、明日の業務についての確認がなされる。

 警察側から4階食堂はもちろん、4階全域について社員を立ち入り禁止にして現場を保存して欲しいと要望がなされる。

 松ヶ崎は捜査には全面的に協力すると、1週間の期限をつけるものの4階の封鎖に合意した。


 松ヶ崎が退室した後、小林と大森は言葉を交わす。


「証言を聞けば聞くほど、害者が社員に殺される理由が分からなくなります」


「ならば殺し屋がいたと考えれば良いだろう」


「残念ですが、我々は存在のあやふやな殺し屋を信じられる段階にありません。

 内部犯の可能性からもうしばらく探ってみます」


「そうしてくれ。

 そちらの可能性を探って貰えるなら、こちらは外部犯の捜査に集中できる」


 2人が話していると、会議室の扉が叩かれた。

 入室を許可すると、小林の部下の1人がやってきて報告する。


「産業医の笠島が戻ってきました。

 一度病院へ行った天野も一緒です。

 少しでしたら2人から話を聞けますがどうしますか?」


 小林と大森は顔を見合わせ、それから頷いた。


「話を聞きましょう。どちらに居ますか?」


「今正面玄関に。笠島はこれから天野をホテルまで送り届けるようです」


「では赴こう」


 大森が立ち上がると、小林以下会議室に居た面々も席を立ち、正面玄関へと向かった。



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