第31話 事情聴取:人事部 佐藤 亜美奈


◆ 事情聴取:人事部 佐藤さとう 亜美奈あみな 25歳 女性


 佐藤は平均的な背丈で、髪をボブカットにした若々しい雰囲気のある女性だった。

 ほんのりと化粧をしているのもあって顔色も良く、秘書の平佐ほどではないが顔立ちも整っていた。

 反面、事情聴取に対して緊張しているようで表情は堅い。


 彼女は促されると席に腰掛けて自己消化した。


「佐藤亜美菜です。

 ええと、入社3年目です。

 仕事は研修担当で、鈴木リーダの部下ということになります。

 今日は内定式の付き添いをしていました」


 佐藤の言葉を受けて、小林が順を追って問いかけていく。


「午前中はどちらにいましたか?」


「既存社屋に。――人事部の事務室が向こうなんです。

 会社説明会の資料を作成していました。来年の採用に向けて」


「昼食はどちらで?」


「既存社屋の食堂です。

 その、内定者が来る頃に、鈴木さんから連絡がある予定でした」


「実際連絡は来ましたか?」


「事務室に電話がありました。

 それで、13:40の定期便に乗ってこっちに来たんです」


「新社屋には何時につきましたか?」


「詳しい時刻は分からないです。

 でも昼過ぎの渋滞にあって、ちょっと時間はかかりました。でも10分はかからなかったと思いますよ」


 詳しい時刻は分からなかったが、小林は話を進めさせる。


「社員玄関から、真っ直ぐ研修室に向かったんです。

 丁度エレベーターに乗るところで鈴木さんと会いました。

 もう最初の内定者が研修室に来てると聞いて――あ、それから、内定者がお手洗いに行っているとも。

 それで4階に上がって、研修室に向かう途中、管理ゲートのところで岩垣さんと会いました。

 彼女もお手洗いに向かったので、私はそこで待っていました」


 管理ゲートの話が出たところで、大森が発言する。


「管理ゲートで待つ間、内定者が食堂の倉庫へと向かわなかったか?」


「向かわなかった、ですよ。

 スーツ姿は目立ちますから、見落とす訳ありません」


「ではトイレ側から食堂側へ向かう社員はいなかったか?」


「1人通りました。

 ただ産業医室や資料保管庫があるので、別に珍しくもないですよ」


「その社員は食堂倉庫に入らなかったか?」


 大森は4階の見取り図を示して問いかける。

 4階研修室側の管理ゲートから、食堂倉庫までは真っ直ぐな廊下だ。

 佐藤が管理ゲートの元に立っていれば、食堂倉庫に入る人物を目撃していたのではないかと考えたのだ。

 だが佐藤はかぶりを振った。


「入ってない、とは言い切れないです。

 この見取り図は新人向けに配ってる資料で、縮尺が結構適当なんです。

 実際見て貰ったら分かると思うんですけど、管理ゲートから食堂倉庫までは結構距離があります。

 なので、その、廊下の向こう側で誰かが倉庫に入ったとしても、気がつきません」


 佐藤の言葉が本当かどうかは検証が必要だろうが、少なくとも彼女が食堂倉庫に入る人物を見ていないのは間違いなさそうだった。

 大森は別の問いを口にする。


「ではトイレ側から出てきた社員が誰だかは分かりますか?」


「うーん……。分からないです。

 マスクをしていたので、合成関係の社員だと思います。

 あと、女性でした。それ以上のことは分かりません」


 佐藤は人物の特定は出来ないと頭を下げた。

 それでも大森は、少しでも情報を得るために問いを重ねる。


「マスクをつけた社員は珍しくないのか?」


「はい。合成室ではマスクをしないといけないので、入る人はみんなしています。

 外すのが面倒なので、つけたままの人も多いです」


「合成室に入る女性も珍しくないか」


「材料系の合成は女性社員の方が多いです。

 そういう意味で言うと、マスクつけたままの人は女性が多いです。

 ――その、合成室は化粧厳禁なので、皆さん、顔を隠したいんだと思います」


 佐藤が見たと言う女性社員を特定するのは骨が折れそうだ。

 大森は合成室に関係する全員に対して聞き込みする覚悟を決めて、佐藤に話を先へ進めるよう促した。


「それからは岩垣さんが先に戻ってきました。

 岩垣さんが先にお手洗いに行った社員がまだいたと言うので、しばらく待ってました。

 宮本さんが戻ってきてから、一緒に研修室へと戻ったんです」


「岩垣を通している間に、宮本がすり抜けるようなことはなかったか?

 例えば、十字路をトイレ側から図書室側へ抜けたりは?」


「ないです。

 岩垣さんと話してる最中も、お手洗いの方を気にしていたので、誰か通れば分かります」


「そうか。

 岩垣が通ってから、宮本が通るまでには時間があったのか?」


「そうですね。数分かかったと思います。

 ――そうです。宮本さん、体調が悪そうでした。お腹を壊したようで。

 産業医室で休むか提案したけど、大丈夫とのことでした」


 宮本が緊張すると腹痛を催すことは確認済みだ。

 岩垣より先に入って、後から出てきたのもその辺りが理由だろう。

 それでも大森は、どうにも宮本が気になった。

 研修室に辿り着き、真っ先にトイレへと駆け込んだ彼女。彼女は本当に、ずっとトイレにいたのだろうか?

 岩垣の証言もあるが、トイレの扉と鍵に細工するくらいなら、やろうと思えば可能だっただろう。


 大森が悩んでいると、小林が話しを進めても良いかと目線を向ける。

 大森は小林に聴取を任せる前に尋ねる。


「社員がトイレ側から食堂側へ向かった後、逆にトイレ側へと向かった社員は居なかったか?」


「ええと……そういえば1人居ました」


「それは出て行った社員と同一人物か?」


「いえ。その図書室側から横切ったので、一瞬で顔は見れませんでした。

 女性だったとは思いますけど、マスクはしてなかったかな? 髪型も違ったような……ごめんなさい。本当に一瞬で、それ以上のことは分かりません」


「些細な情報でも何か思い出したら教えて欲しい」


 大森の言葉に佐藤は頷いた。

 小林は大森の質問が終わると聴取の進行を再開した。


「ではその後について話して下さい」


「はい。ええと、内定者が続々とやって来ました。

 資料を渡して、今日の流れを説明したんです。

 14:20には全員集まりましたね。

 そこから先は、説明を鈴木さんに任せて、私はサポートに回りました。まだまだ半人前なんです」


 言葉を句切った彼女に対して、小林が問いかける。


「内定者にはずっと付き添っていました?」


「はい。懇親会が始まるまではずっと内定者と一緒にいました。

 もちろん鈴木さんも一緒ですが、20名程度いるので1人で全員見るのは大変です」


 佐藤は言葉を句切ると、遠慮がちに言った。


「それに、その、私の方が内定者さんと歳が近いので、気軽に話しかけられるかなと。

 鈴木さんはああいう人なので、声をかけるには勇気がいるんです」


「実際、話しかけられましたか?」


「はい。福利厚生についていろいろと質問を受けました」


 佐藤は内定者と親身に話していたようだった。

 それから懇親会についての話になる。


「懇親会の時刻に、内定者を案内して食堂へ向かいました。

 整列して少しすると鈴木さんがお茶をとりにいきました」


「彼女に変わった動きはありませんでしたか?」


「なかったです。

 テキパキしていましたよ。お茶を1本持ってきて、机に置いただけです。

 一升瓶ビールが同じ机に置かれてましたけど、手は触れてなかったですよ」


「では乾杯の準備中は何をしていました?」


「鈴木さんからお茶を貰いました。

 ビールは飲めますが、内定者を見送る仕事も残っているので控えました」


「乾杯した後はどちらにいましたか?」


「ステージの近くで、内定者と話していました。

 山辺社長が倒れるまでずっとです」


「その山辺社長は近くにいましたか?」


「近く、でした。

 テーブルを挟んで向こう側で、豊福さんと天野さんと話していました。

 なので倒れるところも近くで見ていました。

 倒れて直ぐに、秘書の平佐さんと初期対応にあたりました」


「初期対応とは具体的には?」


「私は産業医を呼びに行きました。

 4階の産業医室で、今日も出社している予定だったので」


「産業医はずっと同じ人でしょうか?」


 佐藤はその問いかけには即答せず、下唇に指先をあてて思案した後答えた。


「ずっとがどれくらいにもよるんですけど、10年くらい前から変わってないと聞いた覚えがあります。

 笠島恵子先生です」


「産業医を呼んだ後は?」


「笠島先生の指示に従って、山辺社長を助けようとしたんですけど……ダメでした。

 それからは松ヶ崎さんが警察を呼んで、私も――というより鈴木さんと一緒に、いろいろ聞かれました」


 佐藤の行動について確認を終えると、小林は動機について探りを入れた。


「人事部の中に、山辺社長に対して恨みを持つ人物はいましたか?」


 それには佐藤も即座にかぶりを振る。


「いないです。

 たまに変な指示を出す人なので、何かしら思う人はいたとは思います。

 でも殺してしまいたいと思うような人は居なかったはずです。


 役員には厳しいことを言いますけど、一般社員に対して怒鳴ったりしません。

 無茶な仕事として降りかかってくることはあります。

 でもそれって、会社勤めしていたら誰しも経験することだと思います。

 私はCILにしか勤めていないので断言できないですけど、どうなんでしょう?」


 問いかけられて、小林と大森はちらと視線を交わした。

 当然、警察組織にも現場を無視した指示を出してくる上司というのは存在したし、それに従うのが下の人間の務めだと尽くしてきた。

 そして当然、そんな社会生活の中で当然起こり得る事象に対して、上司を殺してやろうなどという方法で問題解決を図る人間はごく少数だ。


 上司の態度が度を過ぎていれば殺害という結果に至ることもあるが、少なくともこれまで聴取を進めた中では、山辺社長の叱責というのは殺害に至るまでの一線を越えてはいないように思えた。


 小林が肩をすくめると、大森が佐藤へと問いかける。


「確認なのだが、新入社員の面接には立ち会ったか?」


「いい、立ち会いはしてないです。

 ただ社内案内で付き添ったことは何度かありました」


「面接時の学生の顔を覚えているか?」


「……ごめんなさい。あまり覚えていないです」


 佐藤の聴取は終わった。

 最後に大森は彼女に対して、食堂の壁に貼りだしていた内定者紹介のデータを用意して欲しいと要求して、彼女はそれを了承した。


 退室した彼女を見送り、小林と大森は言葉を交わす。


「佐藤に犯行は難しそうですね」小林が呟く。


「可能性もなくはないが、難しいだろうな」


「それに、岩垣と宮本がトイレを抜け出して倉庫に行った可能性も無くなりました」


 大森はかぶりをふった。


「いや。可能性はある。

 佐藤はトイレ側から食堂倉庫へと向かう社員を見ている。

 社服とマスクがあれば、佐藤の目を誤魔化せた」


「トイレで着替えてですか?

 だとしたらその社服はどこへ行ったんでしょう。

 内定者に対しては荷物検査を行いましたが、社服もマスクも出てきていません」


「そこが問題だな」


 大森は呟き、それから会議室にかけられた時計を見た。

 既に結構な時間が経っている。

 まずは聴取を終わらせてしまおうと切り出す。


「先に必要な話を聞こう。

 最後は人事部長の松ヶ崎だな」


「そうですね。では松ヶ崎を」


 小林の部下が松ヶ崎を呼びに行く。

 人事部長の彼は、社内事情について最も詳しいだろう。

 山辺社長殺害の動機について彼は何か知っているかも知れない。



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