第30話 事情聴取:人事部 鈴木 茉莉子
◆ 事情聴取:人事部
「人事部リーダーの鈴木茉莉子です。CILは入社10年目。
仕事としては新入社員対応が中心です。
採用は勿論、社員研修も私の担当です。
どうぞよろしくお願いします。何でも聞いて下さい」
鈴木ははきはきと明るい調子で自己紹介を済ませると、意気揚々と椅子に腰掛けた。
どうにも彼女は事情聴取に対して臆するどころか、楽しんでいるようですらあった。
それは声の調子にも、表情の明るさにも表れている。
見かけは女性としては長身だが美人という訳ではない。
髪は首元で揃えていて、化粧をしていないのもあって年齢相応の老け加減だった。
「では今日10時頃から何処で何をしていたのか説明いただけますか?」
小林が問うと、鈴木は目を輝かせた。
「10時が犯行時刻と言うことですか?」
「質問に答えて下さい」
小林が言うと、鈴木は平謝りして回答した。
「10時でしたら向こう――既存社屋で仕事をしていました。
事務室があちらにあるので、8時半に出社してしばらくは向こうに居ました。
こちらの社屋には、11:40の社内往復便に乗ってきました。
内定者向けの資料を運ぶので、車を使ったんですよ」
「既存社屋までは距離がありますか?」
「渋滞していなければ2分位です。歩いても10分かかりませんよ。
ただ情報漏洩を心配して、実験サンプルや社外秘資料を運ぶ時には車を使います。
一応、内定者向け資料は社外秘です。CILの経営状況とか書いてありますから」
「その社内往復便は時間が決まっていますか?」
「各棟を20分ごとに出発します。
例えば、11:20に新社屋から既存社屋へ向かったら、次は11:40に既存社屋から新社屋へ向かうと言った具合です。
運転するのは定年退職した社員さんです。車両はごく普通のアルファードですよ。
11:40既存社屋発は、午前中の最終便でした」
「では42、3分にはこちらに到着したわけですね。
その後はどうしました?」
「研修室に資料を運びこんで、机の上に並べました」
「研修室は4階ですね。
玄関はどちらを使用しました?」
「社員用玄関です。
そこから西側エレベーターで4階を使いました」
「研修室で資料を並べて、その後は?」
「12時の鐘が鳴ってすぐ食堂へ行きました。
もう社員が列をなしてましたね。
それで、松ヶ崎さんが居たので、声をかけて一緒に昼食をとりました。
社長と幹さんも一緒でした。もちろん秘書の平佐さんも」
「社長と一緒の昼食は嫌ではありませんか?」
「嫌、ですか? そうは思いません。楽しいですよ」
鈴木は社長との食事に対して微塵もきまり悪さを感じないようだった。
ただそれは、これまでの彼女の話しぶりを見れば納得出来た。鈴木はそういう人間なのだ。
「それに社長も内定者の話を楽しみにしていました。
それで盛り上がって、食堂を出たのは12:40過ぎでした。
そのまま研修室へ、内定者用の水を運び込みました」
「水はどちらに?」
「売店の冷蔵庫です。
サポートに事前に伝えてあったので、販売用とは別に用意されてました。
私と佐藤さんと、講演者向けも含めて26本です。
段ボールに入っていたので抱えて運びましたよ」
「26本となると、結構重くないですか?」
「1本500mlとして、おおよそ13キロくらいですね。
余裕ですよ、鍛えているので!」
鈴木は腕を見せようとしたが、社服の袖をまくり上げるのに失敗すると「登山が趣味なんです」と笑った。
「水を並べ終わった後も、しばらく研修室に居ました。
後方に社員用の席を用意したり、プレゼン用の資料を研修室のPCから開けるか確認して、プロジェクターとか音響の設定をしました。
それから小田原さんから電話がありました。13:20過ぎだったかな?
学生がバスに乗った連絡を頂いたんです」
「電話はどちらに?」
「人事部で管理している社用携帯に。
今は松ヶ崎さんが持ってます」
鈴木は今は持っていないと両手を広げて見せる。
「それから研修室の電話で既存社屋に連絡しました。
佐藤さんに、内定者が来るから新社屋に来るよう伝えたんです」
「連絡した後は研修室で待たなかった?」
「はい。正門前で内定者が来るのを待ちました。
最初に学生が来たのは、13:40くらいでした」
「最初のバスに乗ってきた内定者は覚えていますか?」
「もちろん。
豊福さん、天野さん、岩垣さん、宮本さんの4人です」
内定者の名前が出ると、大森が小さく挙手して問いかける。
「その4人とは面接時も会っているか?」
「会ってます。
正門で出迎えて面接の待合室まで案内したのも私です」
「4人は面接時と同じ人物か?」
「当然です。全員と顔をあわせていますから。
4,5ヶ月前なので細かい見た目は変わりますけど、話し方とかはそのままでした」
大森は「そうか」と頷いて続きを促す。
鈴木は話を進めた。
「4人を研修室へ案内しました。今度は来客用の正面玄関を使いましたよ。大切なお客様ですから。
私は次の学生を待つために正門へ戻りました」
「その間は研修室に学生だけだった訳だな?」大森が問う。
「いいえ、直ぐ佐藤さんが来ました。
丁度エレベーターで1階に降りたところで会いました。
それで研修室にもう4人ほど内定者がいることと、1人お手洗いに行っていることを伝えました」
「トイレに行ったのは宮本で間違いないか?」
「そうです」
鈴木は2つ返事で返し、そのまま話を続ける。
「それからも正門前で、バスが来る度に内定者が降りるか確認して、来たら研修室まで案内しました。
集合時刻の14:20には全員到着しました。
遠くから来る人が乗り換えを間違えたり、飛行機の欠便があったりすると遅れたり来られないこともあるんですけどね。
今年は問題こそあれ、内定者の方で上手く対応してくれたので無事に全員間に合いました。
――もちろん、皆さん面接の時と一緒の人ですよ。
人事部として、しっかり入社する人は選んでいますから」
大森は鈴木の言葉に不服そうな態度を見せたが、なにも言わず、小林に聴取の進行を任せた。
小林は尋ねる。
「内定者が揃った後はどうしました?」
「ずっと内定者と一緒に居ました。
佐藤さんと一緒に講話や内定式に付き添っています。懇親会の始まる17:00過ぎまでずっと一緒です」
「休憩時間などあったでしょう?
内定者が研修室から食堂側に行くようなことはありませんでしたか?」
「ないですよ。
お手洗いに行くときは、管理ゲートの前で待っていました。
スーツ姿のまま食堂側へ向かえば目立ちますから、絶対に見落としません」
鈴木がそう言い切ると、大森が再度手を上げて問いかける。
「社内見学では内定者が1階展示室から自由に出入り出来たと聞いている」
「はい。内定式の間、トイレにいけないので今のうちに言っておくようにと伝えました」
「誰が展示室から出たか把握しているか?」
「してないですね。
展示室からトイレは直ぐですし、迷うこともありませんから。
でも行方不明者は出てません。15:20に内定式に向かうときには全員揃っていましたよ」
鈴木はいたずらっぽく笑って茶化すように言った。
大森は「結構」と短く返し、話を続けるように促す。
「社長、社員との談話会を終えて、懇親会準備が整った段階で、内定者を連れて食堂に入りました。
食堂にステージが用意されていて、その右側――食堂入り口から見て右側ですよ。そこに内定者を案内して整列して頂きました」
「ステージ前のテーブルに一升瓶が運ばれてくるのは見ました?」小林が尋ねる。
「見ましたよ。
内定者の整列が終わった頃に持ってきました。
地元の会社が作ってる珍しいビールなので内定者にも紹介しました。
それで、机の上にお茶がないのに気がついたので貰ってきました。
未成年者も居ますし、全員がお酒を飲むわけでもないですからね。私も飲みません」
「お茶はどちらから持ってきました?」
「飲み物は食堂入り口近くに用意されていました。
そこからペットボトル1本拝借して、テーブルに運びました」
「その時、一升瓶の栓は開いていましたか?」
「開いていましたね。
でも薬を入れたりしませんでしたよ。
もし入れていれば誰かが気がついたと思います。
ステージ前に社長、役員、内定者が既に並んでいましたから、社員の皆さんも前の方に注目していました」
鈴木の言葉に、小林もそうだろうなと頷く。
「では乾杯の準備の時は何をしていましたか?」
「お茶を配っていました。
机の上に紙コップが用意されていたので、それにお茶を注ぎまくって内定者に渡していました。
未成年者にお酒を飲まれたりしたら大変ですから、積極的に配りました」
小林の脳裏に、嬉々としてお茶を配りまくる鈴木の姿が浮かんだ。
「その時ビールの方は見ていましたか?」
「はい。高校生や高専生がビールを受け取りに行かないか目を光らせてました。
でもそう言った人は居なかったです。
それと、ビールはしばらく米山さんが注いでいましたけど、例えば一升瓶に何かを入れるような変な動きはしていませんでした」
鈴木は小林の質問の先を読んで回答する。
小林はそれに満足して話を次へと進める。
「乾杯の後はどちらに?」
「内定者を何人か引き連れてマグロをとりに行きました。
ご覧になったかと思いますけど、毎回マグロを1匹買い付けているんです。
それを目の前で捌いてお寿司にしてくれます。
懇親会で一番人気のメニューです。
人気過ぎて、社員が占拠してしまうんですよ。
――でも内定者のための懇親会なので、私は人事部として社員に睨みをきかせていました。
人事部の特権と言いますか、内定者のための懇親会ですよと伝えれば道を開けて貰えますから、内定者を最前列に押し込んだついでに、おこぼれに預かりました。
役得ってやつです」
小林はそんな行動も鈴木らしいと内心で苦笑した。
鈴木は続ける。
「紙皿にお寿司をいっぱいに貰って、松ヶ崎さんのところへ向かいました。
役員さんと話していて食事も出来て居なさそうだったので。
それに、流石に1人でお寿司を食べるのは気が引けるじゃないですか」
「内定者とは一緒に居なかったのですね」
「内定者同士で話したいこともあるでしょうし、なにより人事部以外の社員とも接点を持って欲しいですから。
私が一緒だと、他の社員さんが寄ってこないんですよ。
丁度小田原さんがこちらを見ているのに気がつきました。
あの人は高校卒業枠で採用してまして、同じ高校枠の宮本さんを気にかけてくれていました」
「実際、小田原は宮本の元へ行きましたか?」
「はい。それはもう吸い込まれるように」
鈴木の証言は、岩垣、宮本、小田原の証言と一致していた。
懇親会中の彼女たちの行動は証言通りとみて間違いないだろう。
「では山辺社長が倒れたときはどちらにいましたか?」
「松ヶ崎さんと一緒に、ステージ左側のテーブルに居ました。
私たちは少し気がつくのが遅れました。
ただ秘書の平佐さんと佐藤さんが直ぐに行動をとってくれたようです。
笠島さん――産業医の先生です――も、対応に当たってくれていました。
わたしは社員や内定者に、慌てずあまり騒ぎ立てないようにと声をかけて回りました。
何人かは呆然としていましたね」
鈴木は一呼吸置くと、話を続ける。
「社長が救急隊に運び出された後、内定者の天野さんが座り込んだんです。
天野さんは社長が倒れるのを間近で見ていたので、ショックを受けたのかと思ったんですけど、それにしては顔色があまりに青白いですし、意識も朦朧としていました。
楽な姿勢をとらせると回復しましたけど、やっぱり体調が悪そうでした。
それで毒が盛られていたのではないかと松ヶ崎さんが判断して、警察に連絡しました。実際電話したのは平佐さんでしたね」
鈴木はことの顛末を話し終わると、「私から説明できるのは以上です。何か質問はありますか?」と逆に問いかける。
早速小林は問いかけた。
「今の仕事について不満はありませんでしたか?」
「全くありません。
社長からリクルート活動でいろいろと無茶を言われることもありますけど、それはきっとどこの会社でもあることです。
CILはワンマンで社長が我が儘言いがちな会社ではありますけど、その分社員1人1人の裁量は大きいです。
中途採用社をほとんどとらないので、毎年新人を採用し、その新人が研究者として育っていく姿を見るのが楽しいです。
山辺社長でなければこんな仕事は任せて貰えなかったです。
私は今の仕事が天職だと思っていますよ」
鈴木は全く淀みなく小林を真っ直ぐに見据えて言い切った。
これまでの彼女の態度からも、彼女自身が今の仕事を大変に楽しんでいる様は伝わっていた。
小林が頷くと、今度は大森が問いかける。
「内定者の中に不審な動きをする人物はいなかったか?」
「学生としてではなく、内定者として会社に招かれたのは初めてですから、緊張している人も居ましたね。
それでも不審とまで行くような人物はいませんでした」
「キョロキョロ周りを見渡すようなこともなかったか?」
「なかったですね。
――内定者を疑っていますか?
社長を殺すために入社試験を受けたと? それってどんな理由でしょうか?
来年度4月から入社するのに。
もし犯人がいたとしたら、内定辞退するかも知れないってことですよね?」
そうなったら仕事が増えるわと、冗談めいて鈴木は笑う。
大森は彼女の戯言に付き合わず、睨むように彼女を見据えて言った。
「そこまでは言っていない」
「ですけど先ほど、内定者が面接時と同一人物だったか確認しましたよね?
つまり、内定者に成りすました人間が居るかも知れないと考えてます?
でもそんな人がいたら私たちが気づきます。
もし上手く変装して誤魔化せたとしてもですよ。
内定式への参加については事前に学校を通して本人に確認しています。
それが21人参加すると連絡があって、本日21人がCILに来ました。
なりすましがあったとしたら、その入れ替わられた人はどこでなにをしているんです?」
「それは分からない」
「殺されたかも知れないってことですか?」
「なんとも言えないな」
「でもそうでもしないと22人目が来てしまいますよね?」
質問を重ねる鈴木に対して、大森は咳払いして黙らせると低い声で告げた。
「聴取するのはこちら側だ。
好奇心を持つのは結構なことだが」
鈴木は口角を上げ微笑んで謝罪する。
「あらごめんなさい。
でも聴取される側の立場って初めてで。
いつもは面接官なので、質問する側なんです。
――では他に何か聞いておきたいことはありますか?」
鈴木は自分は質問を受ける側だと明言して、2人に対して問いかけを促す。
小林は一呼吸置いてから尋ねた。
「山辺社長を恨む人物に心当たりはありますか?」
「殺害を考えるほどという点では、いませんね」
「社員からは嫌われていたそうですが」
「愚痴は言いますけど、殺したいほど憎むような人は居ないですよ。
さっきも言ったとおり社員の裁量は大きいです。
新人にも機会が与えられますし、何より基本給が高くて賞与もたくさん出ます。
特許収入の利益率がものすごく良いから出来ることです。
それは当然、社長の発想によるところが大きいです」
鈴木の言葉には小林も、それならば社長の無茶ぶりは殺害の動機にはならなそうだと頷く。
「では役員は?」
「確かに、社長は役員に対して当たりが強いですからね。
ですが殺意を抱くほどじゃないと思いますよ。
少なくとも松ヶ崎さんは、殺してやるって感じではないです。
むしろ社長の無茶ぶりを楽しんでいました。
私も、そんな松ヶ崎さんに影響されたところがあります」
小林はきっとそれは元からだろうと思ったが口には出さなかった。
鈴木は社長の近所づきあいについて尋ねられたがそれに関しては分からないと回答し、結局それ以上の証言は得られなかった。
鈴木が退室すると、小林は大きく伸びをする。
「たまにああいう、聴取に積極的な人が居ますよね。
ありがたい反面疲れます」
「そうだな。
鈴木のアリバイは――11:40から12:00まで4階研修室で1人だったが、昼食時刻目前だ。食堂倉庫に入り込むのは難しかっただろうと考えられる」
「こちらも同じ意見です。
鐘がなった後には食堂前に列が出来ていたとのことですから、12時前には社員が食堂に来ていたのでしょう。
そう考えると、短時間での犯行はかなりリスクがあったと考えられます」
鈴木のアリバイは完璧ではないが、ひとまずは無視して問題ないだろうという点で、2人の意見は一致した。
大森は次の事情聴取対象について述べる。
「では次は佐藤だな。
佐藤は彼女とは違うタイプだった。
恐らくだが、冷静な意見を聞けるだろう」
「そうあることを願います」
2人が会話を終えると、小林の部下は佐藤を呼びに会議室を後にした。
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