第28話 事情聴取:技術部長 米山 理
◆ 事情聴取:技術部長
技術部長の米山は、痩せ気味かつ小柄な男性で、既に初老の年齢となり顔には皺が寄り骨張っていたが、髪は白髪混じりながら多くが残っていた。
彼は縁の太い大きなメガネを持ち上げ、椅子に腰掛けると要求に応じて自己紹介した。
「技術部長をしております、米山理です。
大学を出て以降、30年近くCILに勤めております」
「技術部長になったのは何年前ですか?」小林が問う。
「12年ほど前になります。
医薬品向け化合物の量産設備について特許を取得しまして、それが大きな収益をもたらしました。
その結果、技術部長に抜擢されました」
「参考までにCILの技術と言いますと、どのようなものになりますか?」
「材料開発が主ですが、医療とそれ以外に分けられます。
それ以外の内訳としましては、バッテリーと半導体で半分ずつとなります。2つをまとめて材料と社内では呼称しています。
量産は行わず研究に重点を置き、企業との共同開発、特許取得によって収益を上げています。
新規事業として、最近では食品向けの開発も行っています」
「ありがとうございます。
では本日、10時以降どちらに居たのか教えて頂けますか?」
問いかけに対して米山は迷うことなく言葉を紡いだ。
「9時半頃から技術部の役職者と会議を。
10時より社長を含めた技術定例がありましたので、その事前打ち合わせとなります。
そのまま11時過ぎまで3階特許事務室の大会議室に居ました」
「10時の技術定例と言いますと、そこで山辺社長から叱責されたそうですね」
「ここしばらくは毎度です」
「叱責の内容を教えて頂いてよろしいですか?」
米山は「構いませんよ」と口にしてから、理路整然と話す。
「簡潔に言いますと新規事業の立ち上げ遅れが要因となります。
先ほど話しましたように、現在CILの収益の柱は医療と材料になっています。
ですが医療分野では法律によって特許権行使に制限がありまして、現在はそれを掻い潜って合成手法や装置関連の特許で収益を上げておりますが、何時法律が変わるか分かりません。
次に材料分野ですが、バッテリーは今のところ成長分野です。電気自動車の量産が世界中で活発になっているのはご存知でしょう。
しかしながら自動車での使用に耐えうる品質のバッテリーは今現在存在しません。無理矢理誤魔化しているだけで、とても技術的課題を満足した状態ではないのです。
研究所としては開発テーマとしてふさわしいですが、CILの研究方針が今後の開発の本流から外れる可能性はあります。弊社の規模ではあらゆる開発可能性を検討して同時並行で進めることは出来ません。
そして一度本流から外れてしまえば、以降の研究にはついて行けません。
特許で収益を立てるには先回りが必須です。
更に言えば半導体分野も安定しているとは言いがたいです。
半導体不足という言葉を最近はよくお聞きでしょう。ですが10年ばかり前は半導体不況と言いまして、余った半導体が製造原価割れの値段で投げ売りされていました。
とかく景気の影響を受けやすい分野です。
その上、最先端の半導体プロセス導入に耐えうる投資能力を持つ企業は限られ、量産元には大きな偏りがあります。
少ない企業に納入先を依存するのは大きなリスクを擁します。
そういった要因もありまして、社長としては医療・材料に次ぐ新しい収益の柱を立てたいと考えていました。
それが食品事業です。
食品加工用の酵素でしたら既存設備を流用して開発が進められます。
開発を初めて1年半ばかり。
来年度には事業化に向けた開発工程に移行できるところまで来ました。
しかし社長としては、今年度中に収益化を果たしたいと考えていました。
そのため、度々開発が遅れていると叱責されていたのです」
「叱責はいつ頃からですか?」
「半年、よりも前です。開発開始から1年目には、既に開発遅れを指摘されていたと記憶しています。
いつものことです。本日が特別だったわけでも、食品事業が特別なわけでもありません。
昔からそう。慣れたものです。
それに自分が叱責を受けることで、社員が萎縮せず研究を進められるのなら、喜んで矢面に立ちますよ」
「それでも何度も続けば嫌になるでしょう?」
小林が確かめるように問うと、米山は首をかしげて返す。
「嫌になったところで問題が解決される訳ではありません。
社長が居なくなれば叱責されなくなり問題解決とはいかないでしょう?
社長は問題があるから指摘していた。
計画に対して進展が好ましくなかったのは事実です。
それを解決せず叱責された事実だけを消して、一体どの問題が解決するのですか?」
米山は小林の指摘は的外れだと訴える。
だが小林もめげることなく、問いを変えた。
「では山辺社長の指摘は適切だったのでしょうか?
当初の計画に、無理があったりはしなかったのでしょうか?」
「出来ないことは出来ないと言います。
聞き入れて頂けないこともありますが、決して不可能なことを可能だとは言いません。
無茶な要求に対しては、無茶だとはっきり伝えます」
「聞き入れて貰えないこともあったのですか?」
「社長もなにも考えずに指示を出している訳ではありませんから。
ですが最初はそうだとしても、伝え続けます。
データを示し、物理的・統計的に出来ないことは出来ないのだと納得して頂きます。
あの人はセラミック分野の出身です。
CILの事業について必ずしも専門家ではありません。
そんな社長に技術的な話を理解して頂くために自分がいます。
聞き入れられないのはこちらの伝え方の問題であって、社長の問題ではありません。
ですから、叱責に対して怒りはありません」
米山は社長からの叱責に対して、一切の怒りはないと明言した。
これまでの話しぶりからも、彼が理論を無視して感情を優先し、凶行に出るような人物だとは考えづらい。
「ちなみに遅延の原因はなんでしょう」
「新規事業の壁と言いますか。多くは人的資源の問題です。
既存開発を止めるわけにはいきません。その上で新規事業を進めるのは困難でした。
それに装置は使い回せても、人材はそう簡単にいきません。別分野の開発は、化学合成に習熟した技術者たちでも成果を出せるようになるまで時間を要しました。
既にこちらの問題は解決したので、遅れを取り戻すべく手を打ち始めていたところでした」
「なるほど。
それでも社長の要求を満たすことは出来なかったわけですね」
「既に遅れてしまっていますから。
しかしながら新規事業が一筋縄ではいかないと社長も認識していました。
叱責とはいいますが、本人は発破をかけるつもりだったと思いますよ」
米山は社長の叱責に対して怒りを微塵も見せない。
それを受けて小林は話を先に進めることにした。
「では技術定例の後について教えて下さい」
「終わったのは11時過ぎでした。
そのまま定例のメンバーと会議室で今後の方針について話しました。
12時にはそのメンバーで昼食にしています。
食事の後は、指摘されたスケジュール遅延に対応すべく1階に居ました」
「1階のどちらでしょうか」
「電子開発室です。
電子とありますが、展示会の展示品も作成している社内の便利屋的な部署です。
月末に予定している展示会のブースに技術的な話が出来る打ち合わせ室を加えて頂きました。
当日、大手食品メーカーへ既に量産を見込める状態であると伝えるためです。
新規事業についての展示も増やす方針でした。
当然、他を減らさないといけないので、議論してブース案を作り直しました。
15:00までには結論が出て、内定式に参加しました」
内定式は15:20から。
だが内定者が15:20に入場してくるので、迎える側の人間はそれより前に居なければならない。米山の証言通りだとしても不思議な点はない。
「電子開発室から内定式の行われた講堂までは1人で移動しましたか?」
「いいえ。
電子開発課の役職者と一緒でした。課長と現場リーダーが2人。機械開発課の課長も一緒でしたね」
米山の証言が正しければ、彼は10時から15時まで常に誰かと一緒だったことになる。
人目を盗んで4階食堂倉庫に侵入することは不可能だったのだ。
小林は米山の証言について手帳に記載しておく。彼の証言が正しいかどうかは、社員への聞き取りで確認出来るだろう。
「内定式の後は?」
「技術部の事務室に居ました。
事務室を出たのは、品質保証課との打ち合わせくらいです。懇親会まではずっと2階に居ました」
「懇親会に向かったのは何時頃ですか?」
「17時前には事務室を出ました。
ステージ横に役員が並ぶ決まりになっていたのでそちらに。
並んだところで17時のチャイムが聞こえましたね」
「一升瓶ビールが運ばれてくるのは見ていました?」
「食堂の方が運んで下さいましたね。見ていましたけど、変わったところはありませんでした」
「乾杯の準備が始まると、あなたは一番に一升瓶ビールを手にしたそうですね。
社長にビールを注ぐのは決まっていたのですか?」
「決まっている、という訳ではありませんが、自分が技術部長になってからは毎回社長にビールを注いでいます。
ですが誓ってビールに何か入れるような真似はしていません。
そんな時間もありませんでしたし、社長の目の前でとても出来ませんよ」
「その点については我々も難しいだろうと考えています」
小林は米山の訴えを受け入れる。
もし米山が犯人だとしたら、本人の目の前で堂々と薬を盛ったりしないだろう。
「山辺社長が血圧を下げる薬を飲んでいたのはご存知でしたか?」
「知っています。
ただ薬の詳細までは知りませんでした」
「3年前に脳卒中で倒れたことは?」
「もちろん知っています。
ですから社長が倒れたとき、ビールを飲んだせいで血圧が上がり、脳卒中を起こしたのかと思いました」
小林は相槌を打つと、米山の表情を観察しながら、殺害動機のもう1つの可能性について尋ねる。
「山辺社長が亡くなった場合、次の社長はどなたになりますか?」
米山はそれが殺害動機を確認する問いだとは気がついていないようで、首をかしげて答える。
「社長は次の社長について指名していませんでした。
ただ自分か、人事部長、もしかすれば経理部長辺りかも知れません。
ともあれ、CILは社長あっての会社でした。社長が亡くなった以上、これまでの組織では経営は難しいでしょう。
大きな改革が必要です。そうなれば、自分のような研究一辺倒の人間より、人事部長や経理部長の方が相応しいでしょう」
米山は自身の社長就任の可能性を否定する。
小林は問いかけを変えた。
「山辺社長がいなくなれば、今よりのびのびと研究できるのでは?」
「その可能性はあります。
ですがあの人は会社にとって必要でした。
おかしな研究を推すこともありますが、医薬品やバッテリー材料の研究方針については今のところ正しく、社長のおかげで黒字経営を続けられているのは紛れもない事実です。
食品向け酵素開発が一段落ついて、次の開発を始めようという段階で、社長の知見は必要になるでしょう」
「おかしな研究を推すこともあったのですか?」
「ええ。突拍子もない発想をする人でしたから。
今回の食品事業も、黒字化は出来ても収益の柱にはならないでしょうね。
あまりにも需要が小規模です。
細々と酵素開発をしても、医療や半導体とは肩を並べられない。
とはいえ間違っているとも言えません。食品加工酵素というのはとっかかりとしては良いのかも知れません。設備もほぼ流用できていますし。
ただ今後の開発を続けられるかというと疑問です。
その点社長には訴えていましたが、まずはやってみろとのことで、まあおっしゃるとおりだとしか返せませんでした。
ひとまず収益化まではこぎ着けそうでしたので、辞めるタイミングではありませんでしたし」
「その、山辺社長の発想が外れる割合は分かりますか?」
「そうですね。
発明について方針を社長が示して、当たるのは5回に1回程度でしょうか」
たったの20%と聞いて、小林は苦笑して問いかけた。
「では自分で方針を決めたくなるでしょう?」
「まさか」米山は大仰な身振りで否定する。
「発明というのはあまりに分の悪い博打です。
魔の川を渡り、死の谷を越え、ダーウィンの海を彷徨って尚、生き残れる発明は極僅かです。
100回うって1回当たるのならば研究者として一流です。
それを社長は5回に1回当てました。
はっきり言いますが、発想という点において、あの人は天才だったと認めざるを得ません」
研究についての知見が少ない小林と大森にとって、米山の発言は全く予想外だった。
これだけ分の悪い賭けなのに、CILは研究開発企業として成立している。
それを何故か問おうとしたが、回答は明白だった。
山辺社長というイレギュラーな人間が、発明の当たる確率を20倍に引き上げていたのだ。
米山は更に主張する。
「会社のためにはもちろん、科学技術の発展のためにも、社長を殺したりしません。
もちろん、個人としても恨みはありません」
米山が社長を殺す動機という点では、全く彼の証言は正しいように思えた。
小林は方針を変えて、誰になら犯行が可能だったのか探る。
「では薬について。
ラジレスですが、会社で保有していますか?」
「あくまで合成手法の特許をおさえるのが目的ですので、薬品合成は少量です。
先ほどアリスキレンフマル酸塩――ラジレスの化合式を社内システムで検索しましたが、合成履歴はありませんでした」
「ラジレスを合成することも出来ませんか?」
「設備はありますから、材料さえ用意すれば合成は可能です。ただ簡単ではないです。
量産設備は限られていますので大量に用意するのは困難です。
一升瓶に混入させてコップ1杯で通常使用量の4倍となると、かなりの合成量が必要です。
装置を占有することになりますから隠れて合成は不可能でしょう。
技術部長という立場から言わせて頂くと、社内で合成されたとは考えにくいです。
処方薬で入手か、より医薬品に近い会社や病院から入手したのではないでしょうか?」
ラジレスを社内で合成するには相当な無茶をしなければいけないのは理解できた。
小林は「ではラジレスについては他を当たるべきでしょうね」と相槌を打って、質問を打ち切った。
小林に変わり、大森が問う。
「技術的な確認をしたい。
食品を加工する酵素とのことだが、具体的には?」
「豚肉を加工する酵素です。
豚カツをどのように作るかご存知でしょうか。味を染みこませ、柔らかくするために専用のハンマーで何度も叩きます。
それを酵素で代用できないかという研究でした。
理論的には簡単です。それを揚げ物に特化して扱いやすくする必要がありました。
味付けも一緒に出来て衣になれば量産効率も上がるでしょう。
個人向けではなく、揚げ物チェーンや冷凍食品工場向けでした」
「その話は外にしても良いのか?」
「既にプレス発表はしています。月末の展示会でも出すと宣伝していました。
全く問題ありません」
「例えばその発明を巡って、敵対企業や組織から狙われるようなことは?」
「豚カツを作りやすくする酵素でですか?
まさか。食品企業も手を出していなかった、ニッチな分野です」
米山は大森の考えを否定する。
それを受けて、大森は確認するように問いかけた。
「食品事業は山辺社長が強く推していたそうだが、今後はどうする予定だろうか」
「先ほどもおっしゃったとおり、社長亡き今、組織の再編が必要です。
もう発明をいくつも当てられる環境ではなくなりました。
食品事業には見切りをつけて、しばらくは既存分野に注力する必要があるでしょう」
「食品事業は打ち切ると」
「そうせざるを得ないでしょう」
「CILが食品事業を打ち切ることで得をする組織はあるだろうか」
「得ですか……?」
米山は深く考えたようだが、ややあって首を横に振った。
「まだ世に出す前の技術ですからなんとも言えません。
ただ得をするという意味でしたら、CILが最も得をするのではないでしょうか?
採算性が低いと分かりきっている事業にこれ以上投資しなくて済むわけですから」
大森は何か分かったような分からなかったような曖昧な反応を示して、短く手帳にメモを残した。
大森が質問を終えたので、小林が引き継ぐ。
最後に米山に対して何か伝えておきたいことがあるか問いかけたが、彼は「捜査には全面的に協力するので、必ず犯人を明らかにして欲しい」とだけ答え、退室した。
米山が退室した後、小林は腹に手を当てて呟く。
「そういえば、夕食を食べていませんでした。
豚カツの話を聞いたらお腹が空きましたよ」
小林の言葉に大森は反応を示さない。彼は続けた。
「それで、豚カツの話は重要ですか?」
大森は目線を上げ、顔をしかめて答える。
「人を殺すには理由が居る。
殺し屋にはなくとも、依頼した組織には動機があるはずだ。
とはいえ慈悲心鳥を雇っている組織――〈翼の守〉がどういった組織なのか、我々もほぼ掴めていない。
発明内容に理由があったのではないかと考えたが、豚カツではな」
大森が苦笑すると、小林もつられて愛想笑いを返した。
「豚カツを作りやすくされたら困る組織ですか。
見当もつきませんね」
「全くだ。
とかく〈翼の守〉には分からないことが多い。
それで、米山の動機はどうだ?」
「お聞きの通りですよ。
彼の証言が正しいのなら、害者を殺したりしなかったでしょう。
彼自身とても理性的で、感情よりも論理を大切にしています。
凶行に及ぶとは考えにくいです」
「そうだな。
次は営業部長の幹か」
「彼は米山ほど理性的ではなさそうな人物でした。
彼の証言に期待しましょう」
小林が合図を出すと部下が会議室を後にした。
呼び出したのは営業部長の幹。
秘書の話では、彼は営業部長という役職にありながら、社長宅のリフォームなどの雑務にかり出されていたらしい。
個人的な恨みという点では、米山の比では無いだろう。
それにラジレスを処方されていた人物でもある。
今回の事情聴取対象の中では、最も怪しい容疑者だった。
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