第26話 事情聴取:食堂職員 海老塚 治
◆ 事情聴取:食堂職員
海老塚治はやや太り気味な若者で、体格そのままのどっしりとした動きで堂々と椅子に腰掛けた。
肉付きの良い顔をテカテカとさせていたが、反面表情はぱっとしない。
彼は開口一番に告げた。
「一升瓶を運んだのは僕ですけど、薬は入れていませんよ!」
「その辺りは後で聞きます。
まず自己紹介を。いつ頃からここで働いているかも含めてお願いします」
小林が押しとどめるように言うと、今にも立ち上がりそうだった彼も呼吸を落ち着けて、自己紹介を始めた。
「海老塚治です。
専門学校をでて今の仕事について、1年半くらいCILで働いています」
「研修期間はなかった?」
「研修でCILに来て、そのまま長居してます」
そういうパターンもあるのか。
小林は頷いて、今日の海老塚の行動について確認する。
「今朝は何時に出社しましたか?」
「今日は11時からのシフトだったんで、そのちょっと前くらいに来ました。
正確な時間は分からないけど、入館記録が残ってるんじゃないですかね?
それで真っ直ぐ4階の倉庫に行きました」
「そのとき誰か倉庫に居ました?」
「そうそう。
入ろうとしたら鍵がかかってて、ちょっと待ったらツルさんが出てきました。
ツルさんって言うのは、うちで最年長のおばあちゃんで、名字が確か……鶴岡さんだったかな? みんなツルさんって呼んでます」
「ではそのツルさんが出てきてから着替えた?」
「そうです」
「鍵はかけましたか?」
「一応かけました。
仕切りはあるけど、着替えているのに近くに人が居たら嫌じゃないですか?」
「その辺りは、人それぞれだろうね」
小林は長い男ばかりの刑事生活で、着替えのプライバシーなど気にしなくなっていた。
されどここの食堂では着替え中に内鍵をかける許可を出していて、当然その権利は男女問わず有しているのだから、海老塚が内鍵をかけたのを誰も咎めたりしない。
当然、小林もその事象だけを見て怪しいなどとは思わなかった。
「と言っても直ぐ終わりました。
ズボンは制服そのまま着てきたんで。上だけ着替えて、エプロンつけるだけです」
短時間とはいえ、11時には既に一升瓶は倉庫にあった。海老塚にも犯行実現は可能だったことになる。
「それから厨房へ?」
「ええ。仕事っすから。
12時から昼食なんで準備しました」
「厨房へ行ってから、再び倉庫に行くことはありましたか?」
「昼食食べた後かな? 洗剤を取りに」
「そのとき4階で誰か見かけましたか?」
「見てないっす。
厨房から倉庫は廊下挟んで直ぐなんで。
と言っても、人にぶつからないように一旦は左右確認しましたよ。でも近くには誰も」
「それは何時頃だか覚えていますか?」
「昼食の後なんで、1時半より後。
2時にはなってなかったんじゃないかな」
「ではその後は? 14:00までは清掃と伺ってるが、内定者や社員を倉庫近くで見なかったか?」
「掃除中はあまり廊下側気にしてなかったっす。
大きな鍋とか炊飯釜とか洗う係で、結構な重労働なんすよ。
それから懇親会の準備もあって周りを気にしてられなかったっす」
「そうですか。
ちなみに懇親会の準備は何を?」
「観葉植物とか、普段食堂で使ってるものの配置換えとか。
物を運ぶってなるとまず呼ばれるんす。
こっちで男は僕と栗原さんくらいだし。
沢水さんも手を貸してくれてたけど、すぐバテちゃって」
「なるほどね。
ちなみに配置換えしたのは例えば?」
「献立表のボードとかアンケートボックスとか、忘れ物ボックス」
小林が何かに引っかかっていると、大森がその疑問を察したかのように問いかけた。
「忘れ物ボックスは倉庫にあったが、そのとき運んだのか」
海老塚はかぶりを振る。
「いえ、厨房に避難させてました。
後でCILの人が回収しに来るんで」
「回収?」大森が問う。
「ええ。
忘れ物は社員玄関にまとめてるらしいっす。
あとほら。社員の物をこっちで勝手には捨てられないじゃないですか。
ゴミと分かっていても向こうで処分して貰わないと。
毎日、掃除が終わった頃に回収しに来るんすよ。サポートの人が」
「サポートと言うと、小田原か?」
「いえ。もう1人の小太りの――名前が出てこないな。
とにかくその人が宴会業者が来る前くらいに持って行ったんです。
それで返ってきたのを誰かが倉庫に置いたんじゃないですか?」
「返ってきたところは見てないわけだな」
「ええ。見てないっす」
「厨房へ避難させたとき、中には何が入っていた?」
「バインダーとかマスクとか、いろいろ。
結構多かったですよ」
大森は忘れ物ボックスについての情報を手早く手帳に記載する。
小林は、話を進めて良いと判断して進行を引き継いだ。
「清掃以降で倉庫の出入りはありましたか?」
「掃除が終わってからは何度か。
食材の段ボールを運んだり、調味料の補充とか。懇親会は旧社屋の人も来るし、サラダバーとかデザートとかやるんで、量も品種も多くて運ぶだけでも大変でしたよ。
朝番――午前中から来て勤務している人が帰るために着替えたり、午前中から夕方までのシフトの人が休憩してたんで、14:30より後は倉庫に誰かしらいたんじゃないですか?
少なくとも自分が倉庫に入ったときは誰か居ました。
栗原さんとか、他の人も倉庫と頻繁に往復してました」
14時半以降、単独犯では一升瓶に薬を仕込むのは難しい。
それは当然社員でも同じ。容易には入り込めなかっただろう。
となるとやはり怪しいのは、食堂職員が食事と清掃をしていた13:00から14:30までの間。
とはいえ、社員であればこの時間帯も自由に4階を行き来できる。容疑者は膨大だ。
「15:30に宴会業者が来て以降は?」
「宴会用の丸テーブルを並べたり、まあ力仕事が多かったっす。
直前になってから飲み物の準備始めて。――丸テーブルがいくつも並んでたでしょ。あれにビールとかジュースとか並べていったんです。
それで17:00過ぎくらいに、栗原さんから声をかけられて一升瓶ビールの栓を開けました」
「ビールの栓を開ける係だった?」
小林の問いに海老塚は苦笑する。
「まさか。
たまたま一升瓶を出すタイミングでカウンターの前を通りかかっただけですよ」
「そのときには一升瓶は厨房にあった?」
「いや、カウンターで待ってたら栗原さんが持ってきました」
「受け取ったとき栓は閉まっていたで間違いないですね」
その質問にも海老塚は苦笑する。
「栓が閉まっていなければ栓を開けたりしないですよ」
「ビールを開ける時間は決まっていましたか?」
「人の流れを見て決めたんだと思います。
決まっていたら、17時から始まる懇親会のために、17時過ぎにビールの栓を開けたりしないですよ」
「カウンターで栓を開けた理由は?
運んでからテーブルで開けることも出来た」
「ああそれは、栓抜きがカウンターにあったから。
それぞれが勝手に持ち歩いたら大変ですよ。
宴会業者はもっとたくさん持ってただろうけど、うちらは2本しかないんです。
なんで、みんなカウンターで栓抜きを使って、直ぐに戻すようにしてました」
「そういうことですか。
それでは栓を開けるとき、違和感はありませんでしたか?」
「それをずっと考えていたんですけど、確かに言われてみればちょっと軽かった気もします。
でも今日は何度も栓抜きしていて随分慣れてたし、そのせいかも。
正直、栓が開いていたかどうか分からない。
いちいちそこまで気にしていられないっすよ。ただ、ぶしゅっとは言いましたよ」
肝心な部分だが、海老塚が犯人であれば栓が開いていたなどと言うはずもない。
逆に犯人でないならば、今日だけで慣れるほど開けていた栓の様子を詳細に見たりしなかっただろう。
これについては鑑識による栓の解析を待つのが得策だ。
小林はそう判断して、栓を開けた後について問う。
「ビールを運ぶ間は誰とも接触しなかったと伺っているが、今思い出しても同じだろうか」
「変わらないです。
もちろんこぼさないように注意してましたけど、同じくらい、人とぶつからないようにも注意してました。
それに幸い人の動きは少なかったし、厨房からステージ前まではあんまり人が居なかったんで」
「テーブルに置いた後は?」
「置いて直ぐその場から離れて、カウンターに戻りました。
それからはデザート運んで欲しいと頼まれて、そっちに向かいました」
「デザートはどちらに?」
「売店の前の辺りです。
一升瓶より気を遣いましたよ。
お盆の上にシュークリームでタワーが作ってあったりして、崩すわけに行かないじゃないですか。
ステージから離れたところは人も多いし。
それで何往復かしてたら、山辺社長が倒れたとかで。
そのときもデザートの近くに居ました」
「社長のことは知っていた?」
「まあよく食堂に来るんで知っています。
――恨みなんてないっすよ。食堂の職員に対して何か言うようなことはないです」
「では社員と社長のトラブルは何か知っていますか?」
「社員が愚痴ってるのくらいは聞きますけどね。
食堂で大きな騒ぎが起こったことはないっすよ」
小林の問いに対してなんとも言えない返答がされると、続いて大森が問いかける。
「食堂職員の沢水玲奈についてだが、彼女は間違いなく沢水玲奈か?」
「間違いないと思うけど」
海老塚は問いかけの真意を測りかねて首をかしげる。
それに大森は続けた。
「彼女についてどんな人物か説明できるか?」
「引っ込み思案というか、1人が好きな人です。
食事に誘っても断られる。――単に嫌われてるのかも知れないけど」
「病欠の理由は聞いているか?」
「大腸炎でしょう?
ラーメン屋で食べた鶏肉が半生だったとか。
火の通っていない肉は危ないですよ。半生ブームみたいのが度々ありますけど、一応調理学校通った身から言わせて貰えば肉ってのはそもそもが――」
話が長くなりそうなのを察すると、大森はぴしゃりと発言を止めさせた。
「鶏肉の話は結構。
では内川綾乃についてはどうだろうか」
「内川さんは、いい人だった。真面目で仕事熱心で気遣いが出来て、優しい。
彼氏がいるか聞いたんだけど、はぐらかされて分からず仕舞いで。
――まあその、10月から新しい仕事が決まっていて、それまでの間短期で働ける場所を探していたらしいっすよ」
「内川の姿を最後に見たのは?」
「先週、最後の出勤日。
と言っても僕は朝番で、夕食前には上がっちゃったんで最後まで一緒には居なかったけど」
「今日は来ていない?」
「当たり前でしょ」
「3週間の短期とのことだが、その間、彼女に不審な動きは?」
「さっきも言ったとおり真面目な人です。
不審なことなんて何もないっすよ」
「勤務範囲以外の場所に行っていたりしなかったか?」
「しないですよ。
内川さんを疑ってるんです?」
大森は否定も肯定もせず、ただ問いかけを続ける。
「もし今日、内定者に内川が紛れていたら気がつくか?」
「近くに居れば気がつきます。
3週間一緒に働いたし――」
「好意を寄せていた?」
大森が伺うように問うと、海老塚は頬を赤らめた。
「と、とにかく。今日内川さんは見てないですよ。
今日どころか、先週金曜に会ったきりです」
大森は「そうか」と短く返す。
それで聴取の主導権が小林に戻され、彼は最後に海老塚へと何か伝えておきたいことはあるか問いかけた。
しかし彼が首を横に振ったので、海老塚の事情聴取はこれで打ち切られた。
「とにかく、社員の犯行なら13:00から14:30の間に薬が入れられた可能性が高そうですね」
「10:30から沢水が来るまでの間も可能性はあるが、食堂倉庫内で薬が入れられたとすれば、その時間を疑うべきだろうな。
内定者の集合時刻は14:30だった。彼らにも、倉庫までたどり着いてしまえば犯行は可能だった」
「そのたどり着くのが難しそうですけどね。
予定通り、次は栗原を呼びます。
もう少し、犯行可能時間を絞り込めるかも知れません」
大森は異論はないと頷く。
直ぐに小林の部下が、食堂リーダーの栗原を呼びに会議室を後にした。
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