第25話 事情聴取:食堂職員 沢水 玲奈
◆ 事情聴取:食堂職員
沢水玲奈が会議室にやってくる。
彼女は顔が白く病弱そうで、自分に自信のなさそうな顔つきをしていた。
びくびくした様子で椅子に腰掛けると、小林達の反応を伺うようにちらと視線を向けた。
小林は事情聴取を大森に主導するように伝える。
大森はそれを請け負って早速自己紹介を求めた。
「沢水玲奈です。
調理関係の専門学校を出て、関東フードサービスに入社しました。
CILに派遣されてから、4年半くらいになるかな……?」
沢水自身が不明瞭にしか覚えていない点について、大森は彼女の履歴書を確認した。
専門学校を出て20で就職。最初の1年間は研修で本社近くの社員食堂で勤務。
翌年からCILへ派遣。以降4年半はCILの新社屋食堂で働き続けている。
「3週間休んでいたとのことだが、原因について詳しく教えて貰えるか?」
「ええと……大腸炎です。カンピロバクターで。
あっ、でもうちの食堂は関係ないですよ。
仕事が終わってから、帰りにラーメン屋に寄ったんです。
鳥白湯のラーメンで、チャーシューの代わりに蒸し鶏が載っていて……。
加熱が不十分だったんでしょうね。食堂では鶏肉の加熱に気を使うけど、お店で出された物に対してまで気にしないです。
それでまあ、なんと言いますか、当たりました」
申し訳なさそうに笑った沢水に対して、大森は問いかける。
「店に不審な人物はいなかったか?」
「夕食時で人は結構居ましたけど、不審かどうかは、分かりません。
周りに人は居ましたよ。カウンター席に座って、両隣にお客さんがいました」
沢水の回答を聞いて、気になったことがあるのか小林が意見を申し出た。
大森が頷くと彼は問いかける。
「女性が1人でラーメン屋ですか?
それはよく行くお店ですか?」
「はい、たまに行くお店です。
それに女性でも1人でラーメン屋は行きますよ。
むしろ入りやすい部類のお店では?
わたしは1人が嫌いじゃないです。焼き肉だって1人で行きます。
――ここしばらくは行ってないですけど」
回答を得られて、小林はそれ以上質問を重ねなかった。
聴取を大森が引き継ぎ質問を重ねる。
「大腸炎の治療に3週間というのは、一般的だろうか」
「あー、その。一応飲食提供業者なので、社内規定で感染症にかかった場合は医者の診断書を貰ってから1週間は就労禁止としてます。
実際は1週間くらいで完治しました。
ただ、その……会社の人には内緒にして欲しいけど、折角の機会だからもっと休めないかなって思って。
お医者さんに頼んで自宅療養1週間つけて貰いました。
その後社内規定に従って1週間謹慎して、合計3週間休みました。
なので後半2週間はのんびり家出過ごしていました。
入院で体力が落ちていたので散歩したり、家でゲームしたり。遠出はしてません」
「3週間休んで生活に支障は?」
「有給が残ってましたし、社内規定での謹慎中は満額ではないけど手当が出ます。
それに実家暮らしで、最悪わたし1人働かなくてもどうとでもなります」
「復帰したのは今週月曜からで間違いないだろうか」
「間違いないです」
「復帰後の仕事は以前と変わらないか?」
「変わりません」
「懇親会については?」
「そちらも年に2回やってるので、手慣れたものです」
「では一升瓶ビールについても知っていた?」
「毎回頼んでいるので、注文したのは知ってます」
「食堂倉庫の冷蔵庫に入っているのを見たか?」
「見てないですけどあるのは知ってました」
「10:30以降倉庫には入ったか?」
「ええと、今日のシフトでは昼食から懇親会終了までの予定でした。
会社に来たのが11時ちょっと前です。
着替えで倉庫に入りました。それから厨房に行って、以降倉庫に行くことはなかったですね。ほとんど厨房にいたんで」
「着替えの時、倉庫に他に人は?」
「居ませんでした。
ただ着替えている最中にツルさん――チームで最年長のおばあちゃんです。正しい名字は覚えてないです――が来たんです。
内鍵、かけてなかったんで。
まあほとんど着替えた状態で出社してて、後は上着脱いでエプロンつけるだけなので別に男の人が入ってきても構いませんけど」
「着替えの最中は内鍵をかける決まりだったのか?」
「決まりというか、かけても良いよってだけです。
5分以内ってルールはありますけど、さっきも言ったとおり着替えなんて直ぐに終わるので、相当急ぎの場合しか鍵がかかっていても気にしないです」
「相当急ぎの場合とは?」
「食堂営業中に直ぐに補充が必要なときですかね?
それ以外では別に」
「食堂の営業時間は?」
「12:00から13:00が昼食営業。
17:45から19:00が夕食営業です。
喫茶室は朝もやってますね。7:00から9:00だったかな?」
「他の人は内鍵をかけるのか?」
「かけるんじゃないですか?
ツルさんはかけてました」
「それは男性でも?」
「男性でも着替えを見られたくない人は居るのでは?
全員は把握してないです」
「例えば、出社時刻以外で倉庫に鍵がかかっていたとして、それは問題になるか?」
「ならないのでは?
中に誰か居るなって思うだけで。
急ぎなら声をかけるでしょうし、そうでないなら出直します。
わたしも昔、みんなが清掃作業中、倉庫に鍵かけて入っていたことあります。
2時から予約開始のグッズがどうしても欲しくて。
あ、栗原さんには秘密にして欲しいです」
「その時は誰も来なかった?」
「幸い来なかったです」
「来ていたらどうするつもりだった?」
「その時はその時で。
どこか行くまで息を潜めて、こっそり食堂に戻って何食わぬ顔で掃除に加わる――とか。
誰も気にしないですよ。
栗原さんにバレたらチクッと言われるかもだけど、怒るような人じゃないですし」
「では本日、変わった時間に内鍵がかけられていたりしなかったか?」
「そういうのはなかったです。
他の人がそんな話をするのも聞いてないです」
「分かった。
では倉庫を出てからについて話してくれ」
沢水は思い出すように順を追って話していく。
「昼食の準備をして、12時から1時までは昼食営業です。
それからみんなで昼食を取りました。30分くらいですかね?
その後は片付けです。
食器を洗って、それから食堂の清掃を。
懇親会の準備を兼ねていたのでみんな忙しかったです」
「その時倉庫の様子は確認したか?」
「してないです。
わたしもしてないし、他のみんなもそうだと思います。
みんな食堂か厨房に居ましたよ」
「では内定者や社員が食堂に来ることは?」
「学生さんは来ていないです。社員さんは来ましたよ。
喫茶室はずっとやってて、テイクアウトの珈琲とか取りに来る人が居ます。
売店もありますし」
「何人来たか分かるか?」
「分からないです。10人よりは多かったのでは?
名前も分かりません。いちいちそこまで確認しません」
清掃中、食堂職員は倉庫に近づかなかった。
それに昼食が終わった時間帯でも、4階に社員が居てもなんら不思議はない。
それだけ分かると大森は問いを重ねる。
「では15時以降は?」
「普段ならそこから夜食の準備ですけど、今日は懇親会だったのでその準備をしました。
机を畳んで端っこに運んで、椅子も端に重ねました。力仕事は、正直あんまり得意じゃないです。
15:30位だったかな? 宴会業者が来て、CILの人も準備に来ました。
宴会用のテーブルを運びこんで並べてましたね。
わたしはもう力仕事は無理だったので、厨房で野菜を切ってました。
毎回、サラダバーは自分の担当なんです」
「それからはずっと厨房に?」
「そうです。
懇親会直前に1度お手洗いに行ったくらいで」
「懇親会が始まってからは?」
「サラダバーの野菜補充と、空いたお皿の回収とか皿洗いとか、やることはいろいろとありました。
ただ直ぐ懇親会が終わっちゃいました」
「一升瓶ビールがいつ倉庫から運ばれて来たか見たか?」
「見てないです。
栗原さんが運んできたんだと思います」
「栓を開けるところは?」
「それも見てないです」
沢水は一升瓶ビールについては全く見ていないと証言した。
ステージ前のテーブルに運ばれて、山辺社長が倒れるまでの間もずっと。
とにかく彼女は、厨房と、厨房側にあったサラダバーテーブルの仕事に注力していたらしい。
「では質問を変えよう。
内川綾乃は知っているか?」
「名前だけは。
わたしが休んでいる間、短期で働いてくれた人です。
当たり前だけど、面識はないです。わたしの復帰とあわせて契約終了したので」
「名前だけと言ったが、顔も知らなかったか?」
「写真は見ました。
暗い茶髪の人ですよね」
「彼女と以前会ったことは?」
「いやないですよ。なにを言っているんです?」
「例えば、大腸炎の切っ掛けとなったラーメン屋でも?」
「はあ?」
沢水は一体大森の質問が理解できないようで、ぽかんとして回答もしなかった。
大森は続ける。
「カウンター席で両隣に人が居たそうだが、そこに女性はいなかったか?」
「そんなの覚えてないです。――左は女性だった気がします」
「それは内川とは別人だったか?」
「別人ですよ。もっと、こう、歳のいった人でした。
30後半とか40くらい?」
沢水の回答に大森は不服そうな表情を浮かべた。
沢水が大腸炎にかかった際、隣に座っていた人物だ。偶然のはずはないと考えていた。
だが証言通りなら、内川綾乃とは全くの別人だったことになる。
結局、沢水は食堂倉庫付近でのこれといった目撃証言もなく、退室した。
彼女が退室して尚不服そうな顔をしていた大森に対して、小林は声をかけた。
「内川を疑うのは意味がないと思いますよ」
「いや、複数犯の可能性もある。
殺し屋が1人とは限らない」
「だとすれば、それを証明する証言なり証拠を集めないといけませんね」
小林の言葉に、大森は「そのつもりだ」と短く返す。
沢水の証言から怪しい人物は出てこなかった。
沢水自身の犯行は可能だっただろう。
彼女が着替えで倉庫にいるとき、他には誰も居なかった。彼女は一升瓶ビールに薬を盛ることが出来たのだ。
だが彼女には動機がない。
栗原の証言では、害者と食堂職員との間にトラブルはなかった。
それに沢水には薬の知識も入手方法もなかっただろう。
小林は大森が未だに沢水を疑っていることについて意見を述べる。
「身元確認していますが、間違いなく沢水玲奈は沢水玲奈ですよ。
3週間で入れ替わったりしていません。
どうしても気になるのなら、明日彼女の実家なり、通っていた専門学校なりに確認したらいかがです」
「そうだな。そうしよう」
小林は今の発言を本気にされるとは思っていなかったのだが、大真面目に返されたので顔をしかめた。
疑うのが仕事だからと言われればそれまでだが、沢水の身元照会に大きな意味があるとは思えない。
「まあ、そちらの捜査方針はそちらで好きにして下さい。
次は海老塚か栗原ですか。
どちらが先でも構いませんね。直ぐ済みそうな海老塚から呼びましょうか」
小林の申し出に対して大森が特にコメントしなかったため、部下は海老塚を呼びに会議室を後にした。
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