第24話 事情聴取:社長秘書 平佐 翔子 28歳 女性


◆ 事情聴取:社長秘書 平佐ひらさ 翔子しょうこ 28歳 女性


 平佐は入室すると礼儀正しくお辞儀をして、それからゆっくりと椅子を引くと腰掛けた。

 所作は美しく、彼女自身背が高く細身で顔の作りも良い。

また落ち着いた物腰と相手を真っ直ぐに見据える大きな瞳は、彼女に対して聡明な印象を与えた。


その印象通りのはきはきとした声で、彼女は自己紹介した。


「社長秘書をしております平佐翔子です。

 大学院で法律を学び、CILに入社して4年目になります。

 事件解決に協力出来ればと考えています。どうぞ何なりとお尋ね下さい」


彼女の言葉を受けて、早速小林が問う。


「法律を学んで社長秘書になったのですか?」


「普段は特許出願業務を行っております。

山辺社長が出社している間は秘書としても働きます」


「兼業は大変ではないですか?」


「そう考えたことはありません。

 周りの方もサポートして下さいます」


 彼女のCILでの立場を確認したところで、小林は今日の動きについて問いかけた。


「本日、山辺社長は何時に出社しました?」


「本日は10時頃でした。

 運転手さんから連絡があって、出迎えに出たのではっきり記憶しています。

 その後直ぐ、技術関係のミーティングに出席しました」


「参加者と場所はどちらですか?」


「技術部長の米山さんと、新規事業部の役職者が集められました。

 場所は3階特許事務室にあります大会議室です。

 11時過ぎまで続きました」


「会議の内容は?」


「新規事業――食品関連事業への参入を計画しているのですが、技術開発の進捗が悪いので米山さんが叱責されていました。

 山辺社長は、この新規事業に躍起になっていました」


「その、食品事業の詳細について教えて頂けますか?」


「自分から技術的な内容についてはお伝え出来かねます。

 技術部長か、営業部長に尋ねて頂いてよろしいでしょうか?」


 平佐の権限では、開発中の技術について外部に話せないのだろう。

 それに技術的な内容であれば専門家に聞くべきだ。

 小林は平佐の申し出を受け入れて質問を変える。


「では11時以降、お昼まではどちらに居ましたか?」


「3階の秘書室です。

 社長が出社している間は基本的にそちらに居ます。

 社長から依頼されたメールを出した他は、特許文献を確認していました」


「秘書室からは出ませんでしたか?」


「社長事務室と特許事務室の間を行き来しました。

 特許事務室からは出ませんでした」


「では昼食について教えて下さい」


「社長と一緒に食堂へ行きました。

 社長が出社している日は食堂や、喫茶室で食事をとります」


「社長と一緒に食事は嫌ではありませんでしたか?」


「そう感じたことはありません。

役職者に対しては厳しいですが、一般社員に対してはそうでもありません。

怒鳴るようなこともありませんし、私に対しても優しいです」


「昼食は2人でしたか?」


「人事部長の松ヶ崎さん、人事部の鈴木さん。営業部長の幹さんも一緒でした。

 話は内定者についてです。

 社長は新しく入ってくる人が好きです。

 内定式と入社式の後に豪勢な催しをするのもそのためです。

 とても楽しそうに内定者について話していらしました」


「では昼食の後は?」


「社長に地元新聞社へのインタビュー原稿に目を通して欲しいと頼まれましたので、社長事務室で推敲を行いました。

 念のため、推敲したものを広報部に確認して貰いました」


「広報の事務室は4階ですね?」


「そうです。

 ですが、メールで送りました。推敲するにも電子データそのままの方が容易ですから」


「では以降も社長事務室に居ましたか?」


「推敲を終えて広報部へメールした後は秘書室で特許文献の確認を。

 14:30までは秘書室にいました」


「14:30からは社長講話がありましたね」


「はい。

 社長と一緒に4階研修室へ行きました」


「その際、4階廊下でいつもと変わったことはありませんでしたか?」


「ありませんでした。

 西側のエレベーターを使いましたので、食堂も食堂倉庫も見ていません」


 西側倉庫と聞いて、小林は見取り図を確認する。

 平佐と山辺社長は、3階の廊下を西側まで進んでエレベーターに乗ったのだ。

 そこから研修室は目の前。

 食堂も倉庫も全く気にしなかっただろう。


「社長講話の間は?」


「私も研修室で講話を聞きました。

 研修室の外のことは分かりません。講話に集中していましたので。

 その後は、社長と人事部長と3人で3階の講堂へ行きました」


「内定式までは20分ほど時間がありますね」


「ええ。ですが内定者が入場するのが15:20です。

 社員さんたちはそれまでに着席していないといけないので、15:00には集まっていました。

 私は外部取締役の方々に挨拶する社長の側に居ました」


「内定式中は外に誰も出ませんでしたか?」


「どうでしょう。

 私は一番前の、社長の横の席に居たので。

 ですが内定式中に廊下を歩いている人は居なかったと思います」


「内定式が終わってからは?」


「社長と社長室へ。

 3階の社長事務室ではなく、4階の社長室です。

 内定者との談話がありました。

 内定者からの質問に対して、社長が答えていきます。

 回答に熱が入って、少しばかり時間をオーバーしました。

 終わったのが16:40頃です。その時、社長に薬を渡しました」


 この時に山辺社長が飲んだのがアイミクス。

 小林は鑑識から受け取ったアイミクス錠の情報を確認してから尋ねる。


「アイミクスは血圧を下げる薬だそうですね。

 薬について知っている人は?」


「自分と、奥様。役員の皆様もご存知です。あとは人事部の方も」


「サポートの社員や食堂の職員はどうでしょうか?」


「薬を飲んでいることは知っていても、種類までは知らないのではないでしょうか」


「薬の管理はあなたがされていたのですか?」


「自分と奥様が。出社していない時は奥様から渡されると聞いています。

 ただ社長自身も薬は持っています」


「ちなみに薬の服用はいつからですか?」


「3年前からです。脳卒中で手術しまして、以降薬を服用しています。


 3年前に手術。つまり3年前より社長のことを知っている人物ならば、脳卒中を発症したことも知っていると考えて良いだろう。


「ありがとうございます。

 その後はどうしましたか?」


「一度事務室へ戻りました。

 広報から推敲済みのインタビュー原稿が返ってきていたので、印刷して社長に渡しました。

 社長は一目見て「これで良いよ」と言いました。内容をしっかりとは見ていませんでした。私や広報を信頼してくれていたのだと思います。

 一息ついてから食堂へ向かいました」


「食堂に入った正確な時刻は分かりますか?」


「17:00を過ぎた頃です。

 17:00丁度に鳴る小学校のチャイムを事務室で聞いてから移動しましたので」


「17:00になってから事務室を出たのですか?」


「はい。3階事務室から食堂は直ぐですし、社長が定刻より早く来ていると皆さん気を使いますから。

 その辺り、社長も気がついていたと思います」


「では食堂に着いてからはどうしました?」


「ステージの右側――社員さんから見ると左側ですね。そちらの後方に居ました」


「社長と同じ列には並ばなかった?」


「自分はあくまで社長のおまけで、役員ではありませんから」


「そうですか。

 山辺社長が到着したとき、一升瓶ビールはどこにありましたか?」


「テーブルの上にはありませんでした。

 恐らく、社長が到着したのを見てから運んで来たのだと思います」


「運ばれてくるのを見ましたか?」


「自分は見ていません。サポートの社長と話していました。

 気がついたときにはテーブルの上にありました。

 自分が見ていた間は、テーブルに近づいた人は人事部の鈴木さんだけでした。

 鈴木さんはお茶を運んできて、テーブルに置いて、それだけです。ビールには指一本触れていません」


「では乾杯の準備の時はどうしていました?」


「テーブルでビールを頂きました。

 一升瓶のビールです。技術部長の米山さんに注いで頂いて、それからお酌を返しました。

 その後人事の佐藤さんにも。

 佐藤さんでビールを受け取ったのは最後でした。

 テーブルの上に置いて、それきり触れていません」


「ビールの色味や臭いで何か気がつくところはありました?」


「ありませんでした。

 普段あまりビールを飲みませんので、変わっていても気がつきません。

 色や匂いもそうですし、味もほとんど分かりません」


「乾杯の後はどうしていましたか?」


「社長の近くに居ました。

 社長は会話の中で何かメモしておくことがあると私に頼むので」


「山辺社長はビールを飲んでいましたか?」


「飲んでいました。

 直ぐに1杯飲み干しまして、料理も食べずに内定者さんとのお話に夢中になっていました」


「山辺社長は、3年前に脳卒中で手術をして、血圧を下げる薬を飲んでいたのですよね?

 ビールを飲むのは問題なかったのですか?」


 小林の問いかけに、平佐はゆっくりとかぶりを振った。


「問題はあったと思います。

 アルコールを摂取すれば血圧が上がりますから。

 ですが、社長は普段お酒を飲みません。

 飲むのは4月の新入社員歓迎会と、10月の内定者懇親会の年2回。

 紙コップ1杯のみと決めています。


 自分で決めたルールをしっかり守っていました。

 だからそれを辞めろとは言い出せません。奥様も同じ意見でした」


「なるほど。

 それで飲酒に問題があるとは認識しながらも止めなかったと。

 山辺社長が倒れたときも近くにいましたか?」


「はい。少し離れていましたが、社長に呼びかけられても直ぐに対応できる位置に居ました。

 社長が座り込んだときには駆け寄りました。

 顔が真っ白で、顔の半分が引きつって歪んでいました。

 ですが意識はありました。


 産業医の笠島先生を呼ぶように言うと、佐藤さんが対応して下さいました。

 救急に連絡をしたのは営業部長の幹さんだったと思います。

 私は社長の身体を横にして、声をかけ続けていました」


 その時のことを思い出したのか、平佐は一度呼吸を落ち着けてから続きを話す。


「笠島先生は直ぐに脳卒中だと判断しました。

 身体を安静にして、首元やベルトを緩めるのを手伝いました。

 心臓が停止してしまい、AEDを使用しましたが効果はなく……。


 救急が到着すると、担架に乗せて運び出していきました。

 笠島先生が付き添って下さったので、自分は食堂に残りました」


 社長の最後について話し終わると、平佐の顔にも陰りが見えていた。

 小林はそんな彼女を気遣うように問う。


「平佐さんはビールを飲んで症状はありましたか?」


「ありませんでした。半分程度しか飲んでいなかったおかげだと思います」


 半分でも通常処方量の倍。

 それでも若く健康ならば症状は出ないのだろう。

 

 小林は動機について詮索するように問う。


「平佐さん、あなたは山辺社長をどう思っていましたか?」


「恨んでいたか、ということでしたら、恨みなどありません。

 私は社長から厳しく叱責されるようなことはありませんでした。全く怒られなかった訳ではありません。ミスをすれば指摘されます。ですがそれは当然のことです。


 むしろ社長は私のことを気遣って、過保護なくらい優しかったように感じます。

 社用で出かけた際には食事を奢って頂きますし、飛行機や新幹線も良い席を取ってくれます。

 社員さんからはいろいろ言われる方ですが、私にとっては世話焼きなおじいちゃんのような存在でした」


 平佐は明確に、社長に対する殺意を否定した。

 小林は問いかけを切り替える。


「では社員の方はどうでしょう」


「先ほど話したとおり、役員の方はいろいろと思うところがあったように思います。

 技術部長の米山さんは研究開発の遅れを厳しく追及されていました。

 営業部長の幹さんは社長の良いように扱われていました。

 人事部長の松ヶ崎さんは――人事異動で振り回されていましたが、殺意を抱くほどとは思えません。


 社員さんについては、愚痴を言う人も多かったです。

 ですが役員が盾になっていたので、恨みは大きくなかったのではないでしょうか?

 社長を嫌っていますが、むしろそれを、研究で成果を上げて見返してやろうという原動力にしていたように思います」


 平佐は「自分から伝えられるのはそれだけです」と回答を終えた。

 動機の線からはやはり技術部長と営業部長が怪しくはある。


 しかしそれはあくまで原因が仕事にあった場合。

 小林は念のため、山辺社長の私生活について問う。


「仕事以外で、山辺社長の周りで変わったことはありませんでしたか?」


 平佐はかぶりを振る。


「思いつくようなことはありません。

 秘書とは言いましても特許業務との掛け持ちです。

 社長の普段の生活までは知りません。

 会社にやってくるのを出迎えて、帰るのを見送るまでが秘書の仕事です。

 恐らくですが、世間一般で秘書と呼ばれる人たちとは、異なる仕事をしているように思います。

 私はCILの秘書の仕事が好きでしたけれど」


 平佐は山辺社長の私生活を知らない。

 彼女は会社勤めの人間で、その一環として会社に居る間の社長を補佐していたに過ぎない。

 それ以上の関係はなかったのだ。


 最後に小林は何か話しておきたいことはあるか尋ねたが、平佐はお答えした以上のことはありませんと答えて退室した。


 最後まで平佐に対して問いかけなかった大森が、彼女が退室してからようやく口を開く。


「気になることはあったか?」


「動機の線では、やはり役員を疑うべきだという点くらいですかね。

 平佐自身に犯行はほぼ不可能だと考えます。

 10;30以降、単独で食堂倉庫に行く機会はありませんでした。

 16:40にアイミクスを渡すと見せかけて別の薬を渡した可能性もありますが、衆人環視の中そのような真似はしないでしょうし、するのなら、一升瓶に薬を盛る意味はありません」


「だろうな。

 ただ聴取した価値はあった。

 平佐の証言からするに、害者は懇親会で一升瓶ビール以外口にしていない。

 宴会業者の持ち込んだ他の食材を気にする必要はなくなった」


「それは確かに。

 ともかく、次の人を呼びましょう。

 役員が望ましいですが……」


「先に食堂関係者を洗うべきだ。

 彼らが最も犯行が容易だった」


「そう言うだろうと思いました。

 構いませんよ。秘書を先にして頂きましたし、犯行実現性について食堂関係者の話も聞かなければなりませんから」


 大森は聴取の順番について食堂関係者優先で構わないと言質を取ると、即座に「では沢水から」と部下に伝えて呼び出しに行かせた。


 小林にとって沢水の優先度は低く、本日中に聴取が必要な食堂関係者とも見なしていなかったが、既に呼びに行かれてしまったので諦めて受け入れた。


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