第22話 事情聴取:内定者 岩垣ゆづき


◆ 事情聴取:内定者 岩垣いわがき ゆづき 19歳 女性


 会議室に岩垣がやって来た。

 メガネをかけた、あまり目立たない大人しそうな女性だ。髪は肩に掛からない程度まで伸ばしている。

 彼女は席に着くと、小林の求めに応じて自己紹介を始めた。


「岩垣ゆづき。19歳です。

 北海道の小樽出身で、苫小牧の高専で応用化学・生物学科に所属しています。

 来年度よりこちらのCILで働く予定です」


「実家暮らしですか?」


 小林が問いかけると、岩垣は柔和な笑みを浮かべて答えた。


「いいえ。

 小樽から学校まで公共交通機関を使うと3時間ほどかかるので。

 学校の寮に入っています。もう5年目になります」


 小林は北海道の地理に疎かったのを謝って、質問を切り替える。


「どうしてこちらの会社に? ――ああ個人的な好奇心ですので、無理に答えなくても構いません」


 岩垣はそんな問いにも落ち着いた様子のまま答える。


「母親が関東の出身で、働くなら北海道を出てこちらに来てみたいと思いました。

 学校から推薦も頂けましたし。

 ――それに、こんなことを言って良いのか分かりませんけど、実は寒いのが苦手なんです。

 この辺りは雪もほとんど降らないらしいですし、雪かきから解放されるかなと」


 回答に小林は苦笑した。


「確かに雪は年に1度降るか降らないかですね。

 積もることはほとんどないでしょう。

 話が逸れましたね。

 今日は遠くから大変でしょう」


 会話を交わしたことで、岩垣は尚のこと落ち着いた様子で、問いかけに対して柔らかな声で返した。


「そうですね。寮から苫小牧駅まで自転車で30分くらいかかりました。

 ですが朝一番の飛行機で羽田まで来られました。

 今日はこちらに一泊するので、明日は随分余裕があります」


「チケットとホテルはCILの方が?」


「そうです。小田原さんが。

 ただ、飛行機のチケットは取り直しました。

 朝早いと大変だと思って気を使ってくれたのだと思いますけど、折角関東に来れる機会なので、少し観光しようかなと朝一番の便に変更しました」


「何処に行きました?」


 岩垣は苦笑する。


「それが羽田空港を見て回っていたら意外と時間がかかってしまって。観光は全く。

 でも良い時間でした」


「そうでしたか。

 では空港を出てからCILに着くまでについて教えて下さい」


「高速バスで最寄り駅の隣の駅まで来ました。

 そこから電車で1駅。駅に着いたのは13:15過ぎくらいだったと記憶しています。

 大分早く着いてしまいましたが、CILの方が駅で待っていてくれたので、そのままバスに乗りました」


「その方とは面識があった?」


「ありません。

 ただCILの看板を持っていました。

 話してみると小田原さんだと分かりました。

 飛行機の時間変更の件で、電話で話していたので声で気がつきました」


「同じバスには他に内定者はいましたか?」


「はい。天野さん、宮本さん、あと豊福さんが。

 宮本さんは私の隣に座りました。

 地元の人で、いろいろとこの辺りのことご存知でした」


「宮本とは面識が?」


 宮本は面接を別の日に受けていた。岩垣と直接的に会ったことはないはずだ。

 小林の問いに岩垣はすんなり答える。


「ありません。

 ですが私の後に小田原さんからチケットを受け取っていたので、同じ内定者だと分かりました」


「なるほど。

 CILに着いてからについて話して下さい」


「人事部の鈴木さんが正門で待っていてくれて、その案内で研修室に行きました」


「最初に来た4人のうちで、研修室を離れた人は居ましたか?」


「お手洗いも含むのであれば。

 最初に宮本さんが。バスを降りるときに青い顔をしていましたので、お腹の調子が悪かったのではないでしょうか?

 研修室について直ぐで、鈴木さんに場所を教わってお手洗いに行っていました」


 岩垣は小林と大森の反応を見て、話を続けても良さそうだと判断すると続ける。


「鈴木さんが出て行って少ししてから私もお手洗いに。

 途中で人事部の佐藤さんと会いました。管理ゲートを通ったところで。

 待っていて下さるとのことで、私はお手洗いに向かいました。管理ゲート通って直ぐ左に曲がったところです」


「お手洗いに入ったとき、他に人は居ましたか?」


「奥側の正面の個室だけ扉が閉まっていました。

 私は手前側の個室に入りました」


「具体的にはどこになりますか?」


 小林は宮本が書いたトイレの見取り図を示した。

 岩垣は迷うことなく、手前側の2つ並んだ個室のうち、壁側の個室を示す。

 それは宮本の証言と一致した。


「個室を出たとき、宮本さんはまだ居ましたか?」


「扉は閉まったままでした」


「宮本さんで間違いはない?」


 岩垣は回答に困ったようで、苦笑して曖昧に答える。


「間違いないとは言い切れません。

 個室の中を覗いたわけではありませんし、声を聞いたわけでも無いですから」


 それはそうだと小林も納得した。

 個室に入っていたのが宮本かどうかは証言から判断するしかない。


 扉が閉まっていたのは正面の個室。これは宮本の証言と一致している。

 その個室が岩垣が個室に入って出るまでずっと閉まっていたのだから、宮本がずっとトイレに居たと考えるのが普通だろう。


「人の出入りはありました?」


「なかったと記憶しています」


「ちなみにどれくらいの時間居ましたか?」


「測ったわけではありませんけど、少し長かったとは思います」


「その理由は?」


「それを聞きます?」


 岩垣が微笑んで返すと、小林は今の質問はあまり良くなかったと反省した。

 トイレが長くなった原因なんて、これが事情聴取でなければセクハラで訴えられてもおかしくない質問だ。


「申し訳ありません」


「いえ、こちらこそごめんなさい。

 ――その、会社の人には言わないで欲しいのですが……」


 岩垣は目を逸らしながら口にする。

 何か秘密があるのだろうかと、小林は秘密の厳守について明言した。


「証言内容については秘密を守ります」


「では、その――スマホを。

 研修室で触るわけにはいかないので」


 回答は小林が期待するような秘密ではなかった。

 だがトイレに長く滞在した理由としては十分だった。

 民間企業ながら“研究所”をうたっているCILで、内定者が社内でスマホをいじっていたら、それが皆の集合待ち時間中であってもいい顔はされないだろう。


「それで少しばかり時間がかかったと」


「そうです。

 ですが10分も居ることはなかったと記憶しています」


「ではお手洗いを出た後は?」


「管理ゲートの前で佐藤さんが待っていて下さいました。

 まだ宮本さんが居るかと問われたので、まだ居ると答えて1人で研修室に戻りました。

 それから宮本さんが戻ってくるまで、結構時間があったように記憶しています」


 岩垣が証言を終えると、大森が小さく手を上げて質問を切り出した。


「手洗いに行くとき、4階廊下を宮本が歩いていなかったか?」


 岩垣は首をかしげて答える。


「見ていません。宮本さんはお手洗いに向かいました」


「それは把握している。

 その上で、廊下を食堂方面へ向かう後ろ姿を見なかったか?」


「見ていません。もしスーツ姿の人が歩いていたら気になったと思います。

 そういうのはありませんでした」


 大森は「ならば結構」と質問を打ち切った。

 その先を小林が引き継ぐ。


「展示室を見に行ったときは自由に出入り出来たそうですね」


「そうです。ですのでお手洗いに行きました。

 2回目ですが、内定式の間は講堂から出られないと伺ったので念のため。

 社長講話の時に水を結構飲んでいましたし」


「他には誰か外に出ました?」


「結構な方がお手洗いに行ったと記憶しています。

 半分くらいは展示室から出たのではないでしょうか?

 私は人の出入りを見て、お手洗いが空いていそうなタイミングを見計らって行きました。

 今回は直ぐに戻りました。

 ――流石に社内見学中にスマホは触れないので」


 社内見学中は多くの内定者が展示室から外に出ていた。

 だが展示室から出ても、肝心の食堂倉庫までは社員証無しにたどり着けない。

 小林は他の証言を検証するために、岩垣へ懇親会について問いかけた。


「懇親会について教えて下さい。

 一升瓶ビールや、その周辺の動きも分かれば具体的にお願いします」


「食堂のステージ横に整列し終わった時に一升瓶ビールが運ばれて来ました。

 鈴木さんが指さして説明していました。

 ステージ前のテーブルに置かれましたが、特に変わった様子はなかったと記憶しています。


 その後鈴木さんがお茶を運んできましたが、一升瓶とは離れた場所に置きました。

 その時も変わった様子はありません」


「乾杯の準備中はどうでしょうか?」


「鈴木さんが机に置かれたコップを並べて、お茶を注いでいきました。

 それを受け取りました」


「一升瓶ビールは?」


「技術部長の米山さんが内定者にも勧めていました。

 ですが私は未成年なのであまり気にしませんでした。


 乾杯の時は、近くに居た人と軽くコップを合わせました。

 宮本さん鈴木さん佐藤さん。内定者の方何名かとも」


「山辺社長とは?」


「していません。

 内定者の列ではステージから離れた側に居たので。

 豊福さんなどはしていたようです。


 その後は鈴木さんに誘われてマグロを頂きに。

 目の前で解体してお寿司を握っていました。

 鈴木さんが社員さんの列をどかして先頭に並ばせて貰いました。

 その時は宮本さんも一緒でした。


 それから鈴木さんが人事部の松ヶ崎さんと話に行ったので、宮本さんと2人でステージから1つ外れた位置のテーブルでお寿司を食べました。

 CILサポートの小田原さんがやって来て、豚肉とお寿司を交換しました。


 悲鳴があったのはその後です。

 女性の悲鳴で、ステージ近くのテーブルからでした。天野さんの声だったようです。

 山辺社長が座り込んでいるのが目に入りました」


「助けには向かわなかった?」


「はい。少し距離もありましたし、山辺社長の周りに人も多かったので。

 それに宮本さんが顔を真っ白にしていて。

 小田原さんと一緒に宮本さんを離れた場所まで連れて行きました。売店の前辺りです。


 その後、小田原さんが警察から証言を求められて離れたので、ずっと宮本さんと一緒に居ました。

 身元確認と荷物検査を終えた後、私の宿泊予定のホテルと、宮本さんの実家が電車で同じ方向だったので、一緒に帰る予定でした」


 岩垣の証言が終わる。

 話の内容は、宮本、豊福の証言と矛盾しない。


 小林が大森へと視線を向けると、大森は質問を切り出した。


「CILに来るときバスに乗り合わせた内定者との面識は?」


「宮本さんとはお話ししたとおりです。

 豊福さんと天野さんとは1次面接が一緒だったそうです。

 豊福さんに教えて貰いました。


 ただ私は面接の日、周りを見る余裕がなかったので覚えていませんでした。

 博士課程に進むような方は、面接でも落ち着いているようですね。


 そういうわけなので、ほとんど初対面のようなものです。面識のある人は居ません」


「結構。

 本日はこちらに一泊するとのことだが」


「はい。最寄り駅から1駅のホテルです」


「明日は何時頃の飛行機に?」


「13時頃の予定です。10時過ぎにはホテルを出る予定です。

 明日学校は休みにしましたが、担任と研究室の教授には内定式の報告をしておきたいので、夕方には寮に戻りたいと考えています」


 大森はそれだけ聞き終わると質問を打ち切った。

 最後に小林が問いかける。


「他に何か、岩垣さんから伝えておきたいことはありますか?」


「1つ」


 岩垣は答えて、2人の反応を伺ってから話す。


「他の方から聞いているかも知れませんが念のため。

 山辺社長が薬を――処方薬の方です――を飲んだのは16:40頃でした。

 社長談話が10分ほど長引いて、それが終わってから秘書の方が薬を渡して飲んでいました。他の内定者の皆さんも見ているはずです。

 私が知っている事件に関係しそうなことはそれだけです」


 社長の薬服用時刻については後に秘書の平佐から聞くことになるだろうが、彼女の証言を裏付けるためにもこの証言は価値があった。

 小林は部下に記録を残しておくように言って、岩垣を退室させる。


「岩垣の証言を受けてどうですか?」


 小林が問いかけると、大森は思案してから答えた。


「宮本がトイレに入っていたことは確からしい。

 だが音を立てずに抜け出して戻ってくる方法もあったのではないか」


「その場合、管理ゲートのところで待っている佐藤の目を掻い潜る必要がありますね」


「しかし最初の4人が来社したタイミングは、食堂職員が皆食堂内に居て、倉庫に入り込むには絶好の時間だった。

 外部犯の犯行の場合、彼ら4人が怪しい」


「しかし4人ともスーツ姿で、社員証も持ってませんよ。

 管理ゲート前では佐藤が待っていました。廊下は真っ直ぐで、食堂倉庫まで遮る物はありません」


「そうだな。

 今のところ、彼らに犯行が可能だったとするには材料が足りない」


「疑いは晴れましたか?」


「天野と佐藤の証言を聞くまではなんとも言えないな」


「懲りない人ですね。

 次は佐藤を呼びましょうか?」


 内定者の聴取は終わった。

 残りは社員達なので、帰りの時間を気にして順番を調整する必要もない。

 

「そうだな。

 ――いや」


 大森は頷きかけたが、意見を変える。


「小田原を先にして良いか?

 食堂の短期契約者の名前を知っていた。

 彼女の証言を先に聞いておきたい」


「小田原ですか。良いでしょう。

 彼女は本筋の捜査にも関わりそうですから」


 CILサポートの小田原。

 彼女は社内を自由に動き回れるし、一升瓶ビールの納入にも携わっている。

 内定者の新幹線や飛行機、ホテルを手配したのも彼女だ。


 内部犯・外部犯のどちらにしても、彼女の証言は重要になるであろう。

 小林は部下へと、小田原を呼んでくるようにと指示を出した。

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