第20話 事情聴取:内定者 豊福康平
◆ 事情聴取:内定者
小林は大森の意見を聞きながら、当日中に事情聴取すべき人間のリストを作成した。
4階大会議室に事情聴取予定者を集め、隣の小会議室で聴取を行う。
立ち会うのは小林と大森。そして聴取内容を記録する部下がそれぞれ1人ずつ。
最初に呼び出されたのは、内定者の豊福康平だった。
彼は懇親会の最中、最も被害者である山辺社長の近くにいた。
最初に彼を呼び出したのは、内定者は遠方から来ているためだ。
ただ彼の場合かなり遠くから来ているため、こちらにホテルを確保しており、時間的な余裕はある様子だった。
がっしりした肩幅と、四角い顔。
随分濃い顔をした彼は、一見して研究者には思えなかった。
彼は会議室のキャスター付きの椅子に腰掛けると、小林の求めに応じて自己紹介する。
「豊福康平です。
仙台の大学で博士課程に通っています。
来年卒業予定の27歳です」
それだけ分かれば十分と小林は頷く。
隣で大森は彼の身元について資料を確認した。
身分証は照会済み。学校側へも問い合わせし、彼の在校、そしてCILから内定を貰ったという事実を確認済みだ。
大森から追加の質問は無さそうなので、小林が聴取を進める。
「今日はいつ頃こちらに来ましたか?」
「13:40頃でした。
内定者の中では一番早く来たようです。
他に3人、一緒のバスに乗っていました」
「その3人の名前は分かりますか?」
問いかけに豊福は二つ返事で答えた。
「天野さんと、岩垣さんと、宮本さんです」
「ありがとうございます」
小林が礼を言うと、大森が問いを重ねる。
「14:30が集合時刻となっていたようだが、それまでは何処に?」
「研修室です。
人事部の鈴木さんに案内されました」
「人事部係長の鈴木は、直ぐに次の内定者を迎えるため正門に向かった。
あっているか?」
「はい、そうです。
ですが同じく人事部の佐藤さんが研修室にやってきたので、内定者だけになることはありませんでした」
「結構。
ところで、14:30までに研修室から出て行った内定者はいなかったか?」
「居ない――お手洗いに行く人は居ましたけど。
全員は覚えていません」
「では一緒に来た3人の方はどうだろうか?」
「ああ。それなら覚えています。
宮本さんがお手洗いに行きました。研修室に着いたばかりで、まだ鈴木さんが居た頃です。
1人で研修室から出て行きました」
「鈴木は同行しなかった?」
豊福は記憶を掘り起こすように少し考えてから答える。
「はい。直ぐに別の人事社員が来るからと。
管理ゲートもトイレに向かう分には社員証はいりませんし、終わったら扉の前で待っているように言いました。
ただ、宮本さんが出て行った少し後には、鈴木さんも正門へ向かうために研修室から出て行きました」
「なるほど。結構」
宮本が研修室を出たときには鈴木は同行せず。そして佐藤もまだ到着していなかった。
宮本は1人で、4階廊下に出たのだ。
大森はこの事実を記録しておくようにと部下に合図を出し、豊福へ問いかける。
「他に佐藤が到着するまでに研修室を離れた人は居るか?」
「確か岩垣さんが。お手洗いに行くと。
ただ管理ゲートを通ったところで佐藤さんと会っていました。
研修室からその様子が見えました」
「岩垣が管理ゲートを出たときには佐藤は到着していたと。
その後の佐藤の様子は分かりますか?」
「管理ゲートのところで待っていました。
岩垣さんが戻ってくると管理ゲートを開けて、それから少しして宮本さんが戻ってくると、一緒に研修室に来ました。
それからはずっと研修室に居ました」
「先に行った宮本が後から戻ってきた?」
「そうです。
宮本さんは、顔色が良くなかったです。お腹を壊していたのではないでしょうか?」
「宮本が体調不良か」
大森は小林に目配せする。
宮本は事情聴取のリストに名前がなかったはずだ。
とすればもう帰ってしまったかも知れない。
既に事情聴取対象者以外は、帰宅を許可してしまっている。
「まだバスの時間ではないので問題ないかと。
呼び戻しますか?」小林が問う。
「お願いしたい。可能であれば岩垣も」
大森は返して、それから内定者が集まる前についてもう質問はないと言った。
小林は宮本を呼び戻すように連絡してから、聴取を進める。
「それから懇親会まではずっと人事の方と一緒でしたか?」
「はい。
鈴木さんか佐藤さんが一緒でした」
「トイレに行くときも?」
「そうです。
トイレに行くのは休憩時間中だけでした。
――ああでも、展示室を見ていた間は自由にトイレに行けました」
「展示室?」
小林は、人事部長の松ヶ崎から受け取ったばかりの社内見取り図を確認する。
豊福が「1階でした」と言うので1階を確かめると、正面玄関から入って真っ直ぐ進んだところに展示室があった。
「確かにここなら、トイレに行くのに社員証は必要なさそうです。
大森も見取り図を確認した。
1階展示室の出入りに社員証はいらない。勿論、来客用のトイレもそうだ。
展示室を出ればエントランスだ。
正面玄関は出るのにも社員証がいるから勝手に外へは出られない。
その他会議室や待合室にも入り込めるが意味はないだろう。
残るは2階に繋がる螺旋階段と、来客用エレベーター。
だがどちらのルートを通ったとしても、4階の食堂倉庫へは社員証なしにたどり着けそうになかった。
それに社内見学は15:00から15:20の間。
この時間は懇親会準備が始まっていて、食堂と倉庫で人の行き交いがあった。
内定者がたどり着けたとしても、倉庫内の一升瓶ビールに薬を混入させることは難しかっただろうし、出来たとしても誰かに目撃されていただろう。
「問題は無さそうだ」
大森が告げる。
それを受けて小林が聴取を再開した。
「では懇親会について教えてください。
一升瓶ビールがステージ近くのテーブルに運ばれてくる様子は見ていましたか?」
「はい。
鈴木さんが一升瓶ビールを指さして説明してくれたので見ていました」
「運ばれてくる最中、一升瓶ビールに近づいた人は居ましたか?」
「居ません。
食堂の方が運んできましたが、その人も変な動きはしていなかったです」
「その後、鈴木さんがお茶を持ってきましたよね。
テーブルにお茶を置くとき、一升瓶ビールには近づかなかった?」
「近づいていません。
ビールとは反対側にお茶を置いて、そのまま自分たちの方にやってきました」
「ありがとうございます。
では乾杯の準備について教えてください。
一升瓶ビールを最初に手に取ったのは誰ですか?」
「役員の方でした。
ちょっとやつれた様子の、白髪交じりの人です。
確か、技術部長の……米山さんでした」
豊福は記憶を辿るようにしながら、思い出した事柄を述べていく。
「米山さんがビールを持って、山辺社長に注ぎました」
「そのとき変わった様子は?」
「なかったです。
普通にお酌して、それから自分たちにビールを勧めました。
折角なので、貰うことにしました。
コップを持って米山さんに注いで貰いました。
先に天野さんが貰って、その次が自分です」
「先ほどビールを受け取った順番については伺いましたね。
乾杯するまでにも変わった点はなかったですか?」
「ビールに誰かが何かを混ぜるようなことはなかったと思います」
「それで十分です。
乾杯してから、ビールを飲みました?
変わった味はしませんでしたか?」
「地ビールなので、普段飲むビールとは違っていました。
でもこういうものなのかな、というぐらいで、薬っぽい味がしたわけではないです」
「なるほど」
小林は相づちを打ってから考え込む。
薬が混ぜられたのは地ビールだった。
普段飲まないビールなのだから、味が違うのは当然。色味が違ったり濁っていたりしても、「これはこういうビールなのだろう」と考えてしまう。
しかし地ビールを飲み慣れているはずの社長や米山が気がつかなかったのだから、地ビールの味の違いは些細なものだったのかも知れない。
それにこの時点で薬が混入されていなければ、山辺社長が倒れることもない。
小林は、豊福は全く変化に気がつかなかったが、この時点でビールに薬が混入していたのは間違いないと結論づけた。
「山辺社長が倒れた時はどちらに居ましたか?」
「丁度社長と話していました。天野さんも一緒に。
突然、社長の顔色が悪くなって、顔が歪んだみたいになって、それからゆっくり座り込みました」
「他に誰か近くに居ませんでしたか?」
「役員の――誰かがいたとは思います。
米山さんではありませんでした。
すいません、ちょっと思い出せません。社長と話すのに夢中で」
「いえ。思い出したときに教えてください。
倒れた山辺社長に対して何かしましたか?」
豊福はかぶりを振る。
「いいえ。
どうしていいか分からなくて。
それに、社長の歪んだ顔を見て天野さんが悲鳴を上げたんです。
それを聞きつけて人事の佐藤さんと秘書の方がやってきて、直ぐに対応を始めました。
自分は邪魔になってしまいそうなのでその場から少し離れていました」
「なるほど。
そういえばビールを飲んだそうですが、症状は出ましたか?」
「はい。社長が運び出された後です。
急に意識がもうろうとして、一時は立っていられないほどでしたが、座って休んでいると良くなりました。
今は意識もはっきりしています」
「確かにしっかりしているようです」
小林はこれまで問題なく受け答えしてきた豊福の様子を見てそう太鼓判を押した。
「今日はこちらに一泊とのことですね。
ホテルは駅の方ですか?」
「はい。駅の近くに、CILの方がとってくれました」
「ああ。会社で手配してくれたのですね」
「そうです。新幹線もとってくれて」
内定式の交通費や宿泊費を出してくれる企業は多いが、企業側がわざわざ手配してくれるとなるとなかなか珍しい。
社員数500人程度の会社としては破格の待遇だろう。
小林は聴取を打ち切り、大森へと「そちらから質問はあるか」と視線を向ける。
大森は尋ねた。
「最初のバスで来た他の3人と面識はあったか?」
問いかけに豊福はきょとんとして、それから答えた。
「天野さんと岩垣さんとはありました。
面接の日が一緒で、待ち時間同じ会議室で過ごしました。
言葉を交わしたわけではありませんが」
大森は鋭い眼光で豊福を真っ直ぐ見据え、問いを重ねる。
「その2人は面接の時と同じ人物か?」
今度こそ豊福は質問の意味を図りかねてきょとんとし、それでも苦笑いしながら答える。
「そうだったと思います。
と言っても、向こうはこちらのことを覚えていなかったみたいですけど」
結局、大森はこれで十分だと質問を打ち切り、豊福を退室させた。
小林は大森に対して問う。
「豊福は怪しいですか?」
「いいや。彼の証言だけでは判断できない。
しかしよく考えると、薬を盛った本人が、わざわざ害者が倒れる瞬間その場に居るだろうか?」
「そうですね。
それに薬を盛って終わりなら懇親会に出席する意味もないですし、聴取を受けるような立場にはならないよう注意するでしょう」
「――内定者が1人、病院に搬送されたそうだな」
「ええ、大事をとって。
丁度話に出てた天野ですよ。
――まさか連れてこいとは言わないでしょうね」
大森はそれも考えた。
天野は体調不良によって、事情聴取の対象から見事にすり抜けている。
ただ病院に居るなら問題ない。
脱走の可能性は低いだろう。明日、病院に赴いて聴取をとれば良い。
「天野の聴取は明日で良い。
それより、宮本か岩垣。――宮本の方が怪しいか」
「分かりました。
では宮本を呼んできてください」
小林が言いつけると、部下は会議室を後にして宮本を呼びに行った。
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