第18話 殺し屋慈悲心鳥②


 所轄刑事の小林と、組対の大森はそれぞれ部下を1人引き連れてCILの業者用玄関前に向かった。

 同伴したのは人事部長の松ヶ崎と、実際に搬入に立ち会った食堂リーダーの栗原、サポート社員の小田原。


 彼らが一升瓶ビールの搬入から倉庫までの運搬過程を確認する間、食堂内では社員、内定者、食堂・懇親会関係者に対する手荷物検査が実施された。


 小林と大森は業者用玄関から外に出ると、監視カメラの位置を確認する。


「カメラは動いていますか?」小林が問う。


「はい。サポートの事務室が警備室を兼ねていて、そちらで確認出来ます」


 小田原が答えると、小林は質問を重ねた。


「他にカメラは?」


 この問いかけには松ヶ崎が答えた。


「正面玄関、社員用玄関、裏口に。

 それから正門、特殊車両用入り口。合計6カ所です」


「社内にはないのですね」


「はい。あくまで出入り口だけです」


「折角外まで出たので一通り確認させてください」


 小林の要望に松ヶ崎は頷いた。

 業者用玄関、正面玄関、社員用玄関共に、出入り口を往来する人間の顔がしっかり映る位置にカメラが設置されていた。

 正門のカメラは、開門用の端末と、通行車両が映るように設置されている。


 それは特殊車両用の入り口も同じ。

 こちらを通過する特殊車両とは、実験で使う液体窒素やアルゴンガスなどを運ぶガス運搬車。それから非常用発電機の燃料を運ぶ車両だと説明が加えられた。


 裏口には警備システム設定用の端末があった。

 最終退勤者は玄関施錠後にここから外に出て、警備システムの設定をオンにする。

 逆に朝一番の出勤者は、警備システムを切ってここから社内に入り、玄関を解錠するらしい。


カメラは通行者も、端末操作している人の顔も映る位置に据えられていた。


「監視カメラの位置は全て問題なさそうです。

 通った人物は全員確認出来ていそうですね。

 それでは食堂倉庫までの搬入経路を説明してください」


 外での確認を終えて、再び業者用玄関へ戻る。

 説明は、サポート社員の小田原から行われた。


「業者さんが来るとこちらのチャイムを鳴らします。

 と言っても、食堂の納入業者さんはいつもほとんど10時丁度に来るので、今日も私と栗原さんは外で待っていました」


 業者用玄関からは緩やかなスロープが延びていて、その先にトラックを駐車できるスペースが用意されていた。

 

「スロープの下に後ろを向けてトラックが止まって、業者さんが荷物を積み降ろしました」


 小田原の説明の途中、大森が口を挟む。


「業者は何人だろうか」


「2名です」


「ずっと同じ人か?」


「私が入社した1年半前からは同じです。

 それより前のことは、分かりません」


 大森の視線は松ヶ崎に向いたが、彼は「納入業者まで把握はしていない」とかぶりを振った。

 大森は納入業者については一旦置いておいて、話を進めるよう小田原へ促した。


「私と栗原さんで納入された物の数を数えて、注文通りか確認します」


「その時状態は調べなかったと」


 小林が口を開くと、小田原は少しむっとしながら答えた。


「全く調べない訳ではありません。

 明らかに問題があればその場で変えて貰うか、後から別に納入するかして貰います。

 少なくとも、本日納入されたものに大きな問題はありませんでした」


 小田原の主張は間違いないと栗原も賛同する。

 納入時のチェックについてこれ以上追求しても話が進まないので、小林は頷いて「分かった」と告げる。


「確認が終わった物から台車に載せていきます」


「その台車は?」小林が問う。


「廊下にあります。

 取ってきましょうか?」


「いえ、後で場所を確認させてください」


「分かりました。

 今日は懇親会だったので、台車2台に分けて積みました。

 全ての納入品の確認を終えたら業者さんの書類にサインして、台車を4階まで運びます」


 小田原はスロープを上り、社員証を業者用玄関横の端末にかざした。


「玄関を開けるには社員証が必要なんですね」


 その小林の問いかけには松ヶ崎が答えた。


「はい。どの出入り口を通るにも必要です」


「分かりました。続けてください」


 促されて、小田原は社内に入る。

 業者用玄関を抜けた先。左手にはサポートの事務室。しかし窓口はあっても、出入り口はなかった。

 右手には搬入用エレベーターと階段。


「そうでした。台車はこちらです」


 小田原は真っ直ぐ進み、玄関と廊下を隔てる管理ゲート脇の端末に社員証をかざす。

 廊下を出て直ぐ右手に台車が2台置かれていた。

 床には粘着テープで、台車置き場の区域が示されている。


「廊下に行くにも社員証が必要なんですね」


「業者用の入り口から社内に勝手に入れないようにしてあります。

 廊下の先には研究に関わる部屋もありますから。

 逆側は社員証がなくても通れますよ」


 松ヶ崎が答えて、彼は管理ゲートの廊下側にだけ存在する解錠ボタンを押した。

 カシャンと音がして鍵が開く。


 小林はこの場所で他に確認が必要な場所はないかと見渡した。

 台車の向こう側には大きな扉。それも管理ゲートらしく、解錠ボタンがあった。


「あの扉の向こうは?」


「正面玄関です」


「ああ、なるほど。

 正面玄関からも、勝手にこちら側に入ってこられても困りますね」


 小林は納得して、他はないかと見渡す。

 通ってきた管理ゲートから直ぐ左手の位置に、サポート事務室への入り口があった。


「そちらも管理ゲートですね。

 社員証さえあれば誰でも入れますか?」


 問いかけに松ヶ崎が答える。


「いいえ。こちらは警備室を兼ねていますから、サポートと担当社員だけが通れます。

 セキュリティレベルについては個別にいろいろと設定してあります。

 例えば、女性用更衣室に男性は入れないとか。特許関連の重要書類保管場所には関係者しか入れないとか。

 外部業者は研究区域に立ち入れません。

 そちらの管理ゲートも、業者用のカードでは開かないはずです」


 一同が管理ゲートを通って業者用玄関に戻ると、松ヶ崎は栗原へと業者用のカードを貸してくれるよう頼んだ。

 栗原が差し出したそれが管理ゲート端末にかざされると、甲高いエラー音が鳴る。もちろん鍵は開かなかった。


「こういうことです」


「間違えて通ろうとした場合、警備会社に連絡が行きますか?」


「いいえ。

ただ社内のシステムに履歴が残りますから、あまりに場違いな区域に立ち入ろうとした人が居た場合は、人事部や管理部で当人に確認します。

 直接警備会社へ通報されてしまうケースは、例えば管理ゲートが長時間開けたままになっていた場合ですね」


「なるほど。

 こちらはもう結構です。

搬入経路の続きに戻りましょう」


小林が告げると、大森はちらと管理ゲートの方を見たが、今すぐに見て回る必要はないと経路確認に戻った。


 小田原がエレベーターのボタンを押すと扉が開いた。

 搬入用、とは言う物の、台車が2台と人が2人乗れば一杯になってしまいそうなものだった。


「これが搬入用ですか?」


小林が懐疑的に問う。

小田原が頷くと、彼は重ねて問いかけた。


「大型の機材等は載らないのでは?」


「別に大型の資材搬入エレベーターがあります。

 後で見取り図を印刷しますよ」


 松ヶ崎が小田原に変わって答えると、小林と大森は「お願いします」と短く礼を言った。

 エレベーターに全員が乗り込むと、小田原が4階のボタンを押した。


「ビールを運んだ時、乗っていたのは2人だけですか?」


「はい。私と栗原さんだけです」


「他の社員が2階や3階で乗ってきませんでしたか?」


「いいえ。4階まで停まりませんでした。

 あまり社員さんはこのエレベーターを使いません。

 食堂関係者が主で、後は私が社内便を運ぶのに使うくらいです」


 今回もエレベーターは4階まで真っ直ぐに向かった。

 4階で一同は降りた。

 正面には階段。右手には管理ゲートがあってその先は廊下と食堂。

 左手にも管理ゲートがあって、そちらには来客用エレベーターと会議室があった。

 

 小林や大森が、正面玄関から入って食堂に来るとき使用したのはそちらの来客用エレベーターだ。


 小林は管理ゲートを観察する。

 左手。来客用エレベーターに通じる側は、社員証が必要そうだ。

 右手。食堂へ向かう際にも社員証が必要となっていた。


 エレベーターに乗るのに社員証は必要ない。

 それは階段も同じだ。

 この区画は、業者用玄関さえ通過すれば到達できてしまう。


 来客用の区画と、廊下から繋がった先にある区画へは、社員証を持つ人間しか通したくないのだろう。


「この管理ゲートは食堂職員でも通れますか?」


 小林の問いに、小田原が即答する。


「はい。そうでないと皆さん、お仕事出来ませんから。

 お手洗いもこちらにありますし」


 搬入用エレベーターの隣には男女別にトイレが設置されていた。

 食堂職員はここのトイレを使うらしい。となると頻繁に出入りがあるわけで、当然、管理ゲートは業者用のカードで通過できなければ都合が悪い。


「反対側は?」


 次の問いには小田原に変わって松ヶ崎が答える。


「通れません。

 あちらは来客用ですので。

 外部業者との打ち合わせなどで使います。たまに、会議室が足りないときには社員も使っていますね」


「社員であれば通れると。

 ちなみにですけど、管理ゲートを通る際は全員社員証をかざしますか?

 もし他の誰かが開けていたら、わざわざ全員通す必要はありませんよね?」


「ええ。ですから何人かで通る場合は1人しか通さなかったりしますね。

 本当は履歴を残すためにも全員かざして欲しいのですが、あまりその辺り厳しくしても不便ですので。

 ですが通り終わって最後の人は、扉がしっかり閉まって施錠されるのを確認するよう周知しています。

 もし閉じかけで止まってしまいましたら、セキュリティ上でも問題ですし、警備会社に通報が行ってしまいますから」


 松ヶ崎の説明を聞き終えると管理ゲートを通って食堂側の廊下に出た。

 正面に食堂。

 開けたままの扉の向こうでは、社員や内定者が手荷物検査を受けている。

 

 そこから右に曲がる。

 食堂側の壁には、内定者の顔写真と出身学校、入社に向けた意気込みの記された掲示物が並んでいた。


「これはいつから?」小林は松ヶ崎に問いかける。答えたのは小田原だった。


「先々週の月曜日からです。

 私と、人事の佐藤さんで掲示しました。

 内定式と入社式の前は、こうやって新人さんの情報を張り出します。

 社員の皆さんに、新しくやってくる人の顔を覚えて頂きたいので」


「印刷元のデータを頂けないか」


 大森が掲示物を一通り眺めてから小田原へ要望を出した。小田原は小さく頷く。


「データはあると思います。

 後で佐藤さんに聞いてみます」


 そのまま廊下を少し進んだ先に、厨房へ繋がる扉があった。

 廊下を挟んで反対側に、食堂備品倉庫の扉がある。扉は開放されていて、中で鑑識が作業中だった。


「こちらが倉庫です。

 台車を廊下において、厨房と倉庫に積み降ろしました」


「時間はどれくらいかかりました?」小林が問う。


「10分くらいだと思います。

 大抵、置く場所は決まっているので。

 今日は懇親会用の納入もあったので時間がかかった方だと思います。

 全部終わって、事務室に戻ったとき10時半少し前でした」


 小田原が答えると、小林は栗原の方を見た。


「一升瓶のビールはどちらに保管しました?」


「こちらです。

 自分が持って、この冷蔵庫に入れました」


 栗原は倉庫入って左手直ぐにある冷蔵庫を指さした。

 それに応じるように鑑識の1人が冷蔵庫を開ける。


「一番上の段。ええ、その左の端に入れました。

 取り出すときも同じ場所にありましたよ」


「しまう位置は決まっていました?」


「直ぐ使う物は上の方。

 しばらく保管する物は下の段とルールを決めてます」


「冷蔵庫を開けたら誰にでも一升瓶ビールの場所が分かるような状態だったと考えて間違いないか?」


 続いての大森の問いに、栗原ははっきりと頷く。


「冷蔵庫の整理整頓は徹底していました。

 懇親会前は今より物が多かったですが、誰が見ても直ぐに分かったと思います」


 倉庫に入り、冷蔵庫さえ開けてしまえば、誰にでも一升瓶ビールは見つけられた。

 その証言が得られただけで十分だと、大森は満足した様子だった。


 小林はというと倉庫内を見回して、奥の方に仕切りがあるのを見つける。


「あの向こうは?」


「食堂職員が着替える場所です。

 一応カーテンで仕切ってありますが、着替え中は倉庫に内鍵をかけていいことにしています。

 昨今、世間的にもそのあたり厳しいですから」


「会社の更衣室は使わないのですか?」


 問いかけに松ヶ崎が応じた。


「社員用更衣室は社員用玄関入って直ぐの場所にあります。

 そこから開発区画へアクセス出来てしまうので、食堂の方には不便ですがこちらを使用して頂いています」


 社員と外部からの派遣との区別は仕方がないのだろうと小林は納得した。


 その他、倉庫内に変わった物がないかと目を配る。

 机の上には献立表やシフト表。それから“忘れ物”と書かれた段ボール。中には社員が食堂に置いていったらしき、ボールペンやマスクなどが入っている。

 小林はそれらを事件とは関係がないだろうと判断した。


 倉庫の確認はもう大丈夫だと小林が態度で示すと、大森が松ヶ崎に対して問いかけた。


「内定者はこの廊下を通ったか?」


「はい。研修室が4階にありますから。

 正面玄関から、来客用エレベーターを使ってこちらに来ています」


「研修室の場所は?」


「こちらです」


 松ヶ崎が案内を買って出る。

 4階の東西に延びる廊下を、西側へと歩いて行く。

 東側のほぼ端にあった食堂から、十字路を越えて更に西へ。

 途中、管理ゲートが1カ所あって、松ヶ崎が社員証でそれを開けた。

 その先。東の端に研修室があった。


 大森はこれまでの経路を頭の中で順々に巡ってから問う。


「ここまで来るのに社員証が必要だが、内定者に渡しているか?」


「いいえ。

 内定者さんにはずっと人事の社員がついていますから、彼らには渡していません。

 そうですね。

 正門、正面玄関、4階の来客エリアから一般エリアの管理ゲートを通らないと食堂まで到達出来ません。

 研修室に入るには、更にここの管理ゲートを通る必要があります」


 説明を受けながらも大森は研修室に入り室内を見渡した。

 内定者達は帰宅の準備を途中まで進めていたため、彼らの荷物は持ち出されている。

 大森は部下に念のため研修室に不審物がないか調べておくようにと指示を出し、問いを重ねた。


「こちらから食堂へ向かうには、社員証はいらないな。

 内定者が単独で研修室を出たりしなかっただろうか」


「ないはずです。

 お手洗いも管理ゲートを出たところにありますが、その時は人事の誰かが管理ゲートのところで待つことになります」


「内定者の担当は誰ですか?」


「係長の鈴木と、佐藤の担当です」


「後で2人からも話をききたい」


 大森の言葉に松ヶ崎は「協力するように伝えておきます」と返した。

 それから大森は管理ゲートを開け閉めして問いかける。


「ここは食堂職員のカードで通れるか?」


「社員用の研修室ですから、通れません」


「だろうな。

 ……もし、何処でも良い。玄関のどれか1つから屋内に入れさえすれば、食堂前の倉庫までならたどり着けるな」


 大森が考えを巡らせながら問うと、松ヶ崎もルートをいくつか考えてから頷いた。


「食堂前までなら、外部業者の通行許可証で通れますね


「業者用玄関も通れるか?」


「ええもちろん」


 その回答に大森は満足した様子で、1つの仮説を口にする。


「最近短期で食堂に入っていた人間が居た。

 その人物が業者通行証を複製していたとすれば、今日も問題なく通れた訳だな?」


 こういった認証系カードの仕組みは単純だ。

カードが管理ゲートに設置されている端末にかざされると、電波を受け取ってカード内部のICが作動。

 ICは保有している番号やその他諸々の情報を電波に乗せて返す。

 だから一度社員証を入手して番号を確認してしまえば、後は同じ仕組みを持つICを作れば良いだけだ。

 もちろん簡単にはいかないが、殺し屋であれば社員証の通信プロトコルも、固有番号未記載のICも入手手段はあるだろう。


 だが大森の仮説は、小田原によってあっさりと否定された。


「それは無理です。

 業者向けのIDカードは人と番号が結びつけられています。

 先日まで使っていた内川さんの番号は、返却後に無効化処理をしています。

 もし同じ番号のカードがあったとしても、もう使用することは出来ません」


 大森は仮説を否定されると「そうか」とすんなり受け止めた。

 それから小田原がさらりと口にした「内川さん」という人物のIDカードについて問う。


「内川というのが短期雇用者の名前で間違いないな?

 使っていたIDカードはまだ社内にあるか?」


「サポートの事務室で管理しています」


「証拠品だ。

 回収させて頂く」


 小田原はIDカードの扱いに対して意見を言える立場ではない。

 変わって松ヶ崎が、サポートの役員に対応させると確約した。


 大森はIDカードの件に着いては一旦それで区切りをつけた。

 それから人事部の鈴木と佐藤から話を聞きたいと言い出したので、揃って食堂へ向かうことになった。


 途中、大森は戻ってきた部下に次の指示を投げる。


「監視カメラの映像を回収しておけ。

 部外者が侵入しているかも知れない」


「監視カメラ映像でしたらこちらで回収作業中です」


 小林がうんざりしながらも返す。

 彼はまだ、正体不明の殺し屋など毛頭信じていなかった。


「後でお渡ししますよ。

 あまり役に立つとは思えませんが」


 社内の人間が犯人ならば、社屋の出入り口にしかない監視カメラ映像などほとんど役に立たない。

 対して大森にとって出入り口の通行者情報は重要だ。

 関係者ではない人間が通っているのならば、その人物が犯人である可能性が高い。


 食堂前に戻ってくると、松ヶ崎が食堂内へと手を振って、人事部係長の鈴木と、一般社員の佐藤を呼び寄せる。

 鈴木の方は捜査をどこか楽しんでいるらしく「何でも聞いて下さい」と乗り気であったが、佐藤の方は自分が何かしただろうかと不安そうにしながらやってきた。


 2人に対して、大森が開口一番に問う。


「会社にやってきた内定者を研修室まで連れてきたのは2人で間違いないか?」


 問いかけに鈴木がはきはきと答える。


「自分が正門で待っていて、やって来た内定者さんを研修室までご案内しました。

 佐藤さんは研修室で内定者さんと一緒に居て貰いました」


「結構。

 では佐藤さん。

 内定者が単独で、廊下に出ることはなかったか?」


 鈴木とは対照的に、佐藤は緊張した様子で答える。


「それは、ないです。

 お手洗いに行くのは休憩時間中だけでした。

 その時は私か鈴木さんが、管理ゲートのところで全員帰ってくるまで待っていました」


 佐藤は廊下の向こう。遠くに見える管理ゲートを指し示した。

 管理ゲートの少し手前に十字路があって、そこを右手に曲がるとトイレがある。


「先ほどの話によると、鈴木さんは正門で内定者を待っていた。

 その間、あなた1人だった。

 その場合でも同じか?」


 問いかけに佐藤は顎に指を当てて考え込んで、ゆっくりと回答を口にした。


「その時は私1人で管理ゲートのところで待っていました。

 ですけど、研修室から出るには管理ゲートを通る必要がありますから、勝手に廊下に出ることは出来ませんでしたよ」


「トイレに行った内定者が、食堂側に向かわなかったと言い切れるか?」


 佐藤は即座に頷いた。


「管理ゲートから十字路までそんなに距離はありません。

 スーツ姿の内定者さんが食堂側に向かったら気がつかないわけがありません」


 大森は「なるほど、結構」と佐藤に対する質問を打ち切った。

 それから彼の問いかけは鈴木と松ヶ崎へと向いた。


「やってきた内定者は、本当に内定を貰った人間か?」


 だが鈴木も松ヶ崎も、質問の意図が理解できず首をかしげる。

 大森は続けた。


「面接を実施してから、数ヶ月内定者とは直接会っていないのではないか?

 だとすれば、全員が確実に面接を受けた人物と同じとは言い切れないのではないか?」


 大真面目に問いかける大森に対して、松ヶ崎は苦笑いで返す。


「まさかそんな。

 確かに最後の面接は6月くらいでしたけど、まさか内定者を間違えたりしませんよ」


「本当にそう言い切れるか?」


 重ねた問いにも、松ヶ崎はきっぱりと返す。


「もちろんです。

 確かに遠方の方は初回面接をオンラインで実施しましたけど、最終面接では実際にこちらまで来て頂いています。

 全員しっかり面接した上で、内定を決めていますから」


 松ヶ崎は内定者を間違えるはずがないと言い切った。

 ここで追求しても、彼は人事部長として、自分に間違いがあったかも知れないなどと絶対に言い出さないだろう。

 証拠がない以上追求は出来ない。

 大森は内定者の身元について調査を進めた上で再度問い合わせることにした。

 部下に指示を出して、手荷物検査と合わせて内定者の身分証を確かめるよう言いつける。

 

 大森は完全に、内定者達に疑いの目を向けている。

 組織犯罪対策部としては、犯人を殺し屋だと決めつけているのだろう。


 彼の捜査方針に対して、所轄の小林は大きくため息を吐く。

 食堂内へ視線を向けると、まだまだ手荷物検査には時間がかかりそうだった。


 捜査方針について、はっきりさせておかなければならない。

 小林は大森へと合図を送り呼び寄せると、2人だけでその場から離れた。


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