第17話 殺し屋慈悲心鳥①

 警視庁組織犯罪対策部。通称、組対そたい

 それは名前通り、組織的な犯罪を取り締まるための専門部署だ。

 組織的犯罪とはつまり暴力団絡み。


 組対の大森は、暴力団絡みの事件担当とあってか、どちらが暴力団か分からないような強面の大男で、スーツの着こなしも粗雑でぱっと見はとても警察と思えない風貌をしていた。


「この事件はうちの管轄です。

 暴力団の関与はないですよ」


 所轄刑事の小林は、捜査権を譲るつもりはないと大森相手に主張する。

 大森はかぶりを振って返した。


「暴力団絡みじゃない。

 と言っても、同じようなもん――いや、暴力団より酷いとも言えるか。

 宗教絡みでな。

 危険な宗教組織が、殺し屋を雇って自分たちにとって都合の悪い人間を消している」


「CIL社長がそうだと?

 現在の捜査からは、私怨が原因とみるのが妥当です」


「まだ確定ではないだろう?

 こっちは証拠がある。

 ジヒシンチョウと言う名は知らないだろうな」


 小林は首をかしげて「なにかの帳簿ですか?」と問い返した。

 大森はかぶりを振る。


「慈悲心鳥。殺し屋の名前だ。

 名前以外は全く正体不明だが、依頼を受けたら確実に達成する」


「名前以外が謎なら、何故その存在を知っているのですか?」


 小林の尤もな問いかけに、大森は手帳に挟んでいた紙切れを、周りから見られないように示した。


「証拠があると言っただろ。

 情報提供者がいる。

 これが慈悲心鳥に依頼する候補者リストだ。

 山辺舜介の名前がこのリストにあった」


 紙切れには確かに山辺舜介の名前が記載されていた。

 大森は手帳を閉じると、食堂を見渡す。

 そこでは人事部の鈴木と佐藤が、内定者を帰す準備を進めていた。


「第3者の犯行だとすれば、動機を元にした捜査はあてにならない。

 その場合、一見して害者とは関係ない人物が怪しい」


 大森の視線は、明確にこの場で浮いているスーツ姿の学生達を捉えていた。

 小林はその視線を遮るようにして主張する。


「害者は社員から恨みを買っていた。

 本当に存在するかどうか分からない殺し屋より、怨恨による殺害の可能性のほうが高い」


「可能性はな。

 捜査の邪魔をするつもりはない。

 所轄は怨恨の線で進めたらいい。

 こちらは組織犯罪の線で捜査する。

 互いに情報共有しよう。

 そっちの上の了承はとってある」


 大森の言葉に、小林は肩を落とした。


「それなら最初に言ってくださいよ。

 上が良いと言うなら、あなた方を追い出す理由はありません。

 ただし、捜査はこちらが主導させて頂きます」


「構わない。

 一通り、状況を教えてくれ」


 小林は現在分かっている捜査内容を大森へと伝えた。

 その間、内定者達の帰宅は一時待つよう指示された。


 説明を終えると、大森は確認するように言う。


「そもそもビール瓶の栓が開けられてから、害者が飲むまでに瓶へと近づけた人間は限られる。

 瓶の栓が、食堂に運ばれてくる前に開けられた可能性はないのか?」


 大森の問いかけに、鑑識が調査中のビール瓶を示す。

 大森と小林はそちらに向かい鑑識から調査内容を聞いた。


「こちらが栓です。

 変形具合から、複数回栓抜きによって力を加えられた可能性があります。

 もちろん食堂で栓を開けた際に1度では上手く開けられず、位置を変えて開け直した可能性もあります」


「栓を開けたのは、食堂職員だったか」


「職員の海老塚です」小林が海老塚を呼び寄せる。


 大柄な彼だが、それでも更に大柄で強面の大森に対して怯えるような態度を見せた。されど問いかけにはしっかりと回答する。


「栓を開けるとき、何回か栓抜きの位置を変えたりしたか?」


「あまり詳しく覚えてません。

 今日はたくさん栓を開けましたから。

 ――あ、でも、一升瓶ビールは簡単に開いたと思いますよ」


「結構。

 となると、食堂に運ばれる前――倉庫に保管されている最中、一度栓が開けられて薬を入れられた可能性があるな」


 大森の意見には小林も同意を示した。


「堅い物を上から押し当てて開ければ、栓は曲がらない。

 はめ直してから叩いて形を直せば、栓を開けるときに気がつかれないかも知れない」


「そもそも納入前に入れられた可能性も否定できない。

 納入時に栓の状態は確かめたか?」大森が問う。


 小林が納入時に立ち会った人物を呼び寄せる。

 呼びかけに応じたのは、食堂リーダーの栗原と、サポート社員の小田原だ。


「納入には自分と、小田原さんが立ち会いました。

 栓の状態は、詳しく見ていません」


「数の確認が主でした。

 状態は、ぱっと見て問題なければ良しとしています」


「納入は何時にどちらで?」


 小林が問うと、小田原が答えた。


「午前中の10時頃。場所は業者用の玄関前です。

 そこで数を確認して、私と栗原さんで、台車に載せて4階まで運びました」


「全部そのまま倉庫に?」


「昼食で使う物は食堂。

 それ以外は倉庫です」栗原が答える。


「倉庫には鍵がかからない、でしたね?」


 小林が問いかけると、栗原は首を横に振った。


「内側から鍵をかけることは出来ます。更衣室としても使っているので。

 ただ普段はかけていないというだけです。社内にある倉庫で、不審者が入ってこれる場所ではないですから。

 社員さん達も、食堂の倉庫に侵入して何か盗むような真似はしませんし」


 栗原の証言を聞いて、小林と大森は顔を見合わせる。

 そして小林が確認するように言った。

 

「つまり10時から懇親会のために持ち出された17時まで、倉庫にはほぼ自由に立ち入り出来たと」


 誰でも出入りできたとなると、容疑者は一気に膨れ上がる。

 社員がおよそ500人。

 内定者が21名。

 食堂職員が15名ほど。

 更に懇親会のためやって来た業者が10名ほど。

 この中から本当に犯行が可能だった人間を絞り込まなければならない。


「誰かが倉庫に入っていたら気がつきませんか?」


 小林が問うと、小田原が答える。


「4階は人の往来があります。

 食堂と喫茶室、売店がありますし、図書室や保管庫に資料を取りに来る方も居ます。

 そんな中で倉庫に誰かが――食堂職員以外の方が入っていたら、誰かが見ていると思います」


 付け加えるように栗原も口を開いた。


「14:00以降は懇親会の準備も始まって、常に食堂と倉庫で人が行き交っていました」


「10時から14時の間は?」小林が問う。


「さっきも言ったとおり、倉庫は職員の着替えにも使います。

 11時少し前から11時までは着替えていた職員がいたと思います。大体10時40分からですかね。

 昼食の準備中は皆厨房に居ますから、倉庫に出入りがあっても気がつかないかも。

 昼食前でしたら社員さんの往来も少ないです。

 それから昼食が終わった後、13時から14時の間は職員が昼食をとって、食堂の掃除を行います。この時間帯も社員さんの往来は少ないですね」


 栗原が答えると、小林は納得したように頷く。


「10時から10時40分。11時から昼食前の時間。もしくは昼食後から14時の間であれば、社員が倉庫に入っても気がつかなかった。

 その時間に、害者に恨みを持った社員が侵入したと考えるべきだろうな」


「外部の人間でも可能だ。

 それに、食堂職員であればいつ倉庫に入っても怪しくない」


 小林の言葉に大森が意見した。

 彼は内定者。そして懇親会のためにやって来た業者、それから食堂職員へと視線を向けていく。


「懇親会の業者が倉庫に入ることは?」


 大森の問いかけに栗原が応じる。


「ありません。

 彼らは倉庫の物を使いません。

 懇親会のために食材と道具一式持ってきて、そのまま厨房か食堂に運び込みます。

 制服も違うので倉庫に入ろうとしていたら気がつきますよ」


「食堂職員に、最近働き始めた人は?」


「全員長期で働いています。

 一番若い海老塚君でももう1年半になります」


 1年半。

 殺し屋が潜入して依頼を達成するには期間が長すぎる。

 大森は問いかけを変える。


「長期で休んでいた人物は居ないか?

 例えば、最近までしばらく来ていなかったが、ここ数日の間に復帰したような職員は?」


 大森も、まさかそんな人物がいるとは思わず、念には念を入れて問いかけたようなものだった。

 されど食堂職員達の視線は1点。

 まだ若い女性職員へと向いた。


「あなたは?」


 大森が呼びかけると、おどおどとした様子で女性職員が前にでる。

 血色があまり良いとは言えない、そばかすの浮いた顔をした病弱そうな女性だった。


「あ、あの沢水さわみず玲奈れいなと言います。

 一昨日から職場復帰しました」


 一昨日から復帰。

 その証言に、大森は彼女へと疑惑の目線を向ける。

 強面の彼に睨み付けられて彼女はすっかり怯えてしまった。


「休んでいた期間と理由を教えて頂けますか?」


 大森はそれ以上沢水を怖がらせないように、声色を優しくして問いかける。

 だが沢水にとってその声は逆効果で、怯えながらたどたどしく応じる。


「あ、あの、大腸炎で、入院を。

 っさ、3週間くらい、休みを」


「結構。

 栗原さん。彼女は3週間前と同じ人物――間違いなく沢水玲奈さんですか?」


 問いかけに栗原は何を問われているのか最初ぴんと来なかった。

 だがちらと沢水を見て、はっきりと答える。


「間違いなく沢水さんです。

 4年間ここで一緒に働いています。間違えるはずがありません」


「まあそうでしょう。

 念のため本人確認させて頂いてもよろしいか?」


 大森の言葉に、小林は「そんな必要あるとは思えない」と懐疑的な目を向けたが、結局それで満足するならと鑑識を呼び寄せた。


「緊張しなくても本当に念のためです。ご協力願います」


 小林に声をかけられて、沢水は小さく頷く。

 鑑識に連れられていく彼女を見送ってから、大森はふと疑問が浮かび栗原へ問いかける。


「彼女の居ない3週間は人が少なかった?」


「いえ、短期契約の方が入っていました」


 栗原は応えてから、大森の顔色をうかがって続ける。


「――今回の事件に関係あるとは思えないですよ。

 ビールが納入されたのは今日の午前中です。

 彼女は10月から別の職場で働く予定だとか。先週末に会ったのが最後です」


「連絡先を教えてくれ」


 関係ないと主張する栗原に対して、大森は短くそれだけ言いつけた。

 栗原は「会社に問い合わせてみます」と小さく返す。

 

 それから大森はCIL側の役員に対して要求――しかけたが、一応は気を遣い小林に捜査方針について問いかけた。


「実際に倉庫を見せて欲しい――捜査方針はこれでよろしいか?」


 小林としては彼の意見をそのまま受け入れてしまうのは釈然としなかったが、倉庫を見てみなければ始まらない。

 現時点において、一升瓶ビールに薬が混入されたのは倉庫である可能性が高い。

 現場を見ずして捜査は始まらない。


 ただまるっきり受け入れるのは小林のプライドが許さなかったので、「搬入から倉庫まで運ぶ経路も確認すべきだ」と意見を付け加えた。


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