第9話 事件翌日
翌日、佐久本はイベント会場を訪れた。
会場正面を飾っていたイベント開催を告げる看板は軒並み撤去されていて静かだった。
昨日は嫌というほど照りつけていた太陽も、今日は厚い雲の中。それでも蒸し暑いが、直射日光がない分昨日よりマシだ。
入門証を見せて正面ゲートを通過して、建物裏手の東側通用門へ向かう。
通用門の前に見知った顔が合った。
警備リーダーの沼田が出迎えにきてくれたのだ。
「おはようございます」
「おはよう、佐久本さん。
仕事がないのに来て貰って悪いね」
「いえ、2日間の契約でしたから」
「バイト代は出るから安心して欲しい」
「本当に頂いて良いですか?
昨日も今日もイベントは中止ですよね?」
「返金対応はレコード会社ですから。
会場にはきちんと使用料が支払われています」
佐久本は「そうなんだ」と感心すると同時に、1つ気がかりなことがあった。
「警備の責任は追及されるのでしょうか?」
会場内で事件が発生したのだ。
何らかのお咎めがあるのではないか。
されど問いかけに対して、沼田はかぶりを振った。
「外部から不審者が侵入して――とかなら追求されただろうけどね。
今回の事件はそうではないし」
「そうですね。
自殺か。もしくは内部に居た誰かの犯行か」
「その辺り、今朝のニュースではまだ分からないと言っていたよ。
――とにかく、立ち話する内容でもないね。警備室へ行こうか」
佐久本は頷いて、昨日と同様沼田と共に通用門をくぐった。
控え室前の廊下。
事件のあった小控え室Bは立ち入り禁止になっていて、警察が1人見張りに立っている。
廊下を抜け、2階の警備室へ。
警備室には警備部長と辻、バイトの白井と平岡が集まっていた。
高瀬モモカの死亡事件に、間接的とはいえ関わりのある面子だ。
痩せ気味の初老の男性――警備部長の中村は、やって来た佐久本へ告げる。
「アルバイトの契約時間内はここに居てくれ。
警察からのお達しでね、話を聞きに来るかも知れないと。
もちろん手洗いなどは行って良いが、建物からは出ないように」
「分かりました」
1日無為に拘束されることになるが、元々土日はずっと仕事の予定だったのだ。
ずっと部屋に居るのは退屈だろうが、逆に言えばそれだけ。
それに文庫本1冊持ち込んできたので時間は潰せる。読み終わったときにはスマホもあるし、充電器だって完備されている。
佐久本は長期戦を覚悟して、休憩用スペースの椅子に腰掛ける。
正面には、青白い顔をした白井が座っていた。
彼は昨日、高瀬のファンだと話していた。
そんな相手が間近で亡くなったのだから、ショックも受けるだろう。
白井は見るからに睡眠不足で、佐久本が「大丈夫ですか?」と問いかけると虚ろに「大丈夫。でも寝る」と返し、机に突っ伏した。
佐久本は室内に居る他の人へ視線を向ける。
休憩用スペースには平岡も居たが、彼女は初めてのバイトでこんな事件に巻き込まれたことで動揺しているのか、落ち着きなく身体を揺すったり、絶え間なくスマホをチェックしている。
警備部長の中村は、沼田にこの場を任せると、警察対応があるからと警備室を出て行った。
システム担当の辻はラップトップを広げ、何やら資料を作っている。
警察に提出したデータや機材の記録をつけているのだろう。
リーダーの沼田も自席でPC作業に手をつける。
佐久本の位置から画面は見えないが、中間管理職の彼にはこんな状況でも仕事があるのだろう。
佐久本は本当に自分の仕事はないのだと理解すると、文庫本を広げ読みふけった。
昼食をはさみ、夕方過ぎになっても警察から連絡はなかった。
沼田は事務仕事に区切りがつくと、休憩スペースにやってくる。
彼はテレビのリモコンを手にして問いかける。
「夕方のニュースを見ても良いかな?」
「ええ、私は構いません」
佐久本が頷くと、平岡と白井も頷いた。
休憩スペースに置かれた小さなテレビがつけられ、ニュースをやっていたチャンネルに合わせられる。
ちょうど全国ニュースが始まったところで、大々的に高瀬モモカの死亡について取り上げていた。
イベント会場、リハーサル直後の死。
ニュースの中で、キャスターは告げた。
――警察は自殺とみて捜査を進めている。
高瀬モモカのニュースが終わると、沼田はテレビを消した。
丁度、警備室の電話が鳴る。
沼田が自席に戻り受話器を取って、相手方と数分間やりとりしていた。
会話の内容から、警察から電話があったのだと分かる。
沼田は自殺だったんですか? とか、正確な死亡時刻は分かりますか? とか尋ねていたが、回答があったのかは分からない。
やがて沼田が受話器を置くと、皆の視線は彼に向いていた。
沼田は簡潔に説明する。
「司法解剖の結果、高瀬モモカの死亡推定時刻は14:00から14:40。
睡眠薬による中毒死だが、現場の水や菓子から睡眠薬は検出されない。
遺書はないが、恐らく自殺だろうとのことだ。
――もちろん、ここで聞いた内容は外で言いふらさないように」
佐久本は頷く。
自殺。
自殺か。
「どうしてライブの直前に自殺なんてしたのでしょう」
佐久本が誰にとは言わず問いかけるように口にすると、沼田が柔らかな表情を浮かべて答える。
「それだけ思い詰めていたのだろうね。
人は見かけじゃ分からない。内心で何を考えて居るかは、その人自身にしか分からないものだ。
――みんなもあまり思い詰めないように。
不運にも事件に関わることになりましたが、自分のせいで人が死んだなどと考えないようにね」
「ありがとうございます、沼田さんは優しいですね」
佐久本の言葉に、沼田は照れた様子で「警備員に優しいなんて言う物じゃないよ」と頭をかいた。
それから警察からの伝言を告げた。
「佐久本さんにだと思いますけど、もう引っ越しても良いとのことです」
「はい、ありがとうございます。
早く次の仕事が見つかると良いですけど」
佐久本の言葉に、沼田が提案する。
「来週末、この会場で小さなイベントがあります。
もし仕事に困っていればどうですか?」
佐久本は少しだけ考えて、首を横に振った。
「お心遣いありがとうございます。
ですがごめんなさい。自分を責めている訳ではありませんが……」
言葉は途切れたが、意志は十分に伝わった。
こんな事件があった会場で、また働きたいとは思わない。
沼田はゆっくりと頷く。
「無理強いはしません。
次の仕事、見つかると良いですね。
でも佐久本さんなら、直ぐに良い仕事に出会えると思いますよ」
「ありがとうございます」
警察が自殺の方向へ捜査の舵を切ったことで、この日は皆解放された。
佐久本も予定した時刻よりずっと早く会場を後にする。
アパートに帰った頃には日も暮れていたが、荷造りを始める。
全国、仕事があれば何処にでも行くフリーの身分。手慣れたものだ。
荷造りはあっという間で、夜のうちにアパートを空にして施錠すると、郵便受けに鍵を落とした。
これで明日、管理会社の人が鍵を回収してくれる。
さて。次の仕事は何処になるだろうか。
佐久本は駅に向かうと、東京行きの新幹線に飛び乗った。
◇ ◇ ◇
家に戻って着替えを済ませて、街へと繰り出した。
時計を見ると23時。
もう深夜だというのに街から熱は引かず蒸し暑い。
しかし飲み屋街では煌々と明かりが灯り、未だ人々の騒ぐ声が響いていた。
そんな街の喧騒から少し離れた路地裏へと足を踏み入れる。
そこには小さな看板を出すバーがあった。店の名前は『ナンバーズ』。カウンター6席のこぢんまりした店だ。
いかにもこじらせてそうな店名だが、街の明るい部分から離れた位置にあって若者が寄りつかず、静かに1人で飲める雰囲気が気に入っていた。
店に入ると客はいなかった。
外れにあるとは言え、飲み屋街のバーで23時に客がいないとは。
嬉しい反面、この店の経営は大丈夫なのかと心配になってしまう。
「いらっしゃい。ナンバー11」
数字で呼ばれたが、これは店の決まりで、客の名前を聞かずに数字で呼ぶというものだ。
これもいかにも中二病をこじらせていそうなルールではあるが、マスターの趣味なのだ。
客は従わざるを得ない。
それに少し嬉しくもあった。
名前なんて聞かれたって面倒なだけだ。
数字の方がずっと良い。
だがそれでも、今し方聞き及んだ数字には眉をひそめた。
「前回も11でした」
一番奥の席に着くと、11と記されたコースターが置かれる。
この数字は毎回変わると思っていた。
なのに2回連続で同じ数字。
習慣化されるのは嫌いだ。それに11はいくら何でも都合が悪い。
「1から12は常連に与えられる特別な数字でね。
ナンバ-11。これからはこれがあなたの数字です」
中年の、紺色のベストを着こなし、ヒゲを綺麗に揃えたマスターは上機嫌に微笑んで言った。
「常連という程来ていました?
少し来店を控えようかな」
「回数よりも大切な物がありますから。
あなたのお酒の飲み方が気に入りました」
マスターは上機嫌だが、こちらは気に入らない。
毎回適当な数字を振ってくれるほうがずっと良い。
それでも店の居心地が良いのは紛れもない事実で、金輪際来ないと言い切れる自信もなかった。
「では嫌われるように注文します。
ラフロイグ、ソーダ割りで」
「畏まりました」
マスターは上機嫌を崩さず、アイスピックで氷を削り始めた。
もっとコーラ割とか無茶を言えば良かった。
ふてくされたように頬杖着いて作業の様子を眺めていると、マスターが問いかける。
「出張はどうでした?」
「地方の仕事も悪くないですよ。
観光してくる余裕があればもっと良かったんですけど」
「お忙しかったのですね。
仕事の方はばっちりですか?」
「どうかな。
その振り返りをしようと思ってここに来たから」
「ではどうぞごゆっくり」
コースターの上に、ハイボールの入ったロックグラスが置かれる。
それを1口飲むと、炭酸で弾け飛んだヨード臭が口の中に広がる。
氷と炭酸によって独特のスモーキーさも拡散されて、爽やかな印象すらある。
蒸し暑かった身体に涼が染み渡っていく。
「たまにはハイボールも良いですよ。
特に、今日みたいな暑い日にはね」
マスターはそう言って、チョコレートとチーズの載った小皿をカウンターに置いた。
それに短く「そうかもね」と返すと、マスターは気を利かせたのか正面から離れ、グラスを磨き始めた。
折角気を利かせてくれたのだ、存分に甘えるとしよう。
まだ夜は長い。
しっかり仕事の振り返りをしておかないと。
ハイボールをもう1口飲んで、それから俯いて思案する。
仕事始まりは昨日――ではなく3週間程前だっただろうか……。
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