第3話 控え室の事件
「そろそろ休憩をとってもよろしいですか?」
1時30分を過ぎた頃、暇になった佐久本が切り出す。
「ああ、もうこんな時間か。
先に休んできていいっすよ。
1人交替に寄越すよう、沼田さんに伝えておいて」
「分かりました。では1時40分から休憩をとらせて頂きます」
腕時計を確認して、きりの良い時間まで残ってから、手提げカバンを持って持ち場を離れる。
控え室の並ぶ廊下を通り、階段を上がって2階の警備室へ。
「佐久本、休憩はいります」
警備室で沼田に伝えると、彼は頷く。
「もうすぐ2時だね。
来場者はどう?」
「もうほとんど来ないですね」
「そっか。
なら交替は新人に任せるとしよう。
平岡さん。そういうわけだから、東側通用門――今日入ってきた入り口のところに行って貰える?
白井さんが居るから、仕事内容は彼に聞いて欲しい」
若いバイト――高校生の平岡奈々美は沼田からの指示に頷いて立ち上がった。
「分かりました。行ってきます!」
“新人”と言うのは正しいらしく、働き慣れていないのか、平岡は緊張しているようだった。
すれ違うとき佐久本は「もう人も少ないから気張らなくて大丈夫だよ」と声をかけ、部屋の奥にある休憩用の席に腰掛けた。
警備員用に用意された弁当を食べ、スマホを確認。
休憩時間は45分。1時40分に持ち場を離れたから、2時25分までは休んで良い。
弁当を食べ終わり、しばしの休息と、沼田と辻の仕事ぶりを観察。
辻は監視カメラの映像をチェックしているらしく、たくさん並んだモニターに目を光らせていた。
誰かが通る度に不審な動きをしないかと注視する彼の動きに反応して、佐久本も監視カメラ映像をちらちら見ていた。
そんな風に時間を潰しながらスマホをチェックしていると、時刻は14時10分を過ぎていた。
持ち場に戻る前にコンビニに寄っておきたいと、佐久本は少し早いが警備室を離れることにした。
1階に降りて、控え室の並ぶ廊下を通り抜けて東側通用門へ。
白井に声をかけて、コンビニに行ってくるからと上着をその場において外へ出た。
コンビニはイベント会場の表側。
14時過ぎとなって、いよいよ一般の観客も会場付近に集まり始めていた。
カフェラテを買って、コンビニ前で飲み干す。
ちょっとばかりのカフェインだが、これで午後の仕事も頑張れるだろう。
東側通用門に戻ると丁度14時25分だった。
佐久本は上着を羽織って持ち場につき、代わりに白井が休憩に入る。
東側通用門に残ったのは佐久本と平岡。
女2人だが、特に問題は無いだろう。
通用門は監視カメラで見られているから、何か問題があれば沼田が助けに来てくれる。
「自己紹介まだでしたね。
今日と明日だけ、短期のバイトで入った佐久本です。
よろしくお願いします」
来客もないので、佐久本は平岡に対して声をかける。
彼女は緊張した様子で応じた。
「平岡です。
私も今日と明日だけのバイトです」
「バイトするのは初めて?」
平岡は声もなく頷いた。
「ここは良い職場だね。
仕事もそんなに難しくないし――1日立っていないといけないけど、それさえ問題なければ。
沼田さんも優しい人だし、職場の人間関係も悪くないし」
「佐久本さんは、いろいろバイトをしてきたんですか?」
問いかけに佐久本は頷く。
「そうだね。いろんなところでちょっとずつ」
「へえ。ベテランなんですね」
平岡はどこか緊張が解けた様子でそう答えた。
安心した――と言うより、佐久本が定職に就かないフリーターだと知って、そこまで堅くなる必要もないと見切りをつけたのだろう。
そんなところに白井がやって来た。
まだ休憩時間終了には随分と早い時間だ。
「食堂行ってくる」
「はい。分かりました」
白井は制服の上着を通用門において、イベント会場表側へと向かって歩いて行った。
長期バイトとのことなので、提供される弁当には飽きていたのだろう。
それからしばらくは通用門には誰も訪れず、佐久本は平岡と話して過ごした。
次に人がやって来たのは15時過ぎ。スーツ姿の、堅苦しそうな男性だった。
この暑い日和の中、ジャケットまでぴっしりと着込んでいる。
佐久本は平岡と共に関係者パスをチェック。
レコード会社のプロデューサーで、小倉哲朗というらしい。控え室は使用しないので、そのまま何も渡さずに通用門を通す。
「有名なプロデューサーさんでしょうか?」
「さあ、どうでしょう。
プロデューサーって普段テレビとかには出ないから、分かりませんね」
平岡はウキウキ顔で、廊下の奥へと進んでいく小倉の背中を見送る。
ああいう叔父様が好みなのだろうか?
佐久本にはどうにも理解できない趣向だった。
そして直ぐ後に、食堂に行っていた白井が戻ってきた。
「正面ゲートが忙しくなってるから、多分向こうに回されそうだ。
こっちは2人で問題なさそうっすね」
「はい。お任せ下さい」
佐久本が答えると、白井は上着を肩にかけて建物の中へ入っていった。
東側通用門は、しばらく佐久本と平岡の担当になりそうだ。
問題があるとすれば、多少暇すぎることだろうか。
佐久本は平岡の学校の話などを聞いて適当に時間を潰した。
少しして、内側から人がやって来た。
気配に振り返ると、先ほどやって来たばかりのプロデューサー、小倉哲朗だった。
「お帰りですか?」
佐久本が問いかけると、小倉はかぶりを振った。
「控え室の扉が開かないんだ。
鍵を貸して貰えないか?」
「小倉様は控え室の利用はないと伺っています」
控え室利用者リストに名前はないはずだ。
佐久本はリストを再度見て、“小倉哲朗”の名前がないと確認して述べた。
だが小倉は頑なだった。
「高瀬モモカのプロデューサーだ。
控え室Bの鍵がかかっているんだ」
「鍵は既に高瀬様のマネージャーへお渡ししていますので、そちらから受け取って頂いて――」
「それは分かってる。
だが滝は高瀬へ鍵を渡したと言った。
高瀬は部屋に戻ったはずなのに、鍵が開かないんだ」
佐久本は首をかしげる。
滝というのはマネージャーの名前だ。
小控え室Bの鍵は、その滝から高瀬へ渡された。
高瀬は部屋に戻ったが、部屋の鍵はかかっていて開かない。
考えられる可能性は?
1つ。高瀬は鍵を受け取ったが、部屋に戻らなかった。
1つ。高瀬は部屋に入ったが、内側から鍵をかけて来客を無視している。
1つ。高瀬は部屋に入ったが、再び外に出て部屋に鍵をかけた。
「本人に電話など出来ませんか?」
「かけたが繋がらない。
だから鍵を貸して欲しいと言っている」
どうしたものだろう。
佐久本は平岡をちらと見たが、彼女は予定外の展開にどうしたら良いか分からないようであたふたしている。
とても、「では平岡さん。小倉様と一緒に控え室を確認してきて」などとは言い出せない。
となれば誰が行くべきかは明白だった。
「分かりました。
まず控え室を確認させて下さい」
佐久本は平岡へ目配せしてこの場を彼女に任せると、小倉と共に屋内に入った。
廊下の角を曲がって、手前から2番目、小控え室Bの扉をノックする。
「申し訳ありません。
警備担当の佐久本です。
高瀬様、いらっしゃいますか?」
声をかけたが全く反応がない。
ドアノブを捻ってみたが、鍵がかかっていて開かなかった。
「見ての通りだ。
それで、予備の鍵は?」
「1度上司に報告させて下さい。
可能なら、高瀬様のマネージャーに連絡を取って頂けますか?」
「分かったよ。彼女に連絡はしておく」
「では少々お待ちください」
小倉を廊下に残し、佐久本は廊下を抜け、2階の警備室へ。
警備室に入ると、沼田が出迎えに立っていた。
「何かありましたか?」
監視カメラには東側通用門の映像が映っている。
佐久本が持ち場を離れたのを見ていたのだろう。
佐久本は簡潔に説明した。
「高瀬様のプロデューサーを名乗る小倉様という方が、小控え室Bの扉が開かないと。
予備の鍵を貸し出すようにと要求されていますが、どうしたらよいでしょうか?」
「プロデューサーね。関係者パスは確かめました?」
「はい。情報も一致しましたので、プロデューサーであることは間違いないです」
「分かりました。
話を聞いてきます」
沼田は警備室の奥にあった金庫の電子ロックを解除した。
解錠を告げる警告音を鳴らして開いた金庫から、小控え室Bのマスターキーを取り出す。
それから沼田は警備室を見渡した。
室内に居るのは、監視カメラ映像のチェックをする辻と、沼田と佐久本。
彼は言った。
「警備室には常に2人以上居ないといけない決まりでね。
申し訳ないが佐久本さん、しばらく警備室に残って貰って良いかな?」
「分かりました」
「平岡さんは1人にしても問題ないよね?」
「はい。初めてのバイトのようですけど、真面目でしっかりした人です。
1人でも十分に仕事をこなせると思います」
「ありがとう。
では行ってきます。辻さんのお手伝いをよろしく」
佐久本が返事をすると、沼田は警備室を後にした。
マスターキーを渡されて、「じゃあ佐久本さん行ってきて」なんて言われずに済んでほっと胸をなで下ろす。
「辻さん、何をお手伝いしたらよろしいですか?」
「そうだな。
監視カメラの映像、チェックしてくれるか?
不審な動きをする人が居たら教えてくれれば良い」
「分かりました」
辻はその間に、IDカードの情報を更新するようだ。
佐久本は大量のディスプレイが並ぶ席に座り、その映像を確かめる。
東側通用門には平岡の姿。
人がやってこないようで、1人で暇そうにしている。
階段を降りた広間に、沼田の姿が映った。
彼はそのまま控え室の並ぶ廊下方面へと進む。
だが控え室前の廊下を映すカメラはなかった。
沼田と小倉がどのようなやりとりをしているのか、確かめる手段はない。
気にはなったが、この場を任されたのだからと、真面目に仕事に取り組む。
女性が小走りで階段前広間を通過。見覚えのある女性だ。確か、高瀬モモカのマネージャーだったはず。
少しして、警備室の電話が鳴った。
パソコンで作業をしていた辻が、反射的に受話器を取る。
「はい警備室――沼田さんですか? どうしました?
え!? 高瀬モモカが倒れた!?」
辻の言葉に、思わず佐久本は振り返った。
しかし辻は手を振って、監視カメラの映像を見ているようにと示す。
事件が起きたときだからこそ、しっかり映像をチェックしていないといけない。
佐久本も理解して、直ぐに業務に戻る。
控え室に入るには、東側通用門か、1階階段前の広間を通らなければならない。
この2つを通る人物を見過ごさないようにと目を凝らす。
しかし背後の辻の声が気になる。
数回のやりとりの後、辻は受話器を置いた。
「聞こえていたようだけど、高瀬さんが倒れたそうだ。
沼田さんから救急と警察には連絡したらしい。
あまり騒ぎを大きくしたくないから、同僚にもこの話は伏せるように」
「はい、分かりました。
――警察も呼んだと言うことは、病気ではないということですか?」
「そこまでは分からないね。
とにかく、引き続き監視カメラの方、よろしく頼むよ。
こっちで通用門の警備には連絡するから」
佐久本は返事をして仕事に戻る。
辻は手早く電話をかけていく。
緊急車両がくるから東側通用門前まで通すように。
東側通用門に居る平岡へ、関係者であっても入場も退場もさせないように。ただし警察と救急が来たら通すように。
控え室前に人が入らないように、広間に警備員を寄越すように。
それから白井へ、アクシデントがあったから東側通用門へ戻ってくるように。
佐久本はその間も監視カメラの映像を見続けた。
慌ただしく人が動き始めているが、控え室へと人が入るのは防げている。
そして緊急車両のサイレンの音が響く。
東側通用門に救急車とパトカーがやって来た。
救急隊が担架を担いで通用門を通る。遅れて警察も屋内へ。
しばらく後、担架が外に出てきた。
担架に誰が乗っているかは、監視カメラの映像からは分からなかった。
ただ、救急隊員が全く医療行為を施しているように見えない。
――恐らく高瀬モモカは、控え室で死亡していたのだろう。
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