第2話 警備業務開始

 佐久本はアパートからライブ会場最寄りまでバスで移動。

 そこからスタッフの通用門までは徒歩で10分程。


 夏真っ盛りのよく晴れた日だった。

 午前なのにうんざりするほど太陽は照りつけている。


 会場周辺には、今日と明日。2日に渡って開催されるイベントについて、これでもかと言うほど喧伝する看板が設置されていた。


 開催されるのは大手レコード会社主催の、所属アーティストを集めたライブイベントだ。

 地方にしては珍しい大型公演に、地元民の多くが足を運び、都心や別地方からも多くの観客が訪れる――はずである。


 ライブは夕方から。

 まだ朝方と言ってよいこの時間帯に会場を訪れているのは、関係者か、(非情に)熱心なファンくらいのものだ。


 佐久本は入門証を示して正面ゲートを通ると、会場裏手の通用門へと向かう。

 関係者向け東側通用門が、警備担当に割り当てられた出入り口だった。


 日陰で呼吸を落ち着け、じんわりと湧き出た汗をハンカチで拭う。

 何事も最初の印象が大切だ。

 何も問題ない。やるべきことをやるだけ。


 再度決意を固め直して、佐久本は東側通用門へ。

 出迎えに立っていた警備リーダーへとお辞儀をして、挨拶した。


「おはようございます。沼田リーダー」


「おはよう。佐久本さん。

 今日明日とよろしくお願いします」


 中年に差し掛かろうという年齢の男性警備員、沼田佳孝ぬまたよしたかは柔和な笑みを浮かべて頭を下げた。

 彼は身長が佐久本よりも頭1つ高く、がっしりした体躯をしていた。

 それが警備員の制服に身を包み、特殊警棒をぶら下げている。

 だというのに人の良さそうな表情と、柔らかな物腰を持ち合わせているおかげか、圧迫感は全く感じない。


「こちらこそよろしくお願いします」佐久本は深く頭を下げる。


「佐久本さんは経験者だそうだから頼りにしていますよ。

 ああそれと、リーダーは不要です。

 マニュアルは目を通してくれましたか?」


「はい。しっかりと頭に入れてきました」


「流石経験者だね。

 と言っても、余所とは勝手が違うだろうから、分からないことがあれば遠慮なく聞いて下さい。

 では警備室へご案内します」


 佐久本は沼田に連れられて東側通用門を通り、廊下を進む。

 事務室、倉庫、技術室があって、角を曲がると控え室が並んでいた。ここも佐久本の担当場所の1つだ。

 

 控え室の並ぶ廊下を進んだ先に更衣室とトイレ。

その先の扉を開けると広間があって、道は2つに分かれていた。


「真っ直ぐ進むとライブ会場の裏手に出ます。

 佐久本さんはあちらの担当ではないから、入らないように」


「はい。気をつけます」


 階段を上がり、廊下を少し行ったところに警備室があった。

 入り口は電子ロックがされていて、沼田がIDカードを扉横の端末にかざすと扉が開く。


「彼らとは初対面でしたね。

 紹介します。

 警備システム担当の辻さんと、長期バイトの白井さんです」


 警備室に居た2人の男性は、沼田に名前を呼ばれると立ち上がった。

 先に年配の辻が自己紹介する。


「主に警備室の担当をしてます、辻です」


 辻は髪に白いものが混じり始めた、生真面目な技術者気質の男性だった。

 続いて白井が頭を下げる。


「ここで1年半くらいバイトしてる白井っす。

 大学生っす」


 白井は体格の良い、肌の焼けた青年だった。

 佐久本は2人に対してそれぞれ頭を下げる。


「2日間のみの短期で入った佐久本です。

 警備バイトの経験はありますが、この会場は初めてです。

 短い間ですがよろしくお願いします」


 佐久本が表情柔らかく告げると、白井は気さくそうに返す。


「仕事内容でしたら何でも俺に聞いて下さい」


「はい。頼りにさせて頂きます」


 佐久本は心中、ほっと胸をなで下ろす。

 リーダーの沼田は、面接時の印象通り人の良いおじさんで、佐久本に対しても好感を持ってくれている。

 辻は無口だが、悪い印象は持たれていなさそう。

 白井は目に見えて好印象を持ってくれている。


 少なくとも、人間関係の上では問題無さそうだ。


「正面ゲート側担当のチームや会場内部のチームなど、別の警備チームも居ますが、顔を合わす機会はないと思います。

 上着と、IDカードです。勤務中は上着着用をお願いします。

 IDカードは帰宅時に回収します。紛失しないように」


「はい。確かに預かりました」


 早速佐久本は警備係の制服である上着を羽織り、IDカードの入ったネームプレートを首から提げた。

 それから早速、控え室の準備へと向かう。


 先輩の白井と共に1階へ降り、事務室に寄ってペットボトルの水と菓子籠の載ったカート、控え室の鍵が入った鍵箱を受け取る。

それから一番近くの小控え室Aに入る。

 白井から仕事の要点を教えてもらい、次の部屋からは2手に分かれて担当することになった。


「では私はこちらの壁沿いを担当します」


 佐久本は白井から控え室の鍵を3つ受け取り、まずは小控え室Bに入る。

 

最初に室内のチェック。

入り口直ぐのところについたて。扉が開いていても室内が見えないようになっている。

佐久本はついたての裏側に回り、若干の位置調整を加えた。


次に不審物が存在しないか。清掃は行き届いているかを確認。ロッカーの中までしっかりと目視確認する。

問題ないと判断したら、机の上にペットボトルの水と菓子籠を置く。

小控え室は基本的に1人部屋なので1つずつで良い。


確認を終えたら部屋を出て施錠する。

鍵をかけた後、ドアノブを捻って扉が開かないかチェックしておく。


そんな具合で小控え室C,Dと準備を終え、同じく小控え室の確認を終えた白井と共に、大部屋の確認へ向かう。

やることは小控え室と変わらない。

部屋の見回りをして、水とお菓子を置いて施錠するだけだ。


全ての部屋を見終わると鍵は白井の持つ鍵箱に収められ、鍵箱には南京錠がかけられた。

 それから2人は、東側通用門の警備を任された。


 関係者パスを持っている出演者達がやってくるので、彼らのパスを確認し、控え室の鍵を渡していく仕事だ。


 しばらくやってくるのは警備員やイベントスタッフ。業者用搬入口と間違えてやってきた業者等だった。

 しかし10時を回った頃から出演者達がやってくるようになった。

 ライブは夕方からで、出演者数も多いのでリハーサルに時間がかかる。

 佐久本が経験した他のイベント会場でのライブよりリハーサル開始時間が早いのもあって、出演者がやってくるのも早かった。


 テレビでしか見たことないような歌手やアイドルユニット。

 彼らを前にしても、佐久本は粛々と仕事をこなす。


 関係者パスを細部まで確認。

 本人確認が取れたら控え室のリストを参照して、該当する部屋の鍵を、鍵箱から取り出して渡す。

 それだけの仕事ではあるが責任は重大だ。


 白井も淡々と仕事をこなしていたが、昼前頃にアイドルグループがやってくると少しばかり目の色が変わった。

 5人組のアイドルユニットと、ソロ活動するアイドル。

 アイドルユニットの方は皆アイドルらしくほっそりした体躯と可愛らしい顔をしていたが、ソロ活動のアイドルは随分と肉付きが良くふっくらしていた。

 それに小太りの彼女――高瀬モモカは表情に若干の疲れが浮かんでいた。

 彼女たちに付き添っていたマネージャーが、全員分の関係者パスを提示する。


 佐久本は関係者パスを確認し、問題なかったので控え室の鍵を2つ取り出した。


「スカーレット・ローズ様は大控え室Aをご使用下さい。

 高瀬様は小控え室Bとなります」


 鍵はマネージャーが2つとも受け取った。

 彼女たちが通用門を通って廊下の奥へ姿を消すと、興奮した面持ちの白井が声をかける。


「実は俺、スカーレット・ローズのファンだったんだ」


「そうみたいですね。

 ――だった?」


 過去形だったのが気になって佐久本が問いかけると、白井は照れくさそうに答える。


「モモカが推しだったんだけど、脱退しちゃっただろ?」


「そうですね。でも今一緒に居ましたよね。

 もしかして今は高瀬さんのファンなんですか?」


 白井は頷く。

 スカーレット・ローズは6人組ユニットだったが、その内の1人、モモカが脱退した。

 しかし彼女は脱退後直ぐにソロ活動を開始した。

 今は高瀬モモカとして、幅広く活躍している。


「意外ですね。

高瀬さんはソロ活動開始前、あまり人気がなかったと聞いてます」


「実際そうだったんだけどさ。

 そういう方が、応援したくなるだろ? 分からないかな?」


「気持ちは分かります」


「でもなんか心配だな。

 ちょっと疲れてるように見えたけど、ライブ大丈夫かな?」


「プロですから、その辺りは上手くやると思いますよ」


 佐久本は適当な返答をして、次の来客が来たので話を打ち切り仕事に戻った。

 以降も東側通用門での警備を続ける。

 出演者の他にも、マネージャーやレコード会社関係者がやってくる。


 されど特に問題も無く、昼過ぎから来場者はめっきり少なくなり、たまにコンビニに行くからとマネージャーが出入りする位だった。

 警備の仕事は順調すぎる程に順調だった。


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