第2話 偉大なる師

「夜分に申し訳ございません。オリバ様はいらっしゃいますか?」


 外で鍋を洗うレノに1人の男が話しかけた。ロイスが森を出てから、しばらくしてのことである。

 来訪者はローブを纏い顔は見えない。ただ、とても華奢な男だというのはわかる。


「……。どちら様で?」


 誰かがオリバを訪ねてくるのは日常のことである。だが、真っ暗な森を抜けてきた者はこれまでいなかった。暗闇の中、手に灯を持つわけでもないこの男を不審に思うのは当然であった。


「クローゼです。この名前を告げれば分かりますから。」


 レノはオリバに来訪者の名前を告げると、驚いた表情とともに飛び出した。崩れる本などお構いなしに玄関へと向かっていく。


「クローゼ! お前なのか!」


「お久しぶりです。オリバ。」


 クローゼはフードを取る。金色の柔らかな髪に狐のような細い目。若干10歳にして卒業していったあの少年の面影が強く残った男であった。あの絵にあった1人の天才が大人となり戻ってきたのだ。


「なんと大きく成長したことか……! さぁ、上がりなさい。夜も遅いが、話を聞かせてくれ!」


 室内へ促そうとするオリバを前にクローゼは俯いたままである。


「私は今日、貴方にお願いがあって来ました……。」


 和やかに微笑んでいたクローゼの様子が暗く重いものに変わったのを2人は察する。


「今いる弟子の身柄と、歴代の弟子たちの絵をいただきたい。」


 弟子の身柄と絵。その意味するところをレノだけが理解できていなかった。


「どうしてお前が……。何のために……?」


「私ではなく、帝国に必要なのです。ご理解ください。」


「もし断れば……?」


「殺してでも奪えと命令を受けています。」


「師を!! 父を殺すと言うのか!!!」


 オリバの激昂に木々が揺れる。


「ジジィ……。なんだよ帝国って? こいつは何を言って……!!」


 レノの言葉を遮るように落雷がオリバを襲った。

 雷が大地に突き刺さる一瞬の間。

 オリバは右手一つでその雷撃を薙ぎ払った。


「レノ。下がっていなさい。」


「は!? 黙って見てろってか? 俺も闘える……!」


 レノはクローゼを睨みつける。

 クローゼは呆れたようにため息を吐くと、右手で空間を撫でるように動かした。


「なッ……⁉︎」


 突如としてレノを襲ったのは、その身を吹き飛ばす程の暴風であった。

 詠唱も魔法陣もなく放たれた魔法攻撃はレノを恐怖させるのに充分だった。


「ついて来れそうですか? 大人しく見ている方が賢明ですよ。」


 嘲笑うようにクローゼは言うと、先ほどよりも強く空間を撫でる。木の葉や砂を巻き上げ、視認できるようになった一陣の暴風がオリバに迫った。

 だがその刹那、オリバも空間を撫でると、大地が隆起し壁となり、暴風をせき止める。砂埃や木の葉が勢いよく流れていった。


「これが、魔力風動だっていうのか⁉︎」


「言っておろう。上には上がいる。」


 魔力風動とは、そのものが持つ魔力を操作する際に起きる現象である。魔法の使用時に、その術者を中心にそよ風が発生したり、足元の地面に軽い亀裂が入ったりする程度が一般的だが、彼らはそれを高威力化し攻撃に用いている。

 それも魔法を使っていないことから、意図的にこの魔力風動だけを発生させ、意識的に動かしている。それには緻密な魔力操作が必要であり、それに加えて攻撃として成立するほどの威力は魔力量も桁外れだということを意味していた。


 寝息で街一つを吹き飛ばす怪物を目の前にしているような途方もない恐怖とともに、自身の中の常識が覆る。レノにとってはそんな一瞬であったのだ。


「オリバ。準備は良いですか?」


 気づけばクローゼは50メートル程に離れていた。魔導士の本気の間合いである。


 そこから始まったのは魔力風動による攻撃をジャブとして高威力魔法を撃ち合う高速戦闘であった。

 魔力風動を詠唱や魔法陣の展開の際の隙を埋める繋ぎとする技術、相手の唱えている魔法の属性を見極め、最低でも相殺できるだけの魔法を瞬時に唱える判断力。

 この、先に乱された方が負ける戦いをレノはただ呆然と眺めることしか出来なかった。


 雷・土・水・炎・氷・光・闇

 多種多様な魔法がぶつかり合い、激しい衝撃波とともに周囲の木々を根本から揺らす。

 その度に2人の中間に位置する地面は抉れていき、飛んでくる弾丸のような土偏や小石なども魔力風動で防いでいく。

 ここまでは互角だ。


「さすがです。ではこれならどうですか?」


 オリバとレノは轟く雷鳴に気がついた。

 見上げた空にはいつのまにか、分厚い雷雲が立ち込めていたのだ。月は出ている。どうやらこの森の上空にだけ雷雲が存在していた。


「同時に展開していたんです。防げますか?」


 その雲からは雄叫びのような雷轟。

 そして、雷の身体を持つ巨大な龍が顔を出した。ウネウネと長い身体が雲からところどころはみ出ている。


「雷の形与魔法……⁉︎ 雷獣か!!」


「覚えててくれたんですね。卒業試験で自分の得意な魔法に名前をつける。懐かしい。」


 クローゼは懐かしむように微笑んだ。


「あの時の狼が龍にまで成ったか……。」


 オリバの脳裏には幼いクローゼの笑顔。今のクローゼの笑みとは似ても似つかない。それを成長とは言えなかった。


 そして次の瞬間、2発の雷轟が鳴り響く。

 レノは恐る恐る空を見上げた。姿形が全く同じ雷龍が3体。曇天の海を泳いでいる。


「ならば致し方ない……。目覚めよ!!」


 オリバはその右手を地面に向ける。

 そしてすぐに大地が揺れた。決して地震などではない、まるで大地の中を特大の何かが蠢いているような振動。

 それに威嚇するように3匹の雷龍が雄叫びを上げ、空気を震わせた。


 クローゼは楽しそうに大声で笑っている。その視線はオリバの頭上。いや、奥だ。


 レノは振り返る。そして、その光景に愕然とした。信じられないことに、ずっとそばで暮らしていた大樹が蠢き、その形を変えているのだ。

 思い出の詰まった家がパラパラと崩れていく。動揺するレノをよそにオリバはただ目を瞑っていた。その何かを懐かしむような表情はどこか荘厳で、次第にレノの動揺も収まっていく。オリバはこれまでの思い出を噛み締めているのだ。オリバですら、思い出の地を品を捨てないと対処できない状況なのだ。


 気づけば、大樹は人の形となっていた。曇天に手が届きそうなほどの巨人は大きく息を吸うと怒りに満ちた咆哮を放った。


「ハハッ! これは驚いた!!」


「ジジィ! あの大樹は樹人トレントだったのか⁉︎」


「別に隠していたわけではない。私も彼も平穏を望んでいた。できれば起こしたくなかった。」


「この大きさ……。一体どのくらい生きて……!」


「オリバの伝説は、数々の地に残っていました。まだ貴方の側にいるなんて思ってもいなかったですよ……。ですが、良いんですね?」


 クローゼは曇天に向かい右手を伸ばした。


「落ちろ……。」


「迎え撃て!! バウマン!!」


 巨人は自身の腕から伸びる巨大で長い根を鞭のように振るい曇天を狙う。

 だが、それよりも速く一体の雷龍が巨人の右肩に噛み付いた。

 その瞬間、その龍は姿を消した。

 巨人は断末魔の叫びと共に片膝をつく。龍に噛まれた右肩から、その腹にかけてが痛々しく抉れ、プスプスと黒い煙を出していた。

この一瞬の出来事、龍が噛み付いた直後にその姿を落雷へと戻したのだ。通常の落雷とは比較できないほどの雷撃が超至近距離、一点に集中して巨人を襲ったのである。だが、巨人もただ攻撃を喰らったわけではなかった。龍の噛みつきに怯む事なく、その鞭撃は一体の龍を両断していたのだ。その龍は曇天より沈み、無数の小さな落雷となって霧散した。


 形与魔法とは、与えた形によってその性質を変化させる複合魔法の一種である。クローゼは雷の魔法に龍の形を与えた。それにより雷は龍のように動き、巨人に威嚇し噛み付いた。だが、あの龍は雷そのもの、生物ではないのだ。あの巨人と違って。


 最後の一体の龍は、苦しむ巨人のうなじに勢いよく噛み付いた。巨人にもはや抵抗の余地はない。全身に走る雷撃が巨人の内部を焼き切った。巨人は動かない。木の体に火の手が上がろうとも反応を示さない。そこには朽ちた大樹があるだけとなった。


「すまない……。友よ……。」


 オリバは友の亡骸を見つめていた。

 その時である。突如としてオリバはふらつきだし、ゆっくりと沈むように尻もちをついた。信じられないという表情とともに、ゆっくりと鼻血が垂れる。


「おい! ジジィ! どうした⁉︎」


 オリバは必死に立とうとするが、足に力が入っていない。


「オリバ……。死期が近かったのですね……。そのような体で魔法を使いすぎたのです……。だから」


「黙れぇ!! お前に弟子を奪われるわけにはいかないのだぁ!!」


 そう叫ぶオリバはそれでもなお立ち上がれずにいる。レノはオリバに肩を貸そうと近づいた。それが正解かも分からず、それ以上にできることも見つからない。そんなレノの迷った瞳をオリバは真っ直ぐに見つめた。


「レノ。逃げなさい。」


 そうオリバは囁いた。


「どうにも勝てそうにない。時間は稼ぐ。ロイスと共に逃げろ。」


 オリバはそっとレノを突き飛ばした。自力で立ち上がっている。


「ジジィ⁉︎ ダメだ!!」


「逃げろォ!!!」


 オリバの渾身の魔力風動がレノを吹き飛ばした。オリバの背中が弱々しく、小さく見える。防戦一方のオリバは明らかに精神的にも追い込まれていた。


「なんだよ……。なんだよ……。俺はなんでこんなに弱いんだよ!!」


 レノは拳を地面に叩きつける。走り出さなくては。オリバの犠牲を拒みながらも、生きるか死ぬかの逃亡を決意したその瞬間、視界に入ったのは一冊の本だった。

 それは数年前に覚えようとしてオリバに叱られた禁術の記された魔術書。

『こんなものに頼るのは死ぬ間際で良い!』

 そう言われたのを覚えている。それが今だと、これは運命なのだと悟った。


 レノはその本を抱え、目を閉じ、呪文を唱える。不思議なことに一度見ただけの呪文がすらすらと口から溢れてくる。自分の周りを膨大な魔力が覆っているのが感じられた。

 だが、レノにとってそんな事はどうでもよかった。レノの頭には一か八かオリバを救い、クローゼを倒す力が得られればそれで良かったからだ。あの老いぼれには多くの人に囲まれ天寿を全うして欲しかったからだ。その実現が唯一の恩返しなのだ。


「見てくださいよオリバ。これはまた面白い事をしている。」


 オリバもレノの魔力が異質なことに気がついていた。やっとクローゼが攻撃を止めた事で振り返る。オリバとクローゼにはレノがしている事を瞬時に理解できた。


「バカものォ!! そんなものに手を出すなぁ!!!」


 レノの覚悟は決まっていた。

 眼球が灼き切れるように熱い。

 レノの閉じた瞳から血の涙が滲み出る。


 そして、何かに促されるように目を開けた。


「レノ……。お前……。」


 レノの眼球はまるで蒼いガラス玉のようになっていた。そこには黒目の代わりに円状の幾何学模様が白く輝いている。


 レノは異様なまでの清々しさを感じていた。まるで、初めて澄み切った空を見上げたような解放感と、賭けに勝ったことへの高揚感が合わさり、闘争心が湧いてくる。


「美しいですね。何が見えますか?」


「クソ野郎と偉大なる師だ。」

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