第1話 前夜

 花が山積みとなった籠を抱え少女達が走る。人々が行き交い、活気に溢れた通りには木造の建築物が並ぶ。


 ここは当初、賢者オリバに救済を求めた者達が作った集落であったが、いつしか難民たちが流れ着き、次第に町にまで発展した。


 そんな賑やかな往来を、1人の青年が小さな木箱を右手に持って歩いていた。緑の髪色のボウズ頭ではっきりとした端正な顔立ち、袖からは筋肉質な腕を覗かせている。

そんな青年に1人の男が話しかけた。


「よぉ、ロイス! 良い魚が入ったんだ!食ってかねぇか?」


「ごめん、おじさん! お使いの途中なんだ!また今度!」


 ロイスはそう微笑むとまた歩き出す。町人達は笑顔で次々とロイスへ声をかけていた。


 ロイスの背が遠くなるとヒソヒソと1人の客が屋台の主人に話しかける。


「あいつ、頬に荊のタトゥーがあったよな……。落とし子か?」


「ああそうさ。あの歳の落とし子なんて珍しいだろ? 昔にオリバ様が対処してくれてな! 一度も厄災なんて来やしねぇ!」


 主人は大口を開けて笑う。


「この町の住人は怖くないのか?」


「最初は怖かったさ。でもオリバ様は凄い人で、ロイスは良い奴だ。今はもう怖くなんかねぇよ。」


「そうか……。俺はすぐにでもこの町を出るよ。落とし子が恐ろしい……。」



『ロイス。落とし子の力はワシが抑えつけた。誰も傷付ける事はない。だが、何をしてもその紋様だけは消せなかった。今後、お前はそれのせいで差別されるし嫌われる。だがな、だからこそ善人でありなさい。誠実でありなさい。何事も……』


だ。」


 このオリバの言葉が強くロイスの心に残っていた。だからこそロイスはそれを実践し、今では町のみんなから好かれている。


 ロイスは町を抜けて森へと入る。そして、しばらく歩くと一本の大樹がそびえる、開けた空間に出るのだ。


 その大樹の根本に巻きつくように土壁と木で作られた建物が建っている。その家の前では赤髪の青年が鍋を火にかけ料理をしていた。


「ただいま。いい匂いだね。レノ。」


「おー、お使いご苦労さん。もうすぐ出来っから楽しみにしとけよー。」


 ここはオリバとロイス、レノの3人が暮らす家だ。外からも見てわかるように大樹を囲って建っているため、奥の壁は大樹の幹である。部屋割りがされているわけでもなく、木を囲うように床と天井、外壁を作った簡単な建物だ。そして、中に入るとまず目に入るのは沢山の書物である。不規則な高さで両脇に積まれており、室内は本来よりも狭さを感じる。

 そこから少し進むと1人の老人が窓際のテーブルに向かい、筆を走らせていた。


「はい、オリバ。頼まれてた絵の具だよ。」


 その老人の手は筆が重そうに感じるほど細く弱々しくなってはいるが、表情にはとても覇気があり、その目は力強さを感じさせる。


「おお、ありがとう。これで絵を完成させられる。」


 そう言ってオリバは壁に飾られた無数の人物画を懐かしむように眺めた。その絵の人物達はロイスやレノと同じくらいの年である。


「お前らが最後の弟子だ。お前達との思い出を筆に乗せて描けば、私の心にも絵にもそれが残る。」


 オリバはロイスとレノの絵を見てそう語った。その絵の中では、ロイスは釣りをしており、レノは料理を運んでいる。どちらも微笑んでおり、優しさで溢れていた。


「オリバ。俺はここに残って貴方を看取りたい。それはだめだろうか?」


「あと30年は生きるが、それでも良いのか?」


 オリバが豪快に笑う。だが、それもすぐに辛そうな表情に変わり、咳き込んでしまう。


「まったく……。お前は昔からそうだなぁ。師を、親を本気で思うならまずは飛び立て。私が与えられなかった経験や知識を得て、成長して戻ってきなさい。それまで生きててやる。人として大きくなった姿を見せてくれ。」


 ロイスはオリバの手を握った。


「わかりました。」


 涙を堪えた目が映った。


「ジジィ〜、ロイス〜、飯ができましたよーっと……。ってまた泣いてんのかよ2人とも。」


 レノがニヤニヤと2人を見た。


「村のみんなが面倒見てくれるんだ。ボケる前に死んでやれよ?」


「やかましい!! 相変わらず生意気なガキだ!」


 そう言ってオリバは絵を描き始める。最後の仕上げとばかりに色を入れていく。


「なぁジジィ、前から気になってたんだが、この絵のガキは孫か?」


 レノが指をさした絵には10歳くらいの少年が写っている。金髪に狐のような細い目。本を抱えて微笑んでいる。


「卒業生だ。19年前のな。」


「卒業生⁉︎ なんでガキの姿で描いてんだよ?」


「天才って奴だ。10歳で教える事がなくなってな。本人の希望で卒業させた。ロイスを引き取る1週間前のことだったか?」


「天才?俺よりもか?」


「お前にはまだまだ教える事が多いわ! バカ者が! 世間にこんな未熟者を出すのが恥ずかしくてならん……。」


 この見慣れたやり取りももうすぐで終わる。3人の表情はどこか寂しそうで、でも楽しそうでもあった。

 オリバは2人に筆を渡すと、それぞれの絵の裏を向ける。


「最後だ。好きな色でこの絵の裏に名前を入れなさい。そして、壁に自身の絵を掛けるんだ。」


 2人は絵を壁に掛けた。ロイスは最下段に、レノは最上段に。


「レノ。ロイス。2人の孤児よ。2人の弟子よ。2人の息子よ。明日をもって卒業だ。」




 3人での最後の晩餐はとても楽しく、賑やかで流れ星のように煌びやかだった。瞬く間に時間が通り過ぎるほど、思い出話に花を咲かせた。


「すまんロイス。薬の配達を忘れていた……。今から頼めるか?」


時刻はちょうど日が落ちた頃である。


「別に良いけど、明日じゃダメなの?」


「肉屋のご婦人が最近寝付けないと言っていてな、なるべく早く渡してやりたいんだ。」


 そう言ってオリバは紫色の液体の入った小瓶を渡した。


「ああ、3日間寝かしてた薬。日光に当てちゃいけないんだったね。それ以外に持ってくものは?」


 オリバは首を横に振った。


「足元に気をつけるんだぞ!」


レノは鍋を洗いながら言った。

ロイスの背中はすぐに暗い森へと消えていく。オリバはその背中を眺めていた。



 ロイスにとって暗い森の中を歩くのは慣れた事であった。灯りがなくとも迷うことはない。平然と森を抜け沢を降り、小さな丘を登る。昼間となんら変わらない、いつものルート。そして、町が見える。


「いつもより灯りが多いな?」


 松明のような小さな灯りが無数に町の中を点在している。そして、その灯りは徐々に徐々にと町の中心へと移動していた。

 ロイスは不安感を覚え、町へ向かって走りだした。町が近づいてくるにつれ、違和感が募る。開け放たれたドア、灯りの消えた家屋。静かな町。何かに襲われたにしては争った形跡はない。


 自然と町の中央広場へと向かう。

 そこに灯りが集まっていたのは明白だからだ。

 ロイスは物陰から中央広場を覗く。そこには見知らぬ兵士達が松明を持ち、一箇所にまとめられた町民達を囲んでいた。

 そして、その奥では子供達が泣きながら馬車へと乗っている。その家族達は必死に叫んでいた。


 町は静かにひっそりと、得体の知れない軍隊に襲われている最中であった。

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