5-12
地下10階は上の階よりも寒く感じた。
階段を下りると、少し長めの通路が前に伸びている。50メートルぐらいのその通路を進んでいく。通路の幅は結構広く、人が5人並べるくらいはあった。
ドミニクさんを先頭にして、アンジェリカ、ルイーズ。俺、アルドニス、ローズさんの順番で通路を進んだ。
静かな通路を抜けた先、そこには円形状に広がる大きな空間があった。
直径で80メートルくらいありそうな広い空間。その壁には淡く光る水晶のようなものが等間隔で設置されている。そのため、その部屋の中は明るく感じられ、奥まで見通すことができた。
その中央には、ひとりの女が居座っている。
亜麻色の長い髪。前髪は真ん中で左右に分かれており、端の方を三つ編みで一本に束ねている。
そのおっとりとした瞳は、見ているだけで彼女の優しそうな雰囲気が伝わってくる。
紫色のもこもこした綿のような服装は似ている物を他で見かけたことがない。
胸部は押し上げられ、服の上からでもはっきりと分かるほど立派な胸である。
その胸元で光る金の装飾はネックレスだろうか。三角錐が上下に重なったような形をしており、非常に美しい造形である。
そんな彼女を見て、アンジェリカが先頭に立つ。
「―――――テラシア」
短く、彼女の名前を呼んだ。
空気にスッと消えていった音に、テラシアの身体が反応する。
ゆっくりと彼女の首が動き、アンジェリカの姿を捉えた。
「………………………………アンジーナ?」
長い沈黙の後で、アンジェリカのもうひとつの名前が囁かれた。
その声には驚きがあった。
その顔は、まるで幽霊でも見たような色をしていた。
そして、どこか嬉しさが籠っていたような気がした。
「テラシア。会いに来たわ」
再び、彼女の名を呼んだ。
「そう。……………………侵入者は貴女だったのね。
本当に、……………………見違える程……………………」
徐々に小さくなっていくテラシアの声。最後は何と言ったのか聞き取ることができなかった。
「…………どうして? どうしてこんなところに来たのかしら?」
唐突な質問。
アンジェリカは自身の目的をはっきりと胸を張って伝えた。
「真実を、知りに来た!」
「……………………真実?」
「ええ。600年前、どうして急に私の目の前から消えたの? どうしてこんなところに籠って怪物を生み出し続けているの!?」
その声には痛みがあった。600年という長い年月の中で、彼女が積み重ねてきた寂しさと痛みが込められていた。その声を聴いて、テラシアの表情が歪んだ。
「…………………………人間が、嫌いになったから。よ」
震えた声が返ってくる。
「嘘よ! テラシアがそんなこと言うはずがない! あんなにも人間を愛していたのに!」
「愛想を尽かしたのよ。そう。ただ、愛想を尽かしただけ。だから、あたしはここで怪物を生み出すの。人間の敵である怪物を」
「嘘よ! そんな嘘、言わないで!」
「ちょっと落ち着いて、アンジェリカ」
憤るアンジェリカを窘める。彼女の肩を引くと、驚いた様子でこちらの顔を見上げた。
「タクミ?」
「ヴァーテクスは嘘をつかないって言ったのは君じゃないか。少し俺が話していいかな?」
アンジェリカは明らかに頭に血が上っている。この状態では冷静な話し合いなどできはしないだろう。
「………………………………いい、けど」
「よし。じゃあ、アンジェリカは少し落ち着いて。冷静さを取り戻してね」
そう言って、ドミニクさんに視線を送る。
「私たちでは力になれません。アンジェリカの護衛は任せてください」
「はい。お願いします」
アンジェリカをドミニクさんとローズさんに任せる。彼がいれば、アンジェリカが冷静になるのも時間の問題だろう。なんの心配もなくテラシアとの対話ができる。
「…………もしものことを考えて、アルドニスとルイーズは直ぐに戦闘ができる態勢でいてくれ」
俺が2人に視線を送ると、彼らは深く頷いてくれた。
脚を踏み出し、テラシアと向き合う。
ドミニクさんは、俺という人間をしっかりと理解している。
そして、この世界におけるヴァーテクスと人間の在り方も。
しっかりと考えて毎日を生きていると、気付かされることが多い。
今も、『私たちでは力になれない』と呟いた。
ドミニクさんの言う通りだ。この世界で生まれ、成長してきた人間にとってヴァーテクスとは神に等しい存在だ。そんな存在と対話、対立することは非常に難しいことだ。
でも、俺は異世界人だ。こことは違う世界で生まれ、育った。
この世界の知識は非常に少ない。それが欠点でもあり、長所でもある。
俺という存在にしか成せないことがある。
……………………ヴァーテクスとか、神様とか言われてもあまりピンとこないしな。
まだ、推しを女神と呼ぶ方がしっくりくる。
そうして、ある程度近付いたところで脚を止める。
「…………アンジェリカは少し頭に血が上ってるから、代わりに俺と話してくれないですか?」
「………………………………貴方は?」
「えーと。アンジェリカの従者です」
迷うことなく答える。
「アンジェリカ、というのは?」
「あー、それは後で本人に聞いてください」
「………………………………わかったわ」
彼女の名前について、俺が説明する意味はない。
それよりも、テラシアには聞きたいことがあった。
「今、この世界の人々は怪物の脅威にさらされて生きています。それをご存じですか?」
「…………ええ。当然よ」
「テラシア様が怪物を生み出すのを止めてくれれば、救われる人間が大勢いるのです」
「………………………それは、……………………無理ね」
「そうですか。……………………そもそも、なんでテラシア様は怪物を生み出しているのですか?」
「…………だから、それは人間を殺すために」
「…………………………じゃあ、なんでこの神殿に閉じ籠っているのですか?」
「え? …………………………………………」
簡単な話だ。
「ここに閉じ籠るより、怪物と一緒に人間を殺せば、より多く人間を殺せるのに、貴女はそれをしない。つまり、貴女にはここに閉じ籠る理由があり、それは怪物を生み出し、人間を殺すことより重要なものであると考えられる」
「……………………………………………………」
「…………いや、違うか。そもそも、怪物を使って人間を殺すなら、わざわざ終焉の森の中にある神殿の中なんかで怪物を生み出すのはおかしい。しかも、地下10階だなんて。あまりに無駄が多すぎる」
「…………………………何が、言いたいのかしら?」
「…………ずっと、不思議に思っていたんですよ。なんで、この神殿の内部には怪物が多く存在していたのか。しかも、外の怪物とは違ってここの怪物はヴァーテクスにも攻撃が通る。でも、それって本来は必要のない能力のはずだ」
人間がいくら侵入してこようと、人間にはヴァーテクスを傷つけられない。
信仰心や、恐怖から。更にヴァーテクスがもつバリア機能によって。
俺というイレギュラーが存在していても、600年前からここに閉じ籠り続けている彼女が俺を知ることは出来なかったはず。
そして、ヴァーテクス同士の殺し合いは禁じられていた。
まあ、それをアンジェリカは破っているわけだが…………………。
「…………、つまり。テラシア様にはここに閉じ籠る理由があり、ヴァーテクスを攻撃できる怪物にここを守らせなければならない程、窮地に陥っている。そういう事になります」
これは、あくまで俺の推論だ。
ずっと、この神殿の造りと、彼女がここに閉じ籠る理由を考えてきた。
フローガや、ユースティア。そしてヴィーネは自由に生きていた。
勿論、アンジェリカもだ。
でも、テラシアには自由がない。
「教えてください! どうしてここに閉じ籠り続けるのか! どうして怪物を生み出したのかを!」
「無理よ。………………だって、それを言ってしまえば、あたしは最も大切なものを失ってしまうのだから」
それは、悲痛に満ちた表情だった。
彼女の拒絶の言葉に、心が締め付けられる。
「…………だから、もうこれ以上、……………………あたしに関わらないで!」
彼女の叫びと共に、地面がせり上がり、伸びる。
次の瞬間には、地面から突き出た棘に押し出され、俺は壁に激突していた。
壁と棘の間に挟まれ、圧迫される。
「―――――ぐ、…………がっ!」
意識が飛びそうになるのを、必死にこらえる。
ここまで蓄積されてきたダメージが一気に身体を襲い、傷が開いて流血が激しくなる。
そこで俺の体力は尽きてしまった。
「―――――ギブ! 誰か助けてくれ!!」
「おらぁ!」
アルドニスが槍を振るい、身体の拘束が解ける。
「ありがとう」
「途中まではカッコよかったんだけどな」
アルドニスの一言に、苦笑いで返す。
「―――――テラシア」
アンジェリカが彼女の名前を呼んだ。
「私ね。今はアンジェリカって名乗ってるの。アンジーナという名前は捨てたの」
アンジェリカの言葉に、テラシアは唖然とした表情でアンジェリカを見詰めた。
「――――それが何を意味するのか分かっているの!?」
「うん。覚悟はしてる」
力強いアンジェリカの頷きに、テラシアは言葉を失ったように俯いてしまう。
「600年前。私は貴女が好きだった。心の底から母親のように想っていたわ」
強い瞳が揺らぐ。遠い昔を見詰めるように、アンジェリカは言葉をこぼしていく。
それは、人間では決して理解することのできない長い時間の話。
彼女が、彼女たちが経験してきた道の話だ。
「突然、私の前から姿を消し、声を聴くことも、話しかける事すらできなくなってしまった。それが、すごく悲しかったの」
「…………………………やめて」
テラシアが言葉をこぼす。
それは弱弱しく、とてもヴァーテクスのものとは思えない声だった。
それでも、アンジェリカは止まらない。
「あれから私、すごく頑張ったのよ。テラシアを捜して旅をして……………………。ここにも立ち寄ったけど、その時は怪物に負けてここまでは来れなかったわ。だから、強くなるために頑張ったの」
「………………………………もう、これ以上―――――。」
「600年前、私はテラシアに救われた。貴女がくれたものが私に大切なことを思い出させてくれた。だから、今度は私の番」
「―――――――っ」
テラシアが、苦悶に満ちた表情で、拒絶する。
痛みを、叫んだ。
それでも、容赦なく……………………。
天使のように、どこか儚く。
戦士のような真剣な表情で彼女は進んでいく。
「テラシアが抱えて苦しんでることを話して! 私が力になるから!」
他の誰かでは駄目だった。
俺でも、ドミニクさんでも。きっと彼女の心は開かなかっただろう。
他のヴァーテクスでさえ、きっと不可能だったに違いない。
「………………………………本当に、大きく……………なったのね」
まるで、子供を慈しむ母親のような表情で、彼女は微笑んだ。その目尻から水滴がこぼれ頬を伝って地面に落ちていく。
こうして、600年間閉じ籠り続けたテラシア・テオスの心を開くことに成功した。
命懸けの迷宮突破はここに果たされた。
「…………そうね。なにから話せばいいんだろう」
彼女の心が落ち着くのを待ち、10分ほど経過したところでテラシアが口を開いた。
「…………先ずは、そうね。結論から言うとしましょうか」
今から語られるのは彼女が600年間、沈黙を貫いた世界の秘密。
その一片である。
生唾を呑み込み、続く言葉を待つ。
「…………600年前、この世界に怪物を生み出すようあたしに指示したのは、全能のヴァーテクス、バジレウスよ」
そうして、衝撃の事実が開示されたのだった。
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