5-10
タクミがミノタウロスの注意を引いて離脱した後、アンジェリカは巨大な電気ウナギと対峙していた。
剣を操作して安全圏から剣を射出する。
空気を切り裂いて飛ぶ刃の雨はウナギの皮膚に傷をつけるも、それが大きなダメージとなることはなかった。
ルイーズの槍斧も同様、大したダメージになっていない。
「…………皮膚が厚すぎるんだわ」
剣で切り裂いてみた感触をそのまま口にした。攻撃が通りにくく、刃が通らない。
更に厄介なのは電気を放つところだ。放電攻撃の間は近付くことさえ叶わず、その標的にならないように逃げることしかできない。
操作する武器も電撃に撃ち落とされ、数を減らしていく。
「…………このままじゃ、タクミを助けに行けない」
「くそ! これでもだめか!?」
ルイーズが自身の血を操作して、槍斧を回転させながらそれを電気ウナギにぶつける。回転の勢いと衝撃でも、ほんの少し傷をつけるだけだ。
アンジェリカとルイーズの手持ちの武器では電気ウナギに敵わない。そう、判断した時だった。
「風よ、貫けぇ!」
雄叫びに似たその声が響いた。直後、アンジェリカたちの間を通り抜けた一人の男が槍を電気ウナギに突き刺した。
「アルドニス!」
「おらぁ!」
その声に答えるようにアルドニスは風を纏った槍で電気ウナギの皮膚を抉り貫いた。
その痛みで、電気ウナギが身を捩りながら奇声を発する。
「どうだ! 見たか! これが俺の実力だぁ!!」
腰に手を当てて調子に乗るアルドニス。
わはははは! と上機嫌に高笑いを始めた。そこへ、
「アンジェリカ様! ご無事で何よりです」
後ろからドミニクが駆け寄ってきた。
「ドミニク! ローズも」
ドミニクの後に続いてローズも姿を現す。アルドニスは腕や足、頭に白い包帯を巻いているが、ドミニクとローズに目立った外傷は見られなかった。
アンジェリカは安堵の息をこぼす。
「みんなも無事でよかったわ」
「はい。私たちはここまで特に怪物に襲われることはなかったです。アルドニスの怪我の治療でかなり足止めを喰らいましたけど」
「というわけでここは俺たちに任せてください! こんな怪物、直ぐに倒してみせますよ!」
「元気なのはいいけど、無茶はしないでね」
元気すぎるアルドニスにローズがストップをかける。
「ところで、タクミの姿が見えないのですが」
「うん。タクミは斧を持ったミノタウロスを引き付けてこの階層の奥へと向かったわ。ドミニクはタクミを助けに行って欲しいのだけど」
「…………わかりました。アルドニス、ローズ。ここは任せましたよ!」
「おう、任されたぜ!」
「了解したわ」
「ドミニク、お願いね」
「はい。後でまたみんなで合流をしましょう」
それだけ言い残してドミニクは7階の奥へと向かった。
「みんな、こいつの電撃には気を付けてね!」
「ん? デンゲキ?」
アンジェリカの注意に、呼応するかのように電気ウナギの身体が光り始める。
そして、1秒経たずして稲妻が走り、空間を焼き殺した。
「うおっ!?」
紙一重で電撃を躱すことに成功したアルドニスはそのまま地面を転がる。
「あぶねぇ! 死ぬとこだった!」
「ルイーズ! 牽制お願いね」
「あぁ!」
ルイーズの声を待たずしてアンジェリカとローズが飛び出す。反応する電気ウナギに、ルイーズが血を固めて造った槍を降らせて、電気ウナギの行動を牽制する。
電気ウナギの腹の横へと滑り込んだアンジェリカが剣を一本、深々と腹に突き刺した。その傷口へ、ローズがメイスを振り強烈な打撃を叩きこんだ。
傷口を叩かれたことにより、剣がさらに深く電気ウナギの体内へと押し込まれる。それに耐えかねるように、電気ウナギは大きく仰け反った。更に響く二重目の衝撃。
目や口から血を吹き出し、悶え苦しむように大きな胴体をバタバタと暴れさせた。
「いけるわ!」
更に追い打ちをかけるべく、アンジェリカとローズは踏み込んだ。
♦♦♦
ミノタウロスに押しつぶされ、身体は瀕死寸前だった。
初めから左腕は使い物にならず、この作戦は破綻していた。
…………見くびっていたわけではない。ただ、目の前で嗤う怪物が巧妙だっただけだ。
この迷宮の地下3階で初めてこの怪物と出会った時も。
この7階へ降りてきて、アンジェリカたちと戦っていた時も。
この怪物は本気を出していなかったのである。
俺の予想をはるかに凌駕したこの怪物の加速力と、押し出された筋力から来る攻撃力。
奴は、ここにきて本気を出したのだ。
その結果、俺は奴に押しつぶされ、さらなる重傷を負ってしまった。
ここまで実力を隠し、俺だけを孤立させたところで本気で潰しに来た。
俺はアンジェリカたちからこの怪物を引き離すために、この怪物を誘き寄せてここまで来た。
だが、今考えてみるとそれが可笑しかったのだ。
順調すぎるほどに俺の作戦は進み、ミノタウロスとアンジェリカたちを分断することに成功した。
だが、それこそがこの怪物の狙いだったのだ。
俺はここまで追い詰められた。
分断したように見えて、逆に分断させられたのだ。
ミノタウロスの方が何枚も上手だった。
自分の未熟さが苛立たしい。それでも、今はこの戦いに集中することしか許されない。
ミノタウロスが斧を振り上げる。
距離を取りながら、奴の動きに合わせて攻撃を避けようとする。
左。奴は俺が左腕を使えないことを分かっている。故に、執拗に左側から攻められた。あるいは、それすらもフェイントだった。
一撃が命を削る。その一つの行動に神経を削られる。
ミスは許されない。この状況下で、奴は愉しんでいた。まるで人がアリの巣を破壊するように。俺の命を弄び、俺の考えを愚弄し、俺の存在を嗤っていた。
奴にとって、これは戦闘ではなかった。蹂躙に近いただの暇つぶしだ。
俺が避けられるギリギリの速度で、俺が死なないギリギリの火力で、俺の身体を潰し、捻り、壊した。
頭が加圧される。脳が焼ききれ、血管は破裂させられる。
俺は死なない。身体には少しばかり、強化の能力を使っている。それすらも奴には虫の抵抗と同じだった。
死なないように、意識も飛ばない程度で蹂躙される。
苦痛だ。
定期的に体を死が襲う。
本能がそれを否定し、奴の悦びがそれを許さない。
本当に…………。
死んだ方がマシな状況って、あるんだな。
限界を迎えた頭で、そんなことを考えていた。
身体が耐えられる痛みは既に限界を迎えていた。身体を何度も壁に叩き付けられ、何度も床に擦りつけられた。
壁に並ぶ木の扉は破壊され、中の小部屋に破片が散る。その上に牛の汗と俺の血が混ざり合った汚い体液が散乱する。
死んだ方が楽だというこの状況で、ただ幸いしたのは…………。
まだ剣を握っているという事だった。
この剣で喉を突き刺せば…………。
それだけで楽になれる。
だから、必死に腕を振り上げて…………。
霞んだ意識の奥。
蹂躙される視界の先で、彼女たちの姿を見た。
――――――――――っ、っ!!!
意識を取り戻す。蘇った覇気と共に剣をミノタウロスの頭に突き刺した。
「がっ、ぁ、は…………あぁぁ、ぁ」
短い悲鳴が上がる。
奴の手が俺の足から離れた。そのまま地面に落下して衝撃が全身に響いた。それすらも優しく感じられるほど、身体にはガタが来ていた。それでも、まだここで終わる訳にはいかない。
…………助けを待っていた。
このまま助けが来ないなら、自分の命を断とうと、決断しかけた。
「…………甘えるな!」
俺が死ぬことは=奴の自由を意味する。
アンジェリカたちは電気ウナギと戦っている。もし、電気ウナギを倒せてもこの怪物とやりあう余力はきっと残らない。
みんな、命がけで戦っている。
「…………助けなんて、期待するな!」
こいつを倒せなければ、俺だけでなく他にも死人が出る。
目標を、時間稼ぎから生存へと切り替える。
=ミノタウロスの討伐だ。
痛みから回復したミノタウロスがゆっくりとこちらに向き直った。
脚を駆動させ、真正面から奴の懐へと潜り込む。
最速による最大の攻撃。だが、それよりも早い狂牛の斧に吹き飛ばされ、俺の身体は7階の端に着弾する。
血を撒き散らし、そな場でのたうち回る。
「…………、く、る!」
追い打ちを避けて、傍に会った階段へと滑り落ちる。
無抵抗で階段を転がり、8階へ到達する。
俺はここまで、失敗を積み重ねてきた。
地球で死んで、この世界で目を覚ました時。俺は喜んだ。
夢にまで見た異世界転生。憧れ続けた主人公のような人生に、胸が高鳴ったからだ。
アンジェリカという、偶然にも推しに似た少女と出会い、彼女を助けるために戦う事を決意した。それは、彼女の為じゃない。
俺自身のためだ。俺も、主人公のように生きたかった。誰かを助けたかった。誰かに好きになってもらいたくて、信頼されたかった。愛されたかった。
かっこよく生きたかった。憧れのように。主人公のように。
フローガを倒せたとき。俺にもできると心が叫んだ。
ユースティアに俺の攻撃が通じなかったとき、その夢が瓦解した。
アンジェリカを置いて逃げた時。後悔と自分の弱さから夢を放棄した。
ハンナという少女と出会い、人の強さを知った。
再び踏み出す勇気をもらい、憧れを更新した。
憧れのように生きてみたい。主人公のように誰かを救ってみたいい。
だなんて、俺に釣り合うはずもない高望みすぎる夢を抱いた。
…………俺は弱くて、努力もできなくて。
主人公になんて成れない。ただの臆病者だ。そのくせ、直ぐに調子に乗って自分の醜さを直視できない子供のような凡人。
それでも、自分が決めたことを貫きたくて…………。
せめて、憧れてきた主人公の10分の1は彼らのように生きたくて…………。
俺は今、生きている。
もう、誰かを置いて逃げない。
たとえ、アンジェリカが何を考えているか分からなくとも。
彼女たちが死ぬのは、見たくないから。
腕に力を入れて、立ち上がる。
顔を上げて、追ってくるはずの獣に備えようとして……………………。
その部屋に広がる不思議な雰囲気に身を晒した。
「――――――ぁ」
迷宮の地下8階。それは上の階と比べたらすごく小さな狭い空間だった。8階は3部屋で構成されているようだ。階段下とその奥に小さな空間が広がっており、更にその奥に9階へとつながる階段が設けられた部屋がある。
問題は真ん中の部屋だった。その中央には白い石でつくられた祭壇のようなものがあった。
神秘さが残るその雰囲気に、つい見惚れてしまう。
その時だった。背後に轟音と衝撃が走る。
牛の怪物が下りてきたのだ。
「…………くっ!」
意識を戻し、起き上がって距離を取る。
振り下ろされる斧の衝撃に耐えられず、吹き飛ぶ形で真ん中の小さな部屋へと侵入する。
ヴオオオオオオオオオオオオ!!
壁沿いを走りながら、ミノタウロスの攻撃の回避に努める。その部屋の壁はどうやらすごく頑丈らしい。ミノタウロスの斧でも簡単に削れず、その形を保っている。
祭壇を軸に壁を伝って左から右側へと回る。だが、跳躍したミノタウロスの質量に押しつぶされ…………。
壁が瓦解した。
――――――!
半分、押し倒される形で崩れる壁の奥へと逃げ込む。
どうやら、ここの壁だけ薄かったらしい。
…………いや、違う。この階層に来た瞬間は分からなかったが、中央の部屋の右側にはもうひとつ別の部屋があったようだ。
崩れた壁はミノタウロスの大きさより小さく、どうやら簡単に追ってこれないらしい。
舞い上がった砂煙と埃を払って、部屋の奥へと逃げる。
直ぐに壁に衝突する。
これ以上、逃げ場はない。そうして、振り返った時だった。
目に飛び込んできたのはミノタウロスの姿ではなく、左奥の壁に飾られた美しい西洋剣だった。
金の柄とまるで石畳のように複数の鉱石が組み合わさった歪な剣。
刀身部分が鋼や鉄ではなく、綺麗に並べられた鉱石なのだ。
その不思議な構成と、美しい鉱石の並び方に目を奪われる。
心が釘付けになり、無意識にその柄へと手を伸ばしていた。
手が剣に触れた瞬間、眩い光がその空間に広がり、身体を包まれた。
息が光に呑み込まれる。視界は光に圧迫されて情報が漂白される。
まるで、長い間眠っていたかのように、その剣は鼓動を再開させたのだ。
刀身に組付けられたのはただの鉱石ではない。その一つ一つが光輝く幻の石。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。
七色に輝く光の束。
まさしく、虹の剣と呼ぶに相応しい綺麗な剣が俺の掌で鼓動を刻んでいる。
剣の重さは、普通の剣よりも少し重たいくらいだ。ただ不思議なのは、その剣を握っているだけで、自然と身体から痛みが引いたことだ。
元気と勇気が体の芯から湧いてくるような気がする。剣には熱があった。熱い熱ではない。温かく優しい熱が剣に宿っている。
鼓動が高鳴っている。
舞い上がった砂煙と埃を光る剣で斬り祓う。
ヴオオオオオオオオオオオオ、と牛が吠える。
剣の輝きが収まり、僅かに光を灯すだけになった。ミノタウロスが振り降ろした斧を強化した腕と共に虹の剣で受け止める。
瞬間、光が爆ぜ斧を吹き飛ばして奴の眼を焼いた。
その隙を逃さない。
剣を斜めに振り下ろす。
七色の光が斬撃となり、ミノタウロスの肉を容易く斬り裂く。
長く、大きな悲鳴を上げて…………。
その傷口から血を撒き散らしながら、広がる光に押しつぶされ、ミノタウロスは絶命した。
崩れる身体が振動を起こす。
「すげぇ…………」
その音も、揺れも届かない。俺は光輝く剣に心を奪われていた。
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