5-9

 途中、巨大電気ウナギに遭遇することなく、無事に7階へ続く階段に到達した。


「この先が、地下7階、か」


 階段は奥まで続いており、巨大な設計となっているようだ。先は暗くてよく見えない。


 ルイーズを先頭に、階段をゆっくり降りていく。

 10分ほどかけて地下7階に到着した。この階段もかなり長かった。


 5階や6階のように広く、大きな空間が奥へと広がっている。漂う空気は異質そのもの。薄暗い地下7階の天井からは淡い光が灯っており、お化け屋敷のような雰囲気を感じた。


 息を呑んで前に進む。

「6階よりも少し狭いか?」


 左右の壁の間を見詰めながらルイーズが言葉をこぼした。


「…………うん、そうだね」


「…………小さな扉があるわね」


 左前方を見詰めてアンジェリカがそう言った。彼女の視線を追ってその先にある小さな扉を見詰める。


 岩の壁に造られた古い木の扉。

 端が朽ちていて、そっと押すとギギギギギギと嫌な音を立てて扉が開いた。


 中を見渡す。真っ黒に変色した壁と床。

 それは丁寧に塗装されたものではなく、ゴツゴツした床や壁が雑に黒くなっているものだった。


「―――――ぅ、変な臭い」

 アンジェリカが顔をしかめる。

 部屋の中には特別変な物はなかった。隅に古いベッドが置かれているだけだ。


「隣にも部屋がありますよ!」

 外から聞こえたルイーズの声に、隣の部屋へと移る。

 その部屋も雑な感じで床と壁が変色していた。

 …………塗料というよりは、染みといったような感じだろうか?


 その部屋も隣と同じような簡素な部屋だった。

 そもそも部屋の中も古さを感じる…………。



「そう言えば、アンジェリカに聞きたいことがあったんだ」


「ん、なに?」


「アンジェリカはこの神殿、…………迷宮がいつ何のために造られたか知ってる?」


「いいえ。知らないわ。確か私が生まれる前からあった気がするけど…………」


 アンジェリカが生まれる前。つまり、この迷宮を造ったのは人間ってことになる。

 問題は、何のために造られたかだ。


「…………アンジェリカって何年生きてるの?」


「千三百、十七年よ」


 アンジェリカが答えた途方もなく長い時間に、若干の眩暈を起こす。

 ヴァーテクスが生きてきた時間は千年を超える。

 千年という時間を容易に想像することなどできない。それでも彼女はそれだけの時間を生きてきたのだろう。


 そして、この迷宮はそれよりも長い時間、ここにあり続けている。

 その事実が恐ろしく感じた。


 この世界に神的存在が現れる前、当時ここにいた人間たちはどんな思いでこの場所を造ったのだろうか。

 部屋の黒く滲んだ壁に掌を当てる。

 ゴツゴツとした硬い感触。

 時間経過による自然の変化や、人の手による物の変化の影響を受けず、この迷宮は千三百年その存在を保ってきた。


 …………なぜ、怪物のヴァーテクスはここに閉じこもり続けているのか。



 出来るだけ多くの答えを明かすためにも、今は進むしかない。


 壁から離れて部屋を出る。

「奥に進もう」


 そうして先を警戒しながら歩き続ける。

 通路の両脇には、沢山の木の扉があった。その先には同じような部屋がいくつも広がっている。

 部屋の総数は20を超え、それも相まってこの空間が異質に思えてきた。



「…………同じような部屋が何個も」


「少し怖いぐらいですね」


 驚くアンジェリカに、ルイーズが肩を縮めて自身の両腕を擦った。




 ヴヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!



 それは、後ろから聞こえた。

 不安に満ちた空気を、いっきに引き締めて後ろを振り返る。


 耳に残る大きな雄叫び。

 声の主が、その姿を見せる前に警戒に入る。


 再び方向が轟く。まるで、迷宮内が軋んでいるようだ。軽い地響きを立てて、7階と6階を繋ぐ階段の上から大きな黒い影が落ちてきた。


 地面の揺れに耐えながら、敵の姿を捉える。

 赤黒い毛に覆われた牛の頭を持つ人型の獣。歪曲した大きな角に、真っ赤な瞳。鼻には金色の大きなピアスを付けている。

 盛り上がった腕と胴体、脚の筋肉。

 その手には大きな戦斧を持っている。



「―――――斧ミノ!」


 喉を鳴らし、荒い息を鼻から吐き、その牛は蹄で地面を破壊した。

 突風の如く迫る巨体。振り上げられた斧に、アンジェリカの身体が軽々と吹き飛ばされる。


「―――――っ!!!」


 それは一瞬のことだった。

 気が付けば、ミノタウロスの攻撃は終わっていて、アンジェリカは奥の壁に身体を叩き付けられている。


「アンジェリカっ!!」


 彼女の身を案じたその行動は失態だった。

 目の前で振り下ろされる巨大な質量。もはや回避は間に合わない。


 ―――――ッ!!


「おらぁ!」


 ルイーズに抱きかかえられて地面に倒れる。

 衝撃が襲ってきて、脳が揺れて気持ちが悪い。

 だが、止まっている暇はない。直ぐに体を起こし、ミノタウロスから距離を取る。


「ありがとう!」


「なに、お互い様だ」


 剣を握り直し、狂牛と向かい合う。

 垂れる汗。左腕はズキズキと痛みを刻んでいる。


 片腕ではミノタウロスの攻撃を防ぎきれない。すなわち、正面で攻撃を受けることは死を意味する。


 ヴオオオオオオオオオオオオ!


 ミノタウロスが攻撃に出る瞬間、地面を蹴って加速する。

 ミノタウロスはその巨体からは考えられない加速力で斧を振り下ろした。

 それを躱して、カウンターに移る。

 だが、まるでそれを読んでいたようにミノタウロスはこちらの攻撃を避けて、こちらを潰しに来る。


「く、―――――――!」


 奴の腕が頭を捉える寸前で、真横からルイーズが槍斧を振り上げた。

 ガンっ!と鈍い音を立てて真っ赤な鮮血が視界の先で飛び散る。顔面を強打されたミノタウロスはそのまま体勢を崩して地面に膝を着く。



 いける!


 咄嗟に身体を加速させ、懐へ飛び込む。

 奴の命を断つために、決死の想いで剣を振り上げる。

 躊躇いはいらない。この一撃で決める!

 自身が扱える許容限界。最大出力で身体を強化して…………。


 振るった剣は空を切った。


「―――――は?」

 思わず、息が零れる。

 狙った筈のミノタウロスの頭は目の前になく、何故か俺の背後に奴の姿がある。


 突風と衝撃が吹き荒れ、砂ぼこりが巻き上げられる。

 こちらの予想を凌駕する加速度?


 違う。こいつは今、こちらの攻撃を誘ったのだ。

 ルイーズの攻撃を受け、ダメージを負ったように見せかけるために地面に膝を着いてみせた。


 油断を誘い、俺を騙し、効率よく加速するために腰を落としたんだ。


 やっぱり、この怪物は異様だ。

 時間が、ゆっくりに感じられた。頭は冴えていて、何が起きたのかはっきりと理解することができた。

 短い刹那の最中、絶望に身体を支配される。

 1秒後の結末を予想して、本能で顔が引きつった。


 それを嘲笑うように、ミノタウロスの斧が頭上に振り下ろされた。


 致命傷…………。否。それは死と同義…………。



「はぁ!!」



 直後、飛来した剣の雨が俺を越えてミノタウロスの頭部を強襲した。



「ぐ、ぎぃ…………。助かった!」


 鷲掴みにされた心臓が正しく鼓動を刻んでいる。

 戻ってきたアンジェリカの攻撃に、身を怯ませた隙に窮地から逃れて距離を取る。


 今のはまずかった。非常に危なかった。

 アンジェリカがいなければ死んでいたという事実に、身体に恐怖が刻まれる。


 …………これで死を直感したのは何度目だろうか。

 何回経験してもこれだけは慣れる気がしない。



「…………冷静に、慎重にいこう」

 自分で自分に言い聞かせた時だった。視界の端でなにかが光った。

 その眩しさで目がくらみ、判断が遅れる。


「―――――避けて!」


 アンジェリカの声に身体が本能で動く。咄嗟に身を屈めて、飛んできたソレを避ける。頭の上を熱を持った何かが通り過ぎていくのが分かった。


 轟音と衝撃に、砂ぼこりが舞う。

 それを吸わないように息を止めて砂ぼこりの範囲から脱出する。



「…………一体、何がっ」

 顔を上げて、それを確認した。


 それは真の絶望だった。

 ズズズズズズと地面を削り、岩に似た暗い褐色色の巨体が地面を這ってきている。


「―――――マジ、かよ」


 巨大な電気ウナギが戦いに乱入してきたのだ。


 思考が止まりかける。斧のミノタウロスに、電気ウナギ。

 どちらか一体を相手するのもしんどいのに、その両方が相手だなんて。


 下唇を噛み、停止しかけた思考を巡らせる。


 どうする?

 逃げるか? いや、無理だ。あの2体を相手しながら逃げるのは無理だ。背を向ける方がリスクがある。…………じゃあ、どうする。ミノタウロスと電気ウナギをまとめて相手にする?

 勝ち目がある訳ない!



「…………迷うな。…………既に、答えは出ているだろ!」



 時間はない。迷っているこの瞬間も電気ウナギはゆっくり迫ってきている。いつミノタウロスが襲ってくるかもわからない。


 故に、こんな答えしか出せなかった。

 それでも、きっとこれが今できる最良だ。



 立ち上がって地面を蹴る。


「アンジェリカ!!」


 剣を操り、ミノタウロスの注意を引いていたアンジェリカに駆け寄る。ミノタウロスは辺りを浮遊する剣を叩き落とすことに夢中になっている。電気ウナギとはまだ距離がある。

 作戦を伝えるなら今しかない。


「俺がひとりでミノタウロスの注意を引く。アンジェリカはルイーズと協力して電気ウナギを倒してくれ!」


「え!?…………」


「他に方法がない! 任せたぞ!」


 伝えたいことだけを伝えて、走り出す。アンジェリカはそれを臨んでいないと分かっていて彼女から離れる。


「ミノタウロス! こっちにこい!」


 ミノタウロスの目の前で挑発するように剣を振り回す。


 ヴオオオオオオオオオオオオ!!


 それに引っ掛かったのを確認して、一定の距離を確保しながらミノタウロスを誘い出す。


「そいつを倒したら急いで加勢に来てくれ! それまでは踏ん張るからよ!」


 ミノタウロスをできるだけ2人から離す。それだけを考えて通路の奥へと進んでいく。

 俺とアンジェリカ。あとルイーズ。

 この3人の中で、俺が一番重症の傷を負っている。更に左腕が使えなく、戦力にならない。


 ルイーズは俺たちと合流する前、怪物と戦う街の守護隊に入っていたという話だ。

 俺よりも怪物との戦闘には慣れているだろう。

 電気ウナギは巨体だが、その分動きが遅い。注意を引いて2人から離すのは向かない。

 ミノタウロスとはこの迷宮に来てから何度も戦っている。


 これらの理由からこの方法に賭けることにした。



 充分に距離を離したところで、ミノタウロスに向かい合った。


「…………さて、ここからが正念場だな」


 アンジェリカたちが来てくれるまで、こいつをここに足止めする。


 そう意気込んだその時だった。ミノタウロスの口元が大きく歪んだ気がした。直後、その巨体が消え、目の前に迫るー――――。


 何もできないまま、俺はその質量に押し潰された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る