3-3
目を覚ますと、既に昼を回っていた。
部屋を出て、一階に降りる。
すると、ソフィアさんが気付いて、こちらを振り向いた。
「目が覚めたかい?」
「はい。おはようございます」
「うん。おはよう。直ぐにご飯を用意するから待っててくれ」
「ありがとうございます」
お礼を言って、椅子に着席する。
「傷の具合はどうだい?」
ソフィアさんは台所で食材を刻みながら、こちらを振り向くことなく、そう聞いてきた。
「おかげさまで、だいぶ良くなりました」
自分の腹を触りながら答える。
痛みはかなり和らいだ。これなら、多少の動きに支障が出ることはないだろう。
「ソフィアさん」
名前を呼ぶと、彼女は「なんだい?」と応えてくれた。
「この村での仕事を手伝いたいんですけど、どうすればいいですかね?」
先ずは、自分にできることを探すところから始めようと決めた。
この村を新しい居場所にするために。一歩ずつ出来ることをやって信頼を勝ち取ろう。
「お、そういう事ならあたしに任せてもらおうか。ご飯を食べ終わったら村の畑に行こう」
ソフィアさんはそう言ってにかッと笑った。
朝食はコンポタージュに似たスープと固い黒色のパンだった。
時間は昼を回っているので、かなり空腹だったようだ。
直ぐに、遅めの朝食を平らげる。すると、ハンナが階段を降りてきた。
「おはよう」
「おはよう」
互いに挨拶を交わす。
「調子はどう?」
「だいぶ楽になったよ。ハンナは?」
「今日は少し、調子がいいみたい」
「それはよかった」
昨日の夜に聞いた彼女の話を思い出す。
「ハンナ、今日この村の仕事を少し手伝ってくるよ」
「そうなの! 頑張ってね」
朝食を食べ終わった後、着替えをしてソフィアさんに連れられて家を出た。
薄い布でつくられた農民服の着心地は大分、悪い。
風通りが良すぎて寒いし、布で肌が擦れてかゆいし、痛い。
…………昔の人たちは、こんなものを着て暮らしていたのか。
歩くたびに変な感触があって気持ちが悪かったが、それを表情に出さずにソフィアさんの後をついていく。
「ここが、この村の広場だ」
「ここが、診療所。その隣が薬屋な。怪我とか病気になったらここに来るといい」
広場と診療所、薬屋を紹介される。
その後も歩き続けて村の奥へと進んでいく。
元気に走り回る子供。
それを見守る親と、散歩している老夫婦。
すれ違う人たちに頭を下げながら歩く。
そして、ひとつの大きな建物の前でソフィアさんは足を止めた。
それは、この村の中で一番大きな建物だった。
「ここが、教会だ」
後ろを木々に囲われたレンガ造りの長方形の建物。
この村は小さく、どの建物も古かった。
だからこそ、目の前にある教会が異質なものに映った。
まるで新築のようにピカピカと輝いた建物だからだ。
思わず、息を呑んでその建物に見惚れる。
「よし、次に行こうか」
ソフィアさんの声で我に返る。
「はい」と答えて教会を後にした。
その後、同じように村の中を案内された。
そして、畑の前でソフィアさんは足を止める。
「アラン村長!」
ソフィアさんがそう声を上げると、1人の男性が顔を上げた。
こちらに向かって、手を振っている。
それに応えるようにソフィアさんも手を振り返していた。
すると、男は嬉しそうにこちらへと駆けてくる。
だんだんと近付いてくるので、その姿が明らかになる。
それは、頭に青色のバンダナを付けた角ばった顔の男だった。
おまけに、変な草を口にくわえている。
「おー、ソフィア。ハンナ嬢ちゃんの様子はどうだ?」
その男は、俺たちの前で止まると、真っ白な歯を見せて爽やかに笑った。
恐らく、年齢は30代後半から40代だろう。
「最近は元気だよ。昨日は傷だらけで倒れてた、この子を拾ってきたしな」
ソフィアさんがそう言うと、その男は品定めするような視線を向けてきた。
「ふーむ、………なるほど。こいつが」
「………タクミと言います」
「うん。なかなかに好青年じゃないか」
品定めが終わったのか、男はそう言ってソフィアさんの方を見た。
…………俺って好青年なのだろうか?
男の評価に疑問を感じつつもソフィアさんの方を見る。
「紹介するよ。この人はこの村の村長だ」
「アランだ。これからよろしくな」
出された手を取る。
固い握手を交わしてから離れる。
「じゃあ、タクミの事をよろしく頼む」
そう言ってソフィアさんは背中を向け、畑から離れていった。
「それじゃあ、タクミくん。君の働きに期待してる、と仕事を任せたいところだが、畑仕事の経験はあるかい?」
「いえ、初めてです」
「そうか…………。まあ、いろいろと大変化もしれんが、頑張って乗り越えてくれ!」
やけに熱の入った言葉に、俺はわけも分からず「はい。頑張ります」と答えた。
そして、人生初の畑仕事が始まった。
小学生のころ、授業の一環で野菜を育てたことがある。
そんな感じだろうと高を括って仕事に臨んだのが間違いだった。
「なっとらんわっ!!」
耳元がキーンとなる。
軽い眩暈を感じつつも後ろを振り返った。
厳つい顔をした白髪だらけのおじいちゃんが、すごい形相でこちらを睨んでいる。
そのおじいちゃんは、泥で汚れた白い袖のない服と作業着のズボンを着て、鍬を肩に担いでいるのだ。
はっきり言うと、ものすごく怖い。
そんなおじいちゃんが眉間に皺を寄せて怒鳴って来る。
その怒鳴り声にびくびくと身体を震わせて、鍬を振り下ろす。
「こうですか!?」
「ちっがうわ!!!」
更に大きな声で叫ばれる。
周りの人たちは「あー、懐かしいな」というような雰囲気でこちらを見守りつつ、作業をこなしている。
その中にはアラン村長の姿もあり、さっきの熱の入った言葉を思い出した。
「聞いとるのか!」
「はい! 聞いてます!」
抽象的な言葉の並びで畑仕事、鍬の使い方を説明されるが、まるで身に付かない。
この人が話しているのが日本語なのかも怪しくなってくる。
「やってみろ!」
「う、うう。…………はい」
説明されたとおりに、なんとなくで鍬を持った腕を振り下ろした。
「なっとらんわ!」
怒鳴られて怒られる。
「土がかわいそうだろう。土が泣いておるぞ! しっかり労わる様に鍬を振らんか!」
「…………わかりました」
「力が弱いわ!」
矛盾している。言葉が通じない。
もう嫌だー!
拷問のような指導は続き、あっという間に半日が終わる。
途中で逃げ出さなかった自分を褒めたいくらいだ。
「…………つ、つっかれたー」
畑の横に寝転んで空を見上げる。
「ご苦労様」
そう言って、差し出される水袋。それを受け取りながら体を起こした。
「ゼンさんの指導はどうだった?」
「すごく厳しかったです」
そう言うと、アラン村長は「ガハハハハ」と大きな声で笑った。
「でも、すごく上達してると思うよ」
「そうですかね?」
「うん。それに、半日もっただけでもすごいことだ」
アラン村長の言葉に、仕事を終えた他の男性が寄ってきて、同意するように頷いた。
「他の若い連中なんて、指導を受ける前に逃げ出しやがったからな」
「そうそう。本当に根性が足りんな」
「それに比べて、君はすごいよ」
「そうさ。うちの息子にも見習わせたいぐらいだ」
次々と俺を褒める言葉が飛び交う。
その光景に、嬉しさと恥ずかしさが同時に込み上げてきた。
「…………どうした? 顔が変になってるぞ」
俺の顔を視たアラン村長の言葉に、咄嗟に言い訳を返す。
「普段、褒められることがなかったから新鮮なんです!」
「ガハハハ。顔を真っ赤に染めて、かわいい奴だな!」
アラン村長が笑うと、他の男性も笑い合う。
そんな光景が嬉しくて、温かさを感じた。
今まで、働いたことなんてなかったけど。
もし、地球で死ぬことなく、どこかの企業で働く未来があったのなら…………。
こんな風に笑い合えたのだろうか。
「…………そういえば、この村って若い人をそんなに見かけないですね」
俺がそう言うと、みんなは黙って俯いてしまった。
この畑で働いてた人たちは、一番若くて30代の人だった。
さっき、ソフィアさんに村を案内されている時にすれ違った人たちの中にも、若い人はいなかった。
村を元気に走り回る子供と、その両親。散歩する老人は見たが、10代後半から20代前半の人を見かけることはなかったのだ。
「全員、ゼンさんの指導が嫌でこの村から逃げ出したんだ」
「はい?」
口を開いたアラン村長の言葉に、反射的に聞き返してしまった。
「若い男たちは逃げるように、この村を出ていった」
…………それほどまでに、ゼンさんの指導は強烈だということなんだろう。
「女の人は?」
「半分は男たちについていった。もう半分は、こんな古い村は嫌だと言って出ていった」
「つまり、タクミくん。この村は若者不足なんだよ」
「…………なるほど」
「それもあって、今日のゼンさんは嬉しそうだったね。あんなゼンさん、久しぶりに見たよ」
その聞き逃すことができない言葉に、「どういうことですか?」と聞こうとした。
だが、俺の口からその言葉が出る前に。
「タクミ!!」
と背後で叫び声が聞こえた。
振り向くと、そこにはゼンさんがいた。
「明日は休みだが、明後日はもっと厳しくいくからな!」
「…………はい。よろしくお願いします」
頭を下げる。すると、ゼンさんは鼻を鳴らして去っていった。
「嬉しそうだったね」
俺が顔を上げると、1人の男性が呟いた。
「今のがですか?」
「うん。長い付き合いだとわかるもんなんだよ」
俺はゼンさんの後ろ姿を、黙ったまま見送った。
「じゃあ、俺たちもそろそろ帰るか」
そう言いだしたアラン村長が「おっ」と声を上げた。
「どうしたんですか?」
「タクミくん。お迎えが来たぞ」
「へっ?」
情けない声を出して、刺された指の先を視線で追う。
すると、金色の髪を風になびかせながら、1人の少女がこちらに歩いてきていた。
「…………ハンナ」
「もう、仕事は終わった?」
「うん」
俺がそう答えると、ハンナは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、帰ろ」
オジサンたちの視線を感じながら、俺たちは家に帰った。
家に着くと、いい匂いが漂ってきた。
「おかえり!」
「ただいま」
ソフィアさんの挨拶に応える。
台所に立って、黒い鍋の前でスープを煮込んでいる。
「どうだった?」
「疲れました。でも、みんないい人たちで、どうにかやっていけそうです」
「それは良かった」
嬉しそうにソフィアさんが頬を上げる。
「まあ、厳しい人もいるんですけどね」
「それ、ゼンさんの事でしょ」
ハンナが横から聞いてくる。
「………やっぱり、有名なんだね」
「うん。すごく厳しいらしいね」
今日あった出来事を、ハンナに話しながら時が過ぎてゆく。
この居場所を、心地よいと感じながら…………。
夕食を食べて、水浴びをして。
再び、ベッドの上で横になる。
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