3-2

 夜。


 ご飯を食べ終わった後は少し休憩をし、水浴びで身体を洗った。

 傷の周辺は慎重に洗って、新しい包帯を自分で巻く。


 彼女たちのように上手くはできなかった。



 服は、この村に住む男性のものを着た。

 ソフィアさんが貰ってきてくれたらしい。


 感謝を告げて、二階の部屋に戻る。


 窓を少し開けて、夜風を浴びる。

 この家にはソフィアさんとハンナの2人で住んでいるらしい。


 ソフィアさんは朗らかな人で、少し男勝りな部分というか、肝っ玉母さん味を感じる。

 食堂の明るいおばあちゃんみたいな感じだ。


 ハンナは清楚というか、気品があって優しくて可愛い女の子だった。



 夜の外は暗く、弱い光がぽつぽつと村の中を照らしている。

 空には、夜の大岩が白く淡い光を放ちながら浮かんでいる。


 この世界にきた初日にも見上げたその景色に、胸が苦しくなった。




 ……2人は俺に事情を詳しく聞くこともせずに、満足するまでここに居ていい、と言ってくれた。



 俺にはどこかに行く当ても、何かをしたいという目標も、願いもなくなってしまった。

 だからと言って、ずっとここでお世話になるわけにもいかない。


「……この先、どうするかを考えないとな」


 いっそのこと、地球に戻る術を捜すというのは、どうだろうか。


 考えて、今までの事を思い出して、「ないな」と切り捨てる。

 帰りたいと言えば、帰りたい。


 でも、そんな方法が存在するとは思えない。

 俺の事をこの世界に転生させた存在がいるなら話は変わってくるが、この世界で目を覚ました時、そんな存在はどこにもいなかった。


 そもそも、俺は地球で車に轢かれている。

 この推測が正しければ、俺は一度、死んでいる。


 なら、俺は何故今生きているのか。

 なぜ、この世界で目を覚ましたのか。

 神様がもう一度機会を与えたというのは都合がよすぎるし……。



「そもそも、人間は死んだらどうなるのか、なんて考えてもキリがないよな」


 答えのない問題をグダグダ考えていても意味はない。


 地球に返るという選択ができない以上、俺はこの世界で生きていかなければならない。

 だとすると、必要なのは安定した衣食住だ。


 ……この村で平和に生きていくのはどうだろうか。


 身の丈に合わない目標をもって、困っている誰かを助けようとしたことは忘れて、このまま平和に生きていく。


 ……先ずは俺にできることを探す。……とはいっても、かなり少ないよな。

 俺はずっとアニメや漫画に時間を費やしてきた。


 クラスのイケてる奴らみたいに、スポーツに打ち込んできたわけじゃないし、将来の夢があったわけでもない。

 俺はずっと、自分の好きなように生きてきたんだから。


 弱気になってしまう自分の心をぶん殴る。


 それでも、胸にチクチクと刺さるものがあった。

 それは、罪悪感とか後ろめたさとか……。


 それよりも大きな痛みがあった。

 胸に負った斬撃の傷よりも、大きくて痛いもの。


 行き場のない怒りを、自分にぶつける。


 …………どうしようもない程に、俺は弱い。




 アルドニスは、俺の事を強いといった。

 だが、それは違う。


 あの頃の俺は、勘違いしていただけだ。


 車に轢かれて、死んで……。

 次に目を覚ましたら、そこは異世界でした。


 そんなの、オタクだったら誰でも勘違いしてしまう。


 冴えないアニメオタクの誰しもが、夢に見る展開なのだから。


 異世界に転生して、目覚めた特殊能力で無双してハーレムを築く。


 一度は夢を見る、厨二の幻想。


 熱に浮かされたまま、たまたま、フローガを倒せてしまい、調子に乗ってしまった。



 それが間違いだった。

 みんな、勘違いした。

 俺が特別な存在だと。


 アンジェリカも、アルドニスも、自分自身でさえ。


 敵いそうにない敵が現れただけで、全部投げ捨てた。

 全部捨てて逃げだすほど、俺は臆病で弱かった。

 それが、俺という人間の本質なのに。

 みんなが、俺という人間を見間違えていた。



 だけど、しょうがない。

 だって、異世界転生という言葉にはそれほどの魔力があるんだから。



「は、ははは。…………本当に、情けないな。俺って」


 冷静になれば、アンジェリカに勝手な幻想を抱いていたのかもしれない。

 彼女の為に戦えば、どこかのヒロインみたいに俺の事を好きになってくれる、と。


 彼女は、推しのヒロインのシャルロットじゃない。


 思い返せば、似ているというのも嘘だった可能性がある。

 そういうフィルターがかかっていた、だけなのかもしれない。


 現実を捻じ曲げて、理想を押し付けて、幻想に溺れていただけ。


 そんな愚かな過ちに、歯を噛み締めた。


 画面の先の主人公に憧れる。

 きっと、その人生が丁度良かったんだ。


 それ以上を望んだのが駄目だった。

 自分も主人公になれるかも、なんて…………。


 俺は、ただのエキストラ。

 いや、舞台に上がることもできない、ただの凡人だ。




 …………本当に、情けない。










 扉が軽く叩かれた。


「はい」と返事をして濁った思考を停止させた。


 すると、扉が開いてハンナが部屋に入ってきた。



「夜遅くに、ごめんね」


「いえ、どうしたの?」


「やっぱり、眠れない?」

 そう聞いてくるハンナに、俺は少し俯いて考えた。


 そういえば、眠気がない。

 ……当たり前か。さっきまでずっと眠っていたんだから。



「そうだね。さっきまで眠ってたから」


「実は、私も同じなの。だから、すこしお話できないかなって」


「……そうだね。じゃあ、少し話しましょうか」


 少し悩んでから、笑顔で頷く。

 ハンナが寒くならないように、窓を閉めてからベッドの上に腰を下ろす。

 彼女はベッドの傍にある椅子に静かに座った。



「…………まず、初めに効きたいことがあるのだけど」


 そう切り出したハンナに、耳を傾ける。


「ここに来る前の事は聞かない方がいいのかな?」


「そう、だね。……なるべく、思い出したくないかな」

 少し悩んでから答える。

 すると、彼女はにっこりと笑みを浮かべて「わかったわ」と言ってくれる。


「でも、この村の外の事は聞いていいかしら?」


「…………ん? はい。いいですよ」


 彼女は少し興奮気味に、質問を繰り返してきた。


 この村の外にある街の事。

 どんな世界が広がっているのか。



 俺はこの世界について知っていることは少ない。

 この村の外に広がる森と、ブラフォスの街の事しか知らないのだから。


 それでも、彼女は無邪気に瞳を輝かせて俺の話を聞いてくれた。




「…………ハンナは、この村の外に出たことがないの?」


 会話がひと段落したところで、疑問に思ったことを言葉にする。

 すると、ハンナは少し寂しそうに表情に影を落とした。


「あ、ごめん。言いたくなかったらいいんだ」


「…………いえ、いいの。ただ少しだけ戸惑っただけ。…………私ね病気を患ってるの」


 その言葉は、冷たく、まるで雨の中に佇む少女を思い起こさせた。


「―――――え」

 気付いた時には、息がこぼれていた。


 久しく、静寂がその場を包み込んだ。



「ごめんね。変な空気になっちゃったね」


「…………いや、俺の方こそ。……………………治る、ものなの?」


 彼女の顔を覗き込むように聞いてみる。


「ううん。難しいみたい」


 その笑顔に、心が震えた。

 胸が苦しくなり、呼吸するのが難しくなる。



 出逢ってほんの数時間。

 それでも、その事実が重く俺の肩にのしかかる。


 聞くんじゃなかった。


 数秒前の選択に後悔する。


「ソフィアさんも本当の母親じゃないの。私の本当の両親は2人とも亡くなってるの。父親はこの村の警護中に怪物に襲われて…………。母親は私と同じ病気で…………」


 それは物凄く悲しい言葉だった。


 恐らく、この世界の医療は地球のものよりも遅れている。

 それでも、この世界には彼女を救える力を持った存在がいるはずだ。


「ヴァーテクス、様なら。治せるんじゃないのか?」


「無理よ。そういった力を持って得るヴァーテクス様はいらっしゃらない。タクミも知っているでしょ?」


「…………そう、だったね」


 再び、長い沈黙が訪れた。

 こういった時、何を言えばいいのか正解がわからない。



「…………怖く、ないの?」


 それは、単純な疑問であったが故に口からこぼれたものだった。



「…………怖いけど、今はもう受け止めてるわ。…………でも、外の景色は見てみたかった」


 寂しそうに微笑む彼女。

 その瞳はどこか遠くを眺めるように透き通ったものだった。






 その後、暫くしてからハンナは自室へと戻った。



 ひとり残された部屋で、窓の外を眺める。


 ヴァーテクスという神に等しい存在がいるというのに、この世界は理不尽に満ちているらしい。


 俺にはどうすることもできない。



 俺は深い溜息を吐いてからベッドの上に横になる。

 目はまだ冴えていて、眠くはない。





 俺が眠りに落ちたのは、煌点が昇り始める頃だった。

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