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3-1
ブラフォスの街を出て、夜道を走る馬車。
暗闇を走るのは危険だと思うが、それを止める者は1人もいなかった。おもむろに立ち上がったローズさんが運転席へと移動してくる。
「……手当てするから、そのままジッとしててね」
成されるがまま手当てを受けて、体に包帯を巻かれた。
痛みが少しだけ和らいだ気がする。
俺の手当てが終わると、彼女は荷台へと戻ってアルドニスの手当てを始めた。
そして、半日が経過する。
煌点が昇り、夜の暗闇を払ってもなお、馬車の中で会話が始まることはなかった。
疲労はあるのに眠気は来ず、ずっと手綱を握り締めていた。
馬車は乾燥地帯を抜けて今は緑が広がる平原を走っている。
進路の先には巨大な樹木が集合する森が見えている。
彼女の事は意識的に思考から排除して……。
馬車は止まることなく進み続ける。
「…………タクミ」
最初に沈黙を破ったのは、ずっと気を失っていたアルドニスだった。
「止めてくれ」
黙ったままその言葉に従う。
……従おうとしたが、馬車の止め方がわからなかった。
「……どうやって、止めるの?」
乾いた唇を動かして疑問を問う。
すると、アルドニスはぎこちなく起き上がり俺から手綱を取る。
暫くすると、馬車は速度を落して停車する。
半日の間、ずっと走らせていたから馬はかなり疲れている様子だった。
「少し馬を休ませたら、アンジェリカ様を助けに行く」
アルドニスは真剣な眼差しでそう呟いた。
「……状況は、理解できているの?」
ローズさんが立ち上がり、アルドニスに問う。
「ああ。話だけは聞こえてたからな」
「……俺を、責めないのか?」
アンジェリカを置いて逃げるという選択をしたのは自分だ。
だからこそ、彼には俺を責める権利がある。
「……納得はしてないけど、あの状況じゃ仕方がなかった」
その言葉に、安堵する自分がいる。
「過去の事を今話しても意味はねぇ。今重要なのはどうやってアンジェリカ様を助けるかだ」
「そうですね。直ぐに決めてアンジェリカ様を助けましょう」
それまでずっと黙っていたドミニクさんが立ち上がる。
「無理だ」
それを否定した。
直ぐにみんなの視線が集まる。それを俺は俯くことで見ないようにした。
「ユースティアには勝てない。戻るべきじゃない」
「……アンジェリカ様を見捨てろってことか?」
「アンジェリカだって、…………まだ生きてるとは、限らない」
きっと、みんなが避けていたであろう事を口にする。
言葉にした後で後悔した。
「……生きてる。だから、助けに行くんだ」
「そうだったとしても、俺には無理だ」
俺はもう知ってしまった。
思い出してしまった。
俺には特別な才能も力もない……。
ただの男子高校生だったことを。
ユースティアには敵わない。
第一に、俺はもう死ぬのはごめんだ。
痛いのも嫌だ。
だから、それが怖くて、アンジェリカ様を助けに行くことはできない。
「……なんで、そんなことを言うんだよ」
アルドニスの強い意志が弱まった気がする。
それに、俺は顔を上げて答える。
「俺は、みんなと違って弱いからだよ」
昨夜、全能のヴァーテクスに怯える街の長に、申し訳なく思う。
俺は、彼らよりも弱い存在なのだから。
「ふざけるな!!」
強い衝撃が俺を襲った。
気が付けば、息がかかるくらいアルドニスの顔が近くにあった。
胸ぐらを掴まれて、馬車の壁に身体を叩き付けられた。
「この中で、一番可能性を持っているお前が、弱いだと!? ふざけんなよ!」
彼が何に怒っているのか、理解できなかった。
「お前が一番力を持ってるだろ! お前が一番強いんだよっ!」
「……そんな、わけ」
必死に抵抗してアルドニスを突き放す。
彼の肩に、爪が食い込むのが分かった。
それでも、この感情を止めることは出来なかった。
「そんなわけ、ないだろ! 俺の事を何も知らないお前が、そんなことを言うなっ!」
瞬間、静寂が訪れた。
荒だった空気の中、突如訪れた静寂に自分が口にした言葉の卑劣さに気付いた。
彼らが俺の事を知らないのは当然のことだ。
肩で呼吸を繰り返し、ばつが悪くなった空気に耐えられず、背中を向けた。
そのまま、森を目指して歩き出す。
「……どこに行くんだよ」
その言葉は俺の事を案じてくれたものだったのだろう。それでも、俺は止まることなく歩き続けた。
「俺はみんなと一緒には行けない」
行き場のない悲しみだけが募っていく。
この世界に来て、初めて。
―――――孤独を感じた。
記憶だけを頼りに歩き続ける。
……確か、この先に村があったはずだ。
村に向かう途中、何度も自分の選択を悔やんだ。
それでも、引き返すことは出来なくて……。
ズルズルと重い身体を引き摺って、前へと進んだ。
冷静になれば、本当にバカなことをしたと思う。
右も左も分からない場所で。
いつ、怪物に襲われるかもわからない場所で。
1人になるなんて、どうかしていた。
剣は一応持ってきたけど、今の俺は負傷した状態だ。
……たとえ、負傷していなかったとしても、俺には怪物を倒すことなんてできないが。
たった一度通った道。その記憶を辿って、足早に進んでいく。
なるべく急いだ。
……こんなに遠かっただろうか?
どこかで道を間違えたんじゃ……。
不安を押し殺して、速度を上げていく。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
早く進めば進むほど、心臓が締め付けられる。
進むほどに、不安が大きくなっていく。
感覚を信じられなくなり……。
もう、どれくらい進んだのかも、分からなくなってしまった。
彼女たちの事は、なるべく考えないようにした。
……傷が、開いた気がする。
いや、もともと塞がってはいなかった。
○○〇さんの手当てが丁寧だったから、ここまで気にならなかっただけだ。
いつの間にか、呼吸が荒くなっていた。
はやく、しなければ……。
急いで、急いで、急いで。
進んでも、村らしきものは見えてこない。
怖い。怖い。
痛い。嫌だ。怖い。
幸いなことに、日はまだ明るい。
はやく、いそがなければ……。
周りの音とか、気配に気を配りながら、脚を進める。
怖い。怖い。はやく、こわい……。
あしが、痛い。
視界が霞み始めて、重くなった思考の中、そんなことを思った……気がする。
脚の他にも、胸が痛かった。
腹が痛かった。
頭が重たい、気がする。
なにかが恐ろしかった。
身体に巻かれている白い包帯が、真っ赤に滲んでいく。
その赤が怖いのか……。
それとも、ほかのなにかが怖かったのか。
膝からその場に崩れた。
喉が、乾いた。
視界が白く滲んでいく。
土の冷たい感触が、今だけは心地よく感じられた。
はやく、起き上がらないと。
いそ、がないと。
そんなことを、思って、思って?
……ダメだ。
徐々に狭まっていく視界。
どんどんと重くなっていく頭部。
自然と、瞼が下がって…………。
ザっ、と物音が聞こえた。
気配がある。何かがこちらに近付いてくる。
瞼を開こうとするが、重たくて無理だった。
「あの、大丈夫ですか」
そんな、おとが。
きこえた、―――――きが、した。
僅かな物音が、直ぐ近くで聞こえた。
閉ざされていた意識を、ゆっくりと覚醒させる。
瞼を開くと、木でつくられた建物の天井が視界に入ってきた。
頭の下には、少し硬い枕がある。胸までかけられた真っ白な布団。
特別、寝心地がいいというわけではない。
地球のものと比べるのもおこがましい。
それでも、ずっと横になっていたいと思わせる不思議な魔力があった。
温かく整えられた室温。木の香りに包まれた優しい匂い。
そんな衝動に抗って、体を起こした。
途端、嫌な痛みがゾクリと走った。
「痛っ…………」
「あ、目を覚まされたのですね」
その優しい響きに、顔を向ける。
そこには俺を見詰める、金髪の少女の姿があった。
身長は150半ばくらいだろうか。
髪の長さは肩くらいまでで、先端が外に向かって跳ねている。
左耳に髪をかけているため、可愛い耳が顔を覗かせている。
たしか、ミディアムヘアーという名前の髪型だ。
服装は白のシャツと紺の七分丈のパンツに、上から薄いピンク色のカーディガンを羽織っている。
「……ここは?」
彼女から視線を外して、ぐるっと辺りを見渡す。
木でつくられた狭い部屋。
ベッドと机と椅子が並んでいるだけの簡素な部屋だ。
直ぐ傍にある窓には布が掛けられていて、外の様子は分からない。
部屋の中は薄暗く、幽霊屋敷に思えるほどだった。
「貴方は村の入り口の近くで倒れていたんです。それを私が発見して家まで運んでもらいました」
「……という事は、貴女は恩人ってことになるんですかね?」
「……うん。そうなるかもね」
そう微笑む彼女に、俺はお礼を言って頭を下げる。
ユースティアが怖くて逃げだした俺は、アンジェリカを助けに戻るという仲間の意見に反対し、別れたのちに体力が尽きて倒れてしまった。
そこが偶々村の近くで、運よく彼女が俺の事を見つけてくれて、助けられたという事、か。
「運が良すぎて怖いな。これが主人公補正ってやつか…………」
自分で言葉にしてむかついた。
自分は主人公じゃないのだから。
運の良さに感謝して息を吐いた。
すると、急激に食欲が襲ってきて……。
ぐうっとおなかが鳴ってしまった。
「ふふふ」
と彼女が笑いをこぼす。
俺は慌てて言い訳をする。
「昨日の夜からなにもたべてなくて」
顔が沸騰しているのが自分でも分かった。
「もう少ししたらご飯の準備ができるから、ちょっと待ててね」
そう言いながら、扉に移動する彼女の背中を呼び止める。
「あの、…………名前、聞いてもいいですか?」
「あ、そういえばそうね。私の名前はハンナっていうの。貴方は?」
彼女はくるり、とこちらを振り向いて名乗る。
「…………タクミって言います」
「タクミ、さんね。………じゃあ、また後で呼びに来るわね」
そう言って扉を開き、ハンナは部屋を出ていく。
扉が閉められた後、あれは暫く部屋の角っこを見詰めた。
ぐるぐると、思い出しても仕方のないことばかりが溢れてくる。
それに蓋をして、もう一度部屋の中を見渡した。
……本当に、狭い部屋だな。
そして、窓を遮る布に目が留まった。
腕を伸ばして布をめくる。
窓の外はオレンジ色の光に包まれている。
眩しさに目を細めながら、窓から見える範囲で村を見渡す。
どうやら、かなり小さい村のようだ。
畑とそこで仕事をしている人たちが見える。
地上とは高低差がある。
どうやら、俺がいるのは二階建ての建物らしい。
視線を部屋の中に戻す。
居心地がよかった居場所を捨てて、右も左も分からない土地で、あの場所以上の居場所を見つけれるのだろうか。
そんな不安は直ぐに切り捨てた。
これから先どれだけ時間が経過しようと、俺は彼女たちを忘れることはないし、自分の選択に胸を張れることはないだろう。
その事実が重くて…………。
俺は深い息を吐いた。
視線を下げれば、体には新しい包帯が巻かれていた。
右手で包帯の上から腹に触れてみる。
痛みはない。
どうやら、手当てまでしてくれたようだ。
また後でお礼を言おう。
そう心に決めて、再び窓の外を眺めた。
30分もしないうちに、部屋の扉が叩かれた。
返事をすると、静かに扉が開かれる。
「ご飯の準備ができたわ。……えっと、1人で歩けるかしら」
ハンナはそう言って首を傾げた。
俺は身体を動かして、恐る恐る床に足を付ける。
自分の重さを両足に預けながら慎重に立ち上がる。
「うん。大丈夫みたいだ」
言葉にしてから、敬語が抜けていたことに気が付く。
急いで謝ってから、訂正しようとする。
「大丈夫よ。私もそっちの方が気が楽だから」
彼女は笑顔でそれを許してくれた。
「……じゃあ、これからは敬語は使わずに話すよ」
「うん、わかったわ」
「そういえば、傷の手当てもしてくれたんだな。ありがとう」
「どういたしまして」
ハンナに案内される形で部屋を出て、廊下を歩く。
突き当りの階段を慎重に降りて、一階へ。
そこにはダイニング空間が広がっていた。
部屋の真ん中には長方形型の木の机と木の椅子が4つ並んでいる。
机の上には3人分の料理が並んでいた。
「もう傷の具合は、大丈夫なのかい?」
落ち着いた雰囲気のある女性の声に、そちらを振り向く。
台所と思われる場所からこちらに歩いてくる朱色の髪をした女性。
豊満な身体をした40代くらいの女性は穏やかな表情で、俺の事を見詰めてきた。
「はい。大丈夫です」
「それはよかった。……っと、自己紹介がまだだったね。あたしはハンナの母親だ。名前はソフィアっていうんだ」
「タクミって言います。この度は助けていただいた上にご馳走まで用意していただき、ありがとうございます」
慌てて、頭を下げる。すると、ソフィアさんは息をこぼして盛大に笑った。
ぽかんっと呆けていると、それに気づいたソフィアさんは落ち着きを取り戻して、「いや、礼儀正しい子だと思ってね」
とほほ笑んだ。
「堅苦しいのはなしだ。息が詰まってしまうだろ?」
その笑顔は、まるで太陽のようだった。
「はい。わかりました」
ソフィアさんに促される形で席に着く。
机の上には煮込まれたスープと堅そうなパンとサラダが用意されていた。
「あまり豪華な物じゃないが、良かったら食べてくれ」
「ありがとうございます」
木のスプーンでスープをすくい、口に運ぶ。
下処理がされた野菜は噛むほどに甘さをあふれ出し、口の中で崩れていく。
その美味しさは、優しく、愛情の感じるものだった。
まちがいなく、この世界で食べた物の中で一番美味しいかった。
空腹に染みて、ボロボロになった体と心に染みて……。
自然と涙がこぼれた。
そんな俺を心配そうな表情で、「大丈夫?」と声を掛けてくれるハンナの優しさに溺れてしまう。
「味付け、間違えたか?」
そう言ってスープを口に運ぶソフィアさん。
その優しく、平和な時間に笑みがこぼれる。
「いえ、すごく……、おいしいです」
ずっと、不安だった。
その重みが。
少しだけ、晴れたような気がした。
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