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 ブラフォスの街を出て、夜道を走る馬車。


 暗闇を走るのは危険だと思うが、それを止める者は1人もいなかった。おもむろに立ち上がったローズさんが運転席へと移動してくる。


「……手当てするから、そのままジッとしててね」

 成されるがまま手当てを受けて、体に包帯を巻かれた。


 痛みが少しだけ和らいだ気がする。

 俺の手当てが終わると、彼女は荷台へと戻ってアルドニスの手当てを始めた。




 そして、半日が経過する。


 煌点が昇り、夜の暗闇を払ってもなお、馬車の中で会話が始まることはなかった。



 疲労はあるのに眠気は来ず、ずっと手綱を握り締めていた。

 馬車は乾燥地帯を抜けて今は緑が広がる平原を走っている。


 進路の先には巨大な樹木が集合する森が見えている。



 彼女の事は意識的に思考から排除して……。



 馬車は止まることなく進み続ける。







「…………タクミ」


 最初に沈黙を破ったのは、ずっと気を失っていたアルドニスだった。


「止めてくれ」

 黙ったままその言葉に従う。

 ……従おうとしたが、馬車の止め方がわからなかった。



「……どうやって、止めるの?」


 乾いた唇を動かして疑問を問う。

 すると、アルドニスはぎこちなく起き上がり俺から手綱を取る。

 暫くすると、馬車は速度を落して停車する。



 半日の間、ずっと走らせていたから馬はかなり疲れている様子だった。


「少し馬を休ませたら、アンジェリカ様を助けに行く」


 アルドニスは真剣な眼差しでそう呟いた。


「……状況は、理解できているの?」


 ローズさんが立ち上がり、アルドニスに問う。


「ああ。話だけは聞こえてたからな」


「……俺を、責めないのか?」


 アンジェリカを置いて逃げるという選択をしたのは自分だ。

 だからこそ、彼には俺を責める権利がある。


「……納得はしてないけど、あの状況じゃ仕方がなかった」


 その言葉に、安堵する自分がいる。


「過去の事を今話しても意味はねぇ。今重要なのはどうやってアンジェリカ様を助けるかだ」


「そうですね。直ぐに決めてアンジェリカ様を助けましょう」


 それまでずっと黙っていたドミニクさんが立ち上がる。




「無理だ」


 それを否定した。

 直ぐにみんなの視線が集まる。それを俺は俯くことで見ないようにした。



「ユースティアには勝てない。戻るべきじゃない」


「……アンジェリカ様を見捨てろってことか?」


「アンジェリカだって、…………まだ生きてるとは、限らない」


 きっと、みんなが避けていたであろう事を口にする。

 言葉にした後で後悔した。



「……生きてる。だから、助けに行くんだ」



「そうだったとしても、俺には無理だ」


 俺はもう知ってしまった。

 思い出してしまった。


 俺には特別な才能も力もない……。

 ただの男子高校生だったことを。




 ユースティアには敵わない。

 第一に、俺はもう死ぬのはごめんだ。

 痛いのも嫌だ。


 だから、それが怖くて、アンジェリカ様を助けに行くことはできない。



「……なんで、そんなことを言うんだよ」


 アルドニスの強い意志が弱まった気がする。

 それに、俺は顔を上げて答える。


「俺は、みんなと違って弱いからだよ」


 昨夜、全能のヴァーテクスに怯える街の長に、申し訳なく思う。

 俺は、彼らよりも弱い存在なのだから。



「ふざけるな!!」


 強い衝撃が俺を襲った。

 気が付けば、息がかかるくらいアルドニスの顔が近くにあった。


 胸ぐらを掴まれて、馬車の壁に身体を叩き付けられた。


「この中で、一番可能性を持っているお前が、弱いだと!? ふざけんなよ!」


 彼が何に怒っているのか、理解できなかった。


「お前が一番力を持ってるだろ! お前が一番強いんだよっ!」


「……そんな、わけ」


 必死に抵抗してアルドニスを突き放す。

 彼の肩に、爪が食い込むのが分かった。

 それでも、この感情を止めることは出来なかった。


「そんなわけ、ないだろ! 俺の事を何も知らないお前が、そんなことを言うなっ!」


 瞬間、静寂が訪れた。

 荒だった空気の中、突如訪れた静寂に自分が口にした言葉の卑劣さに気付いた。


 彼らが俺の事を知らないのは当然のことだ。


 肩で呼吸を繰り返し、ばつが悪くなった空気に耐えられず、背中を向けた。


 そのまま、森を目指して歩き出す。



「……どこに行くんだよ」


 その言葉は俺の事を案じてくれたものだったのだろう。それでも、俺は止まることなく歩き続けた。


「俺はみんなと一緒には行けない」


 行き場のない悲しみだけが募っていく。

 この世界に来て、初めて。


 ―――――孤独を感じた。
















 記憶だけを頼りに歩き続ける。


 ……確か、この先に村があったはずだ。


 村に向かう途中、何度も自分の選択を悔やんだ。

 それでも、引き返すことは出来なくて……。


 ズルズルと重い身体を引き摺って、前へと進んだ。







 冷静になれば、本当にバカなことをしたと思う。

 右も左も分からない場所で。

 いつ、怪物に襲われるかもわからない場所で。


 1人になるなんて、どうかしていた。


 剣は一応持ってきたけど、今の俺は負傷した状態だ。

 ……たとえ、負傷していなかったとしても、俺には怪物を倒すことなんてできないが。



 たった一度通った道。その記憶を辿って、足早に進んでいく。









 なるべく急いだ。



 ……こんなに遠かっただろうか?


 どこかで道を間違えたんじゃ……。


 不安を押し殺して、速度を上げていく。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 早く進めば進むほど、心臓が締め付けられる。

 進むほどに、不安が大きくなっていく。


 感覚を信じられなくなり……。

 もう、どれくらい進んだのかも、分からなくなってしまった。





 彼女たちの事は、なるべく考えないようにした。





 ……傷が、開いた気がする。

 いや、もともと塞がってはいなかった。


 ○○〇さんの手当てが丁寧だったから、ここまで気にならなかっただけだ。


 いつの間にか、呼吸が荒くなっていた。


 はやく、しなければ……。



 急いで、急いで、急いで。

 進んでも、村らしきものは見えてこない。





 怖い。怖い。

 痛い。嫌だ。怖い。


 幸いなことに、日はまだ明るい。



 はやく、いそがなければ……。



 周りの音とか、気配に気を配りながら、脚を進める。







 怖い。怖い。はやく、こわい……。












 あしが、痛い。


 視界が霞み始めて、重くなった思考の中、そんなことを思った……気がする。

 脚の他にも、胸が痛かった。

 腹が痛かった。



 頭が重たい、気がする。


 なにかが恐ろしかった。

 身体に巻かれている白い包帯が、真っ赤に滲んでいく。

 その赤が怖いのか……。


 それとも、ほかのなにかが怖かったのか。




 膝からその場に崩れた。

 喉が、乾いた。



 視界が白く滲んでいく。


 土の冷たい感触が、今だけは心地よく感じられた。



 はやく、起き上がらないと。

 いそ、がないと。





 そんなことを、思って、思って?



 ……ダメだ。


 徐々に狭まっていく視界。

 どんどんと重くなっていく頭部。

 自然と、瞼が下がって…………。






 ザっ、と物音が聞こえた。

 気配がある。何かがこちらに近付いてくる。



 瞼を開こうとするが、重たくて無理だった。




「あの、大丈夫ですか」



 そんな、おとが。


 きこえた、―――――きが、した。



















 僅かな物音が、直ぐ近くで聞こえた。


 閉ざされていた意識を、ゆっくりと覚醒させる。



 瞼を開くと、木でつくられた建物の天井が視界に入ってきた。

 頭の下には、少し硬い枕がある。胸までかけられた真っ白な布団。


 特別、寝心地がいいというわけではない。

 地球のものと比べるのもおこがましい。



 それでも、ずっと横になっていたいと思わせる不思議な魔力があった。


 温かく整えられた室温。木の香りに包まれた優しい匂い。



 そんな衝動に抗って、体を起こした。

 途端、嫌な痛みがゾクリと走った。


「痛っ…………」



「あ、目を覚まされたのですね」


 その優しい響きに、顔を向ける。

 そこには俺を見詰める、金髪の少女の姿があった。


 身長は150半ばくらいだろうか。

 髪の長さは肩くらいまでで、先端が外に向かって跳ねている。

 左耳に髪をかけているため、可愛い耳が顔を覗かせている。

 たしか、ミディアムヘアーという名前の髪型だ。


 服装は白のシャツと紺の七分丈のパンツに、上から薄いピンク色のカーディガンを羽織っている。


「……ここは?」


 彼女から視線を外して、ぐるっと辺りを見渡す。

 木でつくられた狭い部屋。

 ベッドと机と椅子が並んでいるだけの簡素な部屋だ。

 直ぐ傍にある窓には布が掛けられていて、外の様子は分からない。


 部屋の中は薄暗く、幽霊屋敷に思えるほどだった。




「貴方は村の入り口の近くで倒れていたんです。それを私が発見して家まで運んでもらいました」


「……という事は、貴女は恩人ってことになるんですかね?」


「……うん。そうなるかもね」


 そう微笑む彼女に、俺はお礼を言って頭を下げる。


 ユースティアが怖くて逃げだした俺は、アンジェリカを助けに戻るという仲間の意見に反対し、別れたのちに体力が尽きて倒れてしまった。

 そこが偶々村の近くで、運よく彼女が俺の事を見つけてくれて、助けられたという事、か。



「運が良すぎて怖いな。これが主人公補正ってやつか…………」


 自分で言葉にしてむかついた。

 自分は主人公じゃないのだから。



 運の良さに感謝して息を吐いた。

 すると、急激に食欲が襲ってきて……。


 ぐうっとおなかが鳴ってしまった。


「ふふふ」

 と彼女が笑いをこぼす。


 俺は慌てて言い訳をする。

「昨日の夜からなにもたべてなくて」


 顔が沸騰しているのが自分でも分かった。


「もう少ししたらご飯の準備ができるから、ちょっと待ててね」


 そう言いながら、扉に移動する彼女の背中を呼び止める。


「あの、…………名前、聞いてもいいですか?」


「あ、そういえばそうね。私の名前はハンナっていうの。貴方は?」


 彼女はくるり、とこちらを振り向いて名乗る。


「…………タクミって言います」


「タクミ、さんね。………じゃあ、また後で呼びに来るわね」

 そう言って扉を開き、ハンナは部屋を出ていく。


 扉が閉められた後、あれは暫く部屋の角っこを見詰めた。

 ぐるぐると、思い出しても仕方のないことばかりが溢れてくる。

 それに蓋をして、もう一度部屋の中を見渡した。


 ……本当に、狭い部屋だな。


 そして、窓を遮る布に目が留まった。

 腕を伸ばして布をめくる。

 窓の外はオレンジ色の光に包まれている。


 眩しさに目を細めながら、窓から見える範囲で村を見渡す。

 どうやら、かなり小さい村のようだ。

 畑とそこで仕事をしている人たちが見える。

 地上とは高低差がある。


 どうやら、俺がいるのは二階建ての建物らしい。



 視線を部屋の中に戻す。

 居心地がよかった居場所を捨てて、右も左も分からない土地で、あの場所以上の居場所を見つけれるのだろうか。



 そんな不安は直ぐに切り捨てた。

 これから先どれだけ時間が経過しようと、俺は彼女たちを忘れることはないし、自分の選択に胸を張れることはないだろう。



 その事実が重くて…………。



 俺は深い息を吐いた。




 視線を下げれば、体には新しい包帯が巻かれていた。

 右手で包帯の上から腹に触れてみる。

 痛みはない。


 どうやら、手当てまでしてくれたようだ。


 また後でお礼を言おう。

 そう心に決めて、再び窓の外を眺めた。






 30分もしないうちに、部屋の扉が叩かれた。


 返事をすると、静かに扉が開かれる。



「ご飯の準備ができたわ。……えっと、1人で歩けるかしら」


 ハンナはそう言って首を傾げた。

 俺は身体を動かして、恐る恐る床に足を付ける。


 自分の重さを両足に預けながら慎重に立ち上がる。

「うん。大丈夫みたいだ」


 言葉にしてから、敬語が抜けていたことに気が付く。

 急いで謝ってから、訂正しようとする。


「大丈夫よ。私もそっちの方が気が楽だから」

 彼女は笑顔でそれを許してくれた。


「……じゃあ、これからは敬語は使わずに話すよ」


「うん、わかったわ」



「そういえば、傷の手当てもしてくれたんだな。ありがとう」


「どういたしまして」



 ハンナに案内される形で部屋を出て、廊下を歩く。

 突き当りの階段を慎重に降りて、一階へ。


 そこにはダイニング空間が広がっていた。

 部屋の真ん中には長方形型の木の机と木の椅子が4つ並んでいる。

 机の上には3人分の料理が並んでいた。


「もう傷の具合は、大丈夫なのかい?」


 落ち着いた雰囲気のある女性の声に、そちらを振り向く。

 台所と思われる場所からこちらに歩いてくる朱色の髪をした女性。

 豊満な身体をした40代くらいの女性は穏やかな表情で、俺の事を見詰めてきた。


「はい。大丈夫です」


「それはよかった。……っと、自己紹介がまだだったね。あたしはハンナの母親だ。名前はソフィアっていうんだ」


「タクミって言います。この度は助けていただいた上にご馳走まで用意していただき、ありがとうございます」

 慌てて、頭を下げる。すると、ソフィアさんは息をこぼして盛大に笑った。


 ぽかんっと呆けていると、それに気づいたソフィアさんは落ち着きを取り戻して、「いや、礼儀正しい子だと思ってね」

 とほほ笑んだ。


「堅苦しいのはなしだ。息が詰まってしまうだろ?」


 その笑顔は、まるで太陽のようだった。



「はい。わかりました」



 ソフィアさんに促される形で席に着く。

 机の上には煮込まれたスープと堅そうなパンとサラダが用意されていた。


「あまり豪華な物じゃないが、良かったら食べてくれ」


「ありがとうございます」


 木のスプーンでスープをすくい、口に運ぶ。

 下処理がされた野菜は噛むほどに甘さをあふれ出し、口の中で崩れていく。

 その美味しさは、優しく、愛情の感じるものだった。


 まちがいなく、この世界で食べた物の中で一番美味しいかった。

 空腹に染みて、ボロボロになった体と心に染みて……。


 自然と涙がこぼれた。



 そんな俺を心配そうな表情で、「大丈夫?」と声を掛けてくれるハンナの優しさに溺れてしまう。

「味付け、間違えたか?」

 そう言ってスープを口に運ぶソフィアさん。


 その優しく、平和な時間に笑みがこぼれる。


「いえ、すごく……、おいしいです」



 ずっと、不安だった。

 その重みが。


 少しだけ、晴れたような気がした。


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