2-6

「……秩序のヴァーテクス」


 突如、この街に襲来してきた1人の女。

 その女は「アンジーナ!」と叫び、こちらを睨んでいる。


 そして、アンジェリカは女の事を「ユースティア」と呼び、さらに秩序のヴァーテクスであると口にした。


「……っ、どうすれば!?」


 固まった思考を巡らせてアンジェリカに判断を仰ぐ。

 すると次の瞬間、視界の先に居た八の姿が突如消えた。


「―――――は?」


 そして、瞬きをするよりも早く。

 その女はアンジェリカの目の前に現れた。


 唐突過ぎる出来事に、反応が遅れた。

 否、反応することが許されないスピードだった。


 首を動かし、間近でその姿を認識する。

 青の刺繡が入った白色の服。下は白の短パンで太腿が露わになっている。

 更に、その上を覆うように金の装飾が施された丈の長いマントを羽織っている。


 まるで、ファンタジー作品に登場する騎士のような姿に、思わず息を呑んで見惚れた。



 ポニーテールで纏められた長い青色の髪を揺らし、その女は口を開いた。


「言い訳があるなら聞いてやる」


「―――――くっ!」


 女の言葉を遮るようにして、突風がその場を襲った。

 砂ぼこりが舞い、女を中心に渦を巻いて拘束する。


 それは、アンジェリカが砂を操って創った砂嵐の牢獄だった。


 両腕で顔を覆い、砂から身を守る。

 腕の隙間からアンジェリカの事を視認する。


 彼女は秩序のヴァーテクスから離れるように、大きく後ろに飛んだ。


 直後、砂の渦が縦に割れた。

 アンジェリカの能力から解き離れた砂は周りに散っていく。

 その中から、堂々と秩序のヴァーテクスが姿を現した。


 さっきより威圧感が増している。

 もともとガタイがいいのもあり、前に立たれるだけで恐ろしさを感じる。


「バジレウス様を、裏切ったな!」


 その叫びは空間を割り、鼓膜に直撃する。

 音に怯み、その場に姿勢を低くする。直後、右腕を振りかぶりながら秩序のヴァーテクスが地面を蹴った。


 対するアンジェリカの周りには剣が数本漂っている。


 秩序のヴァーテクスが斜めに右腕を振り上げる。

 すると、その動きに呼応するように見えない何かが地面を削りながらアンジェリカに迫った。


 その軌道から避けて剣を射出するアンジェリカ。


 不規則な弧を描きながら、5本の剣が秩序のヴァーテクスに飛んでいく。

 だが、その剣は秩序のヴァーテクスに当たる直前でなにかに当たって弾かれた。


 その光景には既視感があった。アルドニスの拳がアンジェリカに届かず、不可視の障壁に弾かれた時と似ている。


 甲高い音を立てて、落ちる5本の剣。それを見届けることなく、秩序のヴァーテクスはアンジェリカに肉薄した。


 アンジェリカはそれに反応して後方に飛ぶ。

 秩序のヴァーテクスから距離を取りながら、街の中に転がっていた樽や、鉄の棒、瓦礫などを投擲する。

 だが、その全てが奴に当たることなく、弾かれてしまう。





「タクミ!」

 名前を呼ばれて振り返る。

 すると、アルドニスがこちらに走ってきていた。


「これ、剣な」

 手渡された剣を掴む。アルドニスは槍をぎゅっと握り締めて秩序のヴァーテクスに視線を送った。


「……まさか、ユースティア様か?」


「うん。アンジェリカが、秩序のヴァーテクスって呼んでた」


 俺が答えると、アルドニスは頭を抱えて「まじか」と口にした。


「どうしたんだ?」


「そうか、タクミは知らないのか。……ユースティア様はバジレウス様に仕える最強の盾であり矛なんだ」


「最強の盾であり、矛?」

 それは、すごく厨二心をくすぐられる言葉だが、おかしい言葉だった。


「……それって、矛盾してないか?」


「だと思うだろ。でもこれがガチなんだよ」


 アルドニスの言葉に、思わず息を呑んだ。

 視線を移してアンジェリカを確認する。


 秩序のヴァーテクスの攻撃を上手く躱している。が、アンジェリカの攻撃は当たっていない。

 状況は硬直しているが、ひとつミスがあればアンジェリカが劣勢に陥るような状況だ。


「ドミニクさんとローズさんが馬車を準備しに行った。それが整うまで時間を稼げればいいが……」


「つまり、逃げるってことか?」


「ああ、そうだ」


 その言葉に、違和感を感じた。


 逃げる?


 馬車が用意できたとして、逃げ切れる保証はない。

 なら、倒せばいい。


 出来るのか?

 と自分に問う。


 ……問題ない。なにも殺す必要はない。


 フローガの時と同じように、致命傷を与えるだけでいいのだ。




 そこまで考えて、ある欠点に気が付く。

 フローガの時は無我夢中で剣を振るった。結果的に死ななかっただけだ。


 素人の俺に、殺さずに加減して致命傷を与えることなんて不可能だ。



 視線の先で、秩序のヴァーテクスの攻撃にアンジェリカが足をもつれさせた。

 右肩から血を流し、短く悲鳴を上げた。


 その光景に、理性が狂う。




 いくら再生力が高いといっても、痛みは消せない。

 彼女の痛々しい悲鳴がそれを裏付けている。




 気が付けば、地面を蹴っていた。

 鞘から刃を解き放ち、建物の裏を回って秩序のヴァーテクスの裏へと回り込む。


 秩序のヴァーテクス、ユースティアは俺を認識していない。

 アンジェリカに意識を向けている。



 本来、人間の攻撃はヴァーテクスには効かない。

 だが、何故か俺の攻撃は通る。


 滑るようにして、奴の懐へと侵入する。そして、剣を振り上げて……。




 甲高い音と共に剣が弾かれていた。


 ―――――あ、れ?



 そのまま体勢を崩して地面に倒れる。

 俺の攻撃はユースティアに効かなかった。



「……貴様がアンジーナの従者、か」

 倒れる俺を見下す彼女と目が合う。


 それは冷たい響きだった。

 まるで、氷のような視線に悪寒が走った。



 ユースティアは身体の向きをこちら側に向けると、そのまま腕を振り払った。

 それは、一見ただの手刀だった。


 ただ、腕が振るわれただけ。


 その腕は俺には届かない。腕は空を切ったはず。


 なのに、次の瞬間。

 俺の腹には、まるで剣で切り裂かれたような傷が走っていた。


「―――――ぐっ!」


 突然、体を襲った痛みに、脳が侵される。チカチカと赤信号が点滅するように、ズキズキと痛みが伝播する。


「……が、は」


 逆流してきた血の塊を口から吐き出す。地面の上を転がって腕を付く。


「……死ね」


 短く、頭上で響いた音。


 直後、再びユースティアは腕を振り上げた。


 その横っ面を突くように剣が空気を切り裂いた。……が、彼女には届かず、弾かれる。ユースティアは動きを止めて、アンジェリカに再び向き直った。


 アンジェリカに、助けられた。

 腹の痛みを抱えながら、起き上がろうとして失敗する。

 そこへ、「タクミ!」と叫びながらアルドニスが駆け寄ってくる。


 身体を引っ張られて建物の中へと強引に転がり込む。

 どうやら、無人みたいだ。


「よいっしょ。……ここなら安全だろ」


 アルドニスはそう言って額を手で拭った。

 その直後だった。


 建物が横に真っ二つに割れた。


「―――――つ!」


 血を吹き出して倒れるアルドニス。

 あまりの衝撃に、言葉が出てこない。


 建物は壁が綺麗にズレている。今は大丈夫だが、少しの衝撃で崩れそうだ。

 頭を持ち上げて、建物の窓から外を確認する。

 そこには、腕を振り切ったユースティアの姿がある。


 ……つまり、建物ごとアルドニスを切り裂いたのだ。


 痛みに犯された脳で事実を確認する。

 認めたくない現実に、得体の知れない感覚が俺を襲った。



 アンジェリカにが地面を駆けながら連続で剣を飛ばす。

 だが、結果は同じだ。




 頭を下ろすと、血の池ができていることに気が付いた。


 俺とアルドニスの血が混ざり合い、嫌な刺激臭が漂い始める。

 規格が違う。

 フローガとは比べ物にならない。アルドニスが言った、最強の盾であり矛である、という言葉が理解できた。


 ……それでも、と腕に力を入れて起き上がる。

 剣を支えにして立ち上がり、ユースティアに反撃しようとして……。


 睨まれた。



 その瞬間、体が硬直してしまった。

 まるで金縛りにあったかのように自由が奪われる。剣を落して、尻餅を着く。


 ひざが、ふるえていた。


 森で、レオガルトに襲われて何もできなかったことを思い出す。

 続いて、車に轢かれた時の感触が蘇ってくる。

 手足の震えが激しくなる。寒気を感じて、嫌だ。



 無理だ、勝てない。

 死ぬ。嫌だ。痛い、嫌だ。助けて。




「はあぁぁぁぁぁ!」


 その叫び声に、硬直が解ける。

 アンジェリカは勇敢に、無謀な攻撃を繰り返していた。



 そこへドミニクさんとローズさんがやって来る。


「大丈夫?」

 声を掛けられて頷く。

 ローズさんは安心したように息を吐いて、俺を抱きかかえた。


 右を見ると、ドミニクさんが片腕でアルドニスを抱えている。

「馬車まで走るぞ」


 ドミニクさんの言葉に、ローズさんが「ええ」と頷く。

 2人は走り出し、建物から脱出する。そのままユースティアには目もくれず、走り続けた。



 建物の角を曲がると、直ぐに馬車が見えた。

 丁寧に、馬車の荷台の床に下ろされる。


「……すごい怪我ね。早く手当てしないと」

 ローズさんが俺たちを見下ろしながら呟いた。


「ええ。ですが、先ずはアンジェリカ様を助けなければ」


 荷台の中から、ドミニクさんは目を細めて砂ぼこりが舞う戦場を見詰めた。


 ……彼が負傷していなければ、どうにかなっただろうか。


 ドミニクさんを見上げて、そんなことを思った。



「先に、行って!!」

 唐突に、その叫び声が響いた。

 声の主は、彼女だ。


「ドミニク、どうするの?」


「……置いて、いけない」


 か細く呟かれたその声を掻き消すように、敵の女の叫びがその場を蹂躙した。


「逃がすわけないだろ!」


 その怒号がトリガーとなった。

 無意識に、体を動かして馬車の荷台と運転席を遮る壁を乗り越える。

 必死に腕を伸ばして、手綱を掴んだ。

 倒れるようにして、運転席に移ったためその衝撃で手綱が打たれる。

 それを合図と受け取った馬が急に走り出した。

 馬の勢いに、荷台が引っ張られて車輪を固定していた金具が外れる。

 馬車は猛スピードで走り出した。



「―――――なっ」

 ドミニクさんが荷台の上で驚きの声を漏らす。


「何をしているんだ! タクミ!」


 そこで俺は自分の行動を自覚した。

 ユースティアの怒号に、殺意を感じた。


 それが、怖くて、怖くて……。



「今すぐに、馬車を止めろ!」


 ドミニクさんの怒りは当然のものだ。

 それでも、俺は伸ばされた腕を強引に振り払った。


「これが、……アンジェリカの望みだろ!」


 俺の言葉に、ドミニクさんは黙ってしまう。


 これで、いいんだ。


 そうやって、何度も自分に言い聞かせる。

 馬車はどんどんと進み、アンジェリカから離れていく。



 最期に、心を蝕む罪悪感から運転席から身を乗り出して、後ろを振り返る。



 遠く、小さな背中を見た。

 その直後。

 アンジェリカは胸から腹を切断され、血を撒き散らした。



 その光景に、顔を逸らして運転席に身体を戻す。


 強く手綱を握り締める。

 馬車はそのまま、門を通過してブラフォスの街を出た。

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