2-2

 

 無名のヴァーテクス、アンジェリカと炎のヴァーテクス、フローガの戦闘は街の東側にある闘技場で行われようとしていた。

 東京ドームと同じくらいの大きさがある闘技場はフィールドと観客席に別れており、フィールドの全周を囲うように一階層高く観客席が設けられている。


 観客席は既に満員で、街中の人がこの戦いを観に来ているのが窺える。


 フィールドに設けられた奥の出入り口から1人の少女が姿を現し、2本の柱の間を通過して中央に向かって歩いてくる。その反対側からは上半身裸の男が姿を現した。



 観客席からアンジェリカの姿を確認した俺は隣に座るアルドニスに口を開いた。


「アンジェリカ、ひとりで大丈夫かな?」


「わからねえ。でも、人間がヴァーテクス様同士の戦闘に参加するなんて許されないだろ」


「そう、だよね。……そういえば、10年前の雪辱って?」


 さっき街で交わされたアンジェリカとフローガの会話を思い出し、問う。


「……アンジェリカ様は10年前に一度、フローガ様に挑んでいるんだ」

 そこまで言うと、アルドニスは歯を噛み締めて黙ってしまう。


「でも勝てなかったんですよ。手も足も出ずに大敗してしまった」

 ドミニクさんの補足にアンジェリカが心配になってくる。


「でも俺はその時、アンジェリカ様に命を救われたんだ。だからアンジェリカ様についていくと決めた」


 アルドニスが胸を張る。



「……炎のヴァーテクスは強いんですか?」


「ええ、怪物の討伐数だけなら最優ですね。その分、人間にも被害が出ていますが、それ以上の戦果を上げてますね」


 俺は息を肺一杯に吸い込んで叫ぶ。


「頑張れー! アンジェリカ!」



 アンジェリカとフローガは向かい合い、お互いに敵意を向け合っている。

 アンジェリカの周囲には10本の剣がふわふわと浮いている。アンジェリカの念動能力によるものだ。

 2人の間で見えない火花が散る。

 もういつ戦闘が始まってもおかしくない。


「この世界にはブラフォスの他に2つ乾燥地帯があるわ」


「……ああ。そうだな」


「今は誰も住んでいないその乾燥地帯にも昔は此処と同じような街があった」


「仕方ないだろ。全部燃えちまったんだからよ」


 フローガはそういうと、笑いながら胸を張った。


「俺はヴァーテクスだ。俺の意思を曲げる事は誰にも許さない。俺が人間を燃やそうが、燃える位置にいたそいつらが悪ぃんだよ。人間は俺を肯定しろ! 俺を敬え! それが人間の役割だろうが」



「……貴方は人の命を顧みない。私は貴方たちが嫌いだわ」


 嫌悪を向けるアンジェリカ。


「フン、じゃあそろそろ、始めるとするか!」


 そう叫んだフローガは右手をアンジェリカに向けた。

 ヴァーテクスの殺し合い。これは決闘なんかじゃない。だから審判も存在せず、開始の合図もない。

 次の瞬間、フローガの右手から炎が放射される。


 アンジェリカは咄嗟に右に飛んでそれを回避する。アンジェリカの動きに合わせて剣も移動する。

 そして、着地と同時に左手で空を切った。すると、宙を浮いていた剣が2本発射された。


 アンジェリカの命令を受け、剣は真っ直ぐにフローガに向かって行く。

 相対するフローガはそれを炎で弾き飛ばし、続いて2射目の炎を放った。


 かなり離れているのに、ここまで熱風が伝わってくる。

 凄まじい炎だ。

 アンジェリカを襲う火の河。


「アンジェリカ!!」


 その叫び声は虚しく炎に吸い込まれて消えてゆく。

 だが、炎はアンジェリカに当たる前に勝手に折れ曲がる。


 会場にいるほとんどの人が驚きの声を上げていた。

 フローガでさえその光景に目を奪われていた。


 その隙を突くようにアンジェリカが操る剣が宙を舞う。

「―――――つ!!」


 フローガの初めての回避行動。だがそれは間に合わず、頬を剣が斬り裂いた。

 頬を伝う赤い血。致命傷には届かない。それでも大きな意味を持つ傷だ。


「……10年前は俺の炎は弾けなかった」


「言ったでしょ。あの日の私はもういないのよ!」


 スリットの入ったスカートをひるがえしてアンジェリカが走り出す。それを受け再び炎が放射される。だが、その炎はアンジェリカに届かない。アンジェリカの意思によって炎は勝手に曲がり、道が開ける。


 残った剣が一斉に発射される。フローガにはそれを防ぐ術はない。炎はアンジェリカの意思で軌道を変えられる。

 つまり、フローガに残された選択肢は剣を避けるしかない。


 きっと、多くの人がアンジェリカの勝利だと思っただろう。




 だが、絶対的なピンチのなかで、フローガはにやりと笑ってみせた。


 右手が再びかざされる。

 次の瞬間、放射された炎は飛来する剣を全て吹き飛ばし、アンジェリカの身を襲った。


「―――――うっ、ああっ!」


 凄まじい炎の津波が悪魔の叫びのような唸りを立ててフィールド上の全てを包み込んだ。


「……っ!!」


 炎が静かに消える。


 炎が消えた後に姿を見せたアンジェリカはまさに満身創痍だった。

 衣服はボロボロになり、素肌は黒く汚れている。

 遠目でも分かるくらい腕や足に火傷を負っている。中でも一番酷いのが掌だった。

 眼を背けたくなるほど真っ黒に変色し、皮膚が残っているか怪しい状態だ。


 両肩を大きく上下させてフローガに強い眼差しを向けるアンジェリカ。

 フローガはにやついた表情を崩さずに口を開いた。


「10年前の火力が全力だと言った覚えはないぞ」


 たった数秒で状況が反転した。



 俺は膝から崩れ落ちる。ドミニクさんもローズさんも、アルドニスも目を剥くような沈黙を見せていた。


 フローガは弱弱しい炎を放射してアンジェリカを追い詰めている。奴は明らかにこの状況を愉しんでいる。


 それが、許せなかった。


 手元には2日前に貰った鉄の剣がある。その柄に手をかけて、自分の手が震えていることに気が付いた。

 感触なんてわからない。温度さえ把握できない。


 音がだんだんと遠ざかっていく。視界は白く濁っていてよくわからない。


 鼓動がはやく、いつの間にかなっている。

 呼吸を繰り返して、何度も。



 何度も自問自答する。


 どうする、と。






 目の前で繰り広げられる弱い者いじめ。

 看過することは出来ない。


 赦せない。


 でも、怖くて、こわくて。

 だから、ここで黙っていればいい。

 アンジェリカと自分は関係ないと。


 アンジェリカがどうなろうと関係ないと。そうやって自分を騙せばいい。

 楽な道だ。でも楽することを誰が責めることができるというのか。



 気持ちの整理ができない。覚悟なんてできない。

 暴れる腕を抑制できず、何度も嗚咽を繰り返した。


 自問自答を繰り返すこの瞬間もアンジェリカをは痛めつけられている。

 苦しみながら、溺れる子供のように逃げるアンジェリカをフローガは容赦なく追い詰める。

 誰が見ても勝負はついている。


 これはアンジェリカが仕掛けた戦いだ。


 敗者に待ち受ける結果など覚悟していた筈だ。

 殺されても、仕方がない。



 そうやって現実を許容して、気持ちに蓋をして。

 声を押し殺して感情を呑み込んだ。





「さっきまでの勢いはどうしたんだよ!」


 フローガの叫びが停止しかけた脳に響く。

 炎に脚を焼かれてその場に倒れるアンジェリカ。


 彼女は歯を噛み締めて乱れた髪の間からフローガに鋭い眼光を送る。


「なにを思って、この俺に挑んできたかは知らないがここまでだな」


 勝利を確信したフローガは口の端を釣り上げて、右手をかざした。


「…………あなたに、できるというの?」


 それは弱弱しくも、挑発のように聞こえた。


「なにが!」


 苛立ちを含んだ声に、アンジェリカは不敵に笑いながら言葉を続けた。


「ヴァーテクス同士の殺し合いは禁止されている。……貴方に、バジレウスを敵に回す覚悟があるのかと、聞いているのよ!」


 不意を突く形で剣が投擲された。死角からの一撃。投擲された剣はフローガの左肩に深々と突き刺さる。


「ぐっ……!」


 咲き乱れる鮮血を浴びながら、アンジェリカは四肢に力を入れて立ち上がろうとする。

 だが、その行動が完了する前に、フローガの右手がアンジェリカを襲う。


「アンジーナ!」

 怒りの叫びをあげてフローガが悪魔の右手をかざす。




「やめろぉぉぉぉぉ!」


 炎が放射される前に、腹の底から叫んだ俺の身体は中空にあった。

 それは反射的行動だった。

 理性という余分なものを置き去りにして、赦せないと体が悲鳴を上げる。

 彼女の死を許容できない本能だけが俺の身体を動かしていた。



 フローガは俺の存在を認識した瞬間に身体を硬直させていた。


 思考を忘れた俺の身体は抜き身の刃を振り下ろしていた。

 ズプっと嫌な感触が右手から脳まで走り抜ける。


 奴の左肩から腰までを刃先が淀みなく滑る。

 俺が剣を振りぬいた瞬間、フローガは後方に飛んだようでその距離は大きく開いていた。





 俺は目の焦点が合わず、膝を着く。身体の震えが止まらない。

 手に力が入らず、剣が滑り落ちていく。




「…………ちっ、てめえはなんだ!」


 俺に向かって放たれた炎。

 それはダムの崩壊のごとき勢いでこちらに迫ってきた。


 結末を見た。

 人生の終点。


 眩い炎に焼かれる未来に怯え、目を閉じた。

 それは、生の放棄にほからなかった。



 ……だが、いつまで待っても俺の身体が焼かれることはなかった。


「―――――ぐっ、ぁ。あっ」


 その悲鳴に、眼を空けて現実を直視する。


 今にも崩れてしまいそうな様子でボロボロになった身体を酷使して俺を守ってくれている少女の姿に心がを掻き毟られる

 彼女の手元で炎の波は弾け、俺には届いていない。


 だが、彼女の両手は更に醜く黒ずみ、形を崩そうとしている。


「―――――っ、タク、ミ。……だい、じょ……ぶ?」


 投げかけられた言葉は、とてもやさしい響きだった。

 状況と様子が乖離している。


 苦しみと痛み。

 それを感じさせない彼女の声と瞳が胸を熱くさせる。



 バカだ、彼女は。



 俺に放射された炎を無視して奴に特攻を仕掛ければ勝機があったかも知れなのに。

 ボロボロになってたその体で激痛と恐怖に怯えることなく、俺の命を優先させた。



 バカだ、おれは。



 そんな彼女を前に、生きることを放棄しようとした。

 死を、受け入れようとしてしまった。


 それは、彼女の存在に対する冒涜だった。

 赦せない。死んで、楽になろうとした自分の決断が。



 その怒りを呑み込んで、地面に落ちた剣に手を伸ばす。

 俺が剣を拾ったのと同時に、炎の勢いが弱まり、静かに消えていく。


 痛みを堪えながら、アンジェリカは懸命にフローガと向き合う。俺はその横に立ち、フローガを睨んだ。


 フローガはその状況を鼻で笑うと、

「いいだろう。3人でかかってこい!」

 と口の端を釣り上げた。



「3人?」


 奴の言葉を疑問に思った時、右肩を誰かに叩かれた。

 咄嗟に振り向く。

 すると、そこにはこちらを見て驚愕しているアルドニスの姿があった。


「アルドニス!? どうして」


「いや、タクミを止めようと釣られて飛び降りたんだ。っとそんなことより、タクミ!」


 さらっと説明した後、俺の両肩を力強く掴んできた。


「どうしたんだよ」


「なんでヴァーテクス様に攻撃が当たるんだよ!?」


 その言葉は俺には理解できないものだった。

 きょとん、としていると横からアンジェリカが入って来る。勿論、フローガに警戒しながらだ。


「ヴァーテクスにはヴァーテクスによる攻撃しか当たらないの。それ以外の攻撃は弾かれてしまうのよ」


 初めて知る衝撃の事実に驚きを隠せず息が漏れる。


「はい?」


 2人の言葉を信じるなら、ヴァーテクスはヴァーテクスにしか傷つけることができない。

 それなのに、俺の攻撃は通った。


 そのからくりを説明しろ言われても困る。



 だって、今初めて知ったんだから。

 ……そういえば、アンジェリカが蛇の怪物の攻撃で吹き飛ばされた時、傷を負っていなかったし、痛みも感じてなかった。


 ん? つまり攻撃は通らなくても衝撃までは消せないのか?



「―――――! タクミ!」


 アンジェリカの一声で現実に引き戻される。

 考察している余裕はないようだ。


 気を引き締めろ! ここは戦場だ。


 迫る炎。直ぐに回避しなければ……!



「任せろ!」


 そう言って前に出たのはアルドニスだった。


「オラっ!」

 アルドニスは槍を地面に突き刺す。すると、炎は槍の手前でドーム状に広がって俺たちを勝手に避けていく。


「すげえ!」


 だが、アルドニスは右膝を折って体勢を崩す。


「アルドニス!」


 アンジェリカと2人でアルドニスに駆け寄る。


「だい、じょうぶだ。耐えて、みせる!」


 そう言ってはいるが、顔色が悪い。更に鼻血が垂れてきている。

 奴の炎は何度も防げるようなものではない。

 アンジェリカもアルドニスも限界だ。


 俺の攻撃がなんでヴァーテクスに通るのか。

 いまはそんな事を考えている暇はない。


 思考を切り替えてアンジェリカに視線を送る。

 だが、アンジェリカは視線を落した。


「わたしの力ではフローガの全力には敵わなかった。その時点でわたしに勝算はなかったの」


「じゃ、じゃあどうするんですか」


 その質問に返ってくる答えはない。

 このままでは焼かれるのを待つだけだ。


 それだけは絶対にできない。


 深く息を吐いて、冷静さを取り戻そうと試みる。

 アルドニスを横目で確認する。

 それから、炎の向こう側を凝視する。


 炎で視界が塞がれている今が作戦を立てるチャンスだ。




「2人とも。簡潔にヴァーテクスの基本情報を教えて下さい」


「きほん、情報?」


「ヴァーテクスの能力について、俺の知らないことです」



「……人間は能力を使用すると体力を消耗するわ。けど、ヴァーテクスにはそれがない。無限に使用できるわ。……こういう事でいいの?」


 首を傾げるアンジェリカに、「はい」と頷く。



「でも、私がフローガの能力に干渉する時は体力を削られるわ」


「……なるほど」


 このまま消耗戦になればこちらが先に力尽きるのは目に見えている、と。

 つまり、短期決戦しかない。


 この状況を覆す作戦が必要なのだ。




「……アンジェリカの能力は物体操作で間違いないですか?」


「ええ、そうね。今の私にできることは物を操ってフローガに向けて飛ばすだけ」


「俺は風を操る能力だ」


 視線をアルドニスに向ければ、そう口を開いた。



 身体強化と物体操作。それに風操作。

 グルグルと思考を回し、今出来ることを考える。






 ……ある。


 この状況を覆せるかもしれない案が。




 だけど、それを実行するにはいくつかの不安要素、言い換えるとクリアしなければならない要点がある。


 その中で一番大きなもの。


 それは、俺だ。



 俺は積極的に前に出る性格じゃない。

 おちゃらけて場の空気を明るくしたりするのは得意だが、誰かを導いたりするのは経験がない。

 そして、俺は特別頭がいいわけでも、頭の回転が速いわけでもない。

 つまり、俺は策士キャラじゃないのだ。



 それでも、俺はもう命を諦めるのはごめんだ。

 自分の命も、アンジェリカとアルドニスのもだ。


 恐怖を呑み込む。

 覚悟を決めるしかない。


「…………勇気を出せ、小宮拓実」


 自分を鼓舞して2人の顔を視る。


「ふたりとも、聞いてくれ。アイツを倒す作戦を思いついた」


 そう言うと、2人は驚いた様子でこちらを見てきた。


「…………勝てる、の?」


「ああ。勝てる! ……と言いたいところだが正直不安要素が大きい。先ず、アルドニスに聞きたいことがある」


「なんだ?」


「入場口の近くにある柱を斬って人が隠れられるくらいの大きさの岩を何個かつくれるか?」


「やってみせるぜ!」


「よし。じゃあ作戦を言うから聞いてくれ」

 俺は簡潔に自分の考えを話した。


















「できるか?」


「ああ、やってみせる」

「うん、任せて」


 最後に確認を取り、炎の先に居るであろう敵に視線を送る。

 丁度、炎の勢いが弱まってきたところだった。


「炎が消えたら動く。あとは作戦通りに頼む!」


 炎が消えた直後、俺とアンジェリカは一緒になって飛び出した。


 アルドニスはひとりで逆方向に走る。

 俺たちが二手に分かれたのを確認して、奴の意識はこちら側に傾く。

 続いて、炎が放射された。

 唸り声を立てて、死を纏った赤い悪魔が迫る。


 ここが最初のターニングポイント。




 アンジェリカの身体を抱えて、能力を発動させる。

 脚力に全意識を注ぎ込む。


 強化された脚力で炎を避ける。だが、それを追うように連続で炎が放たれた。


「―――――ぐっ、ぁああああ!」


 息継ぎや着地の瞬間を狙って繰り出される熱に意識が吹き飛びそうだ。

 一瞬の判断をミスればそこで終わる。

 加圧された脳が思考を断線させる。


 次々と放たれる炎を全力で掻い潜る。


 こんな時、カッコよく炎を斬れたら……。


 そんな思考が過ぎり、直ぐに捨てる。



 目の前に迫る熱の塊を避けてアンジェリカと別れる。


 アンジェリカはフローガから距離を取って観客席を沿って全力で走っていく。


 それを横目で見届けて地面を蹴った。

 目標はフローガの首。


 奴の身体目掛けて、特攻を仕掛ける。



 奴の注意を俺一人に向けさせろ!


 瀕死のアンジェリカよりも、俺の脅威を優先させたフローガは再び俺に掌を向けてきた。

 タイミングを見計らい、全力で右側に逸れる。


 俺の左側の空間を炎が走っていく。

 左半身に火傷を負いながら、踏み込んで全力で腕を振った。


 大振りの剣の軌道を軽々と避けたフローガはそのまま右手をこちらに向けてきた。



「アンジェリカ!」


 俺の叫び声を受け、瀕死のはずのアンジェリカは駆けだしていた。


 アルドニス。

 彼は予め与えた作戦を見事果たし終えていた。


 フローガの炎を防いだ直後、更に能力を酷使して入場口付近に立っていた2本の柱を解体したのだ。

 そうして出来上がった巨大な岩をアンジェリカが能力で動かす。


 アンジェリカの命令を受けて重たい岩が一直線にフローガ目掛けて飛んでいく。それに合わせ、地面を蹴ってフローガから距離を取る。


「―――――っ! はあ!?」


 炎を放射しても無駄だ。

 その勢いに負けることなく、岩はフローガの身体を押し潰す。


 炎による迎撃を諦め、フローガは岩を避ける。

 だが、岩はひとつだけじゃない。


 複数の岩がフローガを潰すために飛び交う。それは、岩の演武のようにみえた。


「無駄だ! こんな攻撃を繰り返しても俺を潰すことは出来ねえぞ!」


 そう。いくら質量があるとはいえ、これでは決定打にはならない。そもそも弾が大きすぎるから奴に避けられてしまう。



 だが、岩による攻撃はあくまで準備。


「…………! これは!」


 岩は丁度、人よりも大きく、人が隠れるには最適なものだった。

 フローガを中心に岩は不規則に並び、俺たち3人はそれぞれ岩の陰に隠れている。


 岩の密林。

 これこそが俺の狙いだった。


 奴は俺たちの位置を把握できていない。


 俺はフローガに一番近い岩の陰に隠れていた。俺が隠れている岩の向かい側で、何かが岩の陰から飛び出した。

 咄嗟に反応したフローガは身体を反転させて炎を放射し、それを燃やし尽くす。

 だが、それはアンジェリカの能力で操った剣だった。

 まんまと囮につられ、奴は無防備な背中をこちらに見せる。


 ここが、最大の好機。


 四肢を駆動させて岩陰から飛び出す。

 獣を狙う猟師の如く奴の背後に忍び寄る。


 奴がこちらの接近に気が付き、振り返った。



 問題ない。

 もう既に目と鼻の先まで距離は縮まっている。この距離ならこちらの刃が先に届く。


 地面を滑りながら着地し、腕を振り上げる。


 あとは本能の赴くままに腕を振り下ろすだけだ。


 常識を掻き消し、倫理を捨てる。




 ……本当に、いいのか?



「―――――っ!」


 戸惑いがあった。一瞬の硬直。思考を放棄して感情を捨てる。


 ただ、腕を振り下ろした。




 だが、その一瞬が命取りだった。



 奴の胸の下で、小さな光が爆ぜた。



「―――――ぁ……っ!」



 広がる熱風と炎。

 地面を跳ね、俺の身体は地面の上を転がる。

 気が付けば俺の身体は倒れていた。


 衝撃と痛みが身体を襲う。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 身体が転がる前、押される衝撃があった。


 俺は誰かに突き飛ばされたのだ。


 そして、脳裏に焼き付いた光景に俺は思わず息を呑んだ。


 アンジェリカだ。


 アンジェリカが俺とフローガの間に割って入り、俺を突き飛ばした。



 目の前で直径3メートルを超える火の球が渦を巻いて展開されていた。

 場所はさっきまでフローガが立っていた位置だ。つまり、アンジェリカは俺を庇い、あの炎の球に取り残されたという事だ。


「…………アン、ジェリカ?」


 俺の声に答える者はいない。


 俺は最大の好機で失敗したのだった。


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