2-3
失敗した。
確信したはずの勝利を取りこぼす。
最後の最後で俺の気持ちは濁ってしまった。
奥歯を噛み締めてその場で俯く。
失敗した。
失敗して、死ぬはずだった俺はアンジェリカに助けられ、今生きている。
その代償に、アンジェリカはここにいない。
視界の端で燃え続ける炎の球。
直径3メートルを超えるそれは渦を巻き、獲物を焼く牢獄だった。
落ち込んでいる場合じゃない。
速く助け出さなければ!
そうして足に力を入れる。
「フハハハハハハハ!!」
笑い声を発して炎の球の中から1人の男が姿を現した。
奴は炎の牢獄を出ると、その前で足を止めた。
緊張感を感じられないその態度に、俺はつい見入ってしまう。
「これが、……これが、恐怖か!」
それは異様な光景だった。
身体を震わせながら、笑い、叫んでいる。
台詞と態度が合っていない。
乖離した姿を目にして、戦慄する。
奴は恐怖を愉しんでいる。
命のやり取りをするこの状況でへらへらと笑っている。
それも恥じることなくだ。
異常だ。存在が異常だった。
この男には勝てないと本能が叫ぶ。
「なるほど、悪くはない。……悪くはないが、不愉快だ」
笑いがスッと消え、怒りに変わる。
男は俺を見ると、再び歩みを再開させる。
それは、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
動けなかった。蛇に睨まれた蛙のようにその場を動くことができない。
こちらを睨む瞳からは温度を感じない。
奴は俺の目の前で脚を止めると、腕を振り上げた。
右頬を強烈な打撃が襲う。
男に殴られ、俺は地面に倒れた。
受け身を取れずに衝撃を全身で浴びる。
「う……痛っ!」
遅れてじわじわと痛みが広がる。
顔を上げれば、目の前に掌がかざされた。
「…………死ね」
冷たい鉄のような一声。
次の瞬間、炎の塊が目の前で放射された。
「らぁぁぁぁぁっ!」
その掛け声と共に、俺の鼻先を掠めた槍が地面に突き刺さる。
炎と俺の間に割りこんできた槍は突風を発生させて炎を散らしていく。
「うおっ」
風に吹き飛ばされて地面を転がる。その勢いが止まった瞬間、服の裾を思いっきり引っ張られ、投げ飛ばされた。
地面に衝突して脳が揺れる。
直ぐに正気を取り戻し、何が起きたのかを把握する。
「おい、大丈夫か!?」
耳元で叫ばれたその声に驚き息をもらす。
「……アルドニス」
声の主はアルドニスだった。
しかも、フローガの炎を防げるように岩の陰に逃げ込めたようだ。
「アンジェリカ様は?」
「…………あの、炎の中だ」
今もなお展開し続ける炎の牢獄を指して口を開く。
「…………マジかっ。じゃあ早く助けに行かないと」
そうだ。早く助けに行かないといけない。
仮に能力を使って炎の牢獄の中で生き延びていたとしても、その状態を維持したまま動くことは難しいだろう。
アンジェリカが自分で脱出してくる可能性は低い。
炎を弾くことに成功していても、既に限界のはずだ。
……炎を弾くこともできず、既に燃やされているとは考えたくない。
だが、どうすればいい。
助けに動けば狙い撃ちされる。
なら、1人が時間を稼ぎ、もう1人が救出を実行するか?
無理だ。現実的じゃない。
時間がない。
いまこうしている時も奴はこちらに向かってきている。
回り込まれて炎を放射されれば、それで終わりだ。
時間がない。
思考する時間が足りない。
……どうする。どうすれば、アンジェリカを助けられる?
足りない時間の中、思考を巡らせている最中に違和感を感じた。
……あれ? なんで奴は走って回り込もうとしない。
さっきも今も。なんで歩いて近付いてくるんだ?
奴の性格上、走ってきてもおかしくない。
「…………まさか、警戒している?」
俺の中で出た答えはそんなありふれたものだった。
「おい、タクミ。どうするんだよ!」
隣でアルドニスが声を上げる。
「…………やっぱり、戦闘慣れしてないんだ」
言葉をこぼして確信する。
なら、取るべき行動はひとつだ。
アンジェリカを助けるために、速攻でフローガを倒す。
……できるというのか。
人のカタチをしたあいつに剣を振ることが。
さっきの結果を思い出す。
覚悟が足りなかった自分。
躊躇った結果、剣を振るのが遅れてこの状況を生み出した。
喉まで出かかった言葉を呑み込む。
深く考えている時間はない。
いま、こうしている間も彼女は苦しんでいる。
「アルドニス。もう一度、俺に力を貸してくれるか?」
見つめ合う。
揺れるその瞳が何を感じたのか俺にはわからない。
ただ、微笑んで胸を張り、
「あたりまえだ!」
と口にした。
身体が熱くなる。
その一言に、俺の迷いは見えなくなった。
「作戦を言う。よく聞いてくれ」
「できるか?」
俺の問いに、アルドニスは大きく頷く。
「やり遂げてみせる」
「わかった。信じるよ」
そう答えて姿勢を低くする。
右手に力を入れて剣を握りなおす。
チャンスは一度。
これを逃せば、もう次はない。
全てはタイミングに懸かっている。
奴がこちらに歩いてくる。
「―――――まだだ」
一歩。また一歩と近付いてくる。
「―――――まだだ」
ゆっくりと、まるで亀のように歩いてくる。
「―――――今!」
脚を能力で強化して地面を蹴る。
脚に熱が走り、力を解き放つ。
砂煙を舞い起し、岩陰から飛び出した。
一瞬、奴と目が合う。
加速した俺の身体は奴の隣を通過してその背後へと回り込む。
「―――――ぬっ」
ずっと、違和感があった。
奴が攻撃するたび違和感を感じていた。
奴には大きな欠点がある。
それは、おそらく戦闘を知らない事。
ヴァーテクスはヴァーテクスによる攻撃でしか傷をつけることができない。
そして、ヴァーテクス同士の殺し合いは禁止されている。
奴の攻撃手段は炎の放射だけ。
つまり、奴は戦闘を知らない。
経験したことがない。
命のやり取りを知らない。
なぜなら、奴の攻撃は戦闘ではなく、殲滅の部類に入るからだ。
離れたところから炎を放射するだけで、全てが片付いてしまう。
それがヴァーテクスという種族なのだ。
つまり、接近戦というものを知らないんだ。
今までの行動がそれを裏付けている。
炎の使い手で粗暴な性格。
「俺の知ってる炎系能力者は、拳やら剣に炎を纏わせて戦う近接戦闘のスペシャリストたちなんだよ!」
戦闘においては素人。その点において奴は俺と同類だった。
凝縮された思考を呑み込む。
さらに身体を加速させた。
フローガは振り向き、右腕を上げた。
奴から50メートルほど離れた位置で急停止する。
減速し、体の向きを反転させて再び地面を蹴った。
この距離なら時間にして3秒で届く。
だがこちらの攻撃が届くよりも奴の火炎放射の方が1秒速い。
それでも、躊躇うことなく奴の身体目掛けて突進する。
直後、
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
鼓膜を裂くような叫びが闘技場に鳴り響いた。
フローガの背後でゴゴゴゴと地面を削りながら巨大な大岩が動き始める。
人の手では決して動かすことができない質量を持つ大岩が勝手に動き出したのだ。
「―――――なっ!」
奴は咄嗟に首を回して炎の球を確認する。
岩の進行が止まる。
アルドニスは力尽きてその場に倒れる。
岩は僅か数センチしか動いていない。
それで充分。
それがハッタリだと気付いたフローガは首を戻し、右手から炎を放射する。
目の前で放たれる炎。
「―――――っ!」
剣を振ってもまだ届かない。
剣が届く前にこちらの身体が焼かれる。
視界を赤い熱の塊が覆った。
次の瞬間、俺の身体は宙に浮いていた。
思考ゆえの行動ではない。
予測しての行動でもなかった。
反射。死にたくないと体が叫んでいた。
生存本能に身体を動かされ、放たれた炎をギリギリで避ける。
あとは、落下に合わせて腕を振り下ろすだけ。
眼下、奴の身体を捉え、視線が交錯する。
フローガは腕の角度を変えて炎を放射しようと試みる。
だが、もう遅い。
「うおぉぉぉぉぉぉぉお!」
空気の抵抗に負けることなく、力いっぱい腕を振り下ろす。
奴の右肩から腰に掛けて斜めに肉を断ち切る。
真っ赤な返り血を浴びて着地する。
が受け身が間に合わず、地面に転がった。
「痛っ……」
大きく胸を上下させて酸素を肺に取り込む。
フローガは膝から地面に倒れこんだ。
「…………勝った、のか?」
すると、炎の球が空気の抜ける風船のように萎んでいく。
その中からボロボロの少女が姿を現した。
炎が消えた後、彼女は尻餅を着くとキョロキョロと辺りを見渡した。
倒れるフローガ。それからアルドニス。
そして、最後に視線が合った。
俺は腕を上げて親指を立てる。
それを見たアンジェリカは目を剥いて口に手を当てた。
その直後、観客席が一気に湧き上がった。
アンジェリカの勝利。その喝采である。
会場の熱に胸が熱くなるのを感じた。
「タクミ!」
起き上がって駆け寄ってくるアンジェリカに、俺は起き上がろうとして身体に力が入らにことに気が付いた。
「……まじか」
「タクミ、どうしたの!?」
耳元で彼女の声がする。
生きていてくれてよかった。
「立てないだけ。身体はなんともないよ。それより、アンジェリカの方が重症じゃない?」
彼女の顔は火傷を負っており、所々すすで汚れている。
服はボロボロになっていて肌色が晒されている。
髪の毛も乱れ、先端は焦げてしまっている。
その中でも、やっぱり一番酷いのは掌だった。
両手とも真っ黒で指は原形をとどめていない。
「私は大丈夫よ。ヴァーテクスだから治癒能力は高い方なの。死なない限りは勝手に体が治るわ」
その言葉に安堵の息を吐く。
「……やりましたね」
「ええ、タクミのおかげよ。ありがとう」
そう言って微笑み、目尻から涙をこぼす女神。
その笑顔が、この命がけの戦いの報酬だった。
深く息を吐いて空を見上げる。
一歩間違えれば命を落としていた戦場で、どんな花にも劣らない美しいものを貰った。
それを記憶に焼き付けて瞼を閉じる。
張り詰めた糸がプツッと切れるように意識が重くなる。
……ああ、まだ話足りない。
だが抵抗は虚しく、海の底に沈んでいくように俺の意識は落ちていった。
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