2 炎のヴァーテクス

2-1

 1日はあっという間に過ぎていき、森を出る日になった。


 近くの村で馬車を買い取り、荷物を馬車に詰め込む。

 アルドニスが手綱を握り、他は荷台の中でその身を委ねる。


 ドミニクさんの怪我は治っていない。いろいろと懸念点はあるが、進まない訳にもいかず、馬車はブラフォスという街を目指して発車した。



 初めての馬車。初めて知る森の外の世界に胸が躍る。

 興奮を抑えきれずに俺は馬車から身を乗り出して外の空気を肺に取り込んだ。


「これぞ、異世界ファンタジー! 最高だぜ!」


 俺の声は壮大な平原の彼方に吸い込まれるように消えていく。

 鼻の奥に広がる緑の匂い。


 太陽の代わり、煌点の光を浴びて馬車は進んでいく。


「落っこちるなよ」


「ああ、分かってる!」


 先頭のアルドニスの声に答えて俺は地平線の彼方を見詰める。どこまでも続く大平原。この緑の先には俺の知らない世界が広がっているのだ。


 異世界の風景を堪能しながら周囲を見渡す。左側に商業者集団と思わしき馬車の群れが見えた。

 右側の奥には大きな森林が広がっている。


「異世界最高! やっぱ転生するなら異世界だな! というか、夢がひとつ叶っちまったぜ!」


「ふふ、はしゃぎ過ぎよ」

 荷台で俺を見上げてアンジェリカが笑みをこぼす。


 マジ可愛い。

 マジ女神!


 頬をほころばせて風を受ける。少し気を抜くと風に吹き飛ばされてしまいそうだ。

 というより、風に溶けていく。


「はあ、幸せだ」


「危ないから、そろそろちゃんと座ってね」


 ローズさんにそう促されて姿勢を元に戻す。

 馬車から落ちて痛い思いをするのは嫌だし、みんなに迷惑をかける訳にもいかない。


「元気ですね。タクミ」


 荷台に戻ると、包帯で右腕を固定したドミニクさんがそう呟いた。


「はい。森の外に出るのを楽しみにしてたので」


 興奮と謎の緊張感で昨日はなかなか寝付けなかった。もしかしたら、修学旅行より勝っていたかもしれない。


「……怪我の調子はどうですか?」


「今はだいぶ楽になりました。腕を動かすのは無理そうですが」


「大丈夫です。私がしっかりサポートするので」


 そう言うとローズさんは腰に手を当てて胸を張る。豊満な胸が強調されたため、俺は慌てて視線を逸らした。





 森を出てから6時間が経過した。


 休憩を挟みながら南西へと馬車は進んでいく。

 平原を抜けて今は乾燥した荒原を進んでいる。


「やばい。マジでヤバイ」


 馬車の振動に尻を打たれてマジで痛い。

 更に激しく揺れるもんだから、酔ってしまい気持ち悪さを感じていた。


 結局、俺は最初の10分しか異世界を堪能できず、その後はずっと横になっていた。


 狭い馬車の荷台で横になって馬車の揺れを感じる。

 時折、石ころを車輪が乗り上げることで起きる振動によって顔を床に叩かれる。


「痛っ、……気持ち悪っ」


 最悪だ。こんな姿をアンジェリカに見せてしまうなんて。


「大丈夫?」


「はい。大丈夫です」


 アンジェリカの優しさが疲れた心に染みわたる。


「もうすぐ着くから。それまでの辛抱よ」


 そう言って伸ばされたアンジェリカの右手。その細い指が俺の頭に触れ、そっと撫でられる。


「―――――ふっ」


 漏れ出た息。俺は咄嗟に両手で口を押えた。

 心臓が激しく鼓動を刻む。

 いま、目の前で起きている現実を素直に受け入れる事ができない。

 感覚は研ぎ澄まされて、思考は火花を散らす。


 ほのかに冷たい手の温度。細長い綺麗な指。そして、いい匂い!


 あぁ、時よ。止まってくれ。

 正確には、この数秒間がずっと繰り返される世界になってくれ。


 かっこ悪い姿を見せてしまったが、これはかなりのラッキー幸せだ。



「見えてきたぜ!」


 その声に、幸せな空間にいた俺は一気に現実に引き戻された。


 もう少し浸っていたかった。

 心の中で文句を言って体を起こす。


「ありがとう、ございます」


 恥ずかしくて、アンジェリカの顔を直視できない。

 彼女の顔から少しだけ視線をずらしてお礼を言う。


「おかげで楽になりました」


「それならよかったわ」


 アンジェリカと一緒に荷台の外を見上げる。



 草の生えていない乾燥地帯。

 岩と砂に包まれた大きな街が目の前に広がっていた。


「すっげー」

 息を呑んで声を上げる。

 砂、岩、砂、岩。

 辺り一面、砂と岩の世界。

 冷静に見れば地球のエジプトだ。


 乾いた風。

 鼻の奥に広がる砂の匂い。

 視界の先に緑はなく、白い砂がまるで海のように広がっている。


 そして、その中に巨大な建造物が集合している場所がある。

 周りを大きな壁で囲い、その中央には門が設けられているようだ。


 砂と岩の都市。


「あれが、ブラフォス」

 馬車は速度を落し、ゆっくりと街に向かって進む。


 街に近付くと、中が凄く騒がしいという事に気が付く。


「……なんだか、すごく騒がしいですね」


「今日はお祭りなの」

 隣を見ると、いつのまにかアンジェリカは頭から布を被っている。


「それ、どうしたんですか?」


「私は有名だから。こうしておかないと騒ぎになって、人が集まってくるの」


「炎のヴァーテクス様に会う前に騒ぎを起こしたくないからね」


 門の前に到着すると、馬車は停止した。

 馬車を降りて門を潜る。門の傍には衛兵と思われる武装した人もいる。

 衛兵にお辞儀をして街の中に入る。すると、外からではわからなかった熱気が人々の愉快な声と共に俺たちを襲った。


 門から街の中央に向かって伸びる大通り。その両脇には出店が多く並んでいて、夏祭りの様子を想起させた。

 道を挟んで飛び交う人の声。店に並ぶ見たことのない品物の数々に興味がそそられる。

「いきましょう」


 いつの間にか足が止まっていたようだ。

 アンジェリカに促され、歩みを再開させる。


「俺はとりあえず、馬車を置いてきます」


「分かったわ」


 アルドニスを待っている間、建物の影に身を潜める。

 人口密度が多く、祭りという事で人々が騒いでいるため物凄く暑さを感じる。


「ドミニク、大丈夫?」


「ええ、大丈夫です。気遣いありがとう」


 ローズさんはドミニクさんに付きっ切りだ。右手が不自由なため、人混みの中を歩くのは大変そうだ。

 その事実に思わず奥歯を噛み締めた。


「お待たせしました!」

 アルドニスが戻ってくる。


「少し、街を回りましょうか」


 そう言うと、アンジェリカは先陣を切って街の奥へと進んでいく。






 街の中を歩いて数刻が経過した。

 道の端で大人たちが酒を片手に騒いでいる。その近くでは、楽団と思われる集団が楽器で音を奏でている。


 その様子を眺めながら、屋台で購入した揚げ物にかぶりつく。

 外はサクサクで、中はホロホロとこぼれていく。

 まるで、コロッケのようだ。


 懐かしさを感じる料理に感動して、じっくりと味わって喉に流し込む。


「うまい! この料理はなんて言うんだ?」


「芋揚げだな」


 アルドニスがにかッと笑って答える。

 その横を、芋揚げを持った子供たちが駆けてゆく。


 その後ろ姿を微笑みながら見送る。




「タクミ」


 急に名前を呼ばれてドキッとする。

 視線を落とし、「なんですか?」と首を傾げる。


「貴方から見て、この街はどうかしら」


 それは、ひどく低い声だった。

 まるで、氷のような冷たい響き。


 少し戸惑ってから辺りを見渡す。

 子供も大人も喜び、楽しんでいる。


「……いい街だと思いますよ」




「…………そう、よね。この乾いた街が1柱のヴァーテクスによって、つくり変えられた街じゃなければね」



「え」という戸惑いを掻き消すように、大きな音が鳴り響いた。

 それは低い笛の音。


 思わず耳を塞いで周囲を確認する。


「いったい、なにが」


 パニックにはなっていない。ただ、人の波が割れ、道の左右に別れてその場に膝を着いた。


 それは、とても異様な光景に見えた。


「炎のヴァーテクス様。フローガ・テオス様のご帰還である!!」


 後ろで男性の叫び声が響いた。


「やばい!」


 右腕をアルドニスに引っ張られ、道の隅に連れていかれる。

 何がなんなのか、理解が追い付かない。


 アルドニスに促されて膝を折り、姿勢を低くする。

 気が付けば、全ての人が道の中央に向かって頭を垂れていた。



「フハハハハハ。いいぞ! 気分がいい!」


 俺たちが通ってきた道を、高らかに笑い声を上げて、1人の男が歩いてくる。

 その男は、上半身が裸だった。

 アラビア感のあるズボンを穿いており、素足でこちらに歩いてくる。

 鋭い目つきに紫色の乱れたオールバック。両耳には光る金の装飾を着けている。


 そして、男は上半身が裸だ!


 鍛え抜かれた筋肉がただものではないことを物語っている。



「フローガ様!」

 その男のもとへ、ひとりの老人が歩いていく。


「町長か。どうした」


 男は横目で老人を確認すると歩みを止めた。


「その、今回フローガ様の運び役となった、私の息子を含めた6人の姿が見えないのですが」


 老人は男に媚びるように頭を低くしながら問うた。

 すると、男はただ一言。


「燃やした」


 そう、答えたのだ。


 その言葉に、老人はその場に立ち止まった。

 すると、俺の隣で頭を垂れていた女性が急に地面に蹲り、声を殺して泣き出した。


「それより、お前。そんなつまらないことで、この俺を呼び止めたのか?」


 男の声がひどく冷たくなる。まるで温度が感じられない。

 男は老人の方を睨むと、右腕を前に突き出した。


 次の瞬間、その右腕が真っ赤な炎に包まれた。離れていても伝わってくる熱風に耐えきれず、体が起こされる。


 老人はその場から動こうとしない。そこに、轟々と燃える火の腕がゆっくりと近付いていく。


「やめろ!」

 そう叫んだところで既に間に合わない。


 その光景を視たくなくて、反射的に目を瞑った。


「―――――そこまでよ」


 その声に、心が叫んだ。


 男の動きが止まる。炎は静かに消失し、硬そうな筋肉のついた腕が現れる。


 声の主は頭からかぶっていた布を外し、群衆の中から出て男に近付いていく。


 薄紅い綺麗な髪が風に揺れる。布が剝がされ、その下に隠れていた美貌が露わになる。

 無名のヴァーテクス、アンジェリカは男の目の前で止まり、奴を睨んだ。



「久しぶりね。フローガ」


「アンジーナ!」

 男は腕を下ろしてアンジェリカと向き合う。


 そんな2人を前に人々がざわつきだした。


「アンジーナ様だ」「アンジーナ・テオスさま」




「あんじーな。ておす? なんのことだ?」


 その混乱の中で、聞こえてきた単語をくちにする。

 だが、俺の質問に答えが返って来るような状況ではない。

 ここは大人しく2人のやり取りを見守るしかなさそうだ。


「……私の名前はアンジェリカよ」


 アンジェリカは自身の名前を訂正する。それを聞いて男は不愉快そうに首を傾げた。


「あぁ? なに言ってんだ、てめぇ」



「あなた、また人を燃やしたのね」


「俺がどれだけ人間を燃やそうが、お前には関係ないだろ」


 お互いに睨み合い、敵意をむき出しにする。

 このまま、ここで戦闘が始まってもおかしくない。


「……この街も10年前はもっと緑が沢山あった」


「しょうがないだろ。俺が拠点にしてる街だ。砂や岩以外は全部、燃えちまう」


 フローガは悪びれることもなく口角を釣り上げる。


「それで、今日はどうしたんだよ」

 その態度は明らかにアンジェリカを挑発したものだった。

 それを受け、アンジェリカは拳を握り締め、唇を噛んだ。


「私は10年前の雪辱を晴らしに来た。そして、今この街で貴方の圧制に苦しむ人々を救うために、貴方を倒しに来たの」


「フ、フハハハハハ」


 アンジェリカの強い意志が込められた言葉を受け、フローガは笑った。


「10年前の雪辱、ね。あの日、俺に手も足も出なかったことを忘れたのか?」


「忘れてないわ。でも、あの日の私はもういない」


「いいだろう。受けてやる。丁度、退屈しのぎを探していたとこだ」


 フローガは嬉しそうに両手を広げる。


「10年前の戦いの後、人間に作らせた闘技場がある。そこで闘ろう!」


 アンジェリカとフローガ。

 名無しと炎の戦闘が幕を開けた。


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