1-6
それは、ハンティングアクションゲームで見たことのあるモンスターに似ていた。
そのゲームを思い出すと音楽に合わせて肉を焼きたくなるのが定番だが、今は全くそんな気が起きない。
巨大な蛇のような怪物。その身体は紫色の甲殻に覆われていて見るからに堅そうだ。
長い身体を巻いているため、はっきりとした全長は分からないが、15メートルは超えているように見える。
黄色く輝く爬虫類特有の瞳の上には禍々しい角が生えている。
そんな怪物に向かって、アルドニスが両手で槍を振り回す。
だが、矛先が甲殻に当たった瞬間、弾かれてしまう。
「―――――くっ!」
蛇の攻撃を避けながら、アンジェリカは懐に潜り込んだ。アンジェリカの周りを浮いていた5本の剣が空中で向きを変えて一斉に発射される。
蛇の鱗を削り、肉を削ぐ。だが、大きなダメージにはなっていない。
蛇の怪物は、周りを一掃するかのように巻いていた身体を解き放ち、尻尾を鞭のようにしならせて地面を削り取った。
叫びと共に放たれたその攻撃を、人間離れした跳躍力で避けたドミニクさんは剣で攻撃に転じる。
時を同じくして、片手用の盾で攻撃を防いでいたローズさんが巻き上がった砂ぼこりから飛び出して蛇を殴った。
剣と同程度の柄の先に鋭い金属製の凹凸が付いている。
メイス、あるいは戦棍と呼ばれる打撃武器だ。
ドミニクさんは剣、アルドニスは槍、ローズさんはメイスを武器としているようだ。
ローズさんに殴られた蛇は尻尾を器用に使って後ろに下がり、攻撃態勢に入った。
だが、怪物の攻撃に備えようとする者はいない。
アンジェリカたちは真っ直ぐに蛇の怪物に向かっていく。
「どうして」
言葉がこぼれる。
1秒後には蛇の攻撃が来る。備えなければ攻撃を喰らってしまう。
だが、次の瞬間。怪物の身体は何故か大きく仰け反った。
何が起きたのか分からない。
唐突な衝撃に怯んだのか、蛇の動きが止まる。
「今よ!」
短い掛け声の後、4人が一斉に動き出した。
「おら!」
と吠えてアルドニスが槍で蛇の甲殻を抉る。破壊力抜群の攻撃に、便乗するようにアンジェリカが剣と槍を操作して攻撃を仕掛ける。
身の危険を感じたのか、蛇は身体を回転させて攻撃を凌ぎ……。
次の瞬間、突き出された尾によって、アンジェリカの身体は吹き飛ばされていた。
「―――――、アンジェリカ!」
アンジェリカの身体はそのまま太い樹木に衝突して地面に転がった。
アンジェリカの傍に駆け寄って様子をうかがう。
「だいじょうぶよ」
だが、アンジェリカは直ぐに体を起こした。
その体に傷らしきものは見当たらない。それどころか痛みを感じてる様子もなかった。
「アンジェリカ?」
「私は戻るわ。タクミはここにいて」
それだけ言い残すと、彼女は再び怪物に向かって行った。
それを止めようと伸ばした腕は虚しくも、何も掴めない。
俺はその後姿を眺めることしかできなかった。
10分もしないうちに怪物は倒された。
最後はアルドニスの槍に貫かれて地面に倒れる。
目の前で繰り広げられた戦いは終結し、緊張の糸がほつれる。
深い呼吸を繰り返し、怪物を打倒した彼女らのもとに駆け寄ろうとした時だった。
不意に、背後に気配を感じた。
咄嗟に振り向く。そして、それを目にして息を詰まらせる。
黒い角を生やした獅子の怪物。
異世界に来てすぐに遭遇した獣と同じ姿をした怪物が睨んでいた。
『レオガルト』
怪物は歯の間から涎を零してこちらを見詰めている。
「―――――つ!」
こちらの異変に気付いた誰かが何かを叫ぶが、内容は耳に届かない。
脚は動かず、目も逸らすことが叶わない。
まるで、金縛りにでもあったかのように体が動かない。
それを見透かしたように、怪物は大きく口を開いた。
―――――!
気が付けば尻餅をついていた。痛みと衝撃が遅れてやってくる。
そして、花火のように赤い鮮血が弾けた。
「―――――はっ!」
その血は俺のものではない。
若草色の綺麗な髪を真っ赤に染めて男が立っている。
「……だい、じょうぶ、ですか」
ドミニクさんは怪物の牙に身体を貫かれながらも、こちらの身を案じていた。
「―――――あっ」
歯が噛み合わず、こぼれた音は意味をなさない。
ドミニクさんと目が合う。彼は俺の様子を見て優しく微笑んだ。
「ドミニクを、放しなさい!」
鼻の奥に痛みを感じた瞬間、遅れてやってきた女性が右手を振りぬく。
メイスで殴られ、レオガルトは吹き飛ぶ。
ドミニクさんの身体はレオガルトの口から解放されて、その場に倒れた。
「しっかりして! ドミニク!」
ローズさんの叫び声が響く。
それを掻き消すように、レオガルトの低い唸り声が鳴る。視線を移せばレオガルトが飛び掛かってくる寸前の姿勢だった。
「えいやっ!」
場違いな掛け声を上げてアンジェリカが俺を追い越して腕を振るう。その号令に合わせて、5本の剣が空を飛んでレオガルトの身体に突き刺さる。
短い悲鳴を上げてレオガルトが身を翻した。そこへ―――――。
駆け付けてきたアルドニスが槍の先端をレオガルトに叩き付けた。
宙に浮いた怪物の身体はそのまま落下する。地面に衝突し、断末魔を残して崩れる。
数秒、起き上がらなくなった奴を見詰める。
全身に張り付いた冷たい感触が離れない。ゆっくりと呼吸が再開する。
「大丈夫か?」
耳元で響いた声。右肩を揺すられて我に返る。
「―――――あっ」
短く息がこぼれる。自分の失態に気が付いた。
俺のせいで、ドミニクさんが。
「ご、ごめんなさい」
口からこぼれた言葉。一体なにに謝ったのか自分でも分からない。
それを背中で受けたローズさんはドミニクさんの手当てを行っている。ドミニクさんは地面に倒れたまま動かない。
アンジェリカとアルドニスは黙ってその様子を見ていた。
俺だけが異物だった。
俺が油断したせいだ。周囲の状況に気を配っていなかったから。そもそも俺がいなければ、こんな事になっていない。
「……気に、しないで、ください」
細々と、ドミニクさんの声が聞こえた。
「……私の、ミスです」
「……そんなこと、ないです」
ドミニクさんの言葉を否定する。ドミニクさんは悪くない。悪いのは全部、俺なのだから。
「……あんまり、自分を責めるな」
俺の横でアルドニスが口を開いた。
「タクミは素人だ。だからこそ、俺たちがいつも以上に周囲を警戒するべきだった」
奥歯を噛み締めてグッと涙を堪える。
「それで、ローズ。ドミニクの容態は?」
ずっと静観していたアンジェリカが口を開く。
問われたローズは立ち上がり、アンジェリカの方に姿勢を変えた。
「応急処置は行いました。あとは近くの村で医者に診てもらいましょう」
「分かったわ。直ぐに向かいましょう」
幸運なことに、命に別状はないらしい。それだけでも喜ぶべきだ。
込み上げてきたものを呑み込んで、拳を握り締める。
深呼吸を繰り返して、思考を切り替える。
自分の失態を受け入れて、前に進むために。
アルドニスとローズさんが協力してドミニクさんを近くの村まで連れて行った。
2人が帰ってくる頃には煌点が傾き始めていて、空はオレンジ色に染まっていた。
ドミニクさんは一晩、医者の家で安静にしているそうだ。
その後、夕飯の準備に取り掛かり、出来上がったスープを口の中に流し込んだ。
初日とは打って変わって会話はなく、静かに時間が過ぎていく。
夕食後はアルドニスと木を切り倒し、汗だくになった身体を湧き出た水で洗い流した。
空は完全に暗くなり、就寝する時間になっても俺は眠ることができなかった。
暫く横になっていたが、眠気はやってこない。
毛布の中で何度も寝返りを打ち、強制的に瞼を閉じる。
…………ダメだ。
やっぱり、眠れない。
静かに体を起こして、毛布から出る。音をたてないようにテントから出て真っ暗な闇の中を進んでいく。広場を抜けて、森の中に入る。
不思議なことに恐怖は感じない。
先の見えない道も。襲ってくるかもしれない怪物の存在も。
今は怖くなかった。
背の高い木々の間を通り抜けて奥へと向かう。
どれくらい、歩いただろう。
ふと、後ろを見ればそこには闇だけが広がっている。
身体の向きを反転させる。
だが、いま自分がいる場所も、テントがある場所も既に分からない。
このまま朝になったら、アンジェリカは心配してくれるだろうか。
それとも、足手まといがいなくなって喜ぶのだろうか。
考えるのが怖かった。
だから考えるのを止めて、歩くこともできないから。空を見上げた。
前に進もうと思った。失敗しても、前に進もうと。
でも、無理だった。
今日、俺のせいで人が死ぬところだった。
結果的に怪我で済んだ。でもー――――。
「……それで、安心してんじゃねぇよ」
固く拳を握り締めて振り上げる。
そして、そのまま下に振り下ろして太腿を叩いた。
呼吸を繰り返して再び空を見上げる。
そこへ。
「タクミ?」
一番聞きたい人の声が響いた。
不意を突かれて息を呑む。咄嗟に顔を下ろせばそこにはアンジェリカの姿があった。
「……どうして」
その一言だけで彼女は多くの事を察したようだった。
「タクミが森に入っていくのを見かけたから」
どこかで聞いたことのある言葉がそのまま返って来る。
「眠れないよね。ちょっとだけ話そうよ」
アンジェリカに促されて隣に移動する。距離が近くなり、微かにいい匂いがした。
心臓の音がうるさい。もう、彼女の声以外は聞こえない。
「さっきドミニクとアルドニスが言っていた通り、気にする必要はないよ」
「でも、俺のせいでドミニクさんは」
「確かに、ドミニクはタクミを庇って傷を負った。でもあれはドミニク自身の選択による結果よ。だから、必要以上に思い悩む事はないわ」
俺の言葉を遮って、アンジェリカは言った。
その言葉を受けて、俺は開きかけた口を閉じた。
「……じゃあ、俺はどうすれば」
俺のせいで人が死ぬところだった。
俺の代わりにドミニクさんが怪我してしまった。
でも、思い悩むことが許されないなら、俺はどうすればいいのだろう。
自身で考えることを放棄して彼女の答えに縋ろうとする哀れな姿が惨めに見えた。
「強く、なればいわ」
「……強く?」
「うん。そして、誰かを助ける。世界はそうして回っているのだから」
アンジェリカの言葉は正しいものだと思った。
もし、彼女の言葉が正しいのなら。
もし、それが俺の取るべき行動なのだとしたら。
「なら、アンジェリカがいい」
思わず言葉がこぼれた。
発してからそのことに気が付き、慌てて口を閉じる。
でも今更口にした言葉がなくなるわけではない。
アンジェリカは、
「へ!?」と変な声を漏らして俯いてしまう。
少しだけ顔が赤いような気がする。
「……俺はアンジェリカを助けたい」
今度はしっかりアンジェリカを見詰めて言葉にした。
嘘偽りのない本心だ。
「ありがとう」
アンジェリカはぎこちない笑みを浮かべて顔を上げた。
「でも、私はヴァーテクスだからいいの。人の助けなんていらないの。1人で生きていけるから」
そう言うと、彼女は俯いた。そして、言葉を続ける。
「この戦いも1人でやるつもりだったの。1人で挑んで、1人で戦って、1人で倒すつもりだった」
表情に影を落として話す彼女の姿は、とても特別な存在には見えなかった。
むしろ逆だった。
寂しいその言葉に、なにもいう事が出来ない。
「貴方たちが私についてきてくれるのは嬉しいわ。でも、私の戦いに貴方たち人間を巻き込みたくないの。だから、気持ちだけ受け取っておくわ」
そう言って彼女は微笑んだ。
どんなに彼女が人間に見えても、アンジェリカは1000年以上を生きる人間を超越した存在なのだ。
だから、今ここで俺が何と言おうと彼女の意思を変えることは出来ないだろう。
「さて、そろそろ戻りましょうか」
夜の大岩。月に似た夜空に浮かぶ白い光。その下を彼女の背中を追って歩いていく。
初日の夜とは異なり、複雑な思いを募らせて歩いていく。
頭の中で彼女の『1人で生きていけるから』という言葉が何度もフラッシュバックする。
「明日は1日休んで次の日にこの森を出るから」
そういえば、蛇の怪物を倒しに行く前もそんなことを口にしていたな。
「……この森を出て、どこに向かうんですか?」
「西の方にブラフォスという街があるの。そこで炎のヴァーテクスに挑むわ。それが私の戦いの始まり」
その言葉を聞いて俺は足を止めた。
「戦いの始まりってことは、最初の標的ってことですか?」
「ええ、そうよ」
炎のヴァーテクス。
そいつに挑むという事は、いよいよ世界を敵に回すという事だ。
その事実をどう受け止めていいか分からず、迷った挙句に思考の隅に追いやることにした。
他の事を考えよう。
そういえば、初日にも『全能のヴァーテクス』という単語を聞いた。
「……アンジェリカは何のヴァーテクスって呼ばれてるんですか?」
その問いにアンジェリカも足を止めた。
長い沈黙の後、こちらに振り向いた彼女は言った。
「私はヴァーテクスとして未熟だから。私に異名は無いの」
その瞳はどこか冷たく、少しだけ怖いと思ってしまった。
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