1-5
「俺に、剣を教えてくれ!」
どこかで見たようなセリフをそのまま口にする。
能力を貰った翌日の朝。森の中で鉄の剣を振るうドミニクさんを訪ねた。
地面に額を付けてお願いする。
「……急にどうしたんですか?」
ドミニクは額に浮かぶ汗を手の甲で拭うと、首を横に傾げた。
「貴方を越える為……!」
顔を上げてドミニクさんを見詰める。
「はい?」
ドミニクさんは首を傾げながら頭にはてなを浮かべている。
「……伝わらないって寂しいな」
ぼそっと、こぼして立ち上がる。膝に付いた砂を手で払い落して再びドミニクさんと見つめ合う。
「すみません。冗談です」
そう告げると安心したかのように、ため息をこぼす。
「少し驚いてしまいました」
「あ、剣を教えてほしいのは本心です」
「はい。分かっていますよ」
にこりと微笑んだ後、綺麗な瞳が開かれ、こちらを見詰めてくる。
まるで、俺の心を見透かすような瞳に、思わず生唾を呑み込んだ。
「……どうして、剣を覚えたいんですか?」
「アンジェリカの手助けをするために」
そこまで言いかけた瞬間、空気を裂く鋭い音が炸裂した。首に突き付けられる冷たい感触。
視線を落せば、ドミニクさんが剣を構えている。その刃は俺の首を簡単に切断出来る場所で停止している。
いつの間にか、体が硬直している。
心臓が高鳴り、口から出てしまいそうだ。
恐る恐る視線を上げる。
「アンジェリカ様だ。貴様の態度は馴れ馴れしい。今すぐ訂正しろ」
突き付けられたのは剣ではなく、死の感触だった。
一度体験したあの忘れられない感触が身体を蝕む。
歯が上手く噛み合わない。
それでも、それを許容することは出来ない。
「できない。アンジェリカにそのまま接してほしいと言われた」
数秒間、睨み合う。
死ぬのは嫌だ。痛い思いをするのも嫌だ。
それでも、彼女にお願いされたことを守らない男になりたくない。
「……わかりました。あとで確認を取ります」
沈黙を破り、剣を収めるとドミニクさんはこちらに向き直って頭を下げた。
「すみません。少しやり過ぎましたね」
まだ心臓の音は鳴りやまない。
「いえ、ドミニクさんの気持ちも理解できますから」
きっと、この世界の人間にとってヴァーテクスとは崇拝されるような存在なのだろう。
今まで宗教とは無縁に生きてきた俺にとっては馴染みのない考え方だが、彼らの在り方は理解できるものだった。
さすがは俺だ。器がでかい。
深呼吸で思考を切り替える。
話は逸れてしまったが、俺はドミニクさんに弟子入りするためにここにいるのだ。
「……それで、剣の指南は」
「私でよければ引き受けましょう」
先程の鉄のような態度と打って変わって暖かい眼差しを向けてくるドミニクさんが少しだけ恐ろしく見えた。
だが、直ぐにその感情を押し殺す。
「お願いします!」
「これを」と剣の形をした太い木材を手渡される。それを両手で受け取ると、ずっしりとした重さに手が引っ張られそうになる。
「それでは、先ず素振りを10000回やってみましょう」
その言葉に、「はい?」と完全に不意を突かれた俺はドミニクさんを見上げた。
微笑みを浮かべるその表情は冗談などではなく、真面目そのものだ。
「素振り10000回です」
アンジェリカに対する態度への怒りが込められている気がする。
「わ、わかりました」
木剣を持ち上げ、下に振り下ろす。
姿勢、身体の使い方、力の入れ方、腕の曲げ方など細かく指摘を受けながら素振りを続ける。
一切の妥協も許されず、言われたとおりに木剣を振り回す。
脳内イメージでは完璧な俺の剣術に身体はだいぶ遅れている。
素振りが10000回終わり、俺はその場に倒れこんだ。
荒くなった呼吸を繰り返して、酸素を肺の中に取り入れる。
「やり、とげたぜ」
「お疲れ様です。本当に10000回やり遂げるとは思っていませんでした」
「―――――え?」
顔を上げてドミニクさんを見詰める。
「貴方は剣の扱いに関しては素人です。私たちと行動を共にしなくても生きていける。アンジェリカ様の味方になるという事は他のヴァーテクス様を敵に回すという事です。それが何を意味するのか貴方は理解していますか?」
「ヴァーテクスを敵に回す意味?」
「そうです。ヴァーテクス様と敵対してはならない。これは誰もが知る常識です。そして人間が守らなくてはならない理でもある」
「―――――そうか」
そこまで言われて俺はようやく気が付いた。
「つまり、貴方は世界の全てと敵対することになるのです」
言いきられてしまう。
「世界の全て」
そう言われても実感などわかない。
スケールが大きすぎる話に、思考が追い付かない。
「それでも貴方はまだ私たちの味方になってくれるのですか?」
問いかけと共に瞳が揺らいだ。
真剣なその眼差しに一瞬、胸が高鳴った。
綺麗に整った顔。綺麗な若草色の長い髪に素人目に見ても素晴らしい剣の腕、そして物腰の柔らかな優しい性格。
そんな人がここまで俺を警戒する理由。
それは、アンジェリカのためだ。
アンジェリカは他のヴァーテクスと敵対している。そんな時、現れた素性の分からない異世界人。
アンジェリカは人がいい。俺を疑っているようには思えない。
だからこそ、こんなにも真剣に俺の事を警戒しているのだ。
「そうですね。言葉にするのは難しいです。ただ、彼女に助けられた時、美しいと感じたんです」
「美しい?」
「はい。俺の大好きな人に似ていて、負けないほどに綺麗だった。だから、助けられた恩を返すというのはきっかけであって理由じゃないです。俺は自分が美しいと感じたもののために手を貸したいんです」
息を呑み、目を見開くドミニクさんを、俺は真っ直ぐに見つめた。
揺れる綺麗な緑色の瞳に負けることなく。
「それが、険しい道であってもですか」
「はい」
「……なるほど。わかりました。私は少し敏感になり過ぎていたようですね」
ドミニクさんは笑みをこぼして空を見上げた。崩れた表情に俺は置いてけぼりになる。
「若いっていいですね。本当に羨ましい」
「何言ってるんですか。ドミニクさんも十分若いじゃないですか」
「私はもう25です」
そこで言葉を区切ったドミニクさんは遠くの方を見詰め、目を細めた。
それは一瞬の出来事であり、1秒後にはこちらを見詰めるドミニクさんの顔があった。
「では、修行を再開しましょう」
俺は立ち上がり、木剣を握りなおす。
少しでも理想の自分に近付くために。
ドミニクさんを追いかけて森を駆け、素振りを繰り返す。
剣の重さに慣れたら、次は動くものに剣を当てる練習だ。
素手のドミニクさんやアルドニスさんに対して思いっきり木剣を振るうが当たらない。
まるで俺の思考を読むがごとくこちらの攻撃は全てひらりと躱される。
「つらっ、つかれた、もうやめたい」
だが、ここで諦めたら意味がない。
少しでもアンジェリカに頼られるような男に成りたいのだ。
弱音を呑み込んで、グッと体に力を籠める。
身体に熱が広がってゆく。
地面を蹴り、30メートルほど離れた場所で着地する。
息は切れ、心臓は激しく脈打つ。心臓が胸を突き破りそうだ。持久走している時に急停止する感覚に似ている。
喉まで苦いものが溢れてきて吐き気に襲われる。
それを堪えて呼吸を繰り返す。
能力を全開で使うのは身体に負担がかかりすぎる。
息を整えながら自分の状態を確認して分析する。
自身が与えられた能力について詳しく知らなければ、いざというときに使えない。
「次は、能力を維持して……」
「おーい、タクミ!」
明るい声でアルドニスさんが歩いてくる。
強化を解除して、アルドニスさんに向き直った。
「どうしましたか?」
すると、アルドニスさんはグイッと顔をこちらに近づけてきた。
無言で見詰められても恥ずかしいだけなので、首を傾げてみる。
「いや、前から気になってたんだ。俺にはもっと気軽に接してくれ。そっちの方が助かるからよ」
そう言うと、アルドニスさんはニッと口角を上げて笑った。
「わかり……わかった。直ぐには難しいかもだけど」
「いいってことよ。気長に待つぜ」
アルドニスさんは1番話しやすい。フレンドリーというか誰に対しても壁を感じない。
「そ、それで。何の用?」
少したどたどしくなってしまったが、敬語を使わずに言葉にすることができた。
「昼飯の準備にいくぜ」
「もうそんな時間か」
能力のテストはまた後でだな。
心の中で呟いてから小走りで遅れた分を取り戻す。そして、一緒にテントに戻った。
♦♦♦
剣を振るう日々が続き、時間はあっという間に過ぎていく。
修行を始めて10日が経過した。
俺の剣の腕は自分でも分かるぐらいは上達した。
最初は動くものに剣を当てることもできなかった俺の剣技は確実に磨かれている。
素振りで鍛えた感覚や筋肉は確実に俺を成長させている。実感できる変化に俺も修行が楽しくなってきていた。辛くともアンジェリカの応援があれば頑張れた。
急な成長はなくとも、一歩ずつ。
「うおー!」
掛け声とともに腕を水平に振る。それを軽く木刀で払われる。相対するのはドミニクさんだ。
腰を入れて身体全身を使って剣を振るう。だが容易に躱され、弾かれ、最終的に俺の身体は宙に浮いてひっくり返される。
これが最近の日常となった。
「ハハハハハ、昨日と比べて成長してないな」
「昨日と比べないで!せめて3日前と比べて!」
アルドニスの高笑いに、ついむきになって言い返す。
「3日前と比べてもあまり成長はしてません。次にいきますよ」
辛口な師匠に俺は心を抉られる。普段は優しいのにこういう時は厳しいのだ。
「頑張ってね、2人とも!」
後ろから聞いているだけで癒される声。彼女の声援が抉られた心に染みる。その声の主に親指を立てて応える。
「見ててくれ!」
アンジェリカはぎこちなく自分の親指を立てて返してくれる。慣れてないその様子に頬が思わず吊り上がる。
「言葉だけじゃなく、成果を出してくださいね」
「おうよ!」
再び剣を構えて向き合う。
「アンジェリカ様、その仕草は何ですか?」
「タクミに教えてもらったの。なんか、イイトキにする仕草なんだって」
「そう、ですか」
ローズさんは自身の親指をジッと見つめる。
そんな微笑ましい女性陣のやり取りを背に俺は深く深呼吸をする。ただ無策に挑んでも意味がない。でも、俺だってこの数日ただあの木刀に打倒されていたわけではない。
初めは重さにすら慣れなかった西洋剣。生き物を殺傷できる武器がこんなにも重いものとは知らなかった。
今は鉄の剣ではなく、木刀だが。
俺は肺の中の空気を全部外に吐き出し、中段の構えから下段の構えへと移る。ドミニクさんの表情が僅かに揺らぐ。
ザっと足を大きく開いて、腕を振り上げる。
木刀の先端で砂を巻き上げて攻撃へ。
砂による目くらまし。その攻撃に、「うわ、汚ねぇ」とアルドニスが声を上げた。
そんなことは百も承知。正攻法では熟練の剣士であるドミニクさんには敵わない。
姿勢を低くして巻き上がった砂に隠れるように距離を詰める。
あと3歩。それでこちらの木刀が届く。だが、一瞬驚いたドミニクは直ぐに冷静さを取り戻す。身体の向きを変えて俺の身体を討つために腕が振り下ろされる。その刹那、俺は右脚に力を入れて地面を蹴る。
強張らず、自然に。まるで呼吸をするように、静かに。
能力で強化された右脚の筋肉はドミニクさんの予想を超えて俺の身体を加速させた。
「――――――っつ!!」
これならば俺の剣の方が先に届く。
その懐へと侵入して、剣を振り上げた。だが、剣はドミニクさんの身体に当たる前に撃ち落とされた。
「―――――あれ?……ごはっ!」
握っていた筈の木刀が視線の先でクルクルと宙を舞っている。その直後、俺の右頬を衝撃が襲い、俺は吹き飛ばされて地面の上を転がった。
「―――――んっ」
額に冷たいものを感じて意識を覚醒させる。頭が重く、頬が痛い。
どうやら、俺は汚い手を使っても勝てず吹き飛ばされて意識を失ったらしい。
瞼を開くと暖かな太陽の日差しが眼を焼いてくる。眩しさに顔をしかめて眼を擦る。
「あら、目が覚めたかしら」
その声は俺の頭上から降ってきた。その声は穏やかで優しさのある女性のものだった。状況を確認しようとして、俺は何か柔らかいものを枕にしていることに気が付いた。
あれ?これってもしかして凄く恵まれたことになってる?
視線を少し横に向ければ、そこには柔らかそうなふくらみがある。
思わず生唾を呑み込む。
「つまり、これは膝枕!」
点と点が結びつき、俺の中で明確な答えが生まれた時、ふいにアンジェリカの顔が脳裏に浮かんだ。
「すみませんでした!!」
と脊髄反射で起き上がると額に乗っていた冷たいものが落ちてくる。
人生初の膝枕の余韻に浸る間もなく、俺は顔を真っ赤に染めて振り返る。
「あらあら、そんなに慌てると体に響くわよ」
豊満な体つきをした赤茶色の長い髪が特徴なローズさんだ。
その優しさに心が揺さぶられる。
「だ、大丈夫です」
バクバクと高鳴る心臓を抑える。
ローズさんは最初、俺に対する警戒心が強めな印象だった。だが、こうして接してみればお姉さん的な優しい人だった。
きっと、その優しさ故の警戒だったのだろう。その警戒心も数日で薄れ、今では母性が強い、という印象の女性になった。
でも、それがかえって心臓に悪い。
俺は深呼吸を繰り返して冷静さを取り戻す。
「……それで、これは?」
冷たいものを拾い上げて問う。
どうやらそれはピンク色の果実のようだ。
「それはね、この森で採れる果物なの。食べさせてあげようか?」
「い、いえ。自分で食べれます」
こちらの精神を揺さぶってくるその声を断ってその果実を口に放り込んだ。
「ん、あまっ」
口の中に広がる甘さと冷たさ。それは口の中の熱で溶けて消えていった。
「お、目が覚めたのか!」
陽気な声に、顔を上げる。
アルドニスがこちらに手を振っている。その後ろにはアンジェリカとドミニクさんの姿もある。
「しっかし、汚い戦い方だったな」
「仕方ないだろ。今の実力じゃ敵わないって分かってたし」
アルドニスの言葉に言い訳をする。
「ハハハハハ。でも結局負けてんじゃねえか」
「でも、良い作戦だったと思いますよ。ああいう小細工も実力の内です」
「いつか剣の腕だけで勝ってみせます」
ドミニクさんは目を細めて、息をこぼした。
「楽しみにしてます。でも先ずは小細工を使ってでも私を倒してくださいね」
その言葉に、ぐうの音も出ない。
言葉に詰まり、アンジェリカの方に視線を移す。
彼女は俺たちのやり取りを微笑みながら眺めていた。
「頑張ってね。タクミ」
「―――――うっ」
応援と名前呼びのコンボに今日一番のダメージを負う。
嬉しさが込み上げ、思わずにやけてしまう。
「はい。頑張ります」
「じゃあ、そろそろ行くか」
そう切り出したのはアルドニスだった。
他の3人は頷いて歩き出す。
「どこに行くんですか?」
「歩きながら説明します。とりあえずこれを持ってください」
そう言って差し出されたものを受け取る。
それは、ずっしりと重い鉄の剣。木剣ではなく、実際に生き物を殺すことができる武器だ。
初めて手にする凶器に、思考が貼りつく。血の気が引いていくのを感じる。
冷たく、重たいそれを今すぐに手放してしまいたかった。
震える手で柄を握り締める。手放してしまいたいという衝動を、グッと呑み込んだ。
舌の上に苦いものが広がる。
いつの間にか俯いていた顔を上げる。俺だけが歩みを止めていたので、距離ができている。
重たい鉄の塊を大事に抱えて、遅れた足を前に進めた。
「2日後にはこの森を出発するわ」
緑が生い茂る森の中を進む途中でアンジェリカが口を開いた。
「私たちはこの森に住み着いた怪物を倒すために森の調査を行っていました」
「怪物、ですか?」
「ええ。この森を通過する商人がその怪物に襲われたらしいです」
「困っている人を助けるのがヴァーテクスとしての私の使命だから」
そう言ってアンジェリカは微笑む。
2人の説明を受けて、アンジェリカたちがこの森に留まっていた理由を把握できた。
「その怪物の居場所が分かった、という事ですか?」
「そうです。今日の朝にアルドニスと私が発見しました」
つまり、今からその怪物と戦わないといけない。
その事実に、俺は口を閉じて考え込む。
俺はしっかり戦えるだろうか。
自然と剣を握る力が強くなる。
「素人の貴方に戦えと強制するつもりはありません。今日は少し離れたところで私たちの戦いを見学していてください」
その言葉に、俺は安堵の息をこぼし、頷く。
だが、そんな自分に気が付いた時、一気に恥ずかしさが込み上げてきた。
咄嗟に顔を下げて唇を噛んだ。
「安心してんじゃねえよ」
惨めな自分が嫌になった。
『アンジェリカの手助け』
その言葉の重みを今更実感する。
「しっかり、俺たちの戦いを見とけよ!」
そのどんよりと思い感情を払うような声に、俺は顔を上げた。
「そうよ。なにかあっても私たちが守ってあげるから」
アルドニスとローズさんの言葉に俺は気持ちを改める。
今は実力不足を嘆いている場合ではない。
「前方にネオルピスです。来ますよ!」
耳を裂くかのような号令が響く。
「タクミはここで」
アンジェリカに促されて脚を止める。
50メートル前方に木々の間で動く影を視認する。
「……でかい」
こぼれた言葉はそんなものだった。
ここまで離れていても、その怪物は大きく見えた。
さらに、長い。
それは、まさに怪物と呼ばれるに等しい大きさの蛇だった。
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