1-4
翌朝。
煌点が産声を上げて、静かに闇が殺されていく。優しく、力強い光に照らされて、世界は目を覚ます。静かに重い腰を上げて活動を始める命たち。
壮大な世界の片隅。小さな森の中にも活動を始めた命があった。
柔らかい光を木々の間から全身に浴びて、綺麗な若草色の長髪の男は森の中を歩いていた。
自身が一晩を明かしたテントから離れ、森の中を進んでいく。やがて視界の奥に、薄紅色の髪が特徴な少女が見えた。
その少女は男に気が付くと軽く手を振った。
「おはよう、ドミニク」
「はい。おはようございます」
丁寧に頭を下げて挨拶をする。
見た目こそ年頃の少女にしか見えないが、その少女は人間ではない。この世界に10柱しかいない人を超越した存在なのだ。
「さっそく本題にはいりましょう。わたしに話があるのでしょう?」
少女、アンジェリカは意味ありげに口角を上げる。
「はい。昨日の人間、タクミのことです」
昨日、唐突にこの世界に現れた人間。それは未知そのものであり、世界に迷い込んだ異分子である。
ドミニクらこの世界の人間とは異なる文化を持って生活する異世界の住人。
「うん。タクミがどうしたの?」
「彼の事を軽はずみに信じるのは危険だと思います」
ドミニクは言葉を濁すことなく真意を告げた。アンジェリカはその言葉を受けて首を傾げてみせる。
「どうして?」
「この世界とは異なる世界から来た、などとても信じられません。それに、どのような人間か判断できる材料が少ない。我々を誑かそうとしているのではないでしょうか」
「まあ、貴方の言いたいことも分かるわ。でも、彼の言っていることは恐らく事実よ。第一に、彼がこの世界で育った人間ならヴァーテクスである私に嘘をつく利点なんて存在しないわ」
ヴァーテクスはあらゆる命の頂点に存在する種。すなわち、ただの人間がヴァーテクスに対して嘘をつくとは考えにくい。そんな発想を思いつくことは出来ても実践はすることは出来ないだろう。それがこの世界に暮らす人間という種族なのだ。
「それに、わたしは異世界の存在を昔から知っていたわ」
その一言に、ドミニクは息を呑んだ。
「アウルがね、異世界について話していたことがあるのよ。まあ、わたしも昨日タクミに会うまでは半信半疑だったんだけどね」
「……アウル様が。だったら認めるしかないようですね」
タクミが異世界人だと認められても、避けようのないことはある。異世界人と認められ、全てが丸く収まるほどこの世界はあまくない。
「なら、なおさら彼の事を信用するのは危ないですよ」
そう。異世界人を図るためのものさしなど存在しない。異なる文化、異なる価値観を持つ異分子が善良な人間であることを示す証拠なんて存在しないからだ。
未知。これより怖いものなど存在しないのだから。
「確かに、タクミが本当に信頼できる人間とは限らない。だからと言って疑いの目を向けて、勝手に危険だと決めつけてしまうのもよくないわ」
「……彼が現れるのがもう少し早ければ、こんなにも疑うことはなかったですよ」
「そう、よね。時が時だものね。でも、知らないなら知っていけばいいと、わたしは思うの。幸い言葉は通じるしね」
アンジェリカはそう言うと笑ってみせた。重い空気が少し和らいで、ドミニクの顔にも日が差す。思っていることを真っ直ぐにぶつけて気が晴れた、そんな感じだった。
「それでも、慎重に行動はするべきです。私とローズは少し距離を取って彼を観察してみます」
「うん。最初はそれでいいわ」
話し合いは終わり、肩を並べて歩き出す。
木漏れ日の中、その足取りは行きよりも軽いように見えた。
♦♦♦
太陽……ではなく、煌点が昇ってから数時間が経過した。
一睡もしていないのに、頭は重くない。
朝食のスープづくりの手伝いで短刀を握って食材を刻んでいく。
「……かなり手際がいいわね。もしかして、料理経験があったりする?」
「学校の調理実習だけですかね」
俺の答えを受けて、ローズさんは「ガッコウ?」「チョウリジッシュウ?」と首を傾げた。
「その、ガッコウっていうのは、なんなんだ?」
「簡単に説明すると、子供を教育する場所ですね」
学校の説明をすると2人は感心を示す。
その反応からこの世界には教育機関は存在しないのだろう。
魔法学園で無双生活……憧れていたのに。
「でも本当に上手だわ。アルドニスには任せたくないから助かるわ」
「この程度の手伝いだったらいつでもやりますよ」
家庭科の授業で習った猫の手を駆使して野菜を刻んでいく。細かくなった野菜はローズさんが鍋に入れて煮込んでいく。すると、次第に美味しそうな匂いが漂ってくる。
寝ていないからか、やけに空腹感を感じる。
今の状態でこの匂いには耐えられそうにない。
自身の食欲と葛藤していると、草を掻き分けて2人の男女が姿を現した。
アンジェリカとドミニクさんだ。
「美味しそうな匂いがしているね」
「俺が野菜を切りました!」
胸を張ってアンジェリカにアピールする。
「ありがとう。とてもおいしそうね」
微笑む彼女の顔に空腹が吹き飛ぶ。
満たされるほどに胸が苦しくなる。
「そろそろ仕上げに入るわね」
木の茶碗によそわれたスープに口を付けて喉の奥へと静かに流し込んでいく。
暖かいスープが身体に染みていく。少し刺激的な味なので目も覚めて、頭も冴える。朝にはピッタリな品だ。
「それで、タクミはこの後どうすんだよ」
アルドニスさんが肉を頬張りながら口を開いた。
その声に皆の視線が俺に集まる。
その視線に少し緊張して俺は俯いた。
きっと、ここがこの人生の大きな岐路のひとつなのだろう。
こんな時、よくあるパターンが出会った人の手助けをしたりすることだ。
まあ、その人物がたいていの場合、メインヒロインなわけなのだが。
考えたところで、俺は既に答えを決めている。たとえ、この選択がテンプレと言われようが俺はこの道を選ぶ。
「俺はアンジェリカの手助けがしたい。昨日助けてもらった恩を返したいんだ」
昨夜に決めたことをそのまま声に出した。
暫くの間、誰も声を上げなかった。頭の先から4人の視線を浴びて反応を待つ。
まるで数秒だけ時間が止まったかのように静寂が訪れたあと、一番最初にそれを破ったのはアルドニスさんだった。
「そうか、それは助かるぜ!」
「ちょっと待って」
それを遮るようにしてローズさんが立ち上がる。垂れた優しそうな瞳がキュッと細まり、見詰めてくる。
真っ直ぐなその視線に喉が閉まる思いになりながら向き合う。
「私はまだ貴方の事を信用しきれないわ」
その言葉は正しい。彼女たちからしてみれば俺は素性の分からない異世界人だ。出逢って二日で信用なんて得られているわけない。
「はい。分かっています。だから時間をかけてー―――」
信用を得たい。そう言いかけた時、アンジェリカが立ち上がった。
「ローズの意見は正しいわ。でも、この世界の事についてなにも知らない彼を一人追い出すこともできないでしょう?」
「……はい」
「私たちは人手不足。だからこそ、先ずはタクミを引き入れて力を貸してもらいたいの。いいかしら?ローズ、ドミニク」
「はい。アンジェリカ様が決めたことであるなら私は従います」
「わかりました」
皆の了承を得たところで、アンジェリカはこちらを見て微笑んだ。
過呼吸気味になりながら、安堵の息をこぼす。とりあえず、俺はアンジェリカの手助けができるみたいだ。
「それじゃあ、タクミ。貴方に話したいことがあるの」
真剣な眼差しになった彼女の言葉を受けて姿勢を正した。
「私の……いえ、私たちの目指すものについて話すわ」
そう切り出した後、アンジェリカは息を吸って語り出した。
「私たちは他のヴァーテクスを倒すために動いているの」
「……ほかのヴァーテクスを」
その言葉をどう受け取ればいいのか分からない。だけど、彼女の眼差しは真剣なもので、それが冗談とかではないことはすぐに分かった。
「ヴァーテクスはこの世界に10柱存在しているわ。私たちは大きく2つの属性に別れているの。ひとつが人々を助け、恵みを与え、敬わられる存在。そして、もうひとつが人々に災いを与え恐怖される存在よ」
「もしかして、人間から恐怖されるヴァーテクスを倒そうとしている?」
「ええ。そのとおりよ」
俺の質問に大きく頷いて肯定を示すアンジェリカ。そんな彼女に俺は口を閉ざすことしかできなかった。
「貴方が力を貸してくれるというなら、有難くそれを借りるわ。でもあなたが今の話を聞いて何を選ぶかは貴方の自由よ」
「俺は貴女の力になりたいです!」
俺は自身の一番強い望みを口にした。
俺の返答に一番驚いていたのはアンジェリカだった。
「え、いいの?」
と聞き返してくる彼女に俺は「もちろん」と胸を張った。
本当にアニメっぽい展開になってきた!
彼女の傍で大きく貢献すればハッピーエンドなんてすぐだぜ!
もちろん、このハッピーエンドは彼女の目的が無事に達せられ、最終的に俺と両想いになるというのが条件だ。
これで俺の異世界ライフの到達点が見えてきたぜ。
朝食後は各自、身支度を整えてテント前に集合することになった。俺は貰った服意外に準備することなどなく、アンジェリカも直ぐに支度を終えて戻ってきた。
「それで、俺はまず何をすればいいですかね」
俺の異世界ライフを成功に導くために人間から恐れられているヴァーテクスを倒さなくてはならない。
「そうね。タクミには先ず、戦闘能力の向上と私が与える能力をしっかり使えるようにしてほしいわ」
「……なんですと?」
「だから、戦闘能力の向上と私が与える能力を……」
「キターーーーーー!」
目を輝かせ、アンジェリカに迫る。すると、彼女は少し引き気味にこちらを見詰めてきた。
「すみません。取り乱しました」
直ぐに頭を下げて謝る。冷静に考えても今の勢いはやばかった。
彼女の反応を覗おうと視線だけを上に向ける。アンジェリカは頬を少しだけ赤らめてわざとらしく咳ばらいをした。
「少し驚いたけど、大丈夫。えっと、話を戻すわね。私はヴァーテクスとして特殊な能力を所持しているんだけど、そのうちのひとつに、人間に能力を与えるという力があるの」
マジで神様っぽい能力だな。
と思いながら耳を傾ける。
「それで貴方にも能力を与えたいと思うんだけど、どんな能力がいいかしら」
そういわれても困る。非常に困る。俺というオタクは今まで多くのアニメや漫画、ラノベといった創作物に触れてきたわけだ。
もしある日、自分の目の前に女神さまが現れて「超能力を与えましょう」なんて展開、正直何度も憧れたし、妄想もしてきた。
でも、その都度思うのだ。
ひとつを選べとか無理すぎる!
身体が伸びる力とか、時を止める能力とか、人や物を治す力とか、炎を操ったりだとか、相手の能力を消す力だとか、物を投影する能力だとか、全部欲しいに決まってる!
「それってどんな能力でも可能なんですか?」
「複雑なものは無理ね。あと能力はひとつだけ。一度決めたら変えられないわ」
「ですよねー」
予想通りの答えが返ってきて落ち込む。
考えて、考えて考えて、悩んで……。
決めることなどできない。
大きく溜息を吐く。我ながら優柔不断にもほどがある。
「決めれないから、アンジェリカが決めてくれ」
「……そうね。どんな能力がいいかしら」
アンジェリカは顔を落して考え込む。
「うーん、俺は戦闘に慣れてないからそれを上手く補えるような能力がいいかな」
結局、自分の身の丈に合ったものが一番だ。どんなにすごい能力でも使いこなせなければ意味はない。まあ、俺は自分で選ぶことができないから彼女に託したわけだが。
「自分で選んだ場合、どんな能力にしても後から後悔しそうだしな。でも、アンジェリカが決めてくれたものなら例えどんな能力でも使いこなしてみせるぜ!」
「うーん。どうしよっか」と可愛く悩んでいると、身支度を終えた3人がこちらに歩いてきた。
「どうしたんですか?」
「今、タクミの能力を考えてるの……」
ドミニクの問いかけに応えた後、アンジェリカは、「あ!」と声を上げた。
「思いついたわ。タクミの能力」
アンジェリカは誇らしげに笑いながらこちらを振り返った。
「身体能力の強化にしようと思うの」
「身体強化、いいね!」
グッと親指を立てるが、アンジェリカは頭にはてなを浮かべていた。
それにしても、「身体強化」ときたか。身体能力を強化してパワーやスピードを上昇させる能力。これなら戦闘に慣れていないという欠点も補えそうだ。
「そうよね。よし、それじゃあ早速始めましょう」
アンジェリカに促されるままその場に片膝を着いた。
他の3人に見つめられているので恥ずかしいのだが、それよりもワクワクが勝っている。
なんともアニオタ冥利に尽きる。
まるで、姫とそれに仕える騎士のような光景に心が踊る。
彼女の掌が頭上にかざされた。暫くすると、幻想的な紫色に光る粒子がポツポツと出現し、蛍のように舞い始めた。
身体の内側から湧き出る何かが炎のように熱い。その感覚に心が奪われ、魅せられる。
紫色の光が強さを増し、視界全体に広がっていく。身体に渦巻く熱さに痛みはなく、どこか心地良さがあった。
光が収束し、空間に溶けてゆく。アンジェリカの方を見れば自然と目が合った。
彼女の微笑みに笑顔で返す。緊張が解け、俺はゆっくりと立ち上がった。
身体に変化はない。
「終わったんですよね?」
「うん。能力を使用するという感覚で動けば使えるはずよ」
「ちょっと、試してみてもいいですか?」
「ええ、いいわよ」
気持ちを落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。
皆に見つめられる中で、グッと膝を折り曲げる。
頭の中でスイッチを入れて高く飛ぶイメージで足に力を入れる。
足に熱が走る。
身体の中から何かが溢れていく感覚に陥る。
「えいっ!」
掛け声とともに地面を蹴る。
風の抵抗を全身で感じた。
その後に浮遊感を感じた。
いつの間にか瞑っていた目を開けばそこは上空だった。
俺の感覚で、10メートルは飛んでる。視界は巨大な樹木に覆われているので残念だ。
だが、高く飛んでいる。たったそんなことで俺の心臓は一気に跳ね上がる。
だが、余韻に浸っている場合ではない。俺の身体は真下に落下を始めた。
「う、ああああああああああ!」
まずい、まずい、まずい。
着地の事を考えてなかった。
そもそも、こんなに高く飛べるなんて思っていなかった。
ぐるぐると回った思考は答えを導く前に停止する。俺はそのまま地面へと落ちていく。
「―――――ひっ!」
俺は咄嗟に目を閉じて衝突に備える。
だが、俺の身体は地面に直撃する寸前で何かに包まれた。
痛みはなく、浮遊感だけがある。
謎の現象に頭の整理が追い付かない。
だが、ひとつだけ確かなのは、
「た、たすかった?」
「すげージャンプ力だったな!!」
耳に響くアルドニスさんの声。その声は俺の頭の少し上から聞こえてきた。
状況を確認しようとして気が付く。どうやら、俺は地面と水平になりながら、その少し上を浮いているようだ。。
「あの、これは?」
「あ、わりぃ。今降ろすぜ」
1秒後、俺を助けてくれた浮遊感は急に消えて、俺の身体は地面に落とされた。
「痛っつ!」
頭を地面で打ち、悶え苦しむ。頭を押さえて、じたばたしていると目の前に手が差し出された。
「大丈夫かよ」
涙目になりながら「ああ」と答えてその手を支えに立ち上がる。
心臓が激しく脈打っている。
「大丈夫?」
アンジェリカが俺を心配してくれている。
「はい。大丈夫です」
胸を押さえながら自身の身に起きたことを再確認する。
運動なんて、授業でしかやってこなかった俺があんなに高く飛べるだなんて簡単には信じられない。
でも、それが今俺の身に起きた現実だ。
「あ、はは、はは」
思わず笑いがこぼれる。
「体育の授業とか敵なしだぜ」
「タクミ?」
「いや、なんでもない」
雑念を振り払い、アンジェリカに向き直る。
「この力で、君を助けてみせるよ」
真剣な思いを告げる。
今の自分なら、何でもできる。―――――そんな、気がした。
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