1-3

 推しのヒロインによく似た少女は実は人間ではなく、1000年以上生きてるヴァーテクスと呼ばれる種族でした、と。


「……マジかヨ。最初に見たときは同い年くらいだと思ったのに」


 正直な感想をこぼして落胆する。

 別に女性の年齢をそこまで意識しているわけではないのだが……。


 異世界転生して、目の前に美少女が現れるっていう主人公みたいな展開。

 そんな奇跡みたいな経験したら誰だって思うじゃん。


 この子が、俺のメインヒロインだ。って。


 確かに、生まれて17年。彼女が出来たこともないモテない人生だったけど、これはもう期待するしかないじゃんよ。


 異世界転生して、目の前に美少女が現れたら、それはもう人生勝ち組展開なんだよ。最後はその美少女と結ばれてハッピーエンドだって相場が決まってるんだよ。


 それなのに、相手の年齢が1000歳以上ときた。


 俺は別に年の差なんて気にしないけど、相手がそうなのかは別の問題じゃん。

 しかも、神様的存在ときた。


 ただの人間が恋愛対象になるわけ…………いや、あるかもな。


 実際、ギリシャ神話だとありありだ。

 人間と神様の恋愛なんて珍しくないのかも。



 直ぐに立ち直り、活力を取り戻す。


「ほれ、肉が焼けたぞ」


「はい。ありがとうござ……」

 と差し出された肉を受け取ろうとして、肉に触れてしまう。


「熱っ!!」


 反射的に手を引っ込めてしまい、肉が静かに落下していく。


「よっと、あぶねえぞ」

 その肉は慣れた手つきで掴まれ、再度目の前に差し出された。


「あ、ありがとうございます」

 もう一度、アルドニスさんにお礼を言ってから今度は慎重に肉を受け取った。


「そんなに畏まらないでくれ。あんたは客人なんだからな」


 眩しいその笑顔に胸の奥が熱くなるのを感じた。



 話し合いは一旦終わり、晩御飯になった。

 火を起こして肉を焼く。「レオガルト」と呼ばれる怪物の肉らしい。

 香ばしい香りに食欲がそそられる。異世界での初の食事はなんと骨付き肉だ。


 喉を鳴らして目の前の肉にかぶりつく。

 瞬間、鼻の奥を肉の味が突き抜けた。香ばしい香りと肉汁が口いっぱいに広がる。


 ……のだが、なんだかパサパサしていて異様に硬い。

 無理やり肉を引き千切って口の中に押し込んだ。

 喉を通る異物感。うん、断言しよう。今まで食べた肉の中で一番不味い。

 香ばしい肉の香りを搔き消すほどの血の臭い。いろいろと残念だ。


 食欲が一気に消える。


 周りに視線を送ってみれば、みんな美味しそうに頬張っていた。この肉がよく焼けていない訳ではなさそうだ。

 俺の味覚が可笑しいというか、ズレているのを感じた。


 どうやら、この世界の食事にはあまり期待しない方がよさそうだ。こんなことなら自炊の練習をしておくべきだった。


 俺は黙ったまま肉と見つめ合った後、心の中で大きく溜息を吐いてからもう一度かぶりついた。



 食事の後は水浴びだ。ドミニクさんとアルドニスさんに言われるがままに、布と斧を持って森の中に入る。そして、なぜか木を切っている。

 大きく、太く育った立派な樹木に対して3人がかりで斧を振るう。


 可笑しい。明らかにおかしい。


「あ、あの。さっき、水浴びだって言ってましたよね?」


「ああ。そうだが?」


「なのに、なんで木を切っているんですか?」


 もう既に腕や足腰が痛い。異世界の森の中なのだから、風呂には期待していない。この状況下で水浴びと言ったら川しかないだろ。

 水浴び前にする労働として木を切るのはおかしすぎる。


「なんでって、この木で水を浴びるからだろ」


「―――――は?」


 え?ちょっと待って、今なんて?

 俺の耳が可笑しくなった?


「あれ、聞こえなかったか?この木で水を浴びるんだよ」

 放心してたら丁寧に言い直してくれた。いや、言葉はおかしいけど。


「いやいや、おかしいでしょ。水浴びって言ったら川でしょ!」


「かわ?皮?」


 駄目だ。通じてない。


「よっと!」

 生きのいい掛け声に合わせて斧が振るわれる。その一撃は確実に樹木の芯にダメージを与え、大きく葉を揺らした。


「そろそろか」

「俺がやりましょうか?」


 2人のやり取りを1ミリも理解できない。

 これがこの世界の風習だというのか。だとしたら怖すぎだろ。


「いくぜっ!」


 斧を大きく振りかぶったアルドニスさんの一声の後、斧の刃に透明のナにかが纏う。視認することは出来ない。

 でも、確実に何かが集まったのだ。俺の両肩を冷たい風が吹き抜けて収束する。そして―――――。


 振るわれた斧。直後、そのなにかは勢いよく爆ぜた。強い向かい風を感じて、咄嗟に顔を腕で覆った。


 すると、メキメキと豪快な音を立てながら樹木が傾いた。そして、信じられない光景に目を奪われる。


 裂けた木の根元から、空に向かって大きな水柱が発生した。ダムの崩壊よりも激しく水が天に上る。その水は限界に達すると、今度は勢いよく落下してくる。


 たちまち、辺りをゲリラ豪雨が襲撃した。


「な、言っただろ。水浴びだって」

 冷たい雨を浴びながら斧を肩に担いだアルドニスさんは豪快に笑ってみせた。

 その光景に俺は暫く開いた口を塞ぐことができなかった。




「え、そっちの世界は陸より水の方が多いのか?!」


「はい。正確には海、と呼ばれる塩水ですけど」


「塩水。すげーな!」


「でも、そんなものがあったとして、木が全部吸い干してしまうんじゃないか?」


「たしかにな。不思議だ」

 そんな2人の疑問を前にして、世界間ギャップに浸る。

 俺にとってはこの世界の木は異常だが、2人にとってはこれが日常で、俺の世界の日常が異常なんだろう。


「いや、この世界の木みたいに性能がよくないというか」


「まあ、この世界にはウミっていうのは存在しないしな。中央都市から水路が各方面に向かって地中を流れている。街の中には地上に水路が設けられてるがな。その水路はやがて終焉の森に行き着く。そこで木に吸収されるんだ」


「……なるほど。だから川も存在しないと。そして、木を切断すれば水を大量に確保できる、と」

 この世界の構造を頭に入れる。あらためて、異世界すごすぎだろ。


「……都市からは、どういう風に水が流れてるんですか?」


「それは全能のヴァーテクス様が流して下さってるんですよ」


 全能のヴァーテクス。

 その単語だけでその存在の凄さが伺える。

 ギリシャ神話でいうところのゼウス。北欧神話ではオーディン。

 この世界の主神、といったところか。


 樹木の切断面から滝のように溢れ出る水で身体を洗い、貰った服を着た。その後は就寝だ。広場に戻り、テントで横になる。


 今日一日の出来事で頭も体も疲れている筈なのに、なかなか寝付けなかった。心臓の音が静かになることはなく、やけに脳が冴えている気がする。


 修学旅行の前日に寝れない小学生か、と心の中で自分にツッコミを入れる。


 だが仕方がない。修学旅行に行くことよりも凄くワクワクすることが現実に起きてしまったのだから。


 大きく息を吐いてから横で既に眠っている2人を起こさないように静かに起き上がり、テントを出た。

 真っ暗な闇の中、記憶だけを頼りに進んで倒木の場所までやってきた。


 数時間前まで自分が座っていた場所に腰を下ろして天を見上げた。空に浮かんでいるのは白い淡い光を放つ月だけだ。辺りは真っ暗で都会のように人工の光は見当たらない。


 それなのに、月以外の光は空に見えない。


「……寂しい、空だな」


 俺の知っている美しい夜景とは異なる空模様に鼻の奥に痛みが走る。俺はもう故郷に帰ることは出来ないかもしれない。


 そもそも、あの世界で生きていた俺は既に死んだのだ。


 見慣れた街の匂いも、安心できる我が家も、17年間一緒に生きてきた両親にも、もう会うことは叶わないだろう。


 記憶は鮮明に残っているというのに。


「どうしたの?」


 背後から響いてきたその優しい声に、俺は頬を伝った雫を急いで拭い、振り返った。

「アンジェリカ、さん」


 推しのヒロインによく似た、彼女ではないその少女は先程の純白のドレスとは打って変わって、素朴な布のワンピース型の服を着ていた。


 束ねられていた薄紅の髪は下ろされていて、とても彼女が特別な存在であるとは思えなかった。


「……隣、いいかしら」


「はい」と答えてから、端に詰める。その横に彼女は静かに腰を下ろした。数世紀ぶりとも言えるその距離感に、息が詰まり、鼓動が激しくなる。


「貴方は、あの話を聞いても私に様と付けないのね」


「あ、ごめんなさい。今度から気を付けます」


「ふふ、いいのよ。できれば、そのままでお願いするわ」


「……では、そうします」

 脳が上手く回らない。緊張しすぎて腹のあたりがモゾモゾする。


「それで、どうしたの?」


 こちらを覗き込んでくるアンジェリカに俺は生唾を呑み込んで見入ってしまう。


「寂しくて、眠れないかしら」


「……いいえ。逆です」


 俺は静かに言葉を落してから、言葉を続けた。


「やり残したことは、沢山あります。楽しみにしてたことなんて数え切れませんから」


 アンジェリカは何も言わないまま、耳を傾けている。

 それが嬉しくて、嬉しくて。

 俺は弾むように言葉を口にする。


「それでも、楽しみなんです」


 夜空を見上げて、アンジェリカは「なら、よかったわ」と口にする。


 これから自分が体験するであろう異世界での暮らしに胸が躍る。

 人生はこんなにも希望に包まれていたのだと細胞が歓喜している。

 その興奮が熱を生み、眠気を焼いてゆく。



「もう少し、貴方の事を聞かせてくれないかしら」


「面白いものじゃないですよ?」


「そんなことないわ。私の知らない世界の話なんだもの。すごく興味深いわ」


 瞳の奥を輝かせるアンジェリカ。

 それはすごくきれいで、まるで宝石のようだった。


「わかりました」

 そう答えてから俺は自分が歩んできた人生を語り始めた。








「そうして、俺は真のアニメオタクになったんです。ああ、オタクというのは自分の好きなものに時間や愛を捧げて生きる人たちの事です」


 アンジェリカは楽しそうに俺の話を聞いてくれた。

 それもあり、つい話過ぎてしまった。


「タクミのお話。すごく面白かったわ」

 そう言って彼女は笑った。

 キラキラと輝いて見えるその笑顔に俺は心臓に衝撃を受ける。


「―――――うっ」


「え、大丈夫?」


 突然、胸を押さえて苦しむ俺の姿にアンジェリカは慌てて心配してくれる。

 心配顔も可愛い。

 え、マジで可愛すぎない?

 なに、女神なの?


 あ、神か。



 見た目は人と変わらないが、彼女はヴァーテクスと呼ばれる神のような存在。


 もしかしたら、この想いは身の丈に合わないものかもしれない。

 それでも―――――。


「大丈夫ですよ」

 そう言って彼女に笑いかける。


「ほんとうに?」


「はい」


「それなら、よかった」

 胸を撫でおろして、安堵のため息を漏らす。

 そうして少しの間、無言の時間が流れる。



「―――――月が綺麗ですね」


 夜空に浮かぶ白い光を見詰めて、絶対に正しく伝わらない方法で想いを口にした。


「ツキ?」


「あれ?」


 それは俺の予想と違う反応だった。

 首を傾げて「ツキ」という単語に頭を悩ませている。


 マジか!


「アンジェリカ、さん。あの空に浮かんでいる白い光はなんていうんですか?」


「あ、夜の大岩の事ね」


 彼女は晴れた表情で顔を上げる。


「夜の大岩、ね。」


「昔、地表にあった大岩を全能のヴァーテクスであるバジレウスが空に打ち上げたのよ」


「へ、へえー。それはスゴイデスネ」


 初めての告白がっ空振りに終わり、俺の心は既にここにはなかった。


「地中を流れる水路に、空に浮かぶ大岩。化け物じゃないか」


 異世界の夜空に浮かぶ白い光は、月ではなく、夜の大岩というらしい。

 新しい情報を上手く処理できずに俺の思考は停止しかけている。


 だが、月が夜の大岩だというのなら、もう一つ生まれた疑問をここで聞いておきたい。


「ちなみに、昼の眩しい光のことは?」


 太陽。なじみ深い言葉が返ってくるのを期待する。


「煌点のこと?」


 俺の期待は僅か数秒で粉々に砕かれた。


「コウテン?」


「煌めく点の事よ」


「……なる、ほど」


 一日の終わりに衝撃の事実が明かされて、更に目が覚めてしまった。

「それじゃ、今日はそろそろ寝ましょうか」


 くるりと体の向きを変える動作に合わせて薄紅色の髪が揺れる。ほんの微かに香る甘い匂いに俺は遅れて立ち上がる。少しの距離を一緒に移動して別れる。


 これ以上、彼女を付き合わせる訳にはいかない。


「おやすみなさい」


「ええ、おやすみ」


 アンジェリカに見送られて、テントの中に戻る。


 テントで姿が遮られた後、溢れ出そうな幸福を噛み締めて、上り続ける口角を隠すために口元を手で覆い隠す。

 高鳴る鼓動を抑えて、抑えて、抑える。

 その場にしゃがみこんで抑えていた感情を爆発させる。


 目の前で口が動くことの破壊力よ。

 声がマジで可愛い。声を聴いてるだけでお米3杯はいける気がする。


 いや、無理か。幸せ過ぎて食欲がなくなる気がする。



「……はあぁ」


 肺の中の空気をすべて吐き出して、新しい空気を取り込む。

 さっきよりも目が覚めていて、眠れる気がしない。それでも、もう寝ないと明日に響く恐れがある。


 気持ちを落ち着かせて、奥に移動して、開いてる場所に横になる。

 閉ざされた空間の中、暗い天井を見詰める。数分前までの会話の内容を思い出して、俺は固く決意した。


 この世界で、これからどうするのか。



「アンジェリカの手助けをしたい」


 その為にできることをしよう、と。


 その一言は、吸い込まれるように、闇に溶けていった。


 その後、結局眠ることができなかった俺は煌点の光をテント越しに浴びるのだった。




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